11.私は漂流している ~I am drifting.~
「七海ー!早く早く、お休みは半日しか無いんだから、うかうかしてたら終わっちゃうよー!」
白色のセーラー服に青いスカーフ、そして流れるような美しいブロンドヘアに青い瞳の少女が、無機質な赤レンガの倉庫街のムードとはおよそ異なるテンションで私にそう呼びかけた。今にも走りださんとする勢いで歩く彼女に置いていかれないよう、私は歩むスピードを早める。
私たちの乗り組んでいる客船、コーラル・マーメイド号は現在、西の大国と隣国のノルトリンク王国との国境沿いにある街、ル・トゥーガに入港しており、今日は私とセーラ、そしてマリさんとポーラのお休みが奇跡的にその入港に重なったため、街の散策に繰り出しているというわけである。もっとも、マリさんとポーラは船にまだ用事が残っているということなので、今は私とセーラの二人だけだが。
このル・トゥーガという街は、2つの国の境界近くに位置するだけあって、文化も入り混じっている、とはマリさんの受け売りだが、確かに赤レンガで出来た建物と、瓦屋根の木造建築がごちゃまぜになっていたり、オープンカフェのすぐとなりに原色で彩られた看板が壁面一杯に取り付けられた建物が並んでいたりと、こちらの世界に明るくない私でも、この街の気風はなんとなく肌で感じられた。
みんなの発言から推測するに、ノルトリンク王国やコーラル・マーメイド号が目指す北の大陸の文化は、私の元いた世界に置き換えれば西洋風の文化に近いらしく、一方でこの街やル・メイズのある西の大国の文化は、東洋もしくは和風に近いものとなっているらしい。特に西の大国の文化は、姓名にいたるまで似ているらしく、「常神七海」という名前がセーラ達に案外すんなり受け入れられているのも、私が西の大国出身という設定で通っているためらしかった。
巨大な五重塔がそびえ立つ街の中心広場まで出てくると、そこは地元の住民から観光客、もちろん私たちよりも先に上陸している船の乗員乗客まで、ありとあらゆる人々で一杯になっていた。街のど真ん中に巨大な五重塔を建てるという感覚は、少なくと元いた世界における東洋風の感覚とは異なっているが、これは北側、つまり元いた世界では西洋風の文化によく見られる、街の中心に巨大な鐘塔を持つ教会を建てるという文化が融合したものらしい。らしい、というのは要するにこれもマリさんからの受け売りだということだ。
「立派な五重塔だけど、立派すぎて逆に違和感がある……」
私は高さ百メートルは超すであろう五重塔のてっぺんを見上げながら、人混みの中をフラフラと歩いていた。巨大過ぎる点を除けば、後は中学校の修学旅行で見学した五重塔と変わるところはなく、その姿は帰れない私の心をチクチクと刺してくるものがあった。ガラス張りの店内から蛍光灯の眩しい光を放ってくるコンビニエンスストアのような建物といい、どうもこの街の風景は私のホームシックを刺激してきてよくない。こんな時はこちらの世界での最大の癒やし、セーラを眺めて落ち着こう。そう思って私は五重塔のてっぺんから広場に目を移す。
……しかしそこには、小柄な金髪碧眼少女の姿はなかった。
「あれ、セーラ?」
そう、私がフラフラと広場をさまよっているうちに、彼女は人混みの中に紛れてしまい、いつの間にか私とセーラは離れ離れになってしまっていたのだ。
「おーい!セーラ!」
私は広場にあふれる人の目も気にせず、彼女の名前を大声で叫んだ。この前の一件で、彼女がいざという際には想像を凌駕する強さを発揮するというのは十分承知していたが、それでも普段はあんなに可愛らしい少女なのだ、こんな人混みに一人でいれば、なにか良からぬことが生じてしまう可能性は非常に高いだろう。
それに私の問題もあった。神様の尽力によるものか、この世界の言語でコミュニケーションこそ取れるものの、土地勘も無く地図も持っていないこの状況下で一人取り残されてしまえば、船に戻ることさえも困難になってしまうだろう。それにここは陸地、私を見守ってくれている「海の安全を司る神様」の管轄エリア外だ。ここで置いていかれれば生活していくこともままならないに違いない。
「セーラ!セーラ!」
懸命に小柄な制服姿を探す。カフェのテラス席、コンビニらしき店の中、パントマイムを囲む観客達……。彼女の姿はやはりどこにもなかった。ひょっとしたら先日やっつけた不審者の仲間に復讐されてしまっていたりして、そんな悪い想像が頭をよぎったその時、ちょうど見慣れた白いセーラー服の少女が屈強な男性達に囲まれているのを発見した。囲まれている少女は間違いなくセーラだ。
今度こそセーラのピンチだ。護身術があるとは言え、屈強な男性複数人を相手にすることは難しいだろう。私になにか出来ることはないか、この前は足がすくんでしまったが、今回こそは彼女の役に立ちたい。私はその一心でセーラを囲む男性達のもとにズカズカと突撃する。
「うちのセーラになにかご用ですか!?」
私は語気を強めてそう呼びかけた。すると屈強な男性の一人がこちらを振り返り、私をまじまじと眺める。今すぐにでも逃げ出したいくらい怖いが、私はなんとかしてその場に踏みとどまる。
「ああ、あなたが常神さんですね。ちょうどよかった、こちらの方があなたとはぐれてしまっていたらしく、あなたを探していたんですよ。」
「へっ!?」
予想外の丁寧な口調に私は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしてしまう。丁寧な口調の男性は、ポカンとしたままの私をよそに、愛想よく話を続けた。
「ああ、申し遅れました。私たちはル・トゥーガ警察の私服警察官です。この辺りはスリが多発していますからね、あなた達もどうかお気をつけてくださいね。」
彼らはその言葉だけ残すと、再び人混みの中へと消えていった。なんということだろう、屈強な男性たちはセーラを襲っていたわけでは無く、むしろその正反対で迷子のセーラを助けようとしてくれていたこの街の警察官だったのだ。あまりの恥ずかしさに呆然とセーラの前に立ち尽くすことしかできなくなる。
「七海、私が目を離したらすぐいなくなっちゃったんだから!もう私のとなりから離れちゃダメだよ、絶対だからねっ!」
セーラが目に涙をいっぱいためて私に抗議する。私は私で焦ったが、彼女もまた馴染みのない街でひとりぼっちになってしまい、とても心細かったのだろう。セーラが私に手を差し出してくる。「手をつなけばもう二度と離れ離れになることはない」という彼女の無言の意思表示だった。大勢の人の前で手をつなぐのは若干恥ずかしさを感じるが、今回は私のせいで彼女を心細い目に合わせてしまったのだ、私はセーラの細くて白い手を握り、石畳と木造建築の通りを歩く。そろそろマリさんたちも街へ繰り出しくる頃だろう。
「ところで、どうして七海は最初、警察の人に向かってあんなに怒ってたの?」
「いや、なんでもない。本当になんでもないからっ!」