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頂上対決


 ゴルダス冒険者ギルドのギルドマスターに就任したジラハル。

 彼の度重なる妨害工作をことごとく逆手に取り、正蔵はエルンハイネ冒険者ギルドをますます発展させていた。ジラハルの参謀たるクンツを迎え入れ、その勢いは留まることを知らない。

 

 だが、追い詰められたジラハルは、正蔵を付け狙っているらしい。

 

 それすら逆に利用しようと、正蔵は手ぐすね引いて相手が動くのを待っていた――。

 


 数日が経った。

 

 正蔵は事務仕事を終え、自席で静かに目を閉じていた。感覚を鋭利に、建物の外まで気配を探っている。

 

 このところ毎日のように何者かに後をつけられていたが、いまだ相手は何もしてこない。

 尾行者を捕らえて尋問することも考えたが、白を切られればそれまでだ。警戒され、別のギルド職員が標的にされる危険もあった。

 

「オニガワラさん、今日も遅いんですか?」


 小さな丸眼鏡のずれを直し、ソフィが話しかけてきた。

 

「いや、そろそろ帰ろうと思っていたところだよ」


「そうなんですかっ。き、奇遇ですね。わたしも、そろそろ帰ろうかなって、思ってたんですけど……」


 ソフィは落ち着きなく、ちらちらと正蔵に目をやっていた。

 

「アドラたちはもう帰ってしまっていたな。夜道に娘さん一人は物騒だ。私が家まで送ろう」


「は、はいっ!」


 ソフィが目を爛々と輝かせたところで、声が割りこむ。

 

「あら? ソフィも今から帰り? だったら馬車で送っていくわ。ショウゾウとは反対方向でしょ」


 エリザベートの馬車には護衛もついている。

 ならば安全だな、と正蔵は思う。

 ジラハルは自分を狙っているのだし、護衛がいるなら暴漢も手は出さないだろう。

 

「そうだな。ソフィさんは社長に送ってもらうといい」


 正蔵は席を立ち、アタッシュケースを持って歩きだした。

 

「エリザさぁん……」


「えっ、なに? なんで涙目?」


 ソフィが恨みがましい視線を向け、受け止めたエリザベートはうろたえる。

 そんな二人の様子を背に感じながら、正蔵は外へと出るのだった――。

 

 

 

 大通りを歩いてしばらく。

 

(今日は多いな……)


 尾行する者が、いつもの2人から4人に倍増していた。

 

 事を起こす気なのだろうかと、正蔵はあえて脇道に入り、人通りの少ない奥まった方へ進んでいった。

 

 しかし、いつまで経っても襲いかかってこない。

 確実に後をついてきているのだが、一定の距離を保ち、先回りする者もいなかった。

 

 長く付き合ってやるつもりはない。

 かといって、こちらから手は出せない。

 

 正蔵はもどかしく思いながらも、大通りへと足を戻した。

 街の外壁にある門へ向け、心持ち早く歩を進めていると。

 

 後方からガラガラと激しい音がした。馬車が疾走する音だ。

 

 振り向いた正蔵はぎょっとする。

 ものすごい勢いで駆ける箱馬車には、見覚えがあったからだ。

 

「いたっ! ショウゾウ!」


 窓から身を乗り出したのは、エリザベートだ。

 箱馬車は正蔵のすぐ横で急停止。

 

「制限速度を超えているぞ」

 

 飛び降りてきたエリザベートに、正蔵は真顔で注意する。


「それどころじゃないっ!」


 エリザベートは怒りや焦燥がない交ぜになった瞳に涙を浮かべ、衝撃の言葉を吐き出す。

 

 

 ――ソフィが連れ去られたのよっ!




 ソフィの住まいは今も変わらず、旧エルンハイネ冒険者ギルドの事務所兼共同住宅だ。

 大通りから奥まった場所にある。

 ただ治安はさほど悪くないし、馬車も無理をすれば通れる道だ。

 

 家の前まで送るとエリザベートは言ったが、ソフィは『すぐそこですから』と丁重に断り、小走りに駆けていった。

 エリザベートは胸騒ぎがして、しばらく見送ったまま立ち尽くしていた。

 悲鳴が聞こえたのは、彼女が馬車に乗りこもうとしたところだ。

 

