ラブストーリーは始まらない?
エルンハイネ冒険者ギルドの窓口に、颯爽と現れたふくよかな男。
「はっはっは、今日もいい天気だっ。朝日を浴びると活力が湧く。さあ、今日も一日はりっきって依頼をこなそうじゃないかっ」
そんな独り言を交えて威風堂々と闊歩するこの男こそ――
「あ、ドブのおっさんだ」
「ドブさらいマスター」
「ドブさんチース」
「僕はおっさんではないっ」
周囲の冒険者(彼よりも年上)にからかわれ、彼――シャルロはくわっと威嚇した。
「ドブはスルーかよ」
「さすが達人」
「ドブさんパネエ」
小バカにしているように見えて、実のところ彼らは親しみをこめている。
誰もやりたがらない底辺の仕事を率先してこなすシャルロに、冒険者たちも街の住人も、心の中では敬意を払っていた。ただ、
「ふん、ドブさらいだろうが仕事は仕事。依頼に貴賤はない。悔しかったら僕のように『マスター』と呼ばれるほど精進するんだな」
彼の不遜な態度が、彼らに素直な称賛をためらわせているのだ。
「さて、嫉妬深い連中は放っておいて、僕は今日も磨き上げた技術を駆使し、颯爽と依頼をこなして見せるかな。さあ、ドブさらいの依頼を持ってきてくれっ」
芝居じみたポーズで手を差し出すシャルロに、受付担当のモコはさらりと返した。
「ないよ」
「なんだとぉ!?」
「ドブさらいは全部はけちゃったねー」
「なぜだっ!?」
「おっちゃんの働きっぷりを見て、『俺らでも楽に稼げる』って思っちゃったんじゃないかにゃー? ドブさらいって人気がない分、報奨金は高めに設定されてるから」
「ぐ、ぬぬぬ……。後発の素人どもが勝手なことをっ。トレイアすべての側溝をさらい尽くすという僕の野望が……」
「一人でやるつもりだったん? そりゃ無茶な」
「ふん、ならいい。別の冒険者ギルドで探してくる」
踵を返そうとしたシャルロを、モコのつぶやきが引き止める。
「今はどこも扱ってないと思うよ? うちもそうだけど、他で重複依頼してた分も、担当が決まったからって取り下げの申請がきてるし」
シャルロは愕然とする。
モコは追い打ちをかけるようにとびきりの笑顔で言った。
「別の依頼やってみる? 嫌なら他のお客さんに迷惑だから、とっととお引き取りくださいにゃー」
「お、おのれ……。はっ、いや待てよ? いつまでも底辺の依頼を受けてはダメだ。僕はあいつが自慢できる兄にならなくちゃいけないんだから。というわけで、成長した今の僕にふさわしい依頼にチャレンジすべきだな」
「さっき『依頼に貴賤はない』とか言ってなかった? ま、お友だちのいないおっちゃんが一人で受けるんなら、えーっと……」
モコがぺらぺらと依頼票のリストを眺める。
「おいっ、まだか。早くしてくれっ」
と、イライラするシャルロの背後から男性が声をかけてきた。
「よう、ドブさらいの兄ちゃん、ずいぶんと荒れてるじゃねえか」
体格のいい青年だ。シャルロには見覚えがあった。冒険者になった初日に、一緒にパーティーを組もうと声をかけた、3人組のリーダらしき男だった。
「何か用か?」
「相変わらず態度がでかいな……。まあ、いいや。兄ちゃん、まだ今日の依頼を決めてないんなら、俺らと一緒にやらないか?」
「あんたたちと?」
青年の後ろには、神官風の男性がにこやかな笑みを浮かべ、もう一人の女性も小さく手を振っている。
「ああ、王都への荷運びの仕事だ。ちょっと量が多くてね。うちの面子で力仕事が得意なのは俺一人なんだよ。兄ちゃん、ドブさらいで鍛えてんだろ?」
「ふ、まあな。この脂肪の下には、鋼のような筋肉が隠れているっ」
「いや脂肪は落とせよ」
軽くツッコんだ青年は、「どうだ?」と爽やかな笑みを向けてくる。
「う、うーん……。やりたくない、というわけでは、ないのだが……」
むしろ誘ってもらったのが嬉しくて、すぐさまオーケーしたかった。
が、場所が悪い。
まだ父王から帰宅の許可が出ていない中で、王都にのこのこ姿を現せば、きつく叱られないだろうか?
(でも帰るなと言われたのは王宮にだし、そもそも仕事で行くのだから文句は言われない、よな……?)
