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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

羽が生えたら

作者: ミノ

 僕の背中から羽が生えてきた。

 最初の違和感は、ベッドでごろごろ寝転がっていると背中が突っ張っているような感じがした。

 服の中に手を突っ込んで背中を掻くと僕の背中に「何か」があって、僕はぎょっとして読んでいた本を投げ出した。

 慌てて部屋を飛び出し、階段を駆け下りて洗面所に飛び込んで服を脱ぐ。

 鏡に背を向けて必死に首を後ろに捻って確認すると、僕の白い肌の下で細い骨というか血管というべきか……とにかくそういうよくわからないものがボコボコと背中に浮き出ていて、さっと血の気が引くのを感じた。

 これ絶対やばい。

 最初に僕の頭をよぎったのは「病気」という単語で、でっかい腫瘍が背中にできてしまったのかと考えた。

 腫瘍となれば切除が必要となってくるかもしれない。

 でも僕陸上部だし、大会近いし、死に関わる病気だったら絶対やばいから今日は見なかったことにしようと、脱ぎ捨てたTシャツを着て大人しく部屋に戻る。

 普通に考えれば、僕は絶対に病院に行くべきだった。

 ただ病院に行くことによって「病気かも」と思っていたものを「病気です」と診断されることで世界がおわる気がした。とにかくだめ。病院は絶対にだめ。

 寝る時も学校に行く時も背中の違和感に心臓をばくばく鳴らしながら、僕は日常生活を送る。

 背中の違和感は次第にひどくなり、どくっと皮膚の下で収縮を繰り返したり、腫瘍が肥大しているのか背中の皮がぎりぎりと突っ張って痛みさえ感じるようになってきた。

 服を脱げば僕の背中の異常は誰の目にも明らかなはずなのに、誰も気づかない。

 両親は共働きで帰りが遅いし、学校でも着替えが必要な時は僕が隠れて着替えているせいだった。

 もう頼むから誰かが僕の背中のやばさに気が付いてくれて「お前それやべーよ!」と病院に連れて行ってくれないかな。自分から行く勇気はない。

 足を一歩踏み出したり、椅子の背もたれにもたれかかるだけで背中が痛むようになってきて、大会に出場するどころじゃないぞと思い始めた頃、最近学校をサボりがちだった隣の家の水野樹が学校に来るようになって、様子のおかしい僕にちょっかいをかける。

「おいおい。なーんで端っこで着替えてんだよお前。恥ずかしいのか? お前隠れて着替えるほど立派なおっぱいついてたっけか?」

 ぎゃーはははとクラス中の男子に笑われて、僕はますます背中の異常に気付かれないように必死になる。

  ありもしないおっぱいで笑われるなら、ありもしない場所にできた僕の背中のでっかい腫瘍ってめちゃくちゃ恥ずかしいものなんじゃね? という気がしてきたからだ。

 水野樹は名前のかわいらしさとは正反対に暴力的な人間だ。

 幼い頃、名前だけではなく顔までかわいらしかった樹はいつもからかいの対象になっていた。が、そこでかわいらしく泣く水野樹ではない。

 「オカマ」と馬鹿された日には、暴言を吐いたやつ全員の足を掴んで引きずり回し「きょせいだきょせい!」と一体どこで覚えてきたんだと言いたくなる単語をそれはまたかわいらしい声で叫びながら電気あんまをかける。

「ちんちんぶっつぶしてやる! これでおまえはオンナだからな!」

 股間を心地よい振動に襲われれば皆げらげら笑って、樹はただのオトコオンナじゃないと意外とすんなり認められた。

 しかし小学校高学年になったあたりから樹にそれをやられたやつら揃いもそろって「うわやばい、樹まじでやばいちょっとやめて」と言ったきり顔を真っ赤にして前屈みになるようになった。

