王様の家庭事情
エルンハイネ冒険者ギルドは、今日も朝から賑わっていた。
しかし、いつもと違ってどこか重苦しい雰囲気が漂っている。
その原因は、誰の目にも明らか。
受付カウンターの一番端。そこに身を隠す巨漢の存在によるものだ。
正蔵はカウンターの外側から顔の半分までをぬっと出し、内側の事務スペースを窺っている。
誰もが理由を知りながら、誰も正蔵に話しかけられない。人を寄せ付けない空気を正蔵はまとっていた。
正蔵の視線の先には、一人の少女。
蛇人族のラーライネと話をしている、長女の優菜だった。
彼女は今、ラーライネに冒険者や依頼のことを説明してもらっている。
が、どうにも落ち着かない。
一種異様な雰囲気の原因。
それはこの場の誰もが知っている。
当然、優菜もだ。
(中に入って話しかけてくれればいいのに……)
このところ正蔵は王都に通い詰めているため、ギルドになかなか顔を出せていなかった。
今日も午前中から予定が入っているはずだが、わずかな時間でも娘の様子を見たかったのだろう。
優菜はこちらから声をかけようかと思うも、ラーライネが話に熱中しているため、席を立つのは憚られた。
どうにかしてーっ、との心の叫びが聞こえたのか。ようやく正蔵に話しかける猛者が現れた。
「ショウゾウ……貴方、何してるのよ?」
ギルドマスター、エリザベートである。
正蔵はカウンターから頭を半分出した状態で応じる。
「社長か。ちょっとギルドの様子を見に、な」
「娘の、でしょ。そんなとこにいないで、中に入ればいいじゃないの」
「仕事の邪魔をするつもりはない。もうすぐ出かけなくてはならないしな」
「いや、思いっきり邪魔なんだけど……」
正蔵はようやく自身に注がれている視線に気づく。
振り返ると、冒険者たちはさっと顔を背けた。
「優菜はどうかな? もう慣れただろうか?」正蔵は居心地悪く尋ねる。
「よくやってるわ。物覚えがいいし、というか、よすぎるくらいよ。なんでも一度聞けば覚えちゃうわね、あの子。まあ、経験がないから応用はまだきかないけど、時間の問題だと思うわ」
優菜は異世界へ来てから、女神の血が覚醒したのか、抜群の頭脳を獲得した。
だから業務上での不安はあまりなかったのだが、正蔵はほっと胸を撫で下ろす。
「周囲には溶けこめているかな? その……いじめられたりはしていないだろうかっ」
「ないわよ。『妬む労力は仕事に回して稼いでハッピー』って貴方の教えが浸透してるからね。ま、最初はショウゾウの娘ってことで戸惑ってた部分もあるけど、あの子、けっこう社交的だから問題ないわ」
「そうか。そうか……」
正蔵はふうぅっと大きく息を吐きだして安堵する。
「てなわけで、今日あたりから窓口を経験させようと思うんだけど」
「う、ううむ……。まだ早くないだろうか?」
「モコに付いてもらうから大丈夫よ。てか、もっと娘を信頼してあげなさいよ。さっきも言ったけど、あの子かなり優秀よ?」
信頼はしている。けれど心配が尽きないのが親という生き物なのだっ。
「それより貴方、今日はどんな予定なの?」
正蔵はこのところ、貴族院の議員たちに挨拶回りをしている。
彼が国の中枢に入るのは例外だらけ。なるべく敵を作らないためにも、コミュニケーションはしっかり取りたいとの希望から、ゴルダス侯爵に協力してもらっていた。
「今日は社長の父君に会って、それから――」
正蔵がこれから会う貴族たちの名を告げると、エリザベートはげんなりした顔になった。
「その面子に連続して会うなんて、私は耐えられないわね」
いずれも名だたる貴族院の重鎮たちだ。
地位が高いのみならず、長く政治の中枢に居座る彼らの老獪さは折り紙付き。世間話をするにも、いちいち発言の裏を読んだり、表情を窺ったり、気が休まる暇がない。
だが正蔵も日本で暮らしていたときには、政財界の重鎮と付き合いがある。異世界人の価値観に違いはあるが、苦にはなっていなかった。
「夜には国王にも拝謁する」
「はあ!? 謁見の予定まで入れてるの?」
「謁見というか、私室で個人的に会いたいらしい」
エリザベートが頬をひきつらせた。
