正蔵、悩む
水竜の一件から数日。
鬼瓦一家はゴルダス侯爵の家に招かれていた。
晩餐のあと、妻や子どもたちが客室で寝静まったころ。
正蔵はジルク・ゴルダスとソファーに腰かけ、酒を酌み交わしていた。
「ふぅ……」正蔵がため息をこぼした。
「ショウゾウ、どうしたのだ? 今日はやけに沈んでいるようだが。楽しくなかったか?」
「ああ、いや、すまない。もてなしは楽しかったよ。妻も娘たちも喜んでいた。ちょっと、悩み事があってな」
「ほう、珍しいな」
「お前のほうこそ、今日は深刻な顔をしているときがあったぞ。今もそうだ」
「ぬ、そう感じたのか。むむぅ……」
二人、そろってため息を吐きだす。先に口を開いたのはゴルダス侯爵だった。
「ホストの儂から、というのも変な話だが、実は貴様に折り入って相談がある」
正蔵は悩みをいったん頭の隅に押しやり、居住まいを正した。
ゴルダスは鋭い眼光で言う。
「貴様、王に仕える気はないか?」
「国王に……? いきなりだな」
「前々から考えていたことだ。水竜の一件で腹を決めた。貴様は、野に埋もれさせるには惜しい男。国のため、王に近しい地位でその才を存分に発揮してみないか?」
身を乗り出したゴルダスの目を見返して、正蔵は首を横に振った。
「私は今の仕事に誇りをもっている。辞めるつもりはない」
「貴様ならそう言うだろうと思ったが……まあ、聞いてくれ」
ゴルダスはソファーに深く腰掛けて語る。
「ここアルスバイト王国は昨今、危機的な状況にある。外敵の脅威、というものだ」
鬼瓦一家が転移した世界は、魔物が跋扈するところだ。
各国が『脅威』と呼ぶのは主に魔物であり、軍隊が出動する事態は魔物相手がほとんどだった。
魔物という共通の脅威があるがゆえ、国同士の争いは交渉で解決することが多く、戦争に発展するのは稀だった。
「だが近年、近隣諸国に次々と戦争をしかけ、領土を拡大している粗暴な国家が台頭してきた」
先にウォータードラゴンを使役し、王国内で商船を襲わせていた国――バーデミア帝国だ。
「何か因縁をつけてきたのかね?」
「いや。そうなってからでは遅い、と儂は思っている」
「水竜の件で、帝国の反応は?」
「今のところ何も。まだ状況を正しく把握していないのだろう。その件はこちらで先手を打っている。水竜を操っていた外交特使のネミーラソ・ギールは今、王都で療養中だ。怪しげなタバコを没収してから、ずいぶんと衰弱してしまってな。多少回復したら帝国にお戻りいただくと、使者を送ったところだ」
「水竜の被害に遭ったのは帝国の商船だ。そちらはどう対応するのかね?」
ギールの証言から、帝国の自作自演であるのは明らかだ。王国も商売ができなかった間接的な被害を受けている。
貴族院での話し合いでは、王国から補償の話はしないと主張する者もいれば、帝国に説明と謝罪、弁済を求めるべしとする強硬派もいた。
「だが、事を荒立てては帝国の思うつぼ。全額とはいかずとも、ある程度の補償金を支払う準備があると帝国には伝えることに決まった。国王陛下もご納得済みだ」
「ふむ。悔しくはあるが、相手の出方を見る意味では致し方ないな。王国から補償の話を持ちかけるのは、後々を考えれば妥当だろう。先に誠意を示したと、帝国以外の国によいアピールになる」
正蔵が腕を組んでうなずくと、ゴルダスは小さく笑みをこぼした。
「なんだ?」
「いや。やはり貴様は国の中枢に入るべきだと思ってな」
「よしてくれ。私は政治の素人だ。外交は国家間の交渉事。交渉は私の得意とするところだから、一般化して意見を述べているに過ぎない。商取引での交渉に、『戦争』という武力行為は選択肢にない」
「だから無理だ、とは言わせんぞ? 貴様は我らでは思いつかない策を次々打ち出して、零細の冒険者ギルドを短期間で街一番に引き合げた。貴様ならば、『戦争』という最終カードを切らせない策を考えつくに違いない」
ゴルダスはまたもずいっと身を乗り出した。
「残念ながら、儂を含め貴族院の連中では戦争を回避できるか疑わしい。むろん、戦って負けるとは考えていないが、戦争となれば国が疲弊するのは目に見えている。手を貸してはもらえんか」
