32.私は錨を下ろさない ~I shall not anchor.~
「七海、クリスタル・マーメイド号の乗員になるつもりは無い?」
陽子は出会ってから今までで一番真剣な口調で私にそう告げた。あまりに突然のことなので私は完全にフリーズしてしまう。そんな私と陽子の姿を、佐代達3人が息を飲むようにして見守っていた。
「えっと、つまりそれはどういうことで……?」
「どういうことって、そのまんまだよ。七海にこのクリスタル・マーメイド号に乗り組んでもらって、一緒に客室乗務員見習いをやって欲しいんだ。コーラル・マーメイド号と違って、この船は西の大国向けに作られてるし、七海にとっても馴染みのある環境の中で仕事ができるんだよ、悪い話ではないと思うんだけど、どうかな?」
陽子はもう一度先ほど言った内容を繰り返した。しかし、私は陽子の言ったことが理解できなくて聞き返したというよりは、事態がうまく飲み込めず、どう反応していいか困って聞き返したのであって、彼女が私をスカウトしていることは察している。これが陽子の冗談だとすれば、気の効いた返しの一つもしなければいけないだろうし、本気ならこちらも本気で回答するのが誠実な対応だと思う。もっとも、陽子だけでなく周りの3人の反応からして、これが私をからかうためのドッキリである可能性は少なそうだ。だとすれば、私もそれなりの真剣さを見せるべきだろう。だって、私の回答はいずれにせよ決まっているのだから。
「ごめん、陽子。それはできない。私はコーラル・マーメイド号の乗員として、今まで一生懸命やってきていろんな経験もしたし、いろんな仲間もできたんだ。それを全部なかったことにはできないし、私もしたくない。それに、コーラル・マーメイドにはマリさんやポーラ、それにセーラっていうかけがえのない友達が乗ってて、私は4人でこの海を旅するって決めてるんだ。だから、一緒には行けない。」
私は陽子に対して私の答えを返す。少しキツい言い方になってしまったかもしれないが、これは私の紛れもない本心だ。クリスタル・マーメイドのみんなも悪い人ではないと思うけど、やっぱり私はあの船と船のみんなが好きなんだ。
「そっか……やっぱりそうだよね。変なこと聞いてゴメン。」
私の答えを聞いた陽子は見るからにしょんぼりとしていた。佐代、くれは、舞の3人もそれぞれ三者三様の反応を示しており、佐代は悲しそうな、くれはは申し訳なさそうな、そして舞はなぜか落ち着かなさそうな表情を浮かべていた。
「常神さん、陽子がいきなり驚かせるようなことを言って済まなかった。常神さんにも向こうの船での暮らしや人間関係があるにも関わらず、こちらの船に来てほしいなどという勝手なことを言ってしまって申し訳ないと思っている。しかし……」
「しかし?」
くれはが私に対して謝罪の言葉を述べる。それだけではなく何か他に言いたいことがあるようだったが、それについて話してくれたのはくれはでは無く佐代の口からだった。
「続きは、私が、説明します。今、西の大国では、クルーズ旅行が、とても人気です。この船も、その人気を見込んで作られました。おかげで、西の人たち、いっぱいこの船に乗ってくれます。でも、マーメイド・クルーズ社は北の大陸の会社なので、西のお客様に対応できる乗組員、少ないです。仕事は多いのに、人は少ない。とても大変です。だから、七海さんに来てほしかった。だけど、七海さんの言うこと、その通りです。来てほしいっていうのは、私たちのわがままです。」
なるほど、つまり西の大国のクルーズ客船市場を狙い、内装を西向けにした客船を作ったものの、本社が北の大陸にあり、乗組員もほとんどが西の大国以外の出身であるマーメイド・クルーズ社では、このクリスタル・マーメイド号向けのスタッフの育成に手が回らないという状況らしかった。事情が分かれば陽子の突然のスカウトにも納得がいくが、それと私がこの船に乗り込むかどうかは申し訳ないけれども別問題なのだ。やはりセーラ達と一緒に旅を続けたいという気持ちに変わりは無い。一方で、舞はいまだにそわそわと落ち着かない様子をしていた。
「あの、常神さん。先ほどセーラとおっしゃいましたが、もしかしてそれはセーラ・アサートン嬢のことですか?」
「そうだけど、舞さん、セーラのこと知ってるの?」
「し、知ってるなんてもんじゃありませんよ!アサートン家といえば代々ノルトリンク王国海軍の提督を輩出してきた名門で、セーラさんはそのご令嬢であるにも関わらず、マーメイド・クルーズ社の客室乗務員見習いとして勤務されてるんですよ!私も最初聞いたときは驚きましたが、アサートン家の中に民間の客船で活躍する方がいるというのは、きっとお互いにとってプラスになると思うんです!それはともかく、七海さんとセーラさんがお知り合いだったなんて……そうとは知らず、数々のご無礼を働いたこと、申し訳ありませんでした!!」
舞が急に改まった口調になる。熱烈な海軍マニアである彼女は、同じ会社の客室乗務員見習いであるセーラとその実家のこともよく知っていたようで、セーラに何やらとてつもなく大きな尊敬を抱いているようであった。私は一瞬、この後彼女とセーラを合わせてみたら面白いんじゃないかと思ったけれど、おっとり天然系の本物のセーラを見た舞がどう思うか、そして海軍のことをあまり話されたくないセーラがどう思うかを考えると、やっぱりこのままにしておいた方がお互い一番幸せだという結論に至った。
「七海が来てくれたら心強かったんだけど、やっぱりいきなり来てくれって言われても無理だよね。七海をびっくりさせちゃったお詫びに、昼ご飯をごちそうするね。うちの食堂、本場の食材を使ってるから美味しいって評判なんだよ!」
陽子は私のスカウトをすんなりと諦めてくれたのか、それ以上のことは彼女の口から出てこなかった。代わりに彼女は私をお昼に誘ってくれた。部屋の時計を見ると、時刻は確かに昼ご飯にちょうどいい位の時間になっていた。




