正蔵、皇帝をやりこめる
突如侵入してきたブルードラゴンに騒然とする大広間にあって、正蔵は寄り添ってきたプルの頭を優しく撫でた。
「おやおや、外で待っていなさいと言っていたのに」
プルは気持ちよさそうに正蔵の手に頭をすりすりする。
竜種でも温厚な部類に入るとはいえ、ブルードラゴンが人に懐いているその様子は、大広間に衝撃をもたらした。
冷徹な態度を崩さなかった皇帝ゲオルタも例外ではない。
驚きのあまり立ち上がり、声を震わせた。
「まさか……ドラゴンを、だと……?」
「驚かせて申し訳ありません。ですがご安心を。この子は優しい子ですから、皆様に危害を加えたりはしませんよ」
もっとも、と。正蔵は抑揚のない声で告げる。
「どうやらこの場の殺気にあてられたようだ。下手に刺激すると、大変なことになりかねませんので注意していただきたい」
「き、さま……」
ゲオルタが奥歯を軋ませる。激情をどうにか押さえつけていた。
ブルードラゴンは成長すれば強大な武力となるが、幼ければ脅威というほどではない。
だが、帝国の中枢――謁見の間で大暴れされたとあっては赤っ恥もいいところ。権威は失墜し、反皇帝派を勢いづかせてしまう。
仮に騒ぎの中で連中を取り逃がせば、ユーリアーナを擁立して内乱が勃発しかねなかった。
ゲオルタはどすんと玉座に腰を落とすと、手を払って兵士たちを元の位置に戻した。
「読めたぞ。それがシャルロ王子の利用価値、というわけか」
正蔵はにっと口の端を持ち上げた。
「帝国では伝統的な魔物対策を発展させ、手懐けることで魔物被害を軽減する試みをしているとの噂を聞きました。なるほど、どこの国も考えることは一緒だなあと、得心したものです」
「ぬかせ。魔物の使役はどこだろうと一度は憧れ、そして諦める夢物語だ。我ら以外は、な」
「使役、とは少々異なりますな。我らは魔物の平和利用を模索しております。この子には餌を与え、一緒に遊ぶ以外に特別なことはしておりません」
「催眠や幻術も施していないのか?」
「もちろんです。そもそもその必要がありませんからな。王国で魔物を養殖し、安全に素材を得る話をお聞きになったことはありますかな?」
ゲオルタは「うむ」と小さく顎を下げる。
「王国は冒険者の育成に力を入れております。彼らは魔物のスペシャリスト。そんな彼らから魔物に関する詳細なデータを集め、日々研究している次第です」
そして、と正蔵は瞳をぎらつかせた。
「我らはドラゴンに注目しました。竜種は魔物の最高峰。彼らと仲良くなれば、他の魔物に対する抑止力になりますからな」
むろん、帝国も竜種の使役にはもっとも注力を注いでいる。だが成功例はひとつ。しかも戦力としての汎用性が高い翼竜ではなく、水竜だ。
もし、王国が翼竜――中でも巨大種を複数使役していたとしたら。
ゲオルタの予感を見透かしたように、正蔵はハッタリをかます。
「この子はまだ人を背に乗せて移動するくらいしかできませんが、兄たちはずいぶん成長しましてね。先日はダークドラゴンの討伐に活躍してくれました」
この世界ではリアルタイムで情報を伝達する手段が極めて乏しい。
ゲオルタが正確な情報を得る前に、勝負を決しなければならなかった。
「とはいえ、まだまだ研究段階ではあります。もっとも――」
正蔵は快活に言い放つ。
「魔物の群れが大挙して王都を襲っても、それを防ぐだけの数はそろっております」
「ぬ、ぅぅ……」
ゲオルタは感情が顔に出るのを隠しもせず、忌々しく正蔵を睨んだ。
正蔵の言葉が正しいなら、ヘルハウンドごときを万の数用意したところで、返り討ちにされるどころか、海を越えて飛翔したドラゴンに帝都は蹂躙されるだろう。
むろん、正蔵の話は九分九厘、ハッタリだとゲオルタは読んでいる。
しかし、生きたサンプルを目の前に提示されては、わずかな可能性が現実味を帯びてしまうのだ。
少なくともこの場にいる兵士たちは、その青ざめた表情から信じきっているのは明らかだった。
ゲオルタは静かに目を閉じ、眉間に寄せたしわを指先で押さえた。
が、考える時間は与えないとばかりに、正蔵が告げる。
「そうそう。アルスバイト王はこの施策を周辺国にも積極的に情報開示し――」
「待てっ! 周辺国に、情報を開示するだと?」
「ええ。魔物の脅威にさらされているのはどの国も同じ。また、地域によって棲息する魔物も異なります。王国だけで研究を続けるより、各国と連携して行うのが近道かと」
バカなっ!との叫びをゲオルタはすんでで飲みこむ。
だが、由々しき事態であることは間違いなかった。
魔物ごとに使役する方法が確立され、どの国もそれを知り得たなら。
帝国の優位性が崩れてしまう。
