帝国の企み
正蔵はリビングのソファーに深く腰かけた。
夜、子どもたちが寝静まったころ。
リモコンを操作し、テレビをつける。
重厚な音楽が鳴り、慌ててボリュームを低くした。
やがて画面には、仰々しい文字がばばーんと表示される。
『バーデミア帝国潜入記録――家庭教師は見たっ!』
正蔵はウィスキーの入ったグラスを傾けながら、だんだん無駄に凝ってくるな、と呆れていた。
映像は、エマリアがこっそり撮影してきたバーデミア帝国の内情レポート。彼女には何度も同じような記録を撮ってもらっている。
タイトルコールが終わり、ようやく本編が始まった。
『やっほー、パパ見てるー?』
『みてるですかーっ?』
鬱蒼とした森の中で、香菜と陽菜が手を振っていた。
「ぶはっ、がほっ、ごほっ……」
正蔵、テレビに我が子が映ってむせる。
映像は続く。
横からマイク(雰囲気作り用小物)を握りしめたエマリアがひょいと顔を覗かせた。
『えー、今回は特別ゲストをお迎えしていますっ……というかまあ無理やりなんですが』
引きつった笑みでそう言うと、三人以外の声がぼそりと聞こえる。
『エマリアさん、巻いて巻いて』
急かす声はシルビアのものだ。どうやらカメラマンをしているらしい。
彼女がいるなら大丈夫か、と正蔵は安堵する。そもそも映像は録画で、下姉妹は今ぐっすり寝ているから無事なのだが。
その後は香菜と陽菜のコミカルなやり取りと、どうにか先に進めたいエマリアの苦闘が、すこしずつ場所を移動しながら映っていた。
そうこうするうち。
『はいみなさん、ここからはちょっと静かにしてくださいねー』
『はいっ!』
『はいですっ!』
『だから声が大きいですってば!』
『エマリアさんが一番元気がいいですねー』
『はうっ』
ぐだぐだで緊張感が皆無な中、一人顔をこわばらせたエマリアが先頭に立ち、慎重に獣道を進んでいくと。
森が切れた。
地面がなくなり、高い崖になっている。
そーっと茂みから顔を覗かせて、エマリアと下姉妹の三人が崖下を見やる。カメラも彼女らの視線を追った。
土がむき出しの更地。広さは野球グラウンドほどある。
そこに、大きな獣が隊列を組んでいた。
正蔵には見覚えがあった。家族にもだ。
『あれって、前に家にきたやつ?』と香菜。
『おいぬさまです』と陽菜。
エマリアがその名を告げる。
『ヘルハウンドですね』
黒い体毛をした、犬のような魔物。かつて見たものは象ほどあったが、居並ぶのは大型犬の2倍ほどの体高だ。とはいえ、あのサイズに襲われたら屈強な男性でもひとたまりもないだろう。
それが、百を超える数いる。
5体が一組になり、互いの役割分担を明確に感じさせる動きを披露する。組同士の連携も見事で、すばらしく統率が取れていた。
『やはり噂は本当でした。帝国は、魔物を軍用に調教しているようです』
エマリアがマイク片手に身を乗り出す。
『魔物を一匹調教するにも困難を極めますが、それをあの規模で、まるで手足のごとく動かすのは脅威としか言いようがありません。まだ実践投入はされていないらしいですが、由々しき事態です。ホントにヤバいですよ、これわひゃぁっ!?』
前のめりになりすぎて、崖下に転落しかけるエマリア。香菜と陽菜が慌てて彼女の服を引っぱって事なきを得た。
『し、失礼しました……。えー、帝国はヘルハウンドだけでなく、オーガやサイクロプスといった巨人系の魔物も使役する研究を行っていると聞きます。それらが徒党を組んで襲ってくると考えるだけで寒気がしますね。通常の軍に加えて魔物も襲来するとなれば、王国では対抗しきれないんじゃないでしょうか?』
エマリアは葉っぱを髪の毛に散らしたまま、カメラ目線で表情を引き締める。
『現場からは、以上ですっ』
しばらくキリリとした表情で固まっていたが、やがてふうっと息をつく。
これで映像は終わり……ではなかった。
『さ、みなさん、撤収しますよ』
『もう帰っちゃうの?』
『もっとあそびたいですっ』
子どもたちが不満を漏らす。
『いやいやいや、遊びに来たんじゃありませんからっ。見つかると面倒ですし』
『面倒なの?』
