王子の男気
『白金』クラスの冒険者を相手に、戦いを挑む無謀はしない。
シャルロはぶれることなく『逃げ』を選択した。
「ま、そう来るとは思ってたけどさあ」
だが簡単に逃がしてくれる相手でもない。
ケトラ姉――ローレライはキセルを口にし、ふっと紫煙を吐き出した。煙は口から出したとは思えないほどの量に膨れ上がり、雲のような塊が出来上がる。
(なんだ、あれ……っ!?)
シャルロは駆けながらその様を眺め、さらなる異変に驚く。
煙は蛇のように細長くなって襲ってきたのだ。途中、二股に分かれ、ひとつはシャルロたちの行く手をふさぐように、そしてもうひとつは、彼のすぐ後ろ――手を引いてついてくるユーリアーナへ迫った。
ヘルハウンドに襲われたときのような、魔法防御は発動してくれない。
「くそっ!」
シャルロは身を捻り、ユーリアーナを押し倒す。すぐ上を通過した煙を『風の剣』で斬りつけた。
特段何をしたつもりもないが、煙は弾けるように霧散する。
「ちっ、面倒くせえ……」
小さくそんな声が流れてきた。
何が何だかわからないが、それどころでもない。
シャルロは体勢を保てず、ユーリアーナの上に倒れ掛かった。
「むぎゅっ」(シャルロ)
「ぐえっ」(投げ出されたハンナ)
「――っ!?」
押しつぶされる格好となったユーリアーナは、声なき声を上げて赤面した。
「す、すまん…………ん?」
シャルロは不思議な感覚に戸惑う。仰向けのユーリに圧し掛かってしまったわけだが、顔が妙に柔らかなもので包まれたのだ。
これは、まさか……。
「おっぱいかっ!?」
顔をこすりつけて最終確認をしていたら、
「理解したならすぐにどけっ!」
「ぐぼはっ!」
側頭部をグーで殴られ、横に転がる。
頭がずきずき痛いが確認が先だ。
「お前、女だったのか!」
ユーリアーナは恥辱に顔を赤らめ、そっぽを向いた。
否定しないのは肯定したも同然。
はっきり言ってわけがわからなかった。なぜ女の身でありながら、男と偽り、しかも他国に入って情勢を調査するのか? 理由が想像できない。
「なんで、お前……てか、ハンナは知ってたのか?」
「へ? ええっと、まあその、なんと言いますか……」
こちらも否定しない。知っていたようだ。
混乱する中、ふいにとある言葉が頭をよぎった。
――お久しぶりねえ、お姫様ぁ。
ローレライ・ケトラが現れたとき、たしかにそう言っていた。
お姫様。
帝国からやってきた、お姫様。
シャルロはハッとして、ユーリの顔を観察した。
女と認識してよくよく見れば、見覚えがある。
帝国から送られてきた、縁談相手の肖像画。ドレス姿の美しい女性とそっくりだった。
「お前、ユーリアーナ姫だったのか……」
またもユーリアーナは目を伏せるだけで、否定しなかった。
「なんだよ、それ……。もしかして、僕のことはオニガワラから聞いていたのか?」
「……ああ。事情は聞かされていないが、王子が冒険者になっている、と」
今度は控えめながら、肯定した。
シャルロの正体を知りながら、自身の素性は女であることさえ隠し、接触する。
つまりは、将来の夫たりえる者かどうか、品定めに来た。
シャルロはそう結論付ける。
「は、ははは……。まったく、あのオッサンも意地が悪いな……」
乾いた笑いしか出ない。不思議と怒りの感情は湧き上がってこなかった。
「ま、姫の立場で公式に訪問はできないよな。で、どうだった? 僕はお前のお眼鏡に適ったのか?」
「お眼鏡……? っ!? 何か誤解していないか? 私は貴様……貴公を品定めに来たのではないっ」
「じゃあ、なんだよ?」