 樹の顔のかわいさはその頃も健在で、まあつまりそういうことで樹はキレた。「俺は女じゃねえ」と自分相手に頬を染めるやつを片っ端から殴って回るようになる。

 ついでに下校時に声をかけてきた変質者の股間も蹴り上げるようになる。

 そんな生活が続くうちにいつのまにか樹の背は僕の頭一つ分も高くなり、かわいかった顔はうまい具合に着地点を見出して、ただの男前になってしまった。

 樹を女扱いするやつは消え失せ、残ったのは樹の強さの噂をきいて喧嘩をふっかけてくる奴と、ぶつける先をなくして樹の中で燻っていた思春期特有の苛立ちだった。

 毎日のように体中に傷を作り、実際の行動に更に脚色を加えられた噂が一人歩きして「不良」認定された樹はいわれのないことでも生徒指導室に呼び出されるようになった。

 そんな樹を横目に見ながら、僕は真面目に生きようと決めていた。平凡が一番。痛いのも怒られるのも嫌いだから。

 しかし残念なことに根は真面目でも頭が良くなかった僕は、樹と共に偏差値の低い高校に通うことになり、一年生の現在はクラスまで一緒になってしまった。

 もし、既に破裂寸前の背中を樹に見つかったらどうなるだろう?

 樹は顔のせいでたくさんの人からオンナ扱いされたことを根に持っていて、それをやり返すかのように人を言葉で辱めようとする癖がある。

 だから、僕の背中についてもコイツこんな恥ずかしいものつけてるぞと学校中に言い触らされるかもしれない。

 いやそれより先に「なんだこれ。すっげえなおい」と容赦なく背中を叩いて中身を破裂させてしまいそうだ。想像しただけで怖すぎる。僕は背中の異変に意地でも気づかれないように頑張る。


 その頑張りも虚しく、僕は翌日には自ら背中の異常について樹に話してしまう。


 学校の授業が終わり、一人で夕食を食べていた僕は我慢できないほどの背中の痛みに襲われて、椅子からずり落ちて床に倒れ込む。

 尋常ではない背中の痛みに思わず嘔吐してしまいそうになる。

 やばいよこれやばいよ、と手のひらに爪を立て、唇を噛みしめて激痛をやり過ごそうとする。

 両親は今日も帰りが遅くて、これ幸いとばかりにめいいっぱい床の上をのたうち回りながら「ギエエエエ」と叫ぶ。

 けれどだんだん視界がぼんやりとかすれてきて、のたうち回る元気もなくなって、こりゃまじでやばいと思った瞬間にバッと部屋の中に何かが散った。ビタビタっと僕の顔に液体が降りかかってきて、なんだぁ? と体を起こすと部屋中が真っ赤になっていた。

 天上も壁もまっかっか。

 ぼんやりとしながら背中に手をやると、ぬるっとした感触があって、鼻をつく鉄のような匂いに僕は確信する。血だ。

 僕は陸上部で鍛えた瞬発力と脚力をもってすぐ隣の樹の家に駆け込む。

 階段を一段飛ばしで駆け上がって、ノックもなしに樹の部屋のドアを開けると樹はAVを見ようとしていたのかおっぱいを強調するように縛り付けられた女がでかでかと載ったパッケージを片手に固まっていた。

「背中、樹、僕の背中が破裂した!」

「おう」

 樹はそれがどうしたと言わんばかりにDVDを再生する準備を始めた。

 人の背中が破裂したのにその態度はねーよ。

 一瞬、樹を非難しそうになったが、AVを見ようとしている時に急に押しかけてしまった僕も悪かった気がする。それに樹が冷静なおかげで僕もなんだか落ち着いてきた。

 ここ数日、背中の違和感で悩んでいたことも、背中が破裂したこともそんなに騒ぐことじゃなかったのかもしれない。

 まあ落ち着けよ僕。背中くらいたまには破裂するさ。

 女優が男たちに縄をかけられ吊るされていくのを尻目に樹が「それで?」とつまらなさそうにきいてくるので僕は「あ、僕の背中どうなってる?」と聞いてみた。

 いつもと違う髪型にした時に、常にびしっと決めている樹に感想を聞きに行くみたいな心境になってきてちょっとわくわくする。

 樹の評価はいつも遠慮がなく、僕を完膚なきまでに叩きのめすのだが、今日は何故だか「うーん……」とちょっと迷ったそぶりを見せた。

「あ、遠慮なく言ってもらって構わないから」

「あっそう?」

じゃあおかまいなく、と樹が僕の背中の現状について説明する。

「羽、生えてるぞ」

「はい?」

 突拍子もない樹の言葉に硬直する。

 樹にしては妙に親切なことに、一度部屋を出て、どこからか少し小さめの鏡を持ってきて「ほい」と僕を映すようにして立ってくれる。

 確かに僕の背中からは、濃い茶色と赤茶色がまだらのようになった巨大な羽が生えていた。なんじゃこりゃ。

 僕が呆然としている間に女優は大人の玩具で責められ始め、樹は画面を凝視している。でも鏡は下ろさない。呆然とする僕に付き合って、いつまででも鏡を上げておいてくれる。今日の樹は妙に付き合いがいい。

