就職先は零細ギルド
城塞都市『トレイア』。
大通りから三つ四つ裏の通りを進むと、木造二階建ての家屋があった。石造りの家が連なる中、悪い意味で異彩を放っている。
ボロ屋とまでは言わないが、なかなか年季の入った建物だ。
『エルンハイネ冒険者ギルド』
そんな看板が掲げられている。
大通りで出会ったエルフの少女は、ソフィと名乗った。15歳とかなり若い。
正蔵が雇ってくれとお願いすると、一瞬呆けたものの、意外にも目を輝かせて『本当ですかっ!?』と食いついてきた。
ただ『自分では判断できないから』と、お店で面接を受ける流れとなって今に至る。
盛大にお腹の虫を鳴らしたわけだが、正蔵はぐっと我慢。ひとまず面接を優先した。愛妻弁当は勝利を手にしてからだと、不退転の決意で臨む。
入り口をくぐると、
「いらっしゃいませ~♪ エルンハイネ冒険者ギルドへようこそぉって、ソフィじゃんか。おかえり~ってデカブツっ!?」
何やら騒々しいのが出迎えた。
営業スマイルで挨拶したかと思うと、ソフィを見て落胆する。そして正蔵がその後ろから現れて、ものの見事に驚いた。
(あのちっこい子も、亜人か?)
部屋の真ん中を仕切るカウンター。その向こうに一人座る少女。
茶色のショートカットは次女香菜を彷彿とさせる。
だがその頭には猫のような耳がピンと立ち、彼女の背後ではこれまた猫のような細長い尻尾が揺らめいていた。
正蔵を呆然と目で追っていた少女は、「あ、お客さんか」とハッとして、
「いらっしゃいませ~♪ エルンハイネ冒険者ギルドへようこそぉ♪ 見ない顔だけど登録ですかあ? ご依頼をお探しなら、デカブツのおっちゃんが好きそうな荒事は残念ながらありませーん。ごめんね♪」
再びの営業スマイル。猫耳少女は最後にぱちんとウィンクして舌を出した。
ふざけたような物言いに、慌ててソフィが窘める。
「ちょっとモコさん、失礼ですよ」
「えっ、そっかにゃー? 堅苦しいより、ちょっとくらい愛嬌あったほうがお客さんとの距離も縮まっていいよねーって、ボクなりに考えたんだけど」
「だからって――」
「うん、悪くはない」
「えっ?」「ん?」
さらに注意しようとしたソフィの言葉を遮るかたちで、正蔵は率直な感想を述べた。
ふざけてはいる。初対面の客に接する態度としては落第点だ。だから『良くはない』のであるが、
「自ら考え、行動に移した点は評価できる。方向性も間違ってはいない。ただ事前に上司なり同僚なりに相談すべきだった。仮に否定されたとしても、何かしら得るものがあり、君なら改善につなげられたはずだ」
ぽかーんと。ソフィと、モコなる少女は口を広げる。
「と、失礼。いきなり説教臭いことを。ソフィさん、案内をお願いします」
「あ、はい。こちらです」
正蔵はソフィのあとに続く。
建物の1階はすべてが商業スペースだった。
印象としては、銀行や郵便局の窓口に近い。
中央にカウンターが横断していて、室内を真っ二つに分けている。入り口側は人がいなければかなり広く感じ、壁際に長椅子が申し訳程度に置かれていた。
カウンターの向こうは事務スペースらしい。
ぐるりと書類棚が並び、四つの机からなる島が3列。脇には小さな応接セットが配されていた。
12の席には一人しか座っていない。女らしきが一人。位置的に事務を担当しているのだろうが、両手をだらりと下げ、猫背になって長い黒髪がベールのように顔を隠している。寝ているのではなく、ぶつぶつ陰鬱につぶやいていた。
机の上はほぼ何もない。一か所だけ、書類が散らばっていた。
「あ、モコさん、また散らかしてっ。朝片づけたばかりなのに」
「にゃはぁ、ちょっと調べ物をねー」
モコがにししと笑うと、ソフィは嘆息とともに肩を落とした。小さな眼鏡がずれる。
事務スペースの一番奥には、ぽつんとひとつ、机が室内を見渡せるように置かれていた。
そこに、ふくよかな中年女性が座っている。というか、寝ていた。
椅子の背もたれに後頭部を乗せ、天井へ顔を向けていびきをかいている。