「と、嫁ぐ先がどのような国か、直接見たかったのだ。その……複雑な事情はあるのだが、今は説明しがたいというか……」
「ふん。ま、どうでもいいか。あのオッサン、重要なことをお前に伝えてなかったんだからな」
「重要な、こと……?」
首をひねるユーリアーナに、シャルロは自嘲ぎみに言った。
「僕が冒険者をやってるのは、追い出されたからさ。自堕落な生活を改めろってね。王宮に戻ったところで、僕に居場所はない。だって王位は――」
最後はどこか吹っ切ったように、笑みを浮かべた。
――妹が継ぐんだから。
「な……っ」
ユーリアーナは絶句する。今度は彼女が混乱する番だった。
聞いていない。
王位をシャルロが継がないなんて、予定が狂うというレベルではなかった。前提そのものが崩れてしまう。
いくら王国が帝国に抗する力を持っていても、次期王妃という地位が約束されていなければ、彼に嫁いだところで影響力は発揮できないのだ。
「残念だったな。僕と結婚したって、いいことなんて何もないんだよ。お前が何をしたくて、何をするつもりか知らないけど、この国にいても命を狙われるだけだろうな。だから――」
シャルロは立ち上がって、ユーリアーナに背を向けると。
「行けよ。ここは僕が引き受けた」
剣を構え、キセルをふかしている美女を睨みつけた。
「なあにぃ? お話は終わったのぉ?」
「律儀に待っててくれたのかよ。余裕だな」
「ん~、お姫様を見つけちゃったら、急ぐ必要はなくなったのよねえ」
ローレライは楽しげに紫煙をくゆらせた。
シャルロは小声を背後に飛ばす。
「なにをぐずぐずしてんだよっ。早く行けっ」
「待てっ。なぜだ? 今さら貴公が私に義理立てする必要はないはずだ。なのに、なぜ……」
「義理? 違うね。僕は冒険者だ。案内係とはいえ、雇い主を守る義務があるっ」
小声ながら決意のこもった言葉に、ユーリアーナの肩がびくりと跳ねる。
「さあ行けっ! 走れっ! ユーリアーナっ!」
初めてシャルロから名を呼ばれ、ユーリアーナは跳ね起きる。ハンナの手を引き、路地へ向かって走った。
ローレライが目をすがめる。
「ねえ、まん丸なおじさんさあ、余計なマネはしないでくれるぅ? あたしぃ、面倒なことって嫌いなのよねえ」
「僕はおじさんじゃないっ! 16歳の若者だっ」
「えっ、うそっ!? マジで……?」
「あんたこそ、けっこう若作りしてるんじゃないか? たしかケトラ姉弟の姉のほうって、そこそこ歳がいってたよな、おばさん」
クワっと、ローレライが目を見開く。
「あたしはまだ二十代だよっ!」
禍々しいほどの魔力が彼女の周りで渦巻いた。
「十代の僕からすれば、じゅうぶんおばさんじゃないか」
ぷちっと、何かが切れる音がした、ような気がした。
ローレライは顔を伏せ、ぷるぷる震えたかと思うと。
「舐めてんじゃあ、ねえぞっ! おっさん顔したクソガキがっ!」
シャルロは膝をかくかく震わせながらも、さらに挑発する。相手の気にする部分を貶して怒らせるのは得意分野だ。
「ダークドラゴンの討伐に失敗したのって、あんたが寄る年波に勝てなかったからじゃないの?」
ローレライは、薄く笑みを浮かべた。口元がひくひくしているところから、怒りのあまり笑ってしまったらしい。
「まさか、この国でそこまでの侮辱を受けるとは思わなかったわ……」
ひ、ひひひ、と壊れたような笑いをした直後。
「ぶっ殺すっ!!」
よしっ、とシャルロはほくそ笑む。
挑発に乗ってくれた。これでユーリアーナたちへの注意は薄くなったはずだ。
あとは彼女たちが安全なところまで逃げる時間を稼いで、自分もとっととずらかろう。
そう、目論んでいたが――。