 女優の声が本格的にうるさくなってきた頃に僕はようやく我に返って「なんだよこれ!」と怒鳴って樹の部屋の机を蹴飛ばして、その僕を殴って黙らせるところまで樹は付き合ってくれる。

「うっ、うっ、なんだよこれ、なんっで、こんなの生えてんだよ、ひどいよ」

 ぼろぼろ涙を零して泣き出す僕に「似合ってるよ」と本気が冗談かわからないことを言い出す。

 他人事だと思いやがって。お前はいいよな、羽生えてないもんな。人が背中のことに悩んでる時に僕のことオカマ扱いだもんな。楽しいよな。と樹をなじると「じゃあお前どうしてほしいの」とうんざりしたように樹が言う。

 いつもの樹なら、僕がどんな目に遭ったって「知らねえよ」と見捨ててしまうのに、今日は最後まで付き合おうとしてくれている。

 樹が見捨てられないくらい僕の現状は最悪のものなんだと思うとさらに泣けてきて、僕は樹に無茶な要求をする。

「僕の羽どうにかしろよ!」

「どうにかって?」

「とれよ!」

「わかった」

 樹は頷いて、僕の背に回った。

「とっていいんだよな?」

「いいよ! 早くしろよ!」

 背中に羽が生えているなんて冗談じゃない。そんなの人間じゃない。人間じゃないなんて嫌だ! という思いでいっぱいで、僕は樹の大雑把な性格について忘れていた。

「痛い!」

 ぶちぶちと乱暴に羽を毟り取られて僕は思わず飛び上がる。

 こんなのをずっと羽がなくなるまで続ける気か? 何時間かかるんだよ。毛だけ毟っても意味ないんだよ。

「もっと一気にいけよ馬鹿!」

「はあ?」

「それぐらいお前ならできるだろうが!」

 樹の目つきが一気に険しくなる。樹が僕にここまで言われて黙っていることは珍しい。

 普段ならここまで樹に生意気な口をきいたら言葉が終わるよりも先に窓から放り投げられて地面とキスを交わしているところだろう。

 樹はめずらしく我慢している。羽が生えてどうすればいいんだよう、と泣き喚く僕に気を遣っている。

「わかった。どうなっても知らねえからな」

 そう言って樹は立ち上がり、顎で床を指した。

「寝ろ」

 僕は脱ぎ捨てたシャツや飲み干したペットボトルで溢れた床を掻き分けてうつ伏せに寝転んだ。

 樹が僕の背中に片足を置く。なんだぁ? と思っているうちに樹は僕のでっかい羽の片方を両手に抱えて「舌噛むなよ」と笑った。

 おいまさかやめろと思った瞬間に、拷問代わりに相手の歯を一本一本丁寧に抜いくだとか、四人を一気に担いで川に放り込むだかと噂される樹の腕力が発揮される。

 ぼきんと軽快な音と共に走る激痛。ぶちぶちという神経やら血管やらが引きちぎられる音とともに羽を引っこ抜かれて、僕の足元から胸の高さ辺りまではありそうなでかい羽が床にごろんと転がされる。

 もう僕はギエエエエッなんてもんじゃない叫び声をあげていた。痛みに悶絶してだらだら涎を垂らしながら這いつくばって逃げようとするのを樹がにっこり笑って取り押さえる。なんだか視界が赤い。

「よっしゃ次!」

 実に楽しそうに樹が僕の羽を抜いていくので、これって楽しいことなのかなあと僕は笑いたい気持ちになった。

 気持ちとは裏腹に、体はあまりの痛みに耐えきれず、無意識に舌を噛み切ってしまおうとしたところを樹の手によって床に放置されていた服を口に捻じ込まれていた。

 樹が少し手間取ってしまったせいで、二本目の羽を抜き終わるのに少し時間がかかった。

 それでも樹を責めようとかそういう気は全く起きない。

 ぜーはぜーはと息を荒くしていた僕は口に服を突っ込んだままだから余計に苦しいんだと気が付いた。 全身から力が抜けきっていて、手間取りながらも口から服を吐き出すとそれは服なんかじゃなく、樹のパンツで僕は盛大に嘔吐いた。おええええ。

 なんで脱いだパンツを部屋に転がしておくんだ!

