表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/36

一家丸ごと異世界転移


 4月初旬。いつもと変わらぬ朝だった。

 

 けれど今日は、特別な一日である。

 

 鬼瓦正蔵41歳はいつものように、朝起きてすぐ身支度を整えた。

 パリッとしたスーツは礼服に近い黒。

 しかし今日は会社を休み、長女が通うことになる中学校の入学式へ赴く。

 

 真新しい洗面台であごひげを整え、厳つい顔を心持ち緩ませる。

 

 彼はとにかく初対面の印象が悪い。巨躯と強面、野太い声のトリプルコンボ。初対面で彼を恐れぬ者は、今まで妻以外にはいなかった。

 

 娘の晴れ舞台に粗相があってはならない。

 

 入念に表情をチェックして、正蔵はリビングルームへと入った。

 

「おかしいわねえ……どうして映らないのかしら? あ、おはようございます、あなた」


 リビングでは妻のシルビアが、テレビの前でリモコンを手に首をかしげていた。銀髪碧眼の美女。細身ながら重そうな物体を胸部に抱えている。

 6つ年下の彼女は、結婚13年目に突入しても敬語のままだった。そして今でも出会ったころの美貌と若さを保っている。

 

 さすがは女神様である。

 

「どうかしたのか?」


 尋ねてみたものの、状況は一目瞭然。

 テレビ画面が真っ黒で、画面中央に『受信できない』旨のメッセージが表示されていたのだ。

 

「どのチャンネルもダメなんです。買ったばかりですのに、壊れてしまったのでしょうか?」


「テレビではなく、アンテナの調子が悪いのかもしれんな。BSも映らないのか?」


「はい。どの局も、まったく」


 ほとほと困ったような妻、シルビア。眉を八の字にしても美しい。

 

「魔法で直してみたらどうだ? 女神様」


 正蔵が冗談めかして言うと、シルビアは目をぱちくりさせて、

 

「まあ、あなたったら。冗談なんて珍しいですね」


 うふふ、と嬉しそうに笑った。


「はっはっは、今日は私も浮かれているようだ。まあ、入学式は昼までだから、帰ったら電気屋に電話しておこう」


 41歳にして手に入れた、新築のマイホーム。引っ越してまだ1週間だというのに、さっそく不備があるとは。忌々しく思うも、不機嫌なまま娘の晴れ舞台に行きたくはなかった。

 正蔵は努めて明るく振る舞い、新聞を取りに玄関へと向かう。 

 

 つるつるの廊下を抜け、玄関でサンダルをつっかける。


 ドアを押し開き、外へ身を出した、直後。

 

(………………)


 雄大な景色に呆けてしまう。

 

 数メートル先には胸までの高さの門扉があり、きっちりと閉じられていた。

 ここまではいい。

 が、その向こうにあるはずのアスファルトの道路や、お向かいのお宅は、影も形もない。お隣さんも、無くなっていた。

 

 むき出しの地面は緩やかに下っており、数百メートルを隔てて、草原が広がっていた。いや、田んぼか畑だろうか? 背の高い草は整然と区切られていた。

 

 その遥か彼方に、街が見える。

 高い壁に囲まれた、まったく知らない街並みだった。

 

 視線を手前に戻す。

 

 門扉の内側に、新聞紙が落ちていた。

 

 いきなり見知らぬ景色になり、配達員も相当慌てたのかもしれない。


 いや、そもそもあちら側(、、、、)が見た通りなら、配達員はどこから来たというのか?

 

 ひとまず正蔵は、ほっぺたをつねってみた。痛い。

 のろのろと前へ進み、新聞紙を拾って踵を返した。

 

 リビングへと戻り、ひと続きのダイニングのテーブルについた。妻の姿はない。子どもたちを起こしに行ったのだろう。テーブルには用意されたコーヒーが香ばしい匂いを立ち昇らせていた。

 

 新聞を広げる。

 どこぞの紛争地で小競り合いがあっただとか、プロスポーツの結果だとか、特段奇妙なニュースはなかった。

 

 スマートフォンを取り出す。

 ニュースサイトの見出しを流し読みしても、これといって目に留まるものはない。

 

 コーヒーをすすり、ひと息ついた。

 

(なんだったのだ? さっきのアレは……)


 もう一度確認してみようか? そう考えたとき、

 

「お父さん、見て見て!」


 弾んだ声で、長女がリビングに飛びこんできた。

 

 真新しいセーラー服に身を包み、くるりとその場で一回転すると、黒髪のポニーテールが跳ね踊る。

 長女の優菜ゆな。今現在は12歳。今日から新中学1年生である。

 

「よく似合っているよ」


「えへへー♪」


 にっこりと愛らしい笑みに、正蔵の頬も緩む。

 

「あら優菜、もう着替えていたのね」


 シルビアがやってきた。彼女の後ろから、小さな女の子が目を輝かせて現れる。

 

「ゆなおねーさま、かっこいいです!」


 まだパジャマ姿の三女、陽菜ひな、5歳。肩口までの髪は寝ぐせでぼさぼさだった。その髪色はきらめく銀。瞳は南国の海のようで、シルビアの影響をもっとも受け継いでいる子だ。

 さらにその後ろから、眠そうな少女も姿をみせる。

 

「もう朝とか、信じらんない……。寝たら一瞬で朝になるってやっぱりおかしいよ……」


 次女の香菜かな、10歳の新小学校5年生。こちらもパジャマ姿だ。ボーイッシュな彼女はショートカットで、色は抜けて茶みがかっている。

 

 三人姉妹、髪や瞳の色はそれぞれ異なるが、顔立ちは妻に似てとても愛らしい。


(私に似なくて、本当によかった……)


