新たな門出、その夜に
ユーリアーナ姫を『保護するため』と告げたケトラ弟――カインは、目を回している姉を抱きかかえる。
「帝国が放った刺客は指揮官を含めて僕が処理しておきました。いろいろお話ししたいところですが、落ち着いた場所に移動しませんか?」
ローレライが施した人払いの魔法が効果を失っているため、衛兵がやってくるとカインは危惧しているようだ。
正蔵たちはうなずき、すぐにその場を離れた。
城壁の上まで移動する。
カインは姉を静かに横たえると、みなに向き直って深々と頭を下げた。
「ではあらためまして。僕はとある方から依頼を受け、ユーリアーナ姫を保護するためやってまいりました、カイン・ケトラと申します。姉がいろいろと失礼しました」
「とある方、というのは?」とユーリアーナ。
「今は申し上げられません。依頼主の秘密は明かせませんので。まあ、その辺りはお察しください」
ユーリアーナの頭には、何人かの反皇帝勢力の有力者が浮かんだ。が、今はそこを探っても意味はない。
「今回の襲撃は、やはりあの男……皇帝が命じたものなのか?」
「証拠はありません。が、まず間違いないでしょうね」
「何を考えているんだ……。私を始末したいのであれば、何も王国でわざわざやる必要はないだろうに」
「政治的な思惑なんて僕にはわかりかねますが、依頼主の見立てでは、脅しと戦争の口実だろう、と」
姫を殺害することで、国内の反帝国勢力を黙らせる。同時に王国に対しても、魔物を使役する実態を知らしめ、威嚇する。
表向きは姫が王国内で殺害されたことを口実に、戦争を仕掛ける口実にするつもりらしい。
「自ら主導しておきながら、王国に罪をなすりつけるのか。無茶苦茶だ。そんな戯れ言、誰が信じるものかっ。世界のすべてを敵に回し、一国だけが繁栄するなどありえないのに……」
ユーリアーナはそう憤るが、正蔵の考えは違った。
確たる証拠がない以上、他国が注目するのは『姫が王国内で殺害された』という事実のみ。
帝国の凶行を疑いはするだろうが、王国にもなんらかの落ち度があったと考えても不思議はなかった。
まだ公にはされていないが、縁談が進んでいたのも王国には不利になる。
視察に赴いた嫁ぎ先で事故にしろ何にしろ姫が死亡したなら、王国に非難が集まるのは避けられなかった。
魔物部隊を実戦に投入したのも、自信の表れだ。
人的被害は出なかったものの、魔物による奇襲を王国は常に警戒しなくてはならなくなった。
帝国もより自信を深めただろう。失敗したとはいえ、城塞都市内に魔物を侵入させた実績は大きい。
(やはり戦争を避けるには、魔物部隊をどうにかしなくてはならないな)
手はある。
だが、戦争待ったなしの現状、打てる手は限られていた。しかもまだ情報が足りないため、確実性に欠けている。
クリアすべき条件はふたつ。
帝国が動いた今、できれば今夜中に解決したかった。
「ユーリアーナ姫、貴女は魔物部隊についてどれほど知っているのですかな?」
「探ってはいましたが、噂の域を超える情報はまだ得られていません。ガードが固くて……申し訳ない」
「彼らがどうやって魔物を使役しているか、その方法もご存じないのですか?」
「残念ながら、想像の域を出ません。魔物部隊の訓練風景でも見られれば、より確かな推測はできるのでしょうが、実物を見たのも今回が初めてですから……」
ふむ、と正蔵は考える。
確実な情報が得られないとしても、確度の高い推論が得られるのであれば。
「ユーリアーナ姫に、見ていただきたいものがあります」
訓練風景を見てもらうのは、大きな意味がありそうだ。
「今から私の家に来ていただけますかな?」
一同が首をひねる中、
「ただ、夜も遅い。娘たちが起きてしまわないよう、静かに願います」
正蔵は人差し指を唇に当て、にっと笑うのだった。
夜道を駆け、正蔵たちは鬼瓦家にやってきた。
玄関前には帯状魔法陣でぐるぐる巻きにされた帝国兵がぐったりしている。みながギョッとするも、正蔵は気にも留めず彼らを招き入れる。
ユーリアーナもシャルロも他の者たちも、玄関をくぐって驚きっぱなしだ。
昼間のように明るい室内もそうだが、一番驚いたのは、テレビだった。板状の画面の中で人が動き回る様子に慄いている。
「こ、これはいったい……」とユーリアーナ。
「目の前の光景を記録し、あとで何度も繰り返し見られるようにする、魔法と考えてください」
「そんな魔法、聞いたこともありませんが……」
不思議がるユーリアーナたち。
正蔵が準備する間、シルビアはローレライの治療を行った。目が覚めた彼女もまた室内の様子に驚き、シャルロに恨み言を吐き出す余裕もない。