最悪の場合は正蔵に泣きつこう。
シャルロはそんな打算ができるほどにはたくましくなっていた。
「わかった。一緒にやろう」
「んじゃ、報酬は三等分してひとつが兄ちゃんだ。こっちは三人で二つ、でどうだ?」
「ああ、構わない」
「決まりだな。よろしく頼むぜ、兄ちゃん。って、シャルロだっけか。俺はリーダーやってるロッシってもんだ」
「ああ、シャルロ・アーシュだ。よろしく」
がっちり握手を交わした瞬間、シャルロは初めてパーティーを組むことに高揚し、鼻息が荒くなるのだった――。
三頭立ての荷馬車いっぱいの荷物はかなりの量があった。
道中は特に危険もなく、あっさりと王都へと到着する。
目的の商店で荷を降ろすと、さすがに全身がぴきぴきと痛んだ。ドブさらいとはまた違う筋肉を使ったようだ。
「そんじゃ、帰って報奨金をもらうとするか」とロッシが言うと、
「待て。荷馬車が空のまま帰ってどうする。無駄だろう?」とシャルロが引き止めた。
「つっても、帰りに運ぶもんなんてねえぞ?」
「見つければいい。王都にも冒険者ギルドはあるんだからな。たしか、エルンハイネの支店があったはずだ。そこで報奨金を受け取り、トレイアへ荷を運ぶ依頼があるか探そう」
おおっ、と三人組が感嘆の声を上げる。
「お前、わりと頭いいな。ドブさらいしかやってなかったくせに」
「後半は余計だ。だいたい、冒険者の制度をきちんと理解していたら、ふつうに思いつくだろうに」
もっとも彼自身、正蔵から『己が取り巻く環境をまず頭にたたきこめ』と言われ、制度もろもろの勉強をした経緯がある。
そんなわけで、シャルロはロッシと連れ立って、王都の中心街へと向かった。他の二人は馬番だ。
道すがら、ロッシはシャルロにやたら話しかけてきた。
「やっぱり16歳には見えねえよなあ。貫禄があるっていうか、ふてぶてしいっていうか」
「うるさいな。事実なんだから仕方ないだろ。これでも肌艶はよくなってきたんだ。そういうあんたはいくつなんだよ?」
「俺は24だ」
ふうん、とシャルロは気のない返事をした。
冒険者になるのに年齢は関係ない。ただ最初から冒険者に憧れ、目指していれば、たいてい10代から始めるものだ。
ロッシはまだ駆け出しの『鉄』クラス。そして20代。と、いうことは――。
「俺、前は料理人をやってたんだよ」
シャルロが押し黙ったのに気づいたロッシは、努めて明るく言う。
「でもまあ、いろいろあってよ。冒険者を始めたんだ」
「いろいろ、ね……。なら、冒険者には嫌々なったのか」
「そうでもないぜ? いちおう憧れはあったからな。ま、他になかったってのもあるけど、腕っぷしには昔から自信があったからな。向いてるとは思ったよ。でもなかなか難しいぜ」
ふうん、とまた気のない相づちを打ったシャルロを、ロッシはにやにやと見て言った。
「お前も、いろいろあるんだろ? 家名持ちが冒険者になって、ドブさらいに汗水流すなんてな。お前、実はどこぞの貴族のご子息様なんじゃねえか? で、あまりに横柄だから勘当されて――」
ぎくりとシャルロは目をそらす。貴族どころか王族だ、なんて言えるはずがない。
「あっはっは、悪い悪い。詮索はよくねえよな。でも、まあ、その……、なんだ……」
ロッシは言葉を濁しつつ、
「なあシャルロ、お前、俺たちと一緒にやらねえか?」
それはつまり、今回限りではなく、ずっとパーティーを組もうという誘いだった。
嬉しかった。
挫折し、引きこもって、一時はすべてを諦めた自分を、彼らは認めてくれた。必要としてくれている。
でも――。
「すこし、考えさせてくれ」
あと2週間もすれば、自分は王宮に帰れるだろう。誰にも正体を明かさず、行き先も告げず、消えてしまうのだ。
「……そっか。まあゆっくりでいいさ。つーか、あんま深刻に考えんなよ? 試しに入って、嫌ならすぐ出て行きゃいいんだし」
「深刻になんてなってない。僕はまだドブさらいを極めていないからな。そっちが優先なんだよ」
「はっ、こだわるねえ」
冗談めかして返すと、ロッシも乗ってくれた。
そうこうするうち、二人はエルンハイネ冒険者ギルド王都支店へとたどり着く。
ロッシが受付で話をする間、シャルロは身の振り方を考えていた。
自分は、これからどうすべきなのか?