いや、それどころの話ではなかった。
正蔵の言うように魔物には地域差があり、南方へ行くほど種類は豊富で、必然、より強力で厄介な性質を持つ魔物が多い。
帝国近辺の魔物の中で、南の地域で活動できる魔物は限られる。それを見越してヘルハウンドや巨人系の魔物を使役していたが、南方の魔物では相手にならないだろう。
逆も同じことが言えるので防衛に支障はないが、攻めこむことを考えれば、帝国の版図拡大戦略が大きく揺らぐ。抜本的な見直しが必要だ。
「魔物を飼い慣らすには大きな危険が伴う。研究段階での情報開示は問題があろう」
「ふむ。たしかに陛下のおっしゃるとおりですな。そこは細心の注意が必要、と各国には――」
「だから待てと言っておるっ」
真偽を見極めるにしても、王国の動向を密に把握する必要がある。
ゲオルタは大きく一度深呼吸をしてから、
「まず連携すべきは、この分野で最先端の研究を進めている我が国と王国ではないか?」
だが、敵の真っただ中でこれほど豪胆に立ち回る正蔵を出し抜けるとは思えない。
のらりくらりと躱され、こちらの情報だけが吸い取られるだろう。
たしか最近、ヘルハウンドの調教施設に密偵らしきが入ったとの報告があった。
あれも王国の手の者に違いない。
となれば――。
「そのためにも――」
ひと呼吸おき、苦々しく吐き出す。
「シャルロ王子とユーリアーナの交際は、両国にとって有益であると考える」
シャルロを早々に婿入りさせ、そちらからのルートで情報を探るしかない。
ユーリアーナがぱっと笑みを咲かせる。
「父上っ、お認めになっていただけるのですか!?」
ゲオルタは無言でうなずく。
「これはめでたい。ただ、お二人は出会ったばかりでまだお若い。育った環境も異なります。お付き合いの段階で意見の食い違いや衝突もあるでしょうな」
ここに至っての反論に、ゲオルタは血管がブチ切れそうになった。
それをぐっと抑え、
「そこはほれ、年長者が諫めるなり助言するなりすればよい」
「おっしゃるとおり。我らはあたたかく見守っていきましょう」
正蔵の言葉を継ぐように、プルが「クェッ」と鳴く。
「では、詳細についての協議はいずれ使者を立てまして、改めてということで――」
正蔵はシャルロとユーリアーナを両脇に抱えると、プルの背中にひらりと乗った。
「取り急ぎお二方の交際の許可を得に、アルスバイト王のところへ戻ります」
あっ、と兵士たちが声を出す間に、プルは天上高く舞い上がり、
「いずれまた」
突き破った窓から外へと飛び出した――。
道すがら、喜びに沸くユーリアーナとは対照的に、不安そうなシャルロ。
「なあ、本当に大丈夫なのか? 魔物を飼い慣らす方法とか、全部でっちあげだろ?」
「今回の目的は君たちの交際を認めてもらうことだ。その意味では大成功だよ。あとはできるだけ時間を稼ぎ、嘘を真実に塗り替える」
「バレないようにするんじゃなくて、本当に魔物を使役する方法を見つけるってことか?」
うむ、と正蔵はうなずく。
帝国のように、無理やり操る方法ではない。
幻術や催眠を施せば、それが切れたときのしっぺ返しが大きすぎるからだ。
プルや、以前帝国に操られていたウォータードラゴンは、『話せばわかる』知性を持ち合わせている。
他の魔物の生態を詳しく調べれば、光明は見出せるはず。
ゲオルタに語った話はほとんどがハッタリだが、冒険者から得た魔物に関するデータの話は本当だ。各ギルドに依頼票のかたちで膨大な量が存在する。
それらを子細に分析することで、魔物との付き合い方を変えられると正蔵は確信していた。
道のりは長く、短期滞在であろう正蔵は最後まで見届けられないとしても、研究の土台を整備するくらいはできる。
もとよりこの世界の人々が自分たちで考え、行わなければならないこと。
正蔵はあくまでサポートに徹するつもりだった。
方針は決まった。
難題は山積みだが、きっとうまくいく。
そう感じながらも、正蔵は表情を険しくした。
今回、帝国皇帝ゲオルタ・フォン・バーデミアルと対面し、不穏な事態を感じ取ったからだ。
(皇帝は60代のはず。なのにあの若々しさは異常だ)
そもそもこの世界の住人は、魔物への対応で手いっぱいで、他国を攻め滅ぼそうと考えることが稀である。考えたとしても、実行に移す余裕がない。
魔物を軍事利用し、それを一代で実現しようとしたのは、はたしてゲオルタ一人の考えだろうか?
もしかすると、自分のようなイレギュラーな存在が、皇帝に助言しているのではないか?
もし、仮に、元凶と呼ぶべき存在がいるのだとしたら――。
(わかりやすくていい。ソレにご退場いただけばいいだけだ)
正蔵はあらたなる決意を胸に抱くのだった――。