現国王は物好きで有名だ。ゴルダス侯爵の口添えもあったろう。けれど一介のギルド職員が、いきなり王と個人的に面会するなど、とても信じられなかった。
「気をつけなさいよ? 何か裏があるんじゃないかしら?」
「ま、会って話をするまではわからんさ」
言って、正蔵は立ち上がる。
「ではな」
混雑する受付ロビーをするすると移動し、あっという間に姿を消すのだった。
~~
貴族たちへの挨拶回りを終え、正蔵は王宮へと入った。
正蔵の気力は充分。
老獪な貴族院の重鎮たちを相手にしても、正蔵は一歩も引かないどころか逆に相手を萎縮させるほどだった。
二つ前の会合は晩餐会を兼ねていたのでお腹もいい具合に膨れている。
正蔵は緩みそうになった表情を引き締める。
今日最後に会うのは、この国のトップ。国王だ。
しかも公式な謁見ではなく、非公式に私室での密会が行われる。
事前に話の内容は聞かされていなかった。
エリザベートが危惧するように、何かしら裏がある可能性が高い。
王宮の奥まった場所。
広い部屋だが、書棚が天井まで埋め尽くされているので圧迫感がある。
元々は書庫であるが、応接セットを持ってきて、王が一人静かにくつろぐための部屋らしい。
ゴルダス侯爵とともに正蔵が部屋に立ち入ると、すでに相手が待っていた。
ソファーに腰かけ、分厚い本を読みふけっている。
「来たか」
言って、男は本を閉じ、立ち上がった。
鋭い目を正蔵へと向けるその人物こそ、国王アラン・アルスバイトである。
やや白髪混じりの金色の髪。18歳で即位して以降、20年も国を治めてきた苦労によるものか、彫の深い顔にはしわが多く、40手前の年齢よりも年老いて見えた。
その手腕は歴代の王でも最優と謳われ、『賢王』との誉れも高い名君である。
ゴルダスが恭しく頭を下げる。
「お待たせして申し訳ございません」
「よい。ここで待つのは苦にならぬ。そなたらも時間より早く到着しているからな」
再び目を向けられ、正蔵も頭を下げる。
「このたびは私ごときに拝謁の栄誉をいただき、恐悦至極に存じます」
「そう硬くなるな。非公式の場だ。今日はそなたらに忌憚ない意見を聞きたくてな。人払いしているがゆえ、茶の一杯も出してはやれぬが、まあ座れ」
アルスバイト王は対面のソファーを促し、自らはドカッと腰を下ろした。
正蔵はゴルダスに続き、腰を落ち着ける。
「まずは労をねぎらおう。新参には根回しが必要だとはいえ、面倒くさい老人たちに頭を下げて回るのは堪えたろうな」
「いえ、特に苦労はありませんでした」
「む? そうか? お決まりの文句ではなさそうだ。余も手を焼く連中を相手にそう言いきれるとは恐れ入る」
からからと少年のように屈託なく笑う王に、正蔵はわずかに緊張をほぐした。
しかし、王がすぐさま表情を険しくする。
「さっそくだが本題だ。バーデミア帝国と、事を構えるやもしれぬ」
「陛下ッ!? まさか、いきなりそんな……」ゴルダスが立ち上がらんばかりに驚く。
「むろん確定ではない。が、下手をすれば一直線、といったところか」
「事情を把握しかねますな。水竜の一件から、何か変化があったのでしょうか?」正蔵は落ち着き払って尋ねた。
「ウォータードラゴンか……。あれは先手先手を打てたこともあり、こじれてはいない。補償はこちらが拍子抜けするほどあっさりと、最低限の額で済んだしな」
「では、その後に何か、帝国から揺さぶりがあったと?」
王は「うむ」とうなずいてから、本を手に立ち上がった。背後の本棚に分厚い本を収めつつ、
「余に子がいるのは知っているな。王子が一人と、王女が一人……」
兄の王子は16歳。この国では成人扱いだ。伝え聞く限り、その評判はよろしくない。
父王の才能を一片も受け継がず、引きこもって公式の場にはいっさい姿を現さないらしい。
一方、妹の王女は8歳になったばかりでありながら、聡明で快活と伝えられている。
ややお転婆ではあるものの、次代は女王を推す声が一般レベルでは公然とあった。
「連中が持ってきたのは『縁談』だ。帝国の傍系にあたる田舎領主に、王女を娶らせたいと言ってきた」
「なんたる不遜っ! なんたる傲慢っ!」ゴルダスが怒りのあまり立ち上がる。