王宮に帰ったところで、自分の居場所はない。というか、冒険者になって痛感したのは、やはり自分なんかより妹のリーンフィルが王位につくべきだということ。
(僕のことだ。王宮に戻って何もすることがなければ、また自堕落な生活にしがみつくだろう。僕の本質は、怠け者だからなっ)
言ってて悲しくなるが、事実なので仕方がない。
(いっそのこと、身分を偽ったまま冒険者として生きていこうか……)
だとすれば、この国にはいられない。何か困難に直面したら、すぐ父王や妹に縋りついてしまうだろうから。
(いやしかし、縋りつけない状況に僕が耐えられるだろうか? うーん……。どうする? どうすべきか……。そもそも今、決めなきゃいけないのか……?)
思考と同じくぐるぐる受付ロビーを歩き回っていたら。
ドンッ。
「おっと」
「きゃっ」
誰かとぶつかった。
見れば、ややぽっちゃりした女性がしりもちをついていた。
小柄で、童顔。
(もうすこし大人っぽい雰囲気がほしいところだが、これはなかなか……)
シャルロは鼻の下を伸ばして観察した。
彼は、包容力のある女性が好みだった。より具体的に言えば、肉体的にふくよかな女性が。
「失礼、考え事をしていたもので」
「いえ、わたくしもぼーっとして――ひっ」
シャルロは紳士的に手を差し伸べる。が、慣れない笑みはものすごく嫌らしく映り、女性が怯えてしまった。
彼女が小さく悲鳴を上げた、その直後。
「貴様、何をしているっ! すぐにハンナ……お嬢様から離れろっ」
一喝にシャルロは手を引っこめる。
しゅぴんと間に飛びこんできたのは、執事服を着た人物だ。黒髪を後ろで縛ったその容貌は、なかなかのイケメンさん。
「ユーリ……」
ハンナと呼ばれた女性は、うっとりと執事服の背を見上げていた。
「混雑した場所で周りも見ずにうろうろするとは非常識だろうっ」
「な、なんだよ。周りを見てなかったのはお互いさまだろ。ふん、偉そうに。女みたいな顔しやがって」
「貴様、私を愚弄するか……っ」
執事服――ユーリはシャルロを睨み、腰に差した細身の剣に手をかける。
「お前っ!? ふ、ふん。丸腰の僕に剣を抜くのか? 大層なことを言っておきながら、やってることは野盗と一緒だな」
「おのれっ、重ね重ねの暴言、もはや我慢ならない。いいだろう。素手でやってやる。その顔の形が変わるまでなっ」
ぽきぽきと指を鳴らす様に、シャルロは戦慄する。
と、そこへ。
「おい、なんの騒ぎだよ」と慌てて駆け寄ってきたのはロッシだった。
「お、おう。依頼はどうだった?」
「トレイアへの荷運びの依頼はなかったな。今、それっぽいのがないか探してもらってる。って、それどころじゃねえだろ。お前、何やったんだ?」
「ぼ、僕は悪くないっ」
「まだ世迷言を吐くかっ。男らしく非を認めたらどうだっ」
イケメンに言われたくないセリフを突きつけられ、シャルロは奥歯を噛む。
(くそ、女の前だからって格好つけやがって。これだからイケメンは嫌いなんだ。男も女も、美形には碌な奴がいないっ。ただし妹は除く)
(なんて自分勝手な男だっ。こんなのが冒険者をしているとは、この国も高が知れるな)
バチバチと視線で火花を散らす二人。
冒険者ギルドの受付ロビーに緊張が走る中、ついにあの男がやってきた。
「おや? 君が王都にいるとは、奇妙な偶然があるものだな」
正蔵はシャルロの肩に手を置く。
「何かの依頼で来たのかね?」
「あ、ああ。実は――」
シャルロが簡単に事情を説明すると、
「ふむ。それで帰りがけに依頼がないか探しにきた、というわけか。ならばちょうどいい」
えっ?とその場の全員が疑問に思う中、正蔵は気にせず悠然と、呆けているユーリとハンナに近づき、言った。
「彼がさきほど話した、シャルロ君です」
「なっ!?」
「げぇ!」
驚きわななく二人。
「シャルロ君、こちらは外国からのお客様で、ハンナ嬢とそのお付きのユーリさんだ」
ぽかんとするシャルロ。
三人の様子を気にも留めず、正蔵はしれっと言い放った。
「シャルロ君、このお二方をトレイアへ送ってはくれないだろうか。そのあと君には、案内役を務めてもらいたい。もちろん、彼女らからの正式な依頼を受けるかたちでね」
「は? 案内って……?」
シャルロは意味がわからず、二人を見た。
ハンナは天井を仰いで「おいたわしや……」と意味不明なことをつぶやき、ユーリはわなわなと震えている。
そんなユーリ――その実ユーリアーナ姫の心情はといえば。
(これが……こんな粗野で自分勝手な男が、我が夫になるかもしれないというのかっ、神よっ)
ちょうど、神を呪っているところだった――。