 すぐさま護衛とともに駆けつけたが、異臭が漂う中にソフィの姿はない。家から飛び出てきた獣人族のモコの鼻も、異臭に邪魔されて追いきれなかった。

 

 明らかに計画的な犯行だ。

 たまたま暴漢に襲われたのではない。

 

「となると、犯人は間違いなく――」


 正蔵は残像を生む速度で真横へと飛んだ。建物の陰から様子を窺っていた男二人の首根っこを捕まえ、引きずり出す。

 

「ジラハルの手の者だな。ソフィさんをどこへ連れ去った」


「し、知らねえよっ。俺たちはあんたを監視してろって言われただけ――ぐがぁっ!」


 ほんのちょっと手に力をこめると、一人は泡を吹いて気絶し、もう一人も脂汗を垂らして苦悶の声を上げた。

 

「ど、どこへ連れてったかは、知らねえっ。でも、アジトなら――」


 男は街外れの廃屋や、ゴルダス関連の商店の名を告げた。

 エリザベートがほっと息をつく。

 

「犯人がジラハルなら、しばらくソフィは大丈夫よ。あいつ、変に紳士的なところがあるし、なんだかんだで女に対してヘタレだからね。面倒だけど、アジトをひとつずつ、しらみつぶしに当たりましょう」


「……社長は護衛たちと一緒にそちらへ向かってくれ」


「ショウゾウはどうするの?」


「人探しができそうな人物に心当たりがある。私はそちらを頼ってみる」


 正蔵はそう告げると、風を切り裂いて駆け出した。

 高い壁を飛び越える。

 目指すは女神の待つ、我が家だった――。

 

 

 

 数分で家まで戻った正蔵は、玄関先で家族に迎えられた。

 

 事情を簡単に説明し、追跡魔法が使えるらしいエマリアに同行をお願いすると、

  

「無理ですよっ。追跡魔法は直接会ったことのある人に対してしか……ん? エルフで、眼鏡で、ソフィという名前って――」


「そふぃおねーさまですっ」三女の陽菜が元気よく言った。


「ああっ! 覚えてます覚えてますっ。でも、ちょっと話しただけの人となると、自信が……」


「おおよその方角がわかる程度でいい」


 時間がないので有無を言わせず、米俵を担ぐようにエマリアを肩に乗せ、正蔵は疾走する。

 

「なんか扱いが雑ぅ~っ!」


 エマリアの叫びが月夜に響いた。

 

 

 

 二人を見送ったシルビアは、頬に手を添えてつぶやく。


「不安だわ……」


 できれば自分も協力したいが、ソフィと会ったことがない自分には……。

 

(ああ、そういえば、この子は会ったのよね)


 シルビアは我が子をじっと見る。

 

「……」(じー)

「……」

「……」(じーっ)

「……おかーさま、ひなさまになにか、ごようじですか?」


「陽菜ちゃんは、ソフィさんの顔をはっきり覚えている?」


「かみのけいっぽんいっぽんのぐあいは、ちょっとじしんがないです」


「そこまでは必要ないわ」


 シルビアは陽菜でもわかるように噛み砕いて魔法のレクチャーを行う。虚空に半透明のウィンドウを表示させ、

 

「ソフィさんのことを頭に思い描いてみて」


 陽菜はなぜか鼻をくんくんとさせる。

 と、画面の地図上にぴこぴこと赤い点が明滅した。

 

「あらあら、これは……」


 明滅の仕方が予想とは違っていたため、シルビアは眉で八の字を描いた。

 これでは、エマリアが追跡しきれないと考えたのだ。

 

「すぐ正蔵さんに伝えなくてはいけないけれど……」


 陽菜は連れていくとしても、優菜と香菜を置いては行けない。

 

「ママ、あたしたちなら大丈夫だよ」


 香菜は言って、口笛を吹いた。

 家の裏手から、ばっさばっさと羽音が鳴る。そして一匹の仔ドラゴンが舞い降りた。以前近くの森で拾ったブルードラゴンだ。

 毎日たらふく魔力(えさ)を与えられていたからか、直立して正蔵を超えるほど大きく育っていた。

 