 緊急事態とはいえあまりの仕打ちに文句をつけようとしたが、大量の汗を拭いながら「病院行くか?」と声をかけられてできなくなった。僕のためにやってくれたんだもんな。

 こんな状態になっても病院だけは行きたくない、という思いはいまだ健在だった。「行きたくない」と首を横に振ると「そーかそーか、頑張ったな」と樹がけらけら笑うので、僕も涙とよだれにまみれた顔を上げてへらっと笑った。樹が僕を褒めてくれた。滅多にないことだった。

 僕は頑張った、えらかった。なんたって麻酔もなしに羽を引っこ抜かれる痛みに耐えたんだから!

「神経とかそういう類はまあ……大丈夫だろ」

「なんともないしね」

 不思議なことにでかい羽をひっこ抜いたりしたはずの僕の背中は、元通り綺麗な状態だった。あんなに血をぶちまけたはずなのに不思議と貧血すらしない。

「この羽は俺が処分しといてやるよ」

 引っこ抜いて床に転がしたままになっていた羽を両脇に抱えながら樹が言う。今日の樹は本当に親切だ。多分、羽が生えるとかわけがわからない状況に樹も冷静ではいられないのだろう。

 そうだよなー、こんな羽どうしたらいいかわからないしなー、ゴミ捨て場に捨てといて「巨大生物現る!」みたいなニュースになったら大変だもんなー、こういうことは樹に任せよう。

 「ありがと。僕帰るね」と踵を返しかけた僕は、羽を引っこ抜いてもらう時にごろごろ床を転がりまわったせいでテレビや本棚を倒したり、部屋中に血が飛び散っていることに気が付く。きっと玄関から樹の部屋までひどい有様だ。

「やべっ、掃除するよ」

「血だけ拭いて、残りは明日やってくれよ。俺疲れたわ」

 そりゃそうだ。

 二人で部屋中の血を拭いた後、僕は放りっぱなしになっていた樹のパンツもきちんと回収して洗濯機に投げ入れておいた。

 一通り片づけが終了し、自分の家に帰ることにする。玄関のドアを開けると近所の人が樹の家に集まっていた。

 あれ?

