王都進出
アルスバイト王国は、鬼瓦一家が家ごと異世界転移した先の国だ。
この世界では3本の指に入るほど大きな国で、広い国土には様々な魔物が棲んでいる。
冒険者にとっては稼ぎに困らず、冒険者ギルドの争いは苛烈を極めている。
――エルンハイネを街一番の冒険者ギルドにしてみせる。
その目標を達成した正蔵は、次なる目標を『国一番』に定めた。
新たな第一歩として選んだのは――。
「ついにっ! 王都へ進出ねっ!」
エリザベートが往来で叫んだ。
王都の目抜き通りは城塞都市『トレイア』の倍はある。露店が馬車道と歩道を分けるかたちになっていて、それでも歩道は幅広で余裕があった。
道行く人たちは、ちんまりした金髪螺旋ヘアの少女を怪訝に眺めている。
エリザベートは気にも留めず、大きな扉をくぐった。
4階建ての巨大な建物が、エルンハイネ冒険者ギルドの王都支店である。
1階はトレイアの本店よりも広く、開業初日から冒険者であふれていた。受付とはべつに相談窓口があるのはトレイアと同じ。そちらも盛況だった。
「ふふふ……勝ったわね!」
エリザベートは満足げ。
「心配で昨夜は一睡もできなかったにしては元気だな」
「うるさいわねっ」
正蔵の指摘にエリザベートはむくれ顔になる。
「まあでも、最初は物珍しさからそこそこ集まるとは思ってたけど、予想以上ね」
「この日のために依頼をかき集めて広告を打ったからな。とはいえ、事前のリサーチ通り『銅』級の冒険者が多い。数はこなせても売り上げはそう高くはならんな」
受付担当の表情も硬い。もたついてもいた。
研修期間が短かいのを考慮しても、ギリギリ及第点といったところ。
「相変わらず文句が多いわね」
「社長の前ではそうなる」
「はいはい。で、『褒めるのはシャチョーの仕事』だったわね。みんながんばってるし、あとでいっぱい褒めてあげるわ」
正蔵はうむとうなずく。
二人は支店長と軽く打ち合わせをして、再び1階へと戻ってきた。
しばらく受付の様子を眺めるうち、エリザベートが悔しげにつぶやいた。
「冷静に見たら、やっぱり物足りないわね」
「……客足が、かね?」
「本当なら、もうすこし集まってもおかしくないわ。やっぱりゴルダスの影響かしら?」
ジラハルがギルドマスターに就任してしばらく。
正蔵たちの邪魔ばかりしていた彼は、裏で別の策にも打って出ていた。
強引とも思える手法で王都進出を推し進めていたのだ。
彼が失脚し、後を継いだクンツはトレイアの本店を立て直す一方、いち早く王都への出店を果たすのに成功する。
トレイアではゴルダス冒険者ギルドを超えたものの、王都では後発だ。
物珍しさという点でも、侯爵家が出資しているギルドが勝っていた。
野太い声が横から響く。
「我が不肖の息子唯一の功績だな」
「ゴルダス侯爵!?」
鬚髭たっぷりの強面がにんまりと笑う。
「息災のようだな、エリザベート嬢。いや、目の下のクマは緊張して眠れなかったのか?」
「お久しぶりですわね。事前にお越しくださると言ってくだされば、おもてなしいたしましたのに」
「なに、事のついでの敵情視察だ。もてなされるは筋違いというものだろう」
『ついで』扱いされ、エリザベートが片眉をぴくぴくさせる。
「あ~ら余裕ですわね。ですがトレイアのときと同様、王都でもすぐに追い抜いて差し上げますわ」
バチバチと視線を戦わせる二人に、まるで無関係の冒険者たちが慄いた。
正蔵が二人を嗜める前に、折れたのはゴルダス侯爵だ。
「ふむ。冗談抜きでその未来も近かろう。さっそく大きな案件を取られてしまうしな」
「例の従軍案件かね?」と正蔵が割って入る。
「ああ。水竜討伐となれば、できる者は限られる。『ドラゴンスレイヤー』を抱えるギルドには対抗できんよ」
最近、王国の領海にウォータードラゴンが出没していた。
商船が襲われ、被害が増している。
その討伐の依頼が各ギルドに回っていた。
「彼はエルンハイネの専属ではないよ」
「だが義理堅い少年だ。どのみち彼に頼むのだろう?」
「……否定はしない。合理的に判断すれば、彼を除外する選択はない」
「だろうな。まあ、商売敵としては苦々しいが、軍属に名を連ねる者としては安心だ。襲われているのは外国の商船ばかりで、これ以上被害が増せば国際問題になりかねんのでな」
「でも侯爵様、妙だとお感じになりません?」
エリザベートが眉間にしわを寄せてつぶやく。
「ウォータードラゴンは北方の冷たい海に棲息する魔物ですよね? 比較的温暖な王国の領海に、しかも夏のこの時期に現れるなんて……」
「たしかにな。迷いこむにしても奇妙な話だ。それに――いや、やめておこう。推測したところで意味はない。要は水竜退治が成されればよいのだからな」
ところで、とゴルダス侯爵はぎらりと正蔵を見やる。
エリザベートが息をのんだ。
どうやら本題に入るらしい。
正蔵は鋭い眼光を真正面から受け止める。
