皇帝ゲオルタ
バーデミア帝国の帝都グランシア。
整然と区画整理された新しい都の中心には巨大な城が、360度ぐるりと睨みつけるようにそびえ立っていた。
城の敷地は中規模の街がすっぽり収まるほど広く、周りは都の外周よりも厳重に、分厚い壁と深い堀に守られていた。
広く、厳重であるがゆえか、城の入り口でユーリアーナが『皇帝に会いたい』と告げてからすでに一時間。
「経過がどうなってるのか、音沙汰なしかよ」とシャルロが不満げに漏らす。
「本来なら門前払いされるところだ。むしろ時間がかかっているのは、皇帝が何かしらの準備をしている証拠と考えられなくもない」と正蔵。
帝都には正蔵、ユーリアーナ、シャルロの三人で赴いている。シルビアの移動魔法で都の近くに移動し、まっすぐ立ち寄ったのだ。
ケトラ姉弟も同行するつもりでいたが、正蔵が断っていた。『白金』級の冒険者が二人もいたら、警戒されてしまうからだ。
三人のほかにもお供がいるが、そちらは姿を隠して待機してもらっている。
さらに二十分ほど待たされてから、ようやく謁見の許可が出た。
城門をくぐる際、身体チェックをされる。武器は初めから持ってきておらず、取り上げられる物はない。が、魔法封じなのか、奇妙な腕輪をつけられた。
馬車で城まで移動し、広い城内を進んだ先。
やたら大きな広間に達した。
ちょっとした公営の体育館くらいはある。
天井や壁面に煌々と明かりが灯され、大きな天窓からの月明かりを押しやるほど明るかった。
百人規模の武装した兵士が居並ぶ真ん中を、正蔵たちはつやつやの床を静かに歩む。
やがて、二十段ほどの高台の前にたどり着いた。
「よくもこんな夜更けに戻ってきたものだな、我が娘、ユーリアーナよ」
重苦しい声が降ってくる。
高台の頂上、玉座に腰かける男が発したものだ。
精悍な顔つきは二十代後半と見紛うほど若々しい。情報では六十を超えているはずだが、鋭い目つきは『白金』相当のジルク・ゴルダス侯爵をも上回っていた。
肘をついてこぶしに顎を乗せ、足を組んだ姿勢は不遜極まりなく、笑みも浮かべていない。射殺すほどの威圧感でユーリアーナを見下ろしていた。
バーデミア帝国皇帝、ゲオルタ・フォン・バーデミアルその人である。
「夜分遅くに申し訳ございません、陛下。火急の用があり、まかり越しました」
ユーリアーナが片膝をついて首を垂れる。
正蔵とシャルロもそれに倣った。
「ほう? 余の安眠を妨げるほどの用件か。王国でなにか興味深い話でも仕入れてきたか?」
「その前に、父上――」
ユーリアーナは顔を上げ、キッとゲオルタ皇帝を睨みつけた。
「私が無事に戻ったこと、驚かれてはおられませんか?」
ゲオルタは眉ひとつ動かさず、表情も変えずに返す。
「貴様の生死になど興味はない。下らぬ話をせず、用件を言え」
ユーリアーナは奥歯を噛みしめた。
動揺を誘うどころか、侮蔑を返されただけ。だがこちらが動揺してはならないと、自らを律する。
今は正蔵と事前に打ち合わせたとおり、道化を演じてでも冷徹な無表情を崩してやる。
ユーリアーナは立ち上がる。同じく正蔵とシャルロも、彼女の後ろに控える位置で立ち上がった。
一歩、シャルロが前に出る。
自身の横に彼が並んだところで、ユーリアーナはくわっと両目を見開いて叫んだ。
「彼氏を、紹介しますっ!」
居並ぶ兵士たちに動揺が走る。ざわめきはなかったが、殺気立った雰囲気が壊れ、呆れたような空気が染み出してきた。
ゲオルタは表情を崩さない。冷酷なまでの睥睨で、兵士たちを窘めた。緩んだ緊張が瞬時に戻ってくる。
「こちらはアルスバイト王国の第一王子、シャルロ・アルスバイト殿下です。このたび正式にお付き合いさせていただくにあたり、ぜひとも陛下にご挨拶したいと同行を願われました」
シャルロは無言で会釈する。
事前の打ち合わせにおいて、居残り組のハンナから『ひと言もしゃべるな』と厳命されていたからだ。
状況によって会話は必要だろうが、今現在、シャルロは皇帝を好ましく思っていない。むしろユーリアーナを殺害しようとした男に、物申したくて仕方がなかった。が、それをぐっと我慢している。
ゲオルタはじっとシャルロを眺め見て、視線をユーリアーナに移した。
「王国は縁談を認めた、ということか?」
「いえ。まだアルスバイト王には伝えておりません」
「では、なぜ先にここへ来た? 縁談は貴様に一任していたはず。途中経過を報告に戻るなど、無駄であろう」
「無駄ではありません。アルスバイト王には、シャルロ殿下が命に代えても説得するとおっしゃってくださいました。そもそも王は縁談に前向きでしたから、ご了承いただけるものと考えています」
しかし、とユーリアーナは語気を強めた。
「いささか状況が変わりました。それゆえ、むしろ陛下に我らの交際を認めていただくのが先決と相成りまして、急ぎこちらへ赴いたのです」
ゲオルタは顎で続きを促す。
ユーリアーナはごくりと一度喉を鳴らしてから、
「シャルロ殿下は、王位を継ぐ意思がございませんっ」
しん、と。静まっていた周囲に、より深い沈黙が降りた。
「ですので、シャルロ殿下には婿入りしていただくかたちとなります」
めげずに言いきったユーリアーナを、皇帝ゲオルタは冷ややかに見降ろしてから、