 よく考えると僕はさっきまで壮絶な叫び声をあげていたけど、もしかしてあれが殺人事件か何かと勘違いされたのかもしれない。

 血だらけの僕と樹の姿を見て野次馬たちはぎょっとしている。僕はすみません、お騒がせしましたと頭を下げながら樹に手を振った。



「ええっ、お前羽が生えてきたのか」

「母さん、家に帰ったら部屋は血だらけだし、あんたも血だらけで寝てるからびっくりしちゃったわ」

 血まみれになった服を脱がずにリビングで寝てしまった僕を見つけた両親が僕が死んでいると勘違いして救急車を呼びかけたのは昨日の深夜のこと。

 翌朝、久しぶりに両親と朝食を囲みながら昨日の話をすると二人はおおいに驚いた後「気付けなくてごめん」とちょっとだけ泣いてた。

 仕事の忙しい両親の邪魔をすることが憚られて相談できなかった僕の心情をなんとなーく察していたのかもしれない。

 両親と話すのは久しぶりで、僕のために泣いてくれることが嬉しくて、僕もちょっとだけ泣いた。

 背中の異変に気が付いた時、真っ先に両親に報告していたら今回のような大事にはならなかったのかもしれない。

 樹の家も家具や壁がめちゃくちゃになっていると思うと伝えると後で謝りに行くと言われた。

「羽の話は他には内緒にしといてね」

 これが一番重要だと僕は二人に念を押した。研究対象として謎の施設に連れて行かれたりするのもごめんだし、何よりも羽が生えてきたという事実がなんとなく照れくさい。

 これは僕の家族と樹以外の人には内緒だと思って外に出ると、樹の家のベランダに昨日の僕の羽が二枚干されていて目を剥く。

「なにやってんだよおおお!!」

 樹の家に飛び込むと、樹はソファーの上でいびきをかいて寝ていた。

 僕に叩き起こされた樹はすこぶる機嫌が悪く、僕を庭へと投げ飛ばした。昨日の優しさなんてどこにもない。

 地面と盛大にキスをした僕は鼻を押さえながら立ち上がって、再び樹の家に飛び込んだ。

「なんだよあれ! なんで干してんだよ!」

「なんか結構立派だし、洗ったら綺麗になったし、何かに使おうかなって」

「何かって!?」

「えー……カーペットとか。服とか? 結構ふさふさだし、布団にしたらいいかなって」

 カーペット! 服! 布団!

 僕の羽を踏んで、身につけて、上に乗っかろうっていうのか!

「でもこれだけじゃ全然足りないんだよな。もういっそ羽でベッド作れるまでどんどん生やしてくれよ。僕、ハ○ジの藁のベッドみたく羽のベッド作りたいんだよ」

 ふげんなクソ樹! そう怒鳴ろうとして、隣に来た樹にポンと背中が叩かれた僕はぞわっと鳥肌が立つのを感じる。

「……っ」

「ん、どうした?」

 ひどく甘い痺れが走って、危うく変な声が漏れるところだった。樹は僕の変化に目敏く気が付いたみたいだったけど、僕は答えられなかった。

 背中がもぞもぞする気がするなんて絶対に言わない。違う、これはあれだ、ただの病気なんだ! 羽が生えてるとかじゃないから全然大丈夫だ、僕は普通だ! って、病気だったら結局僕は異常か。ええいもうなんでもいい。

「ナンデモナイヨ」

 僕は誤魔化した。



 なんでもないわけがなかった。

 それから二週間くらいして、僕の背中はまた突っ張り出した。朝起きたら違和感を感じて、洗面所へダッシュ。服を脱いで鏡越しに背中を確認して危うく悲鳴をあげかける。

 まだうっすらわかる程度だけど、背中の皮膚の下で何かがどくどくと脈打っている。

 びょ、病院……は嫌だ。陸上の大会は終わったけれど、この前みたいなでっかい羽が生えてきたら僕はどんな目に遭わされるんだろう? 実験体?

 母さんも父さんもしばらく出張で家に帰らないって言ってた。父さんは昨日海外に行ったばかりだし、母さんは最近昇進がかかっているような雰囲気があって、どうにもすぐに帰ってきてとは言いづらい。

 しかし、またあの激痛に一人で耐えることを想像すると冷や汗が出る。無理だ、また一人なんて。

 不安感から無意識のうちに隣の樹の家に駆けこもうとして、僕ははたと立ち止まる。

 だめだった、樹の家には行けないんだった。

 前回、羽が生えた後、家を汚してしまったお詫びに両親が樹の家を訪ねると、樹の母親が大変ご立腹だったらしい。

 そりゃそうだ。家具はめちゃくちゃに倒されて、完全には拭き取れなかった血の跡が玄関から樹の部屋まで続いている。さらに僕の発した大絶叫が原因で水野さんちの樹くんがついに人殺しをしたのではないか! とご近所に噂されているのだという。

 樹の今までの行動が積み重なった結果であることが大きいとはいえ、事の発端となった僕は涼しい顔をして樹に会いに行くわけにはいかないのだ。

 色々考えた末に、僕は前回の時のように背中の異変を隠し通すことにした。

 とりあえす今まで通りに学校に通う。学校で樹に会えたら、背中のことを相談する。相談する前に羽が生えたら家に籠って、帰ってきた父さんか母さんに抜いてもらえばいいんだ。

 うわ頭いい。無遅刻無欠席の僕には出席日数の心配もない。

 問題は前回、羽が生えてきた時は背中の異変が恐ろしすぎるあまりに何日かけて羽が生えてきたというのをしっかり覚えていなかったことだ。たしか、最初に背中が変だと気付いて二週間くらい経った頃だったかな? その頃には母さんが帰ってきているはずだし、なんとかやり過ごせばいい。