 神に感謝する正蔵だった。



 娘三人はテーブルに着いた。

 香菜の眠気も吹き飛んだのか、明るい笑顔になる。

 三人姉妹、いつものように会話に花を咲かせる。

 

「入学式って陽菜ちゃんも来るの?」と優菜。


「ひなさまは、ようちえんをおやすみするのです!」陽菜は元気よく手を挙げる。


「いいなー。あたしも休みたい……。早く夏休みにならないかな」香菜は頬杖をついた。


「香菜は一昨日、春休みが終わったばかりじゃないの」


「ゆっくり眠る生活に慣れちゃうとね、なかなか元には戻らないんだよ」


「休みの日も平日と同じ時間に起きればいいじゃない」


「せっかくの休日、だらだら寝てたいじゃん」


「かなおねーさまは、ぐうたらさんなのです」


「いやー、照れるなー」


「褒めてないから」


 まじめな優菜と奔放な香菜はときおり口論になりかけるが、幼い陽菜がよく場を取りなしてくれる。

 香菜は小学校で平常授業があるので、一人だけ入学式に出られず寂しいのだろう。

 優菜は優菜で、香菜の気持ちを汲み、普段よりも言い方が柔らかだった。

 

 みんな、いい子に育ってくれた。

 こんな幸せな生活を、壊したくはない。

 

 だからこそ――。

 

(外の状況を、もう一度確認する必要があるな)


 決意を新たにしたとき、スマートフォンが震えた。

 メッセージアプリに何か届いたらしい。

 

『部長大丈夫ですか?』


 たったそれだけ。意味がわからない。

 送信したのは正蔵の部下だ。入社3年目の女性で、見た目は大人しい感じだが、ぐいぐい押していく営業部のホープである。

 

 大丈夫、とはどういう意味なのか?

 もしかしたら、こちらの異変と関係あるのかも?

 

 気になった正蔵は返信ではなく、電話をかけようとした。

 

(……圏外?)


 だが、通話しようとして『圏外のため使えない』旨のメッセージが表示された。

 

(どういうことだ? 家の中で圏外になるなんて……)


 引っ越してから今まで、一度もなかったことだ。

 

 と、またもスマートフォンが震えた。

 今度は電話。

 しかし標準搭載の電話アプリではなく、メッセージアプリの機能で呼び出しがかかっていた。

 

 アプリの応答操作を行うと、

 

『部長ですかっ!?』


 とても慌てた声が聞こえた。

 

綿貫わたぬきさんか? いったいどうした?」


『どうしたもこうしたも、部長、今どこにいるんですか!?』


「自宅だが?」


『うそ……』


「私が嘘を言ってどうする? それより君こそどうしたんだ? そんなに慌てて」


『だって、部長の家、消えてなくなったんですよ?』


「は?」


 変な声が出た。

 家族が訝るようにこちらを見る。

 

『今、テレビでやってたんです。『一晩で家が一軒丸ごと消えた』って』


 短文投稿サイトにアップロードしたとある画像を、朝の情報番組が取り上げたらしい。

 

『そしたら、『鬼瓦正蔵さん宅』って言うじゃないですか。驚いて部長に電話したけどつながらなくて、メッセージを送ったら既読になったから、じゃあメッセージアプリ(こっち)ならと思って……』


「たしかに、スマートフォンのネットワークは圏外になっているな。だがWebはつながる。電気も水道も問題なかった」


 でもテレビは映らない。

 

(もしかして、電波が届いていないのか……?)


 家のネット環境は、光回線でつながっている。宅内はそこからWifiを飛ばしているのだ。メッセージアプリでの通話は、この回線を介して行うものだった。

 

「すまないが、他に何か情報があれば教えてくれないか」


『えっと、新聞配達の人のコメントがありました。配達先の家が一軒丸ごと消えてて、不思議に思いながらも新聞を敷地内に放り投げたら、それも消えてなくなったって……』


「新聞は、門の内側に落ちていた」


 綿貫が息をのむ音が聞こえた。

 

「敷地の外は、見知らぬ景色だった。どうやら小高い丘の上に、今この家は建っているらしい」


『いったい、何が……?』


「わからん。が、とにかくこちらも情報を集める。それではな」


『電話切っちゃうんですか!?』


「不測の事態が起きれば、どのみち通話できなくなるだろう。こちらの状況がわかり次第、連絡する」


『わ、わかりました……』


「ああ、それと、私たち一家はみな無事だと、警察にでも知らせておいてくれないか」


 電話口の綿貫は『はい』と弱々しく応じ、正蔵はいったん通話を終えた。

 

「あなた……」


 シルビアが不安そうに瞳を揺らしていた。子どもたちも眉尻を下げている。

 

「なんだかよくわからないが、家が丸ごとどこかへ移動してしまったらしい。私は外の様子を見てくる。お前たちはここにいろ」


「ですが……」


「大丈夫だ。何があろうと、家族は私が守る」


 正蔵は眉間のしわを深くして、こぶしをぱちんと鳴らした。

 そのときだ。

 

 ぴんぽーん。

 

 インターフォンが鳴った。

 緊張が走る。

 

 正蔵は妻を制し、インターフォンへと向かう。

 

 液晶画面に、女の姿が映っていた。

 リクルートスーツみたいな服を着た、長い金髪の若い女だ。

 

「どちら様ですかな?」


 正蔵が緊張した声で尋ねると、女は奇妙なことを口走った。

 


 ――わたくし、天界から参りました女神です。

 

 

 正蔵は一瞬呆けたあと、

 

「間に合っています」


 思わずインターフォンを切るのだった――。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このお話はいかがでしたか?
上にある『☆☆☆☆☆』を
押して評価を入れてください。

― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