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17.私は後進している ~I am operating astern propulsion.~

コーラル・マーメイド号は、外洋とは打って変わって波の穏やかなノルトリンク湾の中を順調に航海していた。次の寄港地はイルミスという王国最大の港町であり、明日の朝には入港する予定だ。前回の入港は当日の朝まで知らず、セーラ達を驚かせてしまったので、私は同じ轍を踏まないよう船の運航スケジュールを完璧に頭の中に叩き込んでいた。

時が経つのが短かったのか、それとも長かったのかは分からないけれど、私がこちらの世界にやってきてからもう2つ目の寄港地になる。一つ前の寄港地であるル・トゥーガからイルミスまでは、陸上で行けばそこまで距離は無いものの、海路ではノルトリンク半島をぐるりと1周する形になるため、航海の時間としては比較的長い部類に入る。しかし、その途中で私たちは時差の壁を越えたり、時化た外洋で船酔いにかかったり、息つく暇もないほど、実にバラエティーに富んだ経験をしてきたため、体感としてはあっという間だったように思えた。


「七海、何か考え事?」


自分の机の前で、運航スケジュールと簡単な地図を前に物思いをしている私に向かって、セーラが声をかけてきてくれた。彼女と出会ったのもそんなに前の話ではないが、すっかり私の妹のような……いや、私の良いパートナーのような存在となっている。今では彼女の存在しない毎日なんて想像もつかないくらいには、私の中で彼女の存在は大きくなっていた。


「セーラがどうしたら寄港地とその情報をちゃんと覚えてくれるか、考えてるんじゃないかしら?」


「うっ、地理とか歴史とかあんまり覚えるの得意じゃなくて……」


セーラのハートをぐっさりと射抜いていったのはマリさん、彼女も一番初めに出会った時はその口調の丁寧さから若干の距離感を感じていたものの、最近ではこうやって軽口も垣間見えるくらいには親しい仲になっていた。特に昨日に至っては、彼女の持つポーラへの思いの深さを話してくれるなど、マリさんとは秘密を共有する関係にさえなっていた。


「ひょっとして、ちょっとしたホームシックにかかってるとかじゃないか?次の港は七海にとっては外国だろ。」


そう冗談めかして言ったものの、意外と当たらずといえども遠からずといった内容になっているのはポーラだった。彼女は最初から距離をぐいぐいと近づけて来たので、時間の経過と共に親しくなっていったという感じが正直あんまりしない。けれどそれが彼女の特徴でありいいところでもあった。そして今では彼女と私はコーラ教の信者となっており、マリさんとセーラには不思議な目で見られている。

と、こんな感じですっかりこの世界、この船、そしてみんなに馴染んできた私だったが、元の世界との違和感を感じることもまた多かった。


まずは言語の問題である。もっとも、私が転生するときに言語の問題は海の安全の神様が解決してくれたはずだった。確かに、コミュニケーションを取ったり、本を読んだりする上で不自由を感じたことは一切無く、この世界の言語なら西の大国の言葉でも、ノルトリンクの言葉でも、北の大陸の言葉でも無意識のうちに使いこなしていることになっているようである。それでも私の言いたいことが100%伝わるわけではなく、今日も私はその一端を感じることとなった。


「ねえねえ、セーラは、ポーラとコーラって響きが似てると思わない?マリさんはそう思わなかったみたいだけど。ていうかセーラとコーラも似てるよね。」


「んーと、私にはよく分からないかも……」


「あたしも、自分の名前とコーラが似てると思ったことは全く無いな、西の言葉か?」


と、こういった具合に時々私とセーラ達の間にはうっすらとした言葉の壁が見えることがある。海の安全の神様の言葉を借りれば、私の使う言語は元の世界で言うところの国際信号旗のようになっており、どんな国のどんな言葉を話す人に対しても、意味を通じ合わせることができるものの、「ポーラとコーラ」の音の響きのように特定の言語に深く由来する性質については、それを反映させることが出来ないといった具合になっているらしかった。


私がこの世界に違和感を感じるのはそれだけではなかった。それは私がこの世界に来た次の日、事務室で書類を整理するお仕事を手伝っていたときのことであった。私はハサミで紙を切ろうとしていたが、思ったように上手く切ることができない。最初はハサミに問題があるのかと思っていたけれど、どのハサミを使っても結果は同じだった。しばらくすると、その様子を見ていた先輩が私にこう言った。


「あら、あなた右利きなのね。申し訳ないけど、ここには右利き用のハサミが無いから、使いづらいと思うけどそれで我慢してね。」


右利きが珍しいとは一体どういうことだろう。そう思って改めて見ると、事務室で働く他の人達はそのほとんどが左利きで、右利きなのは10人中で私だけであった。地味な違いではあるかも知れないが、気にしだすと気になるもので、私はそれからすれ違う乗員や乗客の利き手を観察し続けてみた。すると、やはり右利きは1割いるかいないかといった程度であり、この世界と元いた世界とで利き手の構成が反転してしまっているということが判明した。


とは言え、それが及ぼす影響もあまり無かったので、私はいままであまり気にせずにこの世界での生活を送っていたが、今日は違っていた。「コーラとポーラ」の話が結局誰にも理解してもらえなかった後、私たちはいつもの船員食堂で食事を取っていた。入港直前ということもあり、食堂は若干混雑しており、私のすぐ右隣にはポーラが間を置かずに座っていた。彼女ももちろん左利きなので、時々手が当たってしまう。


「そういえば七海、右利きなんだな。右利きの人は頭が良いって言うけど、七海を見てると案外当たってるかもな。」


「へえ、そんな噂があるんだ。」


「元いた世界では左利きの人は天才肌とかそんな噂があったっけ」と私は噂まで反転していることにある意味感心し、気のない返答を漏らした。


「あれ、西の方では言わないのかな。北の方だと他にも、右利きのことを『鏡の世界の人』って言ったりもするけど。」


『鏡の世界の人』という言葉は、私にちょっとした衝撃を与えると共に、この状況を表すのにどこか納得の行くものでもあった。確かにこの世界は、客船という特別な場所に居ることを除けば、コーラも飲めるし回転寿司屋もあるし、あまり元いた世界と変わらないと言ってもいいだろう。しかし、言いたいことが微妙に理解されなかったり、左利きと右利きの比率が反転していたり、私に微妙な違和感を覚えさせる点がいくつもあった。それはまさに、見かけはまるで同じでも、左右反転していて全く同じものにはなっていないという鏡の世界と同じようなものなのだ。


「鏡の世界か……」


私はしみじみとつぶやく。駄洒落が通じなかったり、利き手が違ったり、ただそれだけのことでも無数に積み重なっていけば「元いた世界とは違う」という事実につながり、私に重く、大きくのしかかってくる。


「ちょっと、七海が落ち込んじゃってるでしょっ!」


「いやでも、本当に北の方ではそういう風に言うんだってば。なあ、マリ?」


珍しく慌てた様子のポーラがマリさんに話題を差し向けた。


「言うけど、まあ右利きの人が言われて嬉しい言葉ではないかも知れないし……」


私は別に落ち込んでいるわけではなかった、『鏡の世界の人』というフレーズが気に入らないわけでもない、ただ私の感じていた違和感がその言葉を引き金として「ここは本当は私の世界ではない」ということを意識させてしまったのが良くなかった。


「私は全然大丈夫だから、ポーラも気にしないでいいよ。」


私は表情を取り繕いながらも、どこかモヤモヤとしたものが拭い去れないまま、食事を終え午後の仕事へと向かった。その姿をセーラが心配そうに見つめていたのを、その時の私は気づいていなかった。


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