ソフィはカウンターの端、扉状になっている部分を開き、中へと入っていく。窮屈だが正蔵でもどうにか前を向いて通れる広さだった。
「おばさん。アドラおばさん、起きてください。お客様ですよ」
「ふがっ!?」
アドラなる中年女性は体をゆすられ、ぐりんと頭を起こす。
「ギルドマスターとお呼びっ! ふにゃふがむにゅむにゃ……」
叫んだと思ったら、眠そうに目をこする。寝ぼけているらしい。
「まったくもう……。ギルドマスター、お客様ですっ!」
「っ!? ようこそエルンハイネ冒険者ギルドへ!」
ぴしゃりとソフィが言うと、アドラはがたんと椅子を倒して立ち上がった。
正蔵の巨躯に迫るほどの大女だった。
青みがかったショートボブの髪。長くとがった耳。ソフィと同じエルフ族だ。
「なんだい、あんた? 受付はカウンターの外だよ」
アドラは正蔵に気づくと、ぎろりと眼光鋭く威嚇した。初対面で正蔵を恐れない者は、たいていこういう反応をする。
「おばさん、違うんです。その方は――」
ソフィが慌てて説明した。
「雇ってほしい? こりゃまた酔狂なのがいたもんだねえ」
アドラは一転して快活に笑う。
話はこっちでしよう、と応接セットへ正蔵を誘った。
正蔵はその後を追おうとして、
(ん? あの事務の女性……)
椅子に座ってうつむいたまま微動だにしない、しかし何かぶつぶつ言っている女の背に、にょろにょろしているものを見つけた。
トカゲ……爬虫類らしき尻尾の先だ。
(彼女も亜人なのか)
女性をじろじろ見るのは失礼である。彼女の背後がちょうど応接セット。だから正蔵はすれ違いざま、ちらりと横目で確認してみた。
腰から下が、蛇だった。
短いスカートから覗いているのは、うろこのある長い尻尾。蛇人族の特徴だ。
エルフが二人に、獣人族とナーガ族。
なかなかバラエティに富んでいる。
布でできたくたびれたソファに座り、正蔵は今日初めてアタッシュケースを開けた。
正面に腰かけるアドラに履歴書を差し出す。昨晩、自宅のプリンタで作ったものだ。
「わあ、ずいぶん上質な紙ですね」
お茶を持ってきたソフィが驚く。
アドラは目を細くして読み進めた。
「はーん? ショウゾウ、オニガワラ。家名持ちかい。よく見りゃ、服もかなり上等なもんだね。つるっつるのてっかてかじゃないか。この紙といい、あんた何モンだい?」
「ただの一般市民ですよ」
アドラが肩をすくめる。
「ま、お貴族様が身分を隠して道楽で、ってのでも、あたしゃ構わないけどね。でも、ここに何が書いてあるか、あたしにゃさっぱりだよ」
アドラが履歴書をぺらぺらと振った。
履歴書は日本語で書かれているが、1級女神の妻の魔法で誰でも読めるはず。こちらの世界には存在しない、『IT企業』や『情報システム』といった概念が理解できないようだ。
「私が勤めていた会社は、仕事しやすい環境を顧客に提供するところです。そこでは主に、新規に顧客を開拓する営業職に従事していました。業種は異なりますが、前職で培った技能は冒険者ギルドでも大いに役に立つと考えています」
「なんか、えらい生真面目なのが来ちまったもんだねえ……」
アドラは正蔵をじろじろと、角度を変えたりして眺め、
「でもさ、ホントにいいのかい? 冒険者ギルドで働くってことは、冒険者にはなれないってことなんだよ?」
「それは、どういう意味でしょうか?」
「冒険者ギルドってのは、何か困ったことがある連中から依頼を持ってきて、冒険者に解決してもらう、いわゆる『斡旋業』って奴さ。あたしらは冒険者に渡す報酬から、ほんの少し斡旋料をもらって稼いでる」
そうだろうな、と正蔵はうなずく。
「けど、依頼が達成できなきゃ、あたしらには銅貨一枚だって入っちゃ来ない。ろくな冒険者が寄り付かない無能って烙印を押され、次から依頼も来なくなる。さて、困ったねえ。依頼をこなせる冒険者はいない。じゃあどうするかってーと?」
「……冒険者ギルドの職員が、自分たちで依頼を達成する」
「その通りさ。けど、そりゃもう『斡旋業』じゃない」