「……とまあ、まだ水面下での打診でな。血の気の多い者たちにはまだ明かしていない。『突っぱねるべし』と返ってくるのが目に見えているからな」
王は肩をすくめて振り返る。
「オニガワラ、そなたはどう思う?」
「判断が付きかねますな。情報が足りません」
「条件次第では乗ってもよい、と?」
「いいえ。前提として、私は当事者の意思が介在しない結婚には反対です。が、出会いのかたちはさまざま。たとえ政略結婚であっても、相思相愛の相手に巡り合える可能性があるなら否定はしません。ただ――」
今回は否定せざるを得ない。
「姫殿下はまだ8歳。せめて自身の感情を客観視できる年齢になるまでは、待つべきかと考えます」
「なるほど。そなたの思想は理解した。が、これは高度に政治的な問題だ。王家に生まれた者ならば、個人の感情を押し殺してでも果たさねばならぬ義務がある」
アルスバイト王はぴしゃりと言い放った。
現代日本で暮らしてきた正蔵とは決定的に異なる価値観。
それを曲げるのはそうとう難しいだろう。
通常であれば――。
「ほう? 『個人の感情を押し殺す』、ですか。それができないから、我らを呼びつけたのではありませんか?」
「ショウゾウ、無礼だぞっ」
声を荒げたゴルダスを制したのは、アルスバイト王だった。
「よい。事実だ。そなたを探っていたが、逆にこちらが探られていたとはな。さすが、ジルクが推す男なだけはある」
王は視線をローテーブルに落とし、眉のしわを深くした。
重々しく言葉を吐きだす。
「余は、姫が可愛くて仕方がない。手放すなど、考えただけで頭がどうにかなりそうだっ」
「へ、陛下っ!?」
(わかる……)
「だが帝国の要求を感情のまま拒否すれば、戦は免れないだろう。そこでっ」
「そこで?」
「こう言ってやったのだ」
姫はまだ幼く、輿入れ先に迷惑をかけかねない。(建前)
それより王子は成人したものの良縁に恵まれていないので、帝国の姫を誰か一人嫁に寄越してはくれまいか、と。
「はっはっはっ! 愛する娘を奪われるかもしれない苦しみを、皇帝にも味わわせてやろうとなっ」
ものすごく感情的な反応だな、とは言わないでおいた。
どうやらこの王様、身内のことに関しては『賢王』の面影がまったくなくなるらしい。
「挑発と取られかねませんな、それは……」
「うむ。余も言ってから冷静に考えて『ヤバい』とは思ったのだ。が、意外なことに――」
帝国からは即座に承諾が返ってきたとのこと。
「だから困っている。そなたらの知恵を貸してくれ」
「? わかりかねますな。帝国から后を迎えれば、両国の関係は改善に向かうどころか盤石のものになりましょう」
「たしかに、な。だがそれは、この結婚が上手くいった場合の話だ」
「まさか……」
帝国は姫を嫁がせてから難癖をつけ、破局させたのち、王国に非があると内外に喧伝する腹積もりなのだろうか?
「帝国皇帝は『凶帝』と恐れられる男。身内も平気で道具に使う。その可能性は、なくはない。だが、連中の思惑がどうあれ、この結婚は絶対に上手くいかない。結局のところ、利は帝国にあり、王国は窮地に立たされているのが現状なのだ」
アルスバイト王は険しい面持ちで立ち上がった。
「ついてきてくれ」
言って歩き出すと、振り返りもせず部屋から出て行く。
正蔵はゴルダス侯爵の顔を窺うも、彼もまた苦悩を眉間に集め、無言で王の後に続いた――。
部屋を出て、王宮から離れた尖塔のひとつに入る。
警護の兵は誰もいない。
『白金』級の冒険者に匹敵するゴルダスがいるのだから必要ないが、どうにも腑に落ちないと正蔵は首をひねった。
薄暗い螺旋階段を上り、尖塔の最上階までやってきた。
くちゃ、くちゃ、ぺちゃり……。
重厚な木製扉の向こうから、奇妙な音が小さく響く。
いかにも不気味な雰囲気。
王もゴルダスも無言を貫き、空気が重い。
恐ろしくはないが、正蔵は息苦しくなった。
王が扉を無造作に開け放つ。
思いのほか広い部屋にはランプの明かりがいくつも灯され、まぶしさに目を細めた。
くちゃ、くちゃ、くっちゃくっちゃ。
奇妙な音の正体が知れ、正蔵はギョッとする。