「そういえば、プルちゃんがいたわね」


 ブルードラゴンだから『プル』。濁音ではなく半濁音なのは、『そのほうがかわいいです』との理由から。プルは(おんなのこ)なので。


「ちょっと待ってよ香菜。乗るの? プルの背中に? つかまるところないのに?」


 顔を青くした優菜がさっそく反論。

 香菜は涼し気に答える。


「プルの鱗って、ぐにぐにしててつかまりやすいよ?」


「いやいやいやっ。わたし無理だよ。お父さんを追いかけるのに、どれだけスピード出すと思ってるの? ていうかわたし、高いところ苦手だし」


「面倒くさい女だなあ……」


 香菜は嘆息を吐きだすと、「ひひゃっ!? ちょ、香菜っ!」優菜を抱きかかえた。

 

「なんでお姫様抱っこっ!?」


「優菜(ねえ)は、あたしが守るから」


「イケメン発言禁止っ!」


 けっきょく優菜は暴れるでもなく大人しくなった(恐怖で放心した)ので、抱えたまま香菜はプルの背中に飛び乗った。

 

「準備はいいわね。陽菜ちゃんはお母さんが抱っこして」


 陽菜を抱き、シルビアはふわりと浮き上がった。

 

 そうして母娘4人は、夜空を突き進むのだった――。

 

 

 

 一足先にトレイアに戻った正蔵は、あちこち動き回ってから、中央広場にそびえ立つ時計塔のてっぺんに駆け上がった。

 

 肩に担がれたエマリアが目をつむり、意識を集中する。

 

「あちら、ですね。すみません、また(、、)方向がずれてしまって……」


 ここに来るまで何度も、エマリアはソフィのいる方向を修正していた。

 彼女が連れ去られてから時間が経っている。広い街ではあるが、アジトに監禁するだけの時間は、充分に。

 にもかかわらず、いまだにソフィの居場所はおろか、方向すら定まっていなかった。


「まだ大通りには人が溢れる時間帯ですから、追跡魔法が安定しなくて……すみません」


「……」


「というか、おかしいですよね? もしかしてアンチ魔法マジックがかけられていたり?」


「……」


「でも、それだと追跡そのものができなくなりますし……。やっぱり、わたくしの力不足ですね、すみません……」


「いかんな。どうも、大きな間違いをしていたらしい」


「はい? 間違い、と言われますと、返す言葉もないと申しましょうか……」


「いや、そうじゃない。まあ、とにかく」


 正蔵は空いた手で頭をかく。


「ソフィさんはすでにどこかに監禁されていて、我らはそこを突き止めればいいと、そう考えていたが……」


 エマリアがおそるおそる正蔵の顔を覗くと、彼は仁王のごとき形相で遠くを見つめて言った。

 

「奴らは一定の場所にとどまっているのではない。常に移動している(、、、、、、、、)のだ」

 

 

 



 ガラガラと馬車は進む。

 小さな箱馬車は窓にカーテンが引かれ、外の様子はわからない。ただ目的の場所へ向かっている風ではなく、街の中をぐるぐる回っていると、ソフィは感じていた。


 拉致されてからずっと、馬車は行く当てもないかのように走り続けている。


 いきなり襲われたときは命の危険を感じたほど。恐怖に竦み、ただ内心であの人(、、、)に救いを求めるしかなかった。

 とはいえ、今は余裕がある。

 すくなくとも相手は危害を加える様子がなく、自分は拘束もされていない。

 ただ、心身ともに、ものすごく疲弊はしていた。

 

「――とまあ、ここまでは理解してくれたかな? その上でなぜ君を強引に連れてきたかというと――」


 正面には、足を組んだジラハルがいる。

 馬車に押しこまれてからこっち、一方的に、無駄な世間話を織り交ぜながら、彼は長々と語り続けていた。

 

 ひとまず内容を頭に入れつつ、ソフィは状況を整理する。


 縄で縛られてもいないのだから、脱出は可能だ。非力な自分でも、小さな箱馬車の扉を蹴破るくらいはできる。

 が、さほどスピードは出ていないとはいえ、動いている馬車から飛び降りるのは自殺行為だ。

 今のところジラハルに乱暴する気はないようだから、下手に刺激するのもよくないだろう。

 

 今やるべきは、時間を稼ぐことだ。

 

(きっと、オニガワラさんが助けにきてくれる)


 信じて待つ。

 それが最善の策だと心に決めた。

 

(でも、時間を稼ぐといっても……)


 ソフィはげんなりして正面を見据えた。

 