「ショウゾウよ、パパ友としての意見をもらいたい」
「ほう、パパ友としての」
「実は数日前から、ジラハルが仕事を放り出し、部屋から出てこなくなってな。日がな一日、娯楽書物を読みふけっているのだ」
「ふむ、趣味に没頭するのはよいとしても、仕事をせず引きこもってとなれば問題だな」
「ドアを蹴破って引きずり出すのも考えたのだが、きっかけが奴の失敗を儂が叱責したことだと気づいたのだ。だからまずは貴様に意見をもらおうと思ってな」
「大の大人に遠慮は無用っ――と言いたいところだが、心を病んでいる可能性もある。ここは慎重にいくべきだろう。よし、私が先達に対処法を尋ねてみよう」
「すまんな。よろしく頼む」
「なに、パパ友として当然のこと」
はっはっは、と肩をたたき合う巨漢二人を眺め、
「なんなのこいつら……」
エリザベートは呆れ顔になるのだった――。
その日の夜。夕食前。
正蔵は家のすぐそばで気を高めていた。
月に照らされた白刃のきらめきが正蔵に迫る。
真上からの一撃を、紙一重で避けた。
剣の切っ先は地面に触れる直前で跳ね返り、脇腹を襲う。
こちらも身をひねって躱す。
刃は弧を描きつつ、またも正蔵へ。
執拗な攻撃はとどまることを知らず、剣が振るわれるたびに突風を巻き起こし、周囲の空気は激しくかき混ぜられた。
正蔵はまるで涼風に身を任すように軽やかに、ことごとくを躱していく。
相手は業を煮やしたのか、無理な体勢から刺突を放った。
正蔵はにやりと笑みを浮かべ、二本の指で挟んで止めた。
「相変わらず無茶苦茶ですねっ!?」
絶叫は少年のもの。
半ばやけっぱちの刺突でも、ドラゴンの頑強な鱗を穿つ一撃だ。
それをいともたやすく、しかも指に二本だけでつかまれては、『ドラゴンスレイヤー』の立つ瀬がなかった。
女の子ような愛らしい顔つきながら、眼光鋭く正蔵を見据える彼。
その額には、龍人族の特徴たる小さな角が二本、生えていた。
少年の名はシドリアス・ゲオルタ。
元『白金』級の冒険者で、『ドラゴンスレイヤー』として名高い実力者だ。
ドラゴン討伐中に不覚を取って記憶を失い、小悪党に利用されていたところを正蔵に助けられた経緯がある。その後、記憶障害の治療のためときどき鬼瓦家を訪れては、こうして正蔵と手合わせしていた。
「で、どうでしたか? 僕の剣捌きは」
「何度も言うが、私は専門家ではない。その上で個人的な感想を述べさせてもらえれば……」
ごくりと、シドリアス少年が固唾を呑む。
「剣速は増したように思う」
「そうですか!」
パッとシドリアスの顔が明るくなる。ちらりと横に目をやり、ぐっとこぶしを握った。
彼が視線を送った方向から、少女が歩いてくる。
「お父さん、お疲れ様。シドも」
鬼瓦家の長女、優菜だ。
父正蔵にタオルを渡し、続けてシドリアスにもタオルを差し出す。
「あ、その、ありがとうございますっ」
シドリアスは顔を真っ赤にして受け取り、わしゃわしゃと汗をぬぐった。花のような香りにくらくらする。夢の世界に落ちかけた意識を引き戻して尋ねた。
「ゆ、ユナさんっ。どうでしたか? 僕の動き、変じゃなかったですか?」
「えっ、いや、どうと言われても……。速すぎてまったく見えなかったから……」
「そうですかっ。速かったですかっ!」
やたらと嬉しそうなシドリアスを見て、優菜は褒めてはいないのにと不思議がる。それはそれとして。
「夕食は食べていくでしょ? 今日は外でバーベキューをするのよ」
「ばーべきゅー?」
「屋外で肉や野菜を焼いて食べるの」
「屋外で、肉や野菜を……」
冒険に出ればいつもしていることなので、なぜ彼女はそこまで楽しそうなのか、と今度はシドリアスが不思議がる。
が、ウキウキしている優菜を見て、シドリアスの頬も緩んだ。
「手伝いますっ」
「うん、お願いね」
喜び勇んで優菜の背を追うシドリアスの肩を、正蔵はがしっとつかんだ。
「時にシドリアス君」
「は、はい。なんでしょうか?」
ぎぎぎっと首を軋ませて振り向けば、ずいっと強面が迫ってきた。
「知人もいない初めての土地で心細い娘たちに、懇意にしてくれる君にはとても感謝している」
「は、はあ」
「娘の交友関係に、親として口を挟むつもりも、毛頭ない」
「ぅ、ぁ……」
「しかし、しかしだ。く・れ・ぐ・れ・もっ! 娘たちを邪な視線で汚さないようにっ」
「ふぁい……」
正蔵はにっと口元を歪めると、
「では、バーベキューセットを出してこよう。手伝ってくれるね? 私をっ」
「ははははひぃ……」
一家団欒。月の下での楽しいバーベキュー。
しかしシドリアス少年は茨の上で食事している気分だった。
それが理由ではもちろんないのだが――。
3日後、水竜退治は失敗に終わる。
体調不良の『ドラゴンスレイヤー』はウォータードラゴンを傷つけることもできず、取り逃がしてしまったのだ。
シドリアスが体調不良となった原因は――――『船酔い』だった。