 しかし背中が破れるのにはまだほど遠いとはいえ、ぱっと見には異変は明らかだ。僕は体育の着替えをまた隠れてこそこそやるようになった。

 様子のおかしい僕にちょっかいをかえけたのは、前回の時に樹と一緒になって僕を笑っていたやつらだった。

「あれれー? ま~たおっぱい生えちゃったのかな~?」

 うるせーボケと軽く言い返すと、そいつらはげらげら笑いながら教室を出ていく。僕はカーテンの中に隠れてこそこそ着替える。

 頼りの樹は最近学校に来ていなかった。困った。でも携帯でわざわざ学校に呼び出すのは気が引ける。だって僕のせいで樹はご近所から白い目で見られているのだ。直接会って謝りたいし、また羽が生えそうなことについてあまり大事にしたくない気もする。

 とりあえずこの調子でうまく学校生活を乗り切っていこうと思っていたら、早速雲行が怪しくなり始める。

 体育の前の着替えの時間に恒例のおっぱいネタでいじられていたところ、はめをはずしたお調子者Aが「オレに揉ませてみろよ~」と僕が引っ込んでいたカーテンを引きはがしてきた。シャツを脱ぎかけていた僕は「ギャアアアア」と声をあげながら慌ててシャツを羽織る。

 僕のあまりにも真剣な叫び声にカーテンを引きはがしたお調子者Aは硬直。

「え、そんなに叫ばなくていいじゃん」

 教室中が微妙な空気になる。

「なにあいつ。マジに叫びすぎだろ」

 あ、やべ。僕は自分が選択をミスったことに気が付いた。軽くおっぱいでもなんでも揉ませて「いやーん」とでも言ってやればいいところを真剣に嫌がりすぎたのだ。なんかやばい、教室中の目が冷たい。異質なものを見る目に近い。これ以上嫌がるのは不自然だ。

 次の体育から着替えの時間どうしようなんて僕は三日後の心配をしていたら、三日後どころか授業終了の後に危機はやってきた。

「はいはい御開帳~」

 まあここで皆の前でおっぱい揉んで、ふざけあってさっきの微妙な空気はなしにしようぜってつもりだったんだろうお調子者AとBは。

 問題はわきわきと手を動かすAのためにBが僕を背後から羽交い絞めにしたことだ。突然背後に現れた人影にびびって暴れてしまい、それに対抗しようとしたBの腕が背中にあたって。

「いてえええええ」

 背中に走る激痛。これやばいやつだ。じくじくと根本から抉られるような痛み。ひやりと背中に冷水を浴びせられたような感覚が走る。

 痛みに怯んだ隙に羽交い絞めにされてしまった僕はAからおっぱい揉まれてるわけだが、それを痛がっていると思われたらしくクラスのやつらみんな笑ってる。

「いで、いだい、まじでいだいってええ」

「お前叫びすぎだろ……ってうわあああああ」

 Bの叫び声と共に僕は床に放り出された。教室の床に四つん這いになる形でなんとか体を支えるが激痛に襲われたせいで力が抜けてそのまま床とキッス。どういうわけかそれを見たAも絶叫。なんだなんだと集まってきたクラスのやつらも叫び声をあげ、机や椅子を倒しながら逃げ出してしまう。

 なんだよと思わず背中に腕を回すと手にべったりとした感触。思わず眼前に手を持ってくると真っ赤だった。つまり背中がひやりとしたのは自分の血のせいだった。僕を羽交い絞めにしていたBの体操服も赤く染まっていた。

「え、え、え、オレのせい? え」

 自分のせいで僕が怪我をしたとBは思ったらしく泣きそうな顔で「こいつ死んじゃうよお」とうろたえている。

 いや大丈夫、お前のせいではあるけど元々やばい状態だったから気にするなと言ってやりたいのに痛みで頭ががんがんして目が回って何も言えねえ。

 Bよりもまだ幾分か冷静なAが「止血しろ止血!」と僕のシャツをめくり上げて、うわ見ちゃだめだって。

「おまおまおま、羽! どーぶつの羽生えてる!」

 知ってます。

 多分、破裂しかかっていた皮膚に腕があたって無理矢理出てきたんだろうなと頭の片隅で冷静に分析する。

 教室の隅に避難していたやつらがまたちらほら見物しにきては叫び声をあげながら後退っていく。なんとか痛みの波がひきつつある僕はもう一度背中に手を回した。できるだけそっと。痛みを与えないように。