 いまだ饒舌に語り続ける男。

 彼の発言はさっぱり意味がつかめない。

 相手の話に合わせて引き伸ばそうにも、噛み合う自信がなかった。

 

 なにせこの男は、致命的な勘違いをしているのだから。

 

「さて、以上を踏まえて本題だ。ソフィ、エルンハイネ冒険者ギルドの最高責任者の君(、、、、、、、)に提案する」


(どうして、わたしがエルンハイネ冒険者ギルドの最高責任者だなんて……)


 ソフィの不安に気づきもせず、ジラハルは続ける。


「ゴルダス冒険者ギルドの傘下に入りたまえ。むろん、反論はいっさい聞く気がないがね。君は黙って、この書類にサインしてくれればいい」


 言ってジラハルは、上質な紙を差し出した。

 さっと流し読みしたところ、ギルドの経営権を譲渡する契約書のようだ。


 経営権はギルドマスターのエリザベートと、相談役のアドラが半々で持っている。

 自分はただの営業担当でしかないので、これにサインしても意味はない。

 

 が、彼の主張によれば、ソフィが営業担当と公にしているのは、巧妙な隠蔽工作なのだそうだ。

 ソフィは零細に沈んだギルドの現状を打破しようと、正蔵を篭絡して引き入れた。冒険者並の実力者である彼をうまく使い、様々な策を弄してエリザベートも懐柔。以降も裏からギルドを支配して大きく育て上げた。

 創業者の血を引くソフィにしかできないことだと、ジラハルは自信満々に断じた。

 

 むろん、彼の妄想である。

 

 ギルドが大きくなったのは正蔵の功績だ。

 その勘違いをまず正すべきだろうかと考えたものの、反論して刺激するのは得策ではない。

 

(こういうときこそ、オニガワラさんの教えを実践するのよっ)


 相手による強迫じみた状況ではあるが、交渉の場と考えられなくもない。

 であれば、正蔵の下で学んできた営業スキルが役に立つはず。

 

 だが、しかし、である。

 

 大型の合併話だ。互いに幹部を集め、あらためての場を設けて慎重に議論をすすめては?と提案しても。


「組織のトップ同士が決めることだぞ? 他の連中には事後説明だけでいいさ」


 それでは無用な混乱を招き、ギルド運営に支障がでると説いても。

 

「組織とはトップの号令で動くものだ。僕が命令して、支障が出るはずもない」


 仕方がないと諦めて、そもそも自分はただの営業担当で経営権を持っていないと告白しても。

 

「はっはっは、僕を謀ろうなんて思わないことだ」


(ダメだこの人……。オニガワラさんが言うところの、『言葉が通じない人』だ……)


 正蔵の教えにある。

 話が通じない相手には、話し方を工夫しろ。

 言葉が通じない相手には、そもそも相手にするな、と。

 

 『話が通じない』のは、互いの認識に齟齬があるだとか、背景事情の理解度の違いだとか、埋められるべき溝が必ず存在する。


 一方、『言葉が通じない』相手とは、要するに『我がまま』な相手である。

 自身が絶対的に正しいと信じて疑わないため、言語によるコミュニケーションが取れない。

 ゆえに何を言っても無駄。

 つまりは相手にしないことこそ最良の手となる。

 

 ところが逃げ場のない馬車の中で、相手にしないのは不可能だった。それでも――。

 

「そういえばジラハルさん、貿易のお仕事をされていたのですから、異国には何度も行かれたんですよね? 珍しいお話を聞かせていただけますか?」


 そう、今最も優先されるのは時間を稼ぐこと。

 まったく関係ない彼の自慢話の聞き役になって、わずかでも時間を稼ぐのだっ。

 

 ジラハルの目が輝いた。

 

「いいともっ。聞かせてやろうじゃないか。あれは僕が初めて航海したときのこと――」


 身を乗り出し、ぺらぺらと語り始めるジラハル。

 はっきり言ってものすごく嫌だったが、ソフィはこの苦行を受け入れるしかなかった。

 正蔵が助けに来てくれるまでの我慢だと自分に言い聞かせる。

 

 だがジラハルは、それほど甘い男ではなかった。

 

「――そのとき僕は言ってやったのさ。『一昨日きやがれ』ってね』(ドヤ顔)


「は、はあ……、それは、すごいですね……」(げんなり)