ローレライの周囲に、小さな魔法陣がいくつも浮かび上がった。
(無詠唱かよ。さすがは『白金』だなっ)
シャルロは腰が引けつつも剣を握る手に力を込めた。
魔法陣から雨あられのごとく攻撃が襲いかかる。炎の弾、氷の塊、光の球体。一度に複数タイプの魔法を発動させるのは舌を巻くほかない。
「うひゃあっ! はわ、ほぅっ! うわちゃ!?」
シャルロはみっともなく突っ伏したり転がったり。避けた先に迫った光弾をどうにか剣で弾いた。
「へえ、やるじゃない。腕前は『銀』に片足突っこんだくらいか」
ローレライは冷静さを取り戻したらしく、ユーリアーナたちが逃げた路地へと目を向けた。
「街の外へ行かれるとマズいわねえ。ムカつくけど、お仕事優先。こっちはさくっと片付けましょうか」
にたりと、嗜虐的な笑みを浮かべると、キセルを口にくわえた。ふっと吐き出した紫煙が見る間に膨張し、巨大な壁のようになる。
マズい。
攻撃が止まって息を整えていたシャルロは、背に怖気が走るのを感じた。
煙の壁が迫ってくる。
と、壁を突き抜け、炎の弾丸がシャルロめがけて飛んできた。
「ふぎゃっ!?」
どうにか剣で防ぐも、勢いに押されて尻餅をついた。
(ヤバい。どこから攻撃が来るかわからないぞ……)
これまでは魔法陣に注意深く観察していれば対処できた。魔法が撃ち放たれる直前、魔法陣がうっすら輝いたからだ。
出所がわかっていれば、早く反応できる。
が、文字どおり煙幕で視界がふさがれては、対応が間に合わない。
しかも、である。
煙の壁はいつの間にかシャルロを取り囲んでいた。
「はい終了~。もう逃げ場はないよ」
せせら笑いに続き、四方八方から魔法攻撃が襲い来る。どこから飛び出てくるかまったくわからず、シャルロは無我夢中で避け、弾いたものの。
「ぐあっ!」
背に直撃。前に突っ伏したとこで、氷の塊が肩を打った。
意外にも大きなダメージはない。
(『さくっと片付ける』とか抜かしておいて、嬲り殺しにするつもりかよっ)
シャルロは不意に、尖塔の自室を思い出す。
あそこでずっと、自堕落な生活をしていたかった。
妹が王位を継いでも、自分はぐうたらに過ごして、やがてひっそり死んでしまいたい。
(でも、今は――)
大きな目標なんてない。夢も希望も、実感できるものは何もなかった。
あるのは、ただひとつ――。
「昨日の自分を、超えるんだっ!」
左の肩口、右の脇腹、そして正面。
前者ふたつの攻撃をバックステップでやり過ごし、正面からの光弾を剣で撃ち落とす。
相手の攻撃パターンがだいたいつかめてきた。
ローレライはおそらくこちらの位置を把握している。
だからやみくもな攻撃ではなく、はっきりした意図を感じた。
(あいつ、僕が煙の壁に接近しないようにしてるな……)
だったら――。
シャルロはぐっと腰を落とし、前方へ飛びかかった。攻撃を食らっても歯を食いしばって耐え、ひたすら前へ。
「風よっ!」
煙の壁に肉薄すると、剣を真横に薙ぐ。
剣が煙を切り裂くと、取り囲んでいた煙の壁が突如として霧散した。
ローレライの目を見開くさまが、はっきりと見える。
「バカなっ。あたしの紫煙術は突風にだって流されることはないのに……」
シャルロは走る。
「その剣……。まさか『風の剣』なの……? はは、それこそ『まさか』だよ。低ランクの冒険者が持っていていいモンじゃないからね」
ローレライは自身の前方に魔法陣を並べた。突進してくるシャルロへ、魔法を一斉射して弾き飛ばすつもりだ。
「遊びは終わりだよ。あたしを侮辱した罪、贖ってもらおうか」
魔法陣が光を帯びる。
どうせ避けられないのなら、玉砕覚悟で突進し、接近戦に持ちこむっ!