「この街の倫理観がどうかは知りませんが、最優先事項は『依頼の達成』ではありませんかな?」
「おっ、あんたいいこと言うねえ。たしかに昔は依頼が回りゃあ文句ないってんで、まかり通ってたんだけどさ。2年前にその『倫理観』とやらを持ち出した連中がいたのさ。『冒険者ギルド精神に反する』とか言い出しやがったのよ」
だから規則が新たに設けられ、冒険者ギルドの職員は冒険者として登録できなくなったのだ。
「誰がそんなことを?」
「業界大手の連中さ」
正蔵は首をひねった。
大手ならば、未達案件を処理する専門部署を作るだけの体力がある。中小のギルドとの差は広がり、寡占化も進めやすいはず。
「いや……、そうか」
冒険者ギルドが、自ら依頼を処理できるならば。
「力ある冒険者が結託して、ギルドを立ち上げたのか」
こうなると、高額な依頼はそのギルドに集中する。
業界の再編にまで発展してもおかしくはなかった。
「ご名答っ! いやあ、あんた鋭いねえ」
やたらと楽しそうなアドラを観察していて、正蔵はもうひとつの可能性に気づいた。
「なるほど。この『エルンハイネ冒険者ギルド』も、力ある冒険者が作ったギルドなのですね」
アドラの笑いが止まる。ソフィの息をのむ声も聞こえた。
「しかし不思議ですな」
正蔵は素朴な疑問を口にする。
「規則が改定され、自ら依頼を処理できないのであれば、慣れない斡旋業を続ける必要があるのでしょうか? 元が冒険者なら、ギルドを畳み、冒険者に戻ってやり直したほうがよかったのでは? 離職から一定期間は冒険者登録できない縛りが仮にあるとしても、さすがに『未来永劫、冒険者になってはならぬ』などという暴論は通らないでしょう?」
「本当に鋭い男だねえ。ああ、さすがに『未来永劫』はないさ。縛りは2年。ま、その間は農作業を手伝うなり、荷物運びするなり、路頭には迷わないだろうさ」
「では、なぜ?」
正蔵はアドラの心の奥底を探るように見据える。
「なぜ、今なお冒険者ギルドを続けているのですかな?」
彼女の話しぶりや態度からは、ギルド経営に対する熱意がまったく感じられない。
だというのに、経営の決定権を持ちながら今すぐギルドを畳まないのはなぜか?
ちらりとアドラの横を窺う。
ソフィが、辛そうな顔で目を伏せていた。
二人は同じエルフ族。髪色も質も似かよっている。そしてソフィがアドラを『おばさん』と呼び掛けていたことを考えれば、おそらく彼女たちの関係は――。
半ば回答を予想しつつ、正蔵はアドラが重い口を開くのを待った。
「ったく……訳知り顔で訊くとは意地が悪いねえ。そうだよ、ここはあたしが開いたギルドじゃない。託されたものなのさ」
やはり、と正蔵はもう一度ソフィを見て、アドラに視線を戻した。
「そ、ここを開いたのはあたしの弟。んでもってソフィの父親さ。エルフのくせに剣の腕前がずば抜けててね。『白金』の称号までもう一歩って奴だった。嫁さんも弓の腕がピカ一でね。素材集めや魔物討伐じゃ引っ張りだこだったよ」
だが2年前、流行り病で二人とも亡くなってしまった。
「直後に規則の改定ときたもんだから、弟夫婦を慕って集まってた冒険者たちは一人辞め、二人辞め、あっと言う間に『エルンハイネ冒険者ギルド』は零細ギルドに堕ちましたとさ」
アドラは肩をすくめ、自虐的な発言を続ける。
「残ったのはご覧のとおり、ろくに稼げやしない能無しばかりさ」
最後はお手上げのポーズで締めくくった。
室内に沈黙が降りる。
受付のモコは酷い言われように乾いた笑い。
黒髪の女性はぴたりとつぶやきを止め。
ソフィはぎゅっとスカートのすそを握り締め。
アドラはソファーに背を預けて天井を仰いだ。
ただ笑顔を振りまくだけの受付。
じっとしてつぶやくだけの事務。
技術が決定的に足りない営業。
そして、やる気のまったくない経営者。
よくもまあ、これだけの人材が残ってくれたものだ。
正蔵はこみ上げる情動が抑えられず、
「あっはっはっはっはっ!!」
大声で笑った。