 営業をしていれば、商談相手の自慢話は何度となく聞かされる。だから慣れたものだと高を括っていたのだが、彼の自慢話はガシガシと精神を削ってくるほどつまらなかったのだ。

 

 ソフィは我慢できずにうな垂れた。それを合図として。

 

「さて、まだまだ話し足りないが、続きは明日以降ぞんぶんに語って聞かせよう。さあ、この契約書にサインするんだ」


 ジラハルが契約書を差し出してきた。

 経営権を持たない自分がサインしたところで有効な文書にはならないが、仮にも創業者の娘の名前が書かれていたら、何かしら後で彼に付け入る隙を与えてしまう。脅迫されたとの言い訳が通用する保証もないのだ。


 正蔵の顔が頭をかすめた。

 早く助けに来てとの願いを、首を振って追いやる。


(ダメっ。あの人にばかり頼っていては)


 ソフィは擦り減った精神を奮い立たせ、やはりここは毅然とした態度で断ろう。

 そう、決意したときだ。

 

 目の前の契約書が、すぱっと真っ二つになった。

 冷気に身震いする。

 ピリッとした感覚で目の前の事態を正しく認識すれば、冷たい刃が切り裂いたのは、契約書だけではなく――。

 

「ななな何事だぁっ!?」


 荷馬車ごと、真横に両断されていた。

 

 前後に分かたれた荷馬車は、前の部分が馬に引きずられて離れていく。後部座席にいたソフィは必死に座席にしがみつくも、前方への力に抗えず、外へと投げ出された。

 

 石造りの地面が眼前に迫る恐怖。

 しかし次の瞬間には、ふわりと体が浮き上がった。

 

「あらあら、恐がらせてごめんなさいね。思いのほかプルちゃんの氷刃の威力が、強かったみたいね」

 

 浮遊感は地に足がつくとなくなった。

 目の前に、女性が立っている。

 銀色の長い髪をした、美しい女性。まるで女神と見紛うほどだと、ソフィは恐怖を忘れてため息をついた。


 と、彼女の背後から、ひょっこりと小さな顔が覗き、ソフィに飛びついてきた。

 

「そふぃおねーさま、ごぶじですかっ!」


「ぐえっ、ひ、ヒナちゃん!? えっ、どうして……?」


 腹部の衝撃に耐えて受け止めると、愛らしい顔が上に向き、

 

「かぞくそうでで、おたすけにきたですっ」


「えっ、家族……?」

 

 視線を上げると、馬ほどもあるブルードラゴンに乗った少女と目が合う。以前、陽菜と一緒に街中で出会った香菜だった。にんまりする彼女の腕の中には、香菜より年上の少女が目を回している。

 ブルードラゴンにも見覚えがあった。

 大きく成長しているが、かつて親を失った仔ドラゴンに違いない。

 

 再び視線を銀髪の女性に戻すと、彼女はにっこりと微笑んで言った。

 

「貴女がソフィさんね。初めまして、鬼瓦シルビアです」


「オニ、ガワラ……?」


「ええ。主人がいつも、お世話になっています」


 慈愛に満ちた笑みなのに、得も言われぬ威圧感に気圧される。

 

(えっ、うそ……。オニガワラさん、結婚されていたの……? しかも、こんなにたくさんのお子さんまで……)


 ガーンとショックを受ける彼女の耳に、ジラハルの声が届いた。

 

「いったい何事だっ! こんな真似をしてただでは済まさないぞ。僕をジラハル・ゴルダスと知っているんだろうなっ」


 ようやく止まった馬車から、転がるようにジラハルが降り立つ。

 怒り心頭の彼の前に進み出たのは、

 

「ああ、知っているとも」


 ソフィが待ち望んでいた、正蔵だった――。

 

 

 

 ジラハルが移動中の馬車にソフィを捕らえていると看破した正蔵は、エマリアの追跡魔法を頼りに、怪しい馬車をついに見つけた。

 ちょうどそこへシルビアたちが現れて、ソフィのいる馬車を特定したのだ。


 正蔵が突撃する前に、香菜がプルに命じて馬車を両断してしまったが、目的は果たせたので良しとする。

 

「私が間違っていたよ、ジラハル」


 正蔵が憤怒を視線に絡めて見下ろすと、ジラハルは「ひっ」と腰を抜かしてしまった。

 