「大儀であった、ユーリアーナよ」
初めて口元に小さな笑みを浮かべて告げた。
「これで、アルスバイト王国へ攻め入る口実が得られた」
愕然とするユーリアーナ。シャルロも息をのむ。
一人表情を崩さない正蔵をゲオルタは一瞥し、さらに告げた。
「そこの豚は首を斬り落とし、塩漬けにして王国へ送り返せ。宣戦布告の文書を添えてな」
「お、お待ちくださいっ父上! なぜそのような話になるのですか!?」
「そこの豚は王位から逃げだした臆病者で、引きとめられもしない無能なのだろう? そんなゴミを婿入りさせようなどと、余への――帝国への侮蔑以外の何物でもない」
ユーリアーナは怒りで震えが止まらなかった。
が、ぐっと堪えて反論する。
「先にも述べましたが、アルスバイト王はまだ私どもが付き合いを始めた件をご存じありません」
「その豚が今、この場にいることがすべてだ」
「わ、私がシャルロ殿下をそそのかして帝都へ連れ出した、と周辺国が考える危険もありますっ」
「それがどうした? 非公式で進めていた縁談だ。両者の言い分が相反したところで証拠は何もない。帝国の正当性を主張し続け、戦いに勝って周囲を黙らせる。それでも言いがかりをつける愚か者がいるのなら、その国も滅ぼせばよい」
「……勝てる、と本気でお思いか」
「然り」
「その自信、大層な切り札をお持ちのようですね。しかしまさか――」
ユーリアーナは挑発するような笑みで言った。
「小娘一人の暗殺にすら失敗した、魔物部隊のことではないでしょうね?」
ゲオルタが押し黙る。しかし冷徹な表情は崩さなかった。
畳みかけるなら今、とばかりにユーリアーナは言葉を吐き出そうとする。が――
「ッ!?」
身も凍るほどの視線に射竦められた。
「ユーリアーナよ、貴様は自身の立場を弁えていないようだ。大人しく余の道具として使われていれば、多少なりとも延命できたものを――」
ぎろりと視線を正蔵に突き刺す。
「王国に懐柔され、余を謀ろうとはな」
ガチャリガチャリと鎧が鳴る。兵士たちは槍を突き出し、剣を抜いた。
ゲオルタ皇帝が右手を持ち上げようものなら、すぐさま正蔵たちに襲いかかる準備が整ったのだ。
この緊迫した場面で正蔵は――。
「はっはっは! いやはや、これは困りましたなっ」
快活に笑い飛ばした。
ゲオルタが、浮かしかけた右手を止める。
「ようやく口を開いたかと思えば、それか。オニガワラ」
「おや? 私の名前をご存じとは、光栄ですな」
「貴様の噂は耳に届いておる。一介のギルド職員でありながら、アルスバイト王の相談役にまで上り詰めた切れ者、とな。ギールの心が病んだのも、貴様が原因であろう?」
「ふむ。ギール殿には私なりのおもてなしをしたにすぎませんが……まあ、それはそれとして」
正蔵はこほんとわざとらしく咳をする。
「そろそろ本題に戻してもよろしいでしょうか?」
「本題だと?」
「はい。そも我らがこちらにまいりましたのは、ユーリアーナ姫がおっしゃったように、陛下にお二方の交際を認めていただくためです」
「貴様……話を聞いていたのか?」
「いやあ、陛下と姫のお話は、途中から難しすぎて私にはどうにも理解できませんでしてなあ」
はっはっは、と正蔵は頭をかく。
表情は柔和なまま、目元だけを真剣にすると。
「ただ、大いなる誤解は正さねばなりません。シャルロ殿下は臆病者でもなければ、無能でもありませんよ」
ゲオルタが放つ威圧感を涼風のごとく受け流し、正蔵は続ける。
「つい数時間前、不思議なことに街へ魔物が侵入しました。凶暴なヘルハウンドの群れです。しかし殿下は魔物から身を挺して姫を守りました。命の危険を顧みず、実に立派に立ち回ったのです。また行き違いがありましたが、実力で上回る『白金』の冒険者をも打倒した。そんな殿下が、臆病者で無能であるはずがありません」
いきなり持ち上げられ、シャルロはむずがゆくなる。
「殿下は自身が王位を継ぐ器ではないと絶望し、引きこもっていた時期がたしかにあります。しかし気持ちを改め、冒険者として出直す決意をしました。今現在、殿下が王位を継ぐ意思がないのは、別の理由、つまり――」
正蔵はこぶしを握って力説する。
「愛する者を守りたいがゆえ!」
そうだったのか!と当人のシャルロが一番驚いた。
「まだお二方は知り合ったばかりですので、結婚を視野には入れていても、愛を育む期間です。まずは交際をお認めになり、温かく見守ってはいただけませんか?」
正蔵が恭しく頭を下げると、ゲオルタは吐き出すように答えた。
「話にならぬ」
予想どおりの反応に、すぐさま正蔵も返す。
「私のような俗人からすれば、恋愛は当人同士の問題と割り切れるもの。しかしお二方の立場を考えれば、国家間の思惑というのも当然、考慮すべきでしょうな」
「そこの豚に利用価値があるとでも?」
ええ、と正蔵はうなずき、このタイミングだ、と。
自然な動きで顎を撫でた。
それを合図として。
ガシャーンッ!
天窓を突き破って巨大な影が大広間に突入してきた。
さすがのゲオルタも目を見開き、槍や剣を手にした兵士たちがわっと騒いで皇帝を守ろうと玉座周辺に殺到する。
闖入者はそちらには目もくれず、ばっさばっさと羽音を立てて正蔵の隣へ舞い降りた。
ブルードラゴンのプルであった――。