帝国からの使者
バーデミア帝国の北東にある田舎領地。そこは皇位継承権第11位の王女、18歳になったばかりのユーリアーナ・フォン・バーデミアルが治めていた。
継承権はあっても順位は高くない。しかも一般人の妾の娘。事情があって実父である皇帝にも疎まれ、辺境に幽閉されているに近かった。
正蔵たちが住む王国ではまだ秋口だが、北の大地は冬が迫っている。今日もずいぶん冷えこんだため、彼女は私室に暖炉を灯し、資料を読みふけっていた。
艶のある黒髪は肩口まで。常にパンツスタイルの彼女は、初見で美丈夫と見紛う者も少なくない。
パチパチと薪が燃える中、ユーリアーナは豪奢な額に入った肖像画を手にして眺めていた。
描かれているのは、ふくよかな若い男。
アルスバイト王国の第一王子らしい。
恰幅のよさに加えて不機嫌な顔。縁談話で送られてくるものとはとても思えなかった。
ふっと、小さく息をついたとき、控えめに扉がたたかれた。
「ユーリアーナ姫、お召しにより伺いました。ハンナでございます」
「ああ、入ってくれ」
数秒の間を空け、失礼しますと音もなく部屋に入ってきたのは、ちょっとぽっちゃりした若いメイドだった。
皇帝の監視が多く邸内にいる中で、ユーリアーナがもっとも信頼できる古い馴染みの一人。歳はユーリアーナより2つ上だが、背が低く童顔の彼女は幼い印象を与える。
「こんな夜更けに、どのようなご用事でしょうか?」
「父から縁談をもちかけられたよ」
「陛下からっ!? 縁談っ!?」
ハンナ、ものすごい驚きようである。しかもこの世の終わりのような顔になった。
「相手は海向こうのアルスバイト王国の王子だ」
肖像画を差し出すと、ハンナは失礼しますと震える手で受け取った。見る。愕然とした。
「なんですかこのデ……ふくよかに過ぎる男性はっ! ぽっちゃりのわたくしが言うのもなんですが、こんな豊満ボディは、姫様に到底釣り合いませんっ」
「いや、見た目だけで判断するのは――」
「いいえ、姫様。わたくしが言うのもなんですが、体型がだらしない人は、だらしない性格をしているのですよ。しかもこの憎々しい顔といったら……性格の悪さがにじみ出ているではありませんかっ」
肖像画からそこまでわかるものだろうか?と疑問に思いつつ、ユーリアーナはこほんと咳払いして仕切り直す。
「とにかく、私はこの縁談を進めようと思う」
「こんなデブとっ!? いえブタとっ!?」
言っちゃったよ。しかも言い直したのも口汚い。
「私は『進める』と言っただけだ。まあ、場合によっては、まとまってもよいと考えているがね」
「そんな……姫様が嫁いでいかれるなんて……。わたくし、全力で阻止させていただきますっ」
ヤバい本気の目だ、とユーリアーナは説得を試みる。
「まあ聞け。現状、私はとても微妙な立場にいる」
帝国は一枚岩ではない。
皇帝が圧倒的な権力を持っているが、暴政に不満を持つ者は多い。占領された国々だけでなく、帝国古参の将や、皇帝の親類縁者までにも。
そして現皇帝に反発する勢力の一部は、ユーリアーナを担ぎ上げようと画策していた。
「私は、父の暴走を止めたい。あの男の好きなようにやらせては、ならないのだっ」
そのためには、力がいる。
特に、外国の力が。
「アルスバイト王国は大国だ。周辺国とも良好な関係にあり、今までのように見境なく襲えば、多くの国を同時に相手しなくてはならなくなる。だからこそ、あの男も慎重になっているのだろう」
その国に協力が取りつけられれば、国内の反皇帝気運が高まる契機にもなる。
「でも姫様、それほど危険視している国に、同じく国内で影響力のある姫様を嫁がせるものでしょうか?」
「理由はわからない。少なくとも私を国外へ追放すれば、抵抗勢力は担ぎ上げるべきものを失くして弱体化する。もしかしたらその上で――」
ユーリアーナは暖炉の炎を睨みつけて言った。
「嫁いだ先で私を暗殺し、責任を王国になすりつけて攻め込む理由にするのかもな」
「そんな……。でしたら、やっぱりお止めになったほうがよろしいです」
「危険は承知の上だ。それでも賭けるだけの価値が、この話にはある」
ただし、とユーリアーナは続けた。
「まだ情報が足りない。アルスバイトの国情を、私はよく知らないのだ。だから――」
真摯にハンナの瞳を見つめると、ハンナがぽっと頬を染めた。