「卑怯なやり口を続けていた貴様を、野放しにしておくべきではなかった」


「な、何をするつもりだ、僕は、ゴルダス侯爵家の人間だぞ?」


 正蔵が無言で一歩、足を前に出すと、ジラハルは尻を地面につけたまま数メートル後方へ後じさった。

 

「オニガワラさん、いけませんっ。乱暴は……。わたしは、大丈夫ですから」


 声に振り返る。

 ソフィは服も髪も乱れていない。憔悴しているようだが、言葉のとおり無事だとわかる。

 だがその笑みは明らかに作ったものだ。

 とてつもない精神的なショックを受けた、そう感じられるほどに。

 だから正蔵の怒りは治まらなかった。

 

「ぼ、僕に手を出せば、父上が黙っていない。お前たちのギルドなんて、すぐに潰してやるからな」


 ジラハルはまだ下半身に力は入らないようで、顔も引きつっている。

 

「ああ、貴様に何かしようとは、思っていない」


 ジラハルの顔に気色が戻ったのは一瞬。

 

 正蔵はその首根っこをむんずとつかみ、

 

「貴様とは会話が成立しない。だから話をするだけ無駄だ。ゆえに――」


「ひっ」


 正蔵はジラハルを片手で軽々と持ち上げて、

 

「成人しているとはいえ、子の不始末は、親に取っていただこう」


 有無を言わせずジラハルを担ぎ、その場を全速力で離れるのだった――。

 

 

 

 ゴルダス侯爵は、城塞都市トレイアの近隣を治める領主である。

 だが軍の要職に就く侯爵は王都に居を構えていた。

 

 トレイアから王都はさほど遠くない。

 正蔵は全力疾走で駆け、王都の城壁を飛び越え、王宮を見上げる閑静な住宅街にたどり着いた。

 

 大きな屋敷の正門を、問答無用で蹴破る。

 

 衛兵が大挙してやってきたものの、正蔵は眉ひとつ動かさず、ジラハルを引きずってずんずん進んだ。

 

 兵士たちはぐったりしたジラハルがいるため、手を出せずにいた。彼らが遠巻きに見守る中を、正蔵は脇目もふらず敷地内を闊歩する。

 

 やがて前をふさぐ兵士が二つに割れた。

 出来上がった道を、悠然と歩く壮年の巨漢。

 

 たっぷりと鬚髭しゅしを携えた強面。目つきはヘルハウンドよりも鋭く、眼光で魔獣を撃退させる力強さを持っていた。

 巨大な槍を持つ男から、野太い声がこだまする。

 

「我が息子を人質に、単身で押し入った理由を訊こう」


「ふむ。貴方がゴルダス侯爵か」


 男は小さくうなずいた。

 

 この男こそ、ジルク・ゴルダス。

 百戦錬磨にして、白金級の冒険者に並び立つ王国最強の誉れ高い戦士である。


「して、貴様は風貌からして、例の冒険者ギルドの職員だな。たしか、オニガワラと言ったか。我が息子を拉致し、貴族の屋敷に断りなく侵入したのだ。ただで済むとは思うなよ」


 ゴルダス侯爵は槍をひと薙ぎした。

 風が渦を巻き、兵士たちがよろめく。

 剛腕から繰り出された太刀筋のみならず、厳冬の吹雪じみた威圧感は、なるほど、かつて出会った『竜殺し』の少年を上回る。

 

「とはいえ、弁明の如何によっては不問にしてやろう。儂に何用であるか」


「弁明?」


 正蔵はゴルダス侯爵の威圧感を涼風のように受け流した。

 

「教育を語りに来た」


 言って、ジラハルを地面に転がす。

 

「教育、だと?」


「貴方はその若者が今まで何をしてきたか、知っているのか?」


 侯爵はジラハルを一瞥し、薄く笑った。

 

「おおよそは。ふむ、なるほど。商売の邪魔をされたのが我慢ならず、息子を締め上げ、親の儂に文句を言いに来たのか」


 正蔵は答えない。

 

「失望したぞ。やり口が卑劣で気に食わぬからと暴力に訴えるとは、見た目どおりの男だったか。商売とは頭脳で戦うもの。権謀術数を駆使して、相手を打ち負かす(いくさ)だ。それを――」


「黙れ」


 正蔵は静かに、しかし重いひと言で遮った。

 