このとおり、と頭を下げられ、正蔵は困惑する。
一方で、戦争に発展すれば、ギルドの仕事に大きな支障が出るのは間違いとの考えも浮かんだ。
『白金』や『金』の熟練冒険者たちが戦争に駆り出されるからだ。
「……すこし、考えさせてくれ。私の一存でも決められない。家族や、職場の者にも相談しなければ」
「ああ。だが急を要することも頭に入れておいてくれ」
最後まで強引だな、と正蔵は苦笑いする。
「ところでショウゾウ、貴様の悩みとはなんだ? 儂でよければ相談に乗るぞ?」
「このタイミングでは恩を売ろうとしているようにしか見えんな」
「半分はそうだ」
にんまりと笑うゴルダスに、正蔵はまたも苦笑い。
「実は、家族の……娘のことで悩んでいる」
「ぬ、子育て関連か……」
ゴルダスから余裕の笑みが消えた。子育てに関して彼は正蔵を師事している。自分にできるだろうかと不安になった。
「昨夜のことなのだが――」
正蔵は、困ったように語り始めた――。
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昨晩の夕食後。
妻シルビアも子どもたちもお風呂を済ませ、寝る前の一家団欒のひと時だった。
「お父さん、相談があります」
長女の優菜が、パジャマ姿で正蔵の向かいのソファーに座り、居住まいを正した。
「わたし、お父さんの職場で働きたいの」
「……ん?」
一瞬、なにを言われたか理解できなかった。
妻を見る。陽菜の歯磨きの仕上げをしていたシルビアは、正蔵の視線に気づいてにっこりと微笑んだ。どうやら、すでに母には相談済みらしい。
今度はぐるりと首を回し、ダインニングテーブルでお茶をすすっているエマリアを見た。こちらを窺っていたらしい彼女は、さっと視線をそらして身を縮こまらせる。こちらも知っていたようだ。
「わたし、エルンハイネ冒険者ギルドで働きたいのっ」
「あ、うん、わかった。いやっ、今の『わかった』は承諾の意味ではなく、『話を理解した』という意味で……どうして、またそんなことを考えたんだ?」
正蔵は予想外の事態に困惑する。
一方の優菜は真摯な眼差しで告げた。
「前からお父さんのお仕事には興味があって、将来は営業職かそれに近い仕事がしたいなって」
正蔵は感動に打ち震える。親として、我が子が自身の背中を見て憧れを抱いてくれたことにっ。
「いや、しかしだな。優菜は今、将来のために多くを学ぶ期間であって、仕事をするのは……」
「だから、直接学ぼうかと思って。いきなり営業は無理だけど、事務仕事ならきちんとできると思う」
「私が言っているのは実地での勉強ではなく、学業を……」
言いかけて、ハタと気づく。
エマリアから優菜の学習を相談されたことがあった。
曰く、『教えることがなくなった』と。
優菜は教えたことをあっと言う間に吸収し、今や大学レベルの問題もすらすら解けるらしい。
元から頭のいい子ではあったが、異世界に来て、女神の血が覚醒したのだろうとエマリアは推測していた。
「いや、しかしだなあ……。お前はまだ中学生。しかも1年生だ。働きに出るというのは、倫理的、社会通念的にどうなんだろう?」
「ソフィさんって15歳だよね? わたしくらいのときからギルドを手伝っていたって言ってたよ?」
「異世界基準を持ち出されても……」
「日本でだって、子役とかアイドルとか、働いている人がいるじゃない」
たしかに芸能関係など特殊な職業では、ローティーンどころか一桁の年齢で働いている者もいる。
会社勤めは社会の仕組み上、困難なだけのようにも思う。
ワンアイデアで起業した小学生のニュースを、正蔵も以前目にしたことがあった。
「ほら、今って夏休みだし、まずは試用期間ってことでもいいから。もちろん、本採用されるように一生懸命仕事をするよ」
娘にぐいぐい迫られると弱い正蔵。思わず『わかった』と言いそうになるのをぐっと堪えた。
「い、いちおう、社長に聞いてみるが……」
「ほんと? やったー♪」
けっきょく押しきられてしまった。
「優菜姉ばっかりズルいっ。あたしも! 夏休みだしっ」
今度は香菜が正蔵に抱きついてきた。