準備が整い、エマリアが隠し撮りしてきた魔物の訓練風景を流す。最初はヘルハウンドだ。
食い入るように見るユーリアーナ。他の面々も押し黙り、画面内で統率が取れた動きをする魔物たちに目を奪われていた。娘たちやエマリアのコミカルなやり取りには呆れていたが。
その後も、エマリアが追加で撮ってきた別の訓練風景を見せる。オーガやサイクロプスといった巨人系の魔物だ。
ひと通り見終わって、ユーリアーナに感想を求めると。
「そう、ですね……。若い個体ばかりに見えました。となると、伝統的な魔物対策が根底にあるでしょう」
生まれたばかりの魔物を捕らえてきて、人に対する恐怖を植えつける。そうして放たれた魔物は、人里に近寄らなくなり、その個体が所属する群れや、子孫にも影響が出るのだと言う。
ただ効果は限定的で、逆に恨みを募らせ、より凶暴な魔物になる危険もあった。
「おそらく、どこかで繁殖させているのだと思います。生まれた子をすべて調教し、逆らえなくなったところで催眠系魔法で暗示をかける。ふつうは人の言葉を解せない魔物でも、調教次第では可能かと。難しくは、ありますが」
「以前、王国近海で商船を襲っていた水竜が、何かしらの暗示を施されていたらしい。救いを求めるほどには自意識があっても、逆らえない様子だった」
「ウォータードラゴンと意思疎通できたのですか?」
「話をしたのはブルードラゴンと……いや、細かい話はあとにしよう。とにかく、『いやいやながら命令には従わざるを得ない』という状況にあったようだ。操っていた男は心が病んでしまって、詳しい話は聞けていない」
何かしらの暗示を魔法で与えていたのはわかっているが、具体的にどんな暗示かは定かではない。帝国が裏で糸を引いているかどうかに注目していたため、そこまで確認しなかったのは失策だった。
ユーリアーナは顎に手を添え、黙考してから。
「もしかすると、『親』との認識を植えつけたのかもしれません」
「親?」
「魔物は一部を除き、厳格な縦社会を形成しています。成長過程における絶対者は『親』であり、子どものうちは親に逆らえない習性がある、との定説があるのです」
正蔵は嫌悪感をあらわにした。まさか親子感情を利用してまで、軍用に調教していたとは。
「帝国の手法がそうだとは言いきれませんが、理論的には可能でしょう」
実際、鬼瓦家はブルードラゴンとともに暮らしている。プルは陽菜から魔力をもらっているので、もしかすると『親』と認識して懐いているのかもしれなかった。
「いずれにせよ、何かしらの暗示をかけている可能性は非常に高い。それを解除し、術者を一掃すれば、魔物部隊は機能しなくなります」
光明を見出したユーリアーナは鼻息荒く言う。
正蔵も内容にこそ嫌悪感を抱いたものの、条件のひとつがクリアされたことに喜んだ。
クリアすべき条件は、残りひとつ。
「ふむ。まあ、それはそれとして」
「は? いや、横に置かれては困りますが?」
「ユーリアーナ姫、貴女は今後、どうなされるおつもりかね?」
「ですから、帝国の魔物部隊を――」
そうではなく、と正蔵は手で制し。
「シャルロ君に、きちんと説明をしましたかな?」
ユーリアーナがハッとする。
シャルロはうとうとしていたところで名を呼ばれ、こちらもハッとした。
「貴女の思惑はだいたい察しがついています。見たところ、シャルロ君に正体を知られてしまったようでもある。その上で、きちんと事情は話したのでしょうか?」
ユーリアーナは弱々しく首を横に振る。
立ち上がり、シャルロに正対すると、床に跪いた。深々と首を垂れる。
「シャルロ殿。私は正体を偽り、真意を明かさずに貴公を欺いてきました。ここに、正式に謝罪させていただきます。申し訳ございませんでした」
「ちょ、なんだよ、急にかしこまったりして……。べつにいまさら説明なんて、『どうでもいい』って言ったろ?」
「いえ。私は説明を果たす義務があります。私は貴公を……ひいてはこの国を利用せんがため、国情を調べにまいりました。味方足りえるのであれば、父皇帝の暴政を阻止すべく利用しようとしたのです」
「……だったら、やっぱい僕が言うことはひとつだ。『残念だったな』。僕と一緒になったって、王国を利用なんてでき――」
「違うっ!」
ユーリアーナは顔を上げ、真摯にシャルロを見つめた。
「私の決意は、今も変わりません。たとえ一人であっても、父皇帝と刺し違えても、あの男を止めたいと、考えています。でも、その……道のりはとても遠くて、険しくて、だから……心が、折れそうに……なって……」
言いよどむも、覚悟を決めたように一度大きく深呼吸してから、