さすがのソフィも丸眼鏡の奥をぱちくりさせ、アドラは椅子からずり落ちそうになった。
「能無し? 『能無し』と言ったかね、アドラさん」
正蔵は膝をバチンと叩く。びりびりと空気が震えた。
「心にもないことを、言うもんじゃあない」
ぎょろりと目玉を動かして、カウンター席でぽかんとしている少女を見やった。
「モコさんと言ったね。いつ来るとも知れないお客様を、最高の笑顔で迎えようとするその姿勢はたいへん素晴らしいっ。振舞いは褒められたものではないが、見ず知らずの冒険者を楽しませたいとの気持ちは、確実に相手に伝わっている」
正蔵が訪れた他の冒険者ギルドでは、受付はみな、客を仏頂面で迎え、事務的な対応に終始していた。
あれでは冒険者のやる気も削がれる。
自分が冒険者であったなら、必ず依頼を達成し、ビジネスパートナーとして喜びを分かち合おうという気にもなれない。
「すくなくとも私は、君の笑顔に癒されたよ」
モコは体を固くして聞き入っていたが、褒められて嬉しかったのか、はにかむように笑った。
正蔵は立ち上がり、視線を移す。彼に背を向け、いまだ微動だにしない女性へ。
「次に、そちらの黒髪の女性」
長い蛇の尻尾がびくりと震えた。
「君がずっとつぶやいていたのは、過去の依頼案件の詳細ではないかね? 何も見ずに、記憶だけを頼りに、何度も何度も復唱していた。そして依頼を達成した冒険者の特徴と、達成時の状況、それらを子細に分析し、問題点や改善点までをも口にしていたね」
正蔵は1級女神であり妻であるシルビアから得た力で、その気になれば数キロ先の針の落ちた音を聞き分けられるのだ。
「私の拙い知識では理解しにくかったが、君の分析は緻密にして非常に説得力のあるものだった。冒険者ギルドは斡旋業。依頼内容に適した冒険者を選定し、助言するのも仕事に含まれると考えるが、君は抜群の記憶力も相まって、事務担当として突出した才能を持っていると私は感じたよ」
「ぁ、ぅぅぅ……」
黒髪の女性は気恥ずかしそうに顎を引いた。
正蔵の次なる標的は、呆気に取られて立ち尽くしているソフィだ。
「君に改めて告げることはないな。営業マンとしての素質はずば抜けている。決定的に足りない『技術』は、情熱にあふれる君ならすぐ身に付くだろう」
付け加えるなら、と正蔵は柔らかに言う。
「ご両親が作った冒険者ギルドを守りたい気持ちは理解できる。それを原動力にするのは否定しない。だが、君の人生は君自身のものだ。君が人生を楽しむため何をすべきか、一度じっくり考えてほしい。結果、やはり『両親のギルドを守りたい』との結論に至ったとしても、それは君が自ら定めた目標であり、今までとは違う前向きな姿勢に変わるだろう」
「はい……、はいっ!」
涙をぐっとこらえて気丈に返事したソフィ。そんな彼女にうなずいてみせた正蔵は、一周回ってアドラへと目を戻した。
居住まいを正し、正蔵を睨むように見上げるエルフの女性に、正蔵は――。
「経営者には、さまざまなタイプがある。即断即決、自ら先頭に立ち突き進むワンマン型。周囲との協調を優先し、他者を巻きこんで大きな力を生む協調型。いろいろだ。さて、貴女はどのようなタイプだろうか?」
「はっ、そうだねえ……、やる気ナシ型ってのはあるのかい?」
「そのタイプが経営者になれば、もはや未来はない」
「だろうねえ」
「貴女は間違いなくやる気がない。言動の端々に宿る負の感情は演技によるものではないだろう。だが、やる気ナシ型の経営者ではないよ。なぜなら――」
正蔵はくわっと目を見開き、断言した。
「この最悪とも呼べる状況において、貴女は2年もの長きに渡り『エルンハイネ冒険者ギルド』を守り続けてきたのだから」
「――ッ!」
「貴女は『守り』に特化した経営者だ。そのタイプはね、何があろうと、あらゆるものを守り通す。特に、従業員を」
息をのんだのはアドラではない。他の三人の、従業員たちだ。