 触れた羽は血でべっとり濡れていて気持ち悪い。自然に出てくるのを待たずに皮膚をぶち破ってしまったせいか今回の羽は随分小さいみたいだった。それでも根本からしっかりと生えているみたいで軽く引っ張ってみるとちりちりと痛んだ。

 教室中は静まり返っていた。僕も考えるのが面倒になって床に突っ伏している。

 Bが恐る恐るといったように「……先生呼ぶか?」と尋ねるので、僕は力なく首を振った。

「頼むから誰にも言わないで。病院とかに連れてかれたら実験動物にされそうで怖い」

 とは言ったもののそのうち女子は戻ってくるだろうし次の授業の先生だってやってくる。今日はたまたま体育が早くおわったおかげで時間に余裕はあるけどそれもせいぜいあと十五分といったところだろう。

 早退しよう。

 僕は三秒で決意した。

 予定より少し早まったけど、元々羽が生えてきたら両親が帰ってくるまで家に籠ってるつもりだったんだ。ブレザー羽織って帰ればどうにかなると身を起しかけたけど体は一ミリも床から浮かなかった。Aのやつが僕の背に馬乗りになっていたからだ。

 なにやってんの?

 聞くまでもなくAが宣言する。

「この羽、オレが抜いてやる」

 ほんと何言ってんだこいつ。僕もう帰るし。素人になんか任せられるか。でも樹のやつだって十分素人だったよな。じゃあ誰が僕の羽を引っこ抜いても同じなのか?

 しばらく考えてみて僕は首を横に振った。誰が羽を引っこ抜いてもいいわけじゃない。父さんと母さんならまだ許容範囲。でもできるなら樹がいい。Aの申し出を丁重に断ろうとして、出来なかった。

 Aが僕の羽を鷲掴んだからだ。遠慮も気遣いもなく握りつぶすような手。息が止まる気がしたっていうか止まった。一瞬呼吸を忘れた。あまりの衝撃に痛いと文句をつける声も喉を擦り抜けていく。はくはくと口を動かすのに声にならないから誰も気づかない。

 やめろって言ってんだろーが!!

 雑草を引っこ抜くような手つきで羽を引っ張られて僕は渾身の力でAを吹っ飛ばした。視界の端で机を薙ぎ倒しながら吹っ飛ぶAの姿が見える。Aの手が離れたおかげでなんとか声を出す余裕が生まれた僕は、残った痛みに絶叫しながらのたうちまわっていた。その姿にみんなドン引き。半泣きのやつまでいる。

 吹っ飛ばされたAはよろよろと立ち上がると「お前ちょっとは大人しくしろよ!」と飛びかかってきた。下半身にしがみつかれて、僕は四つん這いになってなんとか逃げだそうとする。

「やだ、ほんとやだ」

「助けてやるって言ってるんだから大人しくしろよ!」

「お、おっぱい揉んでもいいからまじでそこはやめろよっ」

「意味わかんねえこと言ってんじゃねえよ! 助けてやるって言ってんだよ!」

 Aの瞳はぎらぎらと光っていて怖い。再び指先が羽を掠めて「ひぎぃ」みたいな情けない声が漏れた。

 Aの唇がうっすり吊り上がっていて怖い。なんでこいつ笑ってるの?

 なんでこんな辱めを受けなくちゃいけないんだろうと思うと悲しくてしかたがなかった。

 僕の羽はつまるところ性器と同じようなものなのだ。デリケートなのである。乱暴にされると痛い場所だし、なんでそんな大事な場所をこんな大勢の目に晒さなくちゃいけないんだろう。恥ずかしい、消え去りたい。

「そんなにでかくないから、なんとか抜けるかな?」なんて言って羽のサイズを評価しているAの発言はあまりにひどい。お前は人前で自分のナニのサイズを小さいと評価されても嬉しいのかと問い詰めてやりたいけど、そんなこと言ったって誰も僕の言いたいことなんてわからないだろう。自分でもどうしてこんなことを思うのかわからないのだから。

 興味深そうに羽を弄られ続けて抵抗する気は失せていた。というかあまりの激痛に力が入らなくなっていた。撫でまわされた羽がじくじくと痛みを放っている。あーあ、僕はこれからナニをクラスメイトに折られるわけだ。