『めんどうですか?』
『そりゃあ、そうですよ。相手はビデオが何か理解できないでしょうけど、こんな場所にいたらスパイと認識して当然ですからね。まあ実際、敵国のスパイなわけですけど』
どこか得意げにエマリアは説明する。
その肩を、香菜はちょんちょんとつっついて。
『もう見つかってるよ?』
『へ?』
香菜が指差した先を、カメラが追う。
崖下に兵士が何人か、エマリアたちの方を向いて何か叫んでいた。
先ほどエマリアが派手に落っこちかけたので、感づかれてしまったらしい。
兵士の一人が口笛を吹くと、ヘルハウンドが10匹、彼女らへと駆け出した。
魔物たちは立ちふさがる切り立った崖を――。
『登ってきてますぅ!?』
崖に彼らの巨躯を支えられるだけの足場はない。鋭い爪を突き刺して、まるで地面を駆けるように真っすぐ登っていた。
(トレイアの城壁くらいなら、簡単に上ってしまいそうだな)
正蔵は冷静に分析する。
壁には魔物が嫌う『魔避薬』を各所に施している。だから野生の魔物は寄り付かないのだが、訓練された魔物たちに効果があるかは未知数だ。
エマリアが取り乱す中、香菜と陽菜は飛んできた青竜プルの背中に乗って飛び立った。エマリアはカメラマンのシルビアに抱きつき、こちらも空へ逃れる。
またも重厚な音楽が鳴り、画面は暗転して『終』の文字がでかでかと表示された。ここで、今回の報告は終わったらしい。
正蔵はテレビを消し、ソファーの背もたれに体を預けた。
(バーデミア帝国か。厄介な相手だな、これは)
この世界では、他国よりも魔物の脅威が勝る。軍隊を所有していても、魔物討伐や治安維持が主な役割だ。
帝国はまず魔物を手懐けて、自国内の脅威を大幅に減らしたらしい。だから他国への侵攻を積極的に進められているのだ。
そして今帝国は、魔物を使役し、戦力にする段階に入っている。
おそらく誰もが考えつくものの、誰も成しえなかったことだろう。
鬼瓦家にも魔物が人に懐いている。ブルードラゴンのプルだ。
他にも魔物を養殖する老人の存在も、この国はあった。
だが、こういったケースは稀だろう。
すべての魔物を子どものころから飼い慣らして戦力とするのは物理的に不可能だ。
(となれば先の水竜の一件のように、妖しげな術で精神を支配しているのだろう)
それもまた大勢の術師が必要となり困難を極めるが、帝国は現実に成し得つつある。
成功すれば、彼らの領土拡大戦略に拍車がかかり、口実抜きでいきなり王国を襲ってくる可能性が高い。
だが逆に捉えれば、魔物の軍事利用をとん挫させることで、帝国は今後の方針を見直す必要に迫られるだろう。
(引き続きエマリアさんには調査を進めてもらうとして、対策案はいくつか考えておくか)
正蔵はウィスキーをぐいっと飲み干した。喉がカッと熱くなる感覚にひたりつつ、考えを巡らせるのだった――。
ユーリアーナ一行が王国の視察を開始して三日目。
今日は朝早くからトレイアを出発し、南西の森を視察してきた。
他にも洞窟などを見て回り、そこで依頼を遂行中の冒険者と話をした。
トレイアの宿に戻ってきたのは夜遅くになってから。
ユーリアーナはベッドに腰かけ、首元を緩めた。ふうっとひと息つく。
(また、今日も夜が来てしまった……)
ずずーんと気が滅入る。
シャルロはのん気に風呂で汗を流しているところだ。
昨日のようにパンツ一丁で現れたら今度こそ殴る。グーで。
向こうはこちらを『男』と認識していたとしても、最低限のマナーというものがある。
(あの男、日を追うごとに馴れ馴れしくなっていないだろうか? いや、最初から無礼ではあったが……)
彼の態度が軟化した原因が、自分にあるとの自覚もある。
横柄で生意気ではあっても、仕事ぶりは実に勤勉だったから、彼女もつい褒めたりしたのだ。
事前に視察先を細かく調べ、現地では詳しい解説をしてくれていた。馬車など必要なものを漏れなく手配し、ユーリアーナはともかくハンナが不自由しないよう心配りも欠かさない。
(報酬に見合うだけの働きではある……あるのだが……)