「「うおおおおおっ!!」」
裂帛の気合いは二色。ひとつは正面のシャルロから、そしてもうひとつは――。
ローレライは弾かれるように頭上へと目を向けた。
月を背に、すらりとした影が落ちてくる。
ユーリアーナが建物の上から、細身の剣を手に迫っていた。
「くそがっ!」
慌てて頭上に防御魔法陣を敷く。
ユーリアーナは構わず切っ先を突き立てた。
キィンッ、と甲高い音を発し、魔法陣にひびが入る。
このままでは破られると瞬時に判断したローレライは、真横へ大きく跳躍した。
「やるねえ。剣技はもう『金』クラスに達したのかい」
とはいえ、『白金』の自分が負けるはずがない。だがローレライは生粋の魔法使い。接近戦では分が悪すぎた。
もうすこし、距離を取って――。
このときローレライは、失念していた。ユーリアーナに気を取られ、すっかり忘れていたのだ。
この場で最も脅威となる、存在を――。
「ぇ……」
視界の端に、丸い物体を捉えたときにはもう遅い。
最初の気合いはどこへやら、声を押し殺し、足音もさせずに迫りくるまん丸な男。
『風の剣』の力をすべて移動のために費やし、道のすれすれを滑空するのはシャルロだ。
「こ、のぉっ! 豚饅頭がっ!」
悪態をつくのがやっと。
次の瞬間には、
どごっ!「がはっ!」
シャルロのショルダータックルをまともに食らっていた。
弾力に富んだ胸の感触はご褒美として受け取りつつ、シャルロは容赦なくローレライを吹っ飛ばした。
ゴンッ!「ぉ……」
ローレライは壁に背中から激突。頭を強く打って白目を剥いた。ずりずりと地に落ち、気を失う。
(倒し、た……? 『白金』の冒険者を、『鉄』の僕が……)
一瞬呆けたシャルロだったが、すぐにハッとして怒声を上げた。
「お前、なんで戻ってきたんだよっ!」
「な、なんだその言い草は! 私が手を貸さなければやられていたくせに」
「むっ。お前が手を出さなくたって、僕はどうにか勝っていたさ」
「それはどうかな? すでにいくらかダメージを負っていたじゃないか。魔法の一斉射でボロ雑巾のようになっていたのは明白だ」
「なんだとっ!」
「なんだっ!」
にらみ合う両者の間に、呆れた声が割りこむ。
「はいはーい。仲良く喧嘩してる場合じゃないですよ。さっさと逃げましょう」
ハンナだ。
冷静さを取り戻した二人は、気まずそうに目をそらす。
「い、一応、礼は言っておく。あ、ありがとう……」
シャルロがぼそりと言った。
「う、うむ……」
どう返してよいかわからず、ユーリアーナはもじもじと身をくねらせる。
よくない状況だ、とハンナは歯ぎしりした。
反発しあっているようでいて、互いに互いを認めたくて素直になれないラブラブ展開まっしぐらなこの状況。
(神様どうにかしてっ!)
心の叫びが天に届いたのか。
「姉上っ!」
若い男がローレライに駆け寄ってきた。腰に二本の剣、背中に二本の槍を負う細目の青年だ。
ローレライを『姉』と呼ぶこの男が何者であるか、彼らは瞬時に理解した。
「「「カイン・ケトラ!」」」
魔法使いとして『白金』に上り詰めた姉に対し、弟のカインは武芸を極めた達人だ。しかも魔法も使える、姉以上に厄介な相手だった。
これはもう――「逃げるぞっ」それしかない。
シャルロは二人の手を取り、風を呼んでその場を離れようとしたが、巨大な壁に行く手を阻まれた。
「やれやれ、一歩遅かったようだな」
野太い声には聞き覚えがある。壁だと思ったのは、見上げるほどの巨躯だった。正蔵だ。
「カイン君、すまないね。何か大いなるすれ違いがあったようだ」
正蔵が声をかけると、カインは逆に申し訳なさそうに応じた。
「いえ。おそらく姉上が面倒がってきちんと事情を話さなかったのでしょう。見たところ命に別状はないようですし、こちらこそ大変な失礼をしたと、謝罪いたします」
深々と頭を下げるカインに、シャルロたちは理解が追いつかない。
察したらしいカインが、告げた言葉は。
「我ら姉弟は、ユーリアーナ姫を保護せよとの依頼を受けてまいりました」