 羽を弄るついでに乳首まで弄ってきやがってA、ほんとマジで死ね。「おっぱい触ったらよくなんじゃね?」と下品な笑い声。ここまでおっぱいネタ引きずるな。乳首こりこりされても背中痛すぎて何もわかんねえ。

 執拗なまでに羽を触る撫でまわすAのやらしい手つきに僕は気付いてしまった。

 こいつ、僕にとって羽が恥ずかしいものだってことになんとなく気が付いている。だからこうして皆の前で辱めるような真似をするしおっぱいネタも引きずっている。

 その時、ガラガラと教室の戸が開いて足音が近付いてきた。またギャラリーが増えるのかと僕はうんざりしていたが、鈍い肉を打つ音と共に僕の背中から重みが消える。

「てめえなにやってんだよ」

 髪を掴まれて無理矢理顔を上げさせられた先にいたのは樹だった。

 今日サボりじゃなかったの?

 そう尋ねようとしたのに、数日振りに見た樹の姿に胸がぎゅーっとなって「いつき、いつき」と僕は必死に名前を呼んでいた。鼻の奥がつんとして泣き出してしまいそうだった。

 樹は纏っていた鋭い空気をふっと和らげて、僕の髪から手を離してくれた。

 昔、顔のせいでオンナ扱いされていた樹は仕返しだとでもいうように人をオンナ扱いして笑いものにすることを好んでいたけど、別の誰かが同じように体のことで辱められているとぶっ飛ばして助けてくれるというちぐはぐな面を持っていた。

 僕の顔、背中、そして床で伸びているAを見た樹は「こいつ勃ってる」と呟いた。僕はやけにぎらついていたAの目を思い出してぞっとする。

 再び僕に視線を戻した樹は尊大に言い放った。

「お前とんだ淫乱だな」

 それ絶対、AVのタイトルで覚えた言葉だ。

「俺、この羽でハイ○の藁のベッド作るって言ったよな。なんで他の奴に抜かせようとしてんだよ」

 知らね~よ。学校に来なかったのはお前だろうが。こっちにだってお前の家に行くのだってためらうような事情があるんだよ。なんで僕ばっかり悪いみたいに言われなきゃならないんだ。

「すきでこんなことされたと思うのか……」

 何故僕はこんなにいじけたような声が出るのか。おえっおえっ、気持ち悪。

 けれど淫乱と言う言葉に真っ向から反抗できなかったのは、少なくとも僕がこの羽のことを性器と同等の恥ずかしいものだと理解していて、無防備にもそれを触らせてしまった自覚があるからだ。

 ぼろぼろ涙がこみ上げてきてぐすぐす鼻をすすっていると、ため息をついた樹が背中の羽を撫でてきた。その手は痛くなかった。鷲掴みにされるとやはり痛いのだけれど、説明のつかない心地よさがあって樹なら大丈夫だと落ち着くのだ。

「抜いて」

 僕は無意識のうちに口走っていた。背徳的な行為を要求しているようで、囁くような声になった。いまだ涙を溢れさせる僕を宥めるように羽を撫で続ける樹の手は暖かい。

「じゃあ、家帰ってやろうぜ。これ以上汚すのまずいだろ」

 これ以上羽を人前に晒していることに耐えられそうになかった僕は大きく頷く。机の上に置きっぱなしになっていたブレザーを肩からかけられて、樹はやっぱり僕のことをわかってくれているのだと安心する。

「なあ、乳首責めっていいの」

 興味深々とばかりに目を輝かせて聞いてくる樹の目は、さっきまでコリコリされてた僕の乳首に釘付けだった。どうせAVで見て気になったたから僕に聞こうっていうんだろう。Aに痴漢まがいのことされた直後の僕の気持なんか考えもせずに。

 腹が立ったので、樹の胸のあたりを鷲掴んでやると「イクイク~」とふざけた声をあげはじめる。そのまま押し倒してやろうかという勢いで揉んでやると不意に樹が僕の手を掴んで「お前無事ですんでよかったな」と淡々と呟いた。

「乳首くらいですんでさ」

 茶化すように笑った樹を僕は黙って見つめることしかできなかった。

 うん、よかった。樹が助けてくれて。


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