「君に、頼みがある」
「お任せくださいっ!」
「話は最後まで聞いてくれっ」
大丈夫だろうかと不安に思いつつ、その内容を告げると。
「えっ、本当にやるんですか? というか、皇帝陛下がお許しになるか……」
「そのくらいの無茶は通すさ」
暖炉の炎を映す彼女の瞳は、決意に燃えているかのようだった――。
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正蔵は急遽、王宮に召された。
王の私室――元は書庫である部屋に通される。
「帝国が縁談を進めたいと言ってきた」
開口一番、アルスバイト王はそう告げた。
「ふむ。和平への道が開けたわけですな」と正蔵は歓迎する。
結婚とは当人同士が決めるものだが、王子シャルロは最近やる気に満ち溢れているし、所帯を持てば一層いい男になるだろう。
相手が彼を気に入り、彼もまた相手を気に入れば、正蔵は全力で応援するつもりだった。
が、王は肩をすくめた。
「どうだかな。連中め、次は何を企んでいるのやら」
「まあ、それはそれとして、王子のお相手はどなたなのですかな?」
「誰だと思う?」
王は意地の悪い笑みで尋ねた。しかし次の瞬間、凍りつく。
「まさか、皇位継承権第11位、ユーリアーナ・フォン・バーデミアル姫では?」
「そなた、なぜ知っている……?」
王がテーブルに目をやった。
そこには肖像画が置かれている。
黒髪の美しい女性だった。きらびやかなドレスを着て、薄く笑みをたたえている。
動画で見た印象とはずいぶん違うな、と正蔵は感じた。
「勝手ながら、独自に帝国を調査していました。ちょうど暇を持て余している者が知り合いにいましてね。移動魔法が使えるので、ちょくちょく帝国へ内偵をお願いしておりました」
その人物とは、第7級女神のエマリアである。
もともと子どもたちの勉強をみてもらっていたが、優菜がギルドで働きだし、香菜だけなら自分で十分とシルビアが言ったので、まったくやることがなくなってしまったのだ。
だからカメラ片手にいろいろ調査してもらっていた。
「私が想定した中では、政治的な思惑がもっとも濃い人選でありますな」
「と、いうと?」
「彼女は反皇帝派の象徴的人物です。真っ当な理由で国外へ追放できれば、反皇帝派は支えを失い、弱体化するでしょう」
それだけですめばよいのだが、と一抹の不安がよぎる。
「まんまと利用されたというわけか。ん? だが妙だな」
「何か気になることでも?」
「ああ。実は連中、縁談を進めるには条件があると抜かしてきたのだ」
正蔵も首をひねった。
体よく反抗勢力の象徴を追い出せるなら、変に条件を付けてこじらせたりはしないものだが……。
「なんでも、『嫁ぎ先の国情を確かめたい』と言ってな。姫の侍女を使者に寄越して、しばらく滞在させてくれと」
「王子本人ではなく、国情を、ですか?」
そんなもの、スパイでもなんでもこっそり送れば済む話だ。むしろ宣言しては意味がない。見て回れる範囲に制限がかけられるに決まっているのだから。
さすがの正蔵も、皇帝の思惑が測れない。
だが――。
『使者はそなたに預ける』と王に言われ、正蔵は離宮へと案内された。
面倒事を押しつけられたとの感覚はない。
重大な責務だと気を引き締めて、指定された部屋に入ったところ。
(なるほど。国情視察とは皇帝ではなく、姫の意図だったか)
そこで待っていた人物を見て、合点がいった。
応接室で正蔵を迎えた人物。
「よ、よろしくお願いします。ユーリアーナ姫の側仕えをしております、ハンナと言います」
すこしぽっちゃりぎみの女性に驚いたのではない。
その横に立つ、執事服を来た人物。
「私は彼女の護衛でユーリと申します」
肩口までの黒髪を後ろでひとつに縛っている。男物の服を着ているが、彼女はまさしく――。
(ユーリアーナ姫で、間違いないっ)
動画を撮影する技術がないこの世界。
自らの目で他国を確認したいと考えたのはすなわち――。
(王国が頼れる味方でありうるか、品定めに来たのだな)
正蔵は、かっと体が熱くなった。
敵と味方、そして敵の反抗勢力まで加わっての、陰謀渦巻くこの縁談話。
かかわる者すべてに思い知らせるのだっ。
――結婚とは、愛し合う者たちのためにあるのだとっ。