「それでもっ! 貴方と一緒ならば、がんばれると思うのですっ」
顔中を真っ赤に染めた叫びは、まさに――。
「こ、告白……?」
シャルロは自らの言葉を疑った。
部屋の隅に控えていたハンナが、「姫さま~きゅぅ……」とショックのあまりその場に倒れる。
正蔵が彼女を客間に運び、戻ってくるまで、シャルロはおかしな挙動のみで返事をしていなかった。
ローレライが呆れ声を漏らす。
「なんかよくわかんないけどさあ、勇気を出して愛の告白をしたんだよ? いつまで女を待たせるわけぇ?」
「愛の、って……。いや、でも、だって……」
シャルロは混乱しまくり、思わず叫んだ。
「僕のどこに好きになる要素があるんだよっ」
いろいろ残念な男である。
真っ向から否定したのはユーリアーナだ。
「貴方はたしかに口も態度も悪く、自虐的でぐうたらを好む性格をしています」
「おい」
「ですが、揺るがぬ信念を持ち、危機的状況にあっても立ち向かう姿勢に心打たれました。より具体的に言えば、かっこ、いいなあって……」
頬を染めて照れる姫を見て、正蔵はなんとなく『吊り橋効果かな?』と思ったが黙っておいた。
「私こそ至らぬ点は多々あるかと思います。そちらは改善していきたいと思いますので、なんなりと言っていただければ」
「なんなりと、って言われても……」
「一度は女を捨てた身。外見がお好みではないでしょうか?」
「えっ、いや、僕はまあ、ふくよかな女性が好み――」
「わかりましたっ。食べますっ。食は細いほうですが、たくさん食べて太りますっ」
「お前ちょっと冷静になれよっ」
あまりの豹変ぶりに混乱が止まらない。
「ふむ。それでシャルロ君、君の返答はどうなのかね? 結婚が前提と考えればかしこまりもするだろうが、君たちは出会ったばかりだ。君さえよければ、まずは付き合いしてみて、じっくり二人で話し合えばいい」
「ぅ……そりゃあ」
ユーリアーナは一人の女性と意識してよくよく見れば、べらぼうな美人だ。性格はきついが、どうやら根本は尽くす系らしい。
ふくよかな女性が好みなのは、美形が信用ならない裏返しみたいなもので、安心感があるためだ。
正直、返事をためらっているのは、『本当に自分でいいのか?』『すぐに捨てられるんじゃないのか?』との疑念や恐怖が大きかった。
だが、しかしっ。
(僕が告白されるなんて奇跡、人生でこれ一回きりだろうしなあ……)
この機を逃せば生涯独り身は確定的に明らか。
今まではそれでもよかったが、一度告白されてしまうと惜しいと感じてしまう。
「じゃあ、その、まずはお付き合いを……」
「本当ですかっ!? ありがとう、ございます……」
喜びのあまり涙を浮かべるユーリアーナに、ドキドキが止まらないシャルロだった。
「うむ。話はまとまったようだな。実にめでたい」
「……あんた、僕たちをくっつけて何を企んでるんだよ?」
「君たちの純粋な気持ちを政治利用したいとは思っていないよ。ただ、君たちのお付き合いはその立場上、周囲に大きな影響を与える。良くも悪くもね。もちろん、帝国皇帝にとってもだ」
二つ目の条件はクリアした。これで『交渉』はこちらが有利だ。
正蔵に彼らの恋路を政治利用するつもりはないが、皇帝が正しく利用してくれるなら文句はない。むしろ、そう仕向けるためには必要な条件だった。
「父上にも……? しかし、ついさきほど私を殺そうとしたのですから、忌々しく感じる程度なのではないでしょうか?」
「その件は私も憤っているよ。我が子に手をかけようなどと、びしっと言ってやらねば気が済まない」
と、いうわけで。
正蔵はしれっと言い放つ。
「今から皇帝に会いに行こう」
「「「「……は?」」」」
ケトラ姉弟まで一緒になってぽかんとする。
「ちょ、父上に会うとは!?」
ユーリアーナとシャルロは何が何だかわからない。
「君たちがお付き合いすることになった報告にね。彼氏を父親に紹介するのだよ」
「だからってなんで今?」とシャルロも大慌てだ。
「ついでに戦争回避のための交渉をしようと思ってね」
ユーリアーナの暗殺が失敗した情報が、すぐに伝わるとは思わない。が、早いに越したことはないためだと正蔵は説明する。
「そっちが『ついで』なのかよ……」
脱力するシャルロに対し、ユーリアーナは怪訝そうに眉をひそめた。
「しかし、『交渉』とは? 魔物部隊への対処が先なのではないですか?」
「私は荒事を好まない。どうしてもという場合は仕方ないが、可能な限り話し合いで決着させたい」
ただし、と正蔵はにたりと笑う。
「穏便に済ませるつもりはない。武力で威圧する相手には、武力の恐ろしさを味わってもらうさ」