初対面が最悪だっただけに、シャルロへの評価が上がってしまっているのだ。彼が本当はこの国の王子で、誰かにかしずく立場でないのも印象を良くする要因になっている。
口も態度も横柄であるが、実は真面目で優しい青年なのではないか。
「ええいっ、やめだやめだっ」
ユーリアーナは頭を振って余計な考えを追いやる。
なぜ自分が、シャルロのことで気を揉まなければならないのか。
頭を切り替え、今日視察した場所を思い出す。中でも驚きだったのは、南西の森にあった、クロリガの養殖場だ。
熱帯地方の魔物を、この地で繁殖させている。
技術的な難しさもさることながら、彼女が一番驚いたのは、その理念だ。
(あの男とは、まるで逆だな)
飼い慣らすのではないにしても、魔物を平和利用するその姿勢に感銘を受けた。
一方、帝国は魔物を精神支配し、軍事的に利用しようとしている。
しかも臣民に危険が及ぶ可能性をまったく無視して、である。魔物たちがひとたび暴走すれば、街のひとつ二つが滅ぼされる規模で行っているのだ。
(そうまでして、何を求めているのですか、父上は……)
何度問うても、返事はなかった。
自分の声は届かない。誰の声も届かない。
だから父の凶行を止めるには、力をもってする以外にない。それは皮肉にも、父皇帝が推し進める方針と同じだった。
うな垂れ、こぶしを痛いほど握りしめていると。
「はあ~、さっぱりした」
のん気な声の主を、ユーリアーナはぎろりと睨む。
パジャマ姿のシャルロだった。備えつけの浴室から出てきたところだった。
「なんでベッドに座ってるんだよ。今日は僕がそこを使う番だぞ」
シャルロは彼女を押し退けるようにベッドに飛びこんだ。みしりと簡素なベッドが悲鳴を上げる。
「お前も風呂に入って早く寝ろよ。明日も早いからな」
「私は朝入ると言っただろう?」
「夜明け前からごそごそされるのは困るって言ってるんだよ」
「なっ!? まさか貴様、目覚めていたのかっ!」
「僕、眠りが浅いんだよね」
「みみみみみ見たのかっ!」
「何を?」
「わ、わわわた、私の、は、裸、を……なんて破廉恥なっ!?」
「お前、なに言ってんの? 僕は男の裸を見て興奮する趣味はないぞ」
ユーリアーナはハッとして、冷静さを取り戻す。
「と、とにかく、見てないんだな?」
「朝は目を開けるのも億劫なんだ。時間ギリギリまで寝かせてくれよ」
「善処する。絶対に音を立てないと約束しよう」
「いや、だから朝入るのは――」
「いいから貴様はもう寝ろっ!」
あまりの剣幕に、シャルロはそれ以上何も言えず、ベッドに突っ伏した。
ユーリアーナは深く長く息を吐きだして――。
ドガンッ!
遠く、衝突音らしきが轟いた。直後に悲鳴も上がる。
「なんだ?」とシャルロが体を起こす。
「私が様子を見てくる」
ユーリアーナは腰に剣を帯び、ハンナのいる部屋に通じるドアを開けた。
「ぶべっ」
手前にドアを引くと、ハンナが転がってきた。
「わたくしはべつに盗み聞きをしていたわけではございませんでして……」
目が泳いでいる彼女を詰問している場合ではない。
「ハンナはその場にいろ」
つい命令口調になったのを反省しつつ、ユーリアーナは部屋の入り口まで歩を進めた。ゆっくりドアを開き、廊下に顔を出した。
そこへ――。
ビュオン。
何かがものすごいスピードで横切った。すんでで頭を引っこめたものの、ユーリアーナはその『何か』を視認し、戦慄した。
「グルルルルルゥ……」
黒い体毛と鋭い爪、歪な牙を持つ、犬のような魔物が廊下にいた。
「ヘル、ハウンド……」
ユーリアーナが呆然と立ち尽くしたところを、黒く巨大な影が彼女に襲いかかった――。
一方そのころ、鬼瓦家では。
「あ・な・たっ♪」
シルビアが両面『YES』と書かれた枕を持って正蔵に迫っていた――のだが。
「ふむ。こんな時間に来客らしい」
正蔵は立ち上がり、神経を研ぎ澄ませた。家の周囲に、複数の気配を察知する。
「迷惑な方たちですね」とシルビアはしゅんとする。
正蔵は彼女の頭を優しく撫でると、
「相手をしてくる。君はここにいてくれ」
パジャマ姿のまま、のっしのっしと玄関へ向かうのだった――。