「決断すればすぐにでもギルドを畳めるのに、それをしなかった。貴女は最後に自分だけが残る日が来るまで――彼女たちが自立し、新たな道を進むそのときまで、ギルドを潰さないよう必死だったのではないかな? 口汚く『能無し』と発破をかけたのは、自ら嫌われ役になって彼女たちの自立を促すためだろう。すこし、不器用ではあるがね」
「あたしゃ別に、そんな大層なもんじゃ……」
「否っ! 人には何かしら光るものが隠されている。亜人だろうと関係ない。貴女も間違いなく、最高レベルの経営者となる素質を持っているのだ」
正蔵はかつて思い出していた。
零細でブラックなIT企業。
働いても働いても成果は得られず、誰も彼も疲れきっていて、いつ会社が潰れるか自分を含めてみな、怯えて暮らしていた。
けれど、不遇にあえぐ自分も、上司や同僚、後輩たちも。
その誰も彼もに、磨けば光る才能の原石が隠されていると気づいた。
気づかせてくれたのは、一人の女性。
夏の夜、雨に濡れていた女神様だ。
彼女と出会って、正蔵は変わった。
不思議なほどに気力が溢れるようになり、自らを顧みる余裕が生まれた。
そこから正蔵の大躍進が幕を開ける。
営業成績トップに躍り出て、以降誰にも譲らなかった。
上司も同僚も部下も、経営者でさえ、彼の影響で人が変わる。
会社は急成長。
十年と経たず、業界上位に躍り出た。
M&Aによる規模の拡大、全国展開、海外進出。
怒涛の勢いは衰えることなく、今や業界トップの地位を確立している。
『私はきっかけにすぎません。あなたが変わったのは、あなた自身が才能を開花させたからです』
いつだったか、女神様はそう言った。
謙遜ではない。自惚れるつもりもない。
女神様が言うのだから、間違いであるはずがないのだ。
彼女に出会わなくても、自分は別のきっかけで人生が変わっていたかもしれない。
だからこそ――。
(私は、誰かにとっての『シルビア』でありたい。娘たちにとっての、そして、本来は出会うはずがなかった彼女たちにとってのっ!)
ダンッ、と。
正蔵はテーブルに両手を叩きつけた。破壊しないよう手加減して。
「私を、ここで雇っていただきたいっ」
土下座するように頭を下げる。
「ゆえあって、私はこの街に1年ほどしかいられない。だから期限付きとなってしまうが、約束しよう。私を雇ってもらえたなら、この1年で――」
正蔵は顔を上げ、ぐるりと四人を見回して、
「『エルンハイネ冒険者ギルド』を、街一番の冒険者ギルドにしてみせると!」
しんと、場が静まったのは数秒。
「は、ははははっ! こりゃまた大きく出たねえ。あの大資本のゴルダスに勝とうってのかい? しかも1年で」
「不可能ではない」
「たった4人……5人で?」
「初めはそうだ。が、いずれ人は増やす」
瞬きもせず見据えると、アドラはやれやれと首を横に振った。
「生真面目な男かと思ってたけど、こりゃ相当なペテン師だよ」
けど、とアドラはにかっと笑い、
「いいね。すごくいい。面白そうだ。いっちょ乗ってやろうじゃないか」
「では――」
「ああ、採用だよ。男手はあって困らないしね。でも給料は歩合だよ? 稼げなくてのたれ死んでも知りゃしないからね。なんなら上に部屋が空いてるから、住むかい?」
悪態をつきながらも、中年男を慮って住み処を提供しようとは、やはり『守り』に特化した経営者だと正蔵は感心しつつ、
「いや、私は街の外に家がある。そちらから通わせてもらう」
「はあ? 壁の外にかい? つくづく変わった男だねえ」
「まあなんにせよ、よろしく頼むよ、社長」
「は? 『シャチョウ』?」
アドラ以下、職員みなの頭に疑問符が浮かんだ。
「私の国では、経営者をそう呼ぶ。嫌ならやめるが、どうにも『ギルドマスター』との単語には慣れそうになくてね」
「ま、呼び方はなんでもいいさ」
正蔵はアドラとがっちり握手を交わす。
異世界での就職活動、その初日で仕事にありついた。
これで心置きなく――。
「すまないが、昼を抜いていてね。ここで食べさせてもらうよ」
正蔵はアタッシュケースの中から、愛妻弁当を取り出した。
時刻は午後三時を回ったところ。
おやつの時間だった――。