「香菜は勉強をがんばらないとダメだろう?」
「えー? いいじゃん。夏休みだしっ」
夏休みで一点突破を計る香菜に、遠方からぴしゃりと言い放つ声が。
「香菜さんには課題をたっぷりと用意しています。これまでの後れを取り戻すため、わたくしが厳選した問題集を。夏休みですからねっ」
「ひえっ!?」
香菜、父にぎゅっとしがみついて悲鳴を上げる。
「はいはいっ。ひなさまは、あそぶのがしごとなので、おしごとがんばるですっ」
最後には歯磨きを終えた陽菜が、元気よく白い歯を見せるのだった――。
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ゴルダス邸に招かれた、翌々日。
ギルドに顔を出した正蔵は、さっそくギルドマスターのエリザベートに話をした。
「いいじゃない。私は構わないわ。いつでも連れていらっしゃいよ」
執務机で螺旋状の金髪をもてあそびながら、エリザベートはからからと笑った。
正面に立つ正蔵は肩を落とす。
「社長、もうすこしよく考えてくれ」
「あら、よく考えたわよ? あの子とはちょっとしか話をしていないけど、受け答えはしっかりしてるし、頭の回転も速い。ソフィに付けて勉強させれば、営業もそつなくこなせるようになるんじゃない?」
「ジルクと同じことを言うのだな」
ゴルダス邸に招待された晩に相談したところ、侯爵も似たような評価をしていたのだ。
「年齢なんて気にすることないわよ。私は10歳からギルドの仕事にかかわっていたし、ソフィも似たようなものだわ。商売に限らず、大成する人って若いうちからその道を進んでいるものよ?」
これまたゴルダス侯爵と同意見だった。
「だが前にも言ったとおり、私たち家族はそう長くこの街にはいられない」
「それまでにモノになって貢献してくれるなら文句はないわ。育て甲斐もあるってものよ」
それよりも、とエリザベートは真顔になる。
「ショウゾウ自身の話はどうするの?」
ゴルダス侯爵に誘われた話だ。国王に仕え、国の中枢で仕事をしろ、という内容。
「正直、貴方に抜けられるのは困るわ。ギルドマスターとしては大反対。ふざけんじゃないっての」
でもね、とエリザベートはため息混じりに言う。
「私もいちおう貴族の端くれなのよね。ショウゾウが国王陛下を補佐してくれるなら、これほど心強いことはないわ」
「複雑な立場なのだな」
「他人事みたいに言わないでよ。で? どうするの? 国の仕事をするか、ギルドに留まるか。私はショウゾウの決定を支持するわ」
相談したはいいが、丸投げされてしまった。
正蔵は腕を組んで考える。
必要とされるのは、素直にうれしかった。ゴルダス侯爵にも、エリザベートやギルドの仲間たちにも、そして自分や家族にも最良となる選択はないものか?
「うむ。そうだな。これ以外にはない」
正蔵は迷いを吹っ切り、告げた。
「どちらも全力でやらせてもらう」
エリザベートがきょとんとしたのは一瞬。
「あ、ああ。そういうことね。ギルドの仕事をする傍ら、国王陛下の補佐もするって?」
「どちらに注力するかは状況によるがね。我が身はひとつだ。限界もあろうが、できる範囲内で最善を尽くすさ」
「ま、貴方なら心配はいらないわね。私たちの常識は通用しない人だもの」
「……常識、か」
これまで自分は、常識にとらわれずに様々な施策を実行し、成功してきた。けれど――
「私は常識に固執して、可能性をつぶしてしまうところだった」
正蔵は晴れ晴れとした顔になり、エリザベートに頭を下げた。
「社長、明日から娘をここで働かせてはもらえないか?」
「さっき言ったわよ? 『いつでも連れていらっしゃい』ってね」
親としては心配が尽きない。
けれど自ら歩こうとする優菜に、親としてできる限りの支援をしたかった。
優菜は翌日からエルンハイネ冒険者ギルドの事務見習いとして働くこととなる。
一方の正蔵は、その日のうちにゴルダス侯爵に会い、条件付きで申し出を受ける。
ゴルダスは諸手を上げて喜んだものの、国王補佐役を掛け持ちでやるなど前代未聞。
貴族院の反発が予想される中、正蔵はむしろ状況を楽しむかのように、足取り軽く王宮へと向かうのだった――。