天蓋付きのベッドのすぐそば。
パイやシチュー、揚げたポテトに干し肉山盛り。一人ではとても食べきれないほどの食べ物が床に広がっている。
その中心に、豚がいた。
まるまると太っていたので豚と見間違ったが、どうやらそれは人らしい。
身長はそれほどでもないが、横幅が常人の二倍はあろうかという巨漢が、黙々と食事をしているところだった。
「シャルロ。……おいっ、シャルロ!」
王が苛立たしげに叫ぶと、シャルロなる男はびくっとしてこちらに目を向ける。
「パ、パパ……?」
王を見て『パパ』と呼ぶこの男こそ――
「こやつが我が息子、シャルロ王子だ」
薄々『そうだろうな』と思っていたが、このふくよかすぎる男が16歳の少年には見えなかった。
たるみきった肌はガサガサ。金髪にも白髪が父王以上に目立ち、いっさいの艶がない。
成人しても公務に顔を出さないのは、こんな醜い姿を衆目にさらせない――つまりは『出せない』からだった。
「情けない。実に情けない話だ。我が子可愛さで甘やかせて育てた結果、この様なのだからな。結婚ともなれば、こやつを国民に披露せねばならぬ。だが、いや、そもそも――」
王はくわっと目を見開いて叫ぶ。
「誰がこんな男を人生の伴侶にしようかっ! 余は嫌だ。絶対にっ」
ゴルダス侯爵は憚りなく、うんうんと大きくうなずく。
「あちらの姫がこやつを見た瞬間、『バカにするな』と激怒しよう。そうなれば、両国の関係は悪化の一途をたどるのみ」
「ひ、ひどいなあ、パパ。まあ、僕は結婚なんてしないよ。王位は妹が継げばいいし、僕は死ぬまでここに引きこもってれば幸せなんだ。いっそのこと死んだことにしちゃえばいいよ」
シャルロはもしゃもしゃとフライドポテトを頬張り、にへらと笑う。
アルスバイト王は天井を仰ぐ。
「なんという無気力……。見てくれが悪くとも、誠実で前向きな性格であれば、まだ救いようがあるものを。というわけで、ジルク、そしてオニガワラよ。此度の結婚話を、どうにか穏便に消滅させたい。どうすればよいか?」
ゴルダスは腕を組んで首をひねる。
正蔵はじっと、シャルロを見据えていた。
シャルロは正蔵の視線に気づき、食べ物で頬を膨らませつつ、またもにへらと愛想笑い。
正蔵は目をそらさずに言う。
「結婚話は進めてよいでしょう。まとまるにしろ、破断するにしろ、こちらからアクションを起こすのは、ひとつだけでよろしい」
「なんだと? その『ひとつ』とは?」
「先にも述べましたが、結婚は当人同士が決めること。その前提に立ち、王子の容姿や性格を包み隠さず伝え、王子が好む女性像もまた、相手に伝えるのですよ」
「さらに条件を指定するというのか? それ自体を『傲慢』と捉えられかねぬぞ」
「あくまで両国の融和を目指し、互いに不幸とならないよう努力している姿勢を見せるのです。そこに文句をつければ、聞こえが悪くなるのは帝国のほうですよ」
「なるほど……。身内の恥をさらすのは苦しいが、致し方あるまい。王子の現状を知れば、帝国もこれ以上は言ってはくるまい」
さて、それはどうだろう?
アルスバイト王が先に言ったように、帝国皇帝が『身内を道具に使う』のを躊躇わない男ならば、新たな条件も利用する可能性は大いにあった。
「まあ、それはそれとして」
正蔵はゆっくりと歩を進める。
訝るシャルロに歩み寄り、
「無礼を承知で申しますと、この若者には光るものを感じました。私にしばらく預けてはいただけませんか?」
一同、目を丸くする。
最初に反応したのは当人――シャルロだ。
「な、なんなんだよ、あんた。いきなり……」
正蔵は不安そうな瞳を覗きこむ。
結婚話がどう転ぶかは、まだわからない。先行きが不透明であれば、打てる手は少なかった。
だから、現状もっとも効果がありそうな手を、先んじて打っておく必要がある。
それこそ――。
正蔵は柔らかな笑みを浮かべて言った。
「君、冒険者にならないか?」
当事者である王子を、多少なりとも『変える』こと。それが現状打てる最善の策だと正蔵は確信する。
しばらくの沈黙のあと。
「「「なにぃーっ!?」」」
男たちの絶叫がこだまする中、正蔵が笑みを崩すことはなかった――。