「貴方の発言に異論はいくつもあるが、今はやめておこう。私はビジネスの話をしに来たのではないのでね。先ほど言ったはずだ。『教育を語りに来た』と」


 すうっと息を吸いこみ、カッと目を見開いた、直後――。

 

 

「この大バカ者がっ!!」



 一喝は衝撃波を生み、取り囲む兵士たちを吹き飛ばした。

 ジラハルは地面で泡を吹く。

 ゴルダス侯爵は腹に力をこめて衝撃に耐える。さすがは歴戦の強者である。

 

「我が子が道を踏み外しているのだぞ。それを『権謀術数』と履き違え、傍観するとは何事かっ」


「ぬ、ぅぅ……」


「たしかにっ。ビジネス上は邪道も認められる場合があるだろう。しかしっ。邪道を正しく(、、、)進めるは、正道を熟知している者のみだ。親ならばまず正しき道を指し示さなければならない。正道への理解が足りないとなれば、それを教えるのが親というものだ。違うかね?」


「儂に、説教をするか。侯爵たる儂に……」


 侯爵はぎろりと正蔵を睨み据える。

 だが、眉間に苦悶を集めると、ふっと息をついた。

 

「いや、今はよい。今は一人の父親として、甘んじて受け入れよう」


 侯爵は語る。

 

ジラハル(これ)が生まれてすぐ、妻は逝ってしまってな。ちょうど家督を譲り受けた時期でもあり、子どもたちと共に過ごす時間がなかなか持てなかったのは確かだ」


 特にジラハルは兄弟で唯一母親を知らない子だったので、甘やかせてしまったのだと侯爵は肩を落とした。

 

「言い訳でしかないな。けっきょく儂は、親としての責任を放棄したのだ。要職に就かせ、有能な者を付けただけで安心していた。いや、見ないようにしていたのかもしれぬ……」


「怖かった、のだね」


「怖い? ふ……そうだな。幾多の戦場で恐怖を克服したつもりが、子を育てることから儂は逃げだしたらしい」


「その気持ちはよくわかる。私も初めて子を抱いたときは不安で仕方がなかった。『教育を語る』と言ったが、私とていまだ父親として真っ当かは疑わしい。だが、それでも、解決する策はある」


「ふむ、策が?」


「そうだ。考えるに、貴方の失敗はひとつ。他者に頼らなかったことだ。他人ひと任せに育児を丸投げするのとは違う。百戦練磨の先達に教えを乞うこと。つまり――」


「つまり?」


 ゴルダス侯爵が身を乗り出した。

 正蔵は、重く言い放つ。

 

「パパ友を作るのだ」


「パパ友」


「うむ。子育てに悩む父親たちと交流を深め、悩みを打ち明けたり、一緒に解決策を考えたりして、ケーススタディを学ぶのだ。さらにっ」


 正蔵は語りに熱をこめる。

 

「私が暮らしていた地域には、『イクメン』と呼ばれる猛者たちがいる。私は彼らとメッセージ……手紙のようなものでやり取りして、子育てや妻のサポートを学んだのだ」


「イクメン……そのような男たちがいたとは」


 ゴルダス侯爵はごくりと喉を鳴らす。正蔵へ羨望の眼差しを投げた。

 

「貴様もその、イクメンなのか?」


「私なんてまだまだ。だが、彼らから学んだことは多く身につけている」


「ふむぅ……。しかし、今さら育児を学ぶなど……」


「父親は一生父親だ。早い遅いを気にしてはいけない。気づいたときが、始めるときなのだから」


 侯爵は「そうだな」と憑き物が落ちたような晴れやかな顔つきとなり、巨槍をがらんと放り投げた。正蔵へゆっくりと歩み寄る。

 

「我が生涯、初のパパ友となってはくれまいか?」


 差し出された手を、正蔵はぐっと握った。

 

「私でよければ」


 二人のやり取りをぽかんと眺めていた周囲の兵士たちから、パラパラと拍手が起こる。みな、どういう流れで二人が握手しているのかわかっていない風で困惑している。

 

「ときにオニガワラよ」


 ゴルダス侯爵は手を握ったまま真剣な顔つきになった。

 

「ジラハルは鍛えなおすとして、我が冒険者ギルドはギルドマスターが不在となる。適任を捜すにも時間がかかるので、どうかな? 貴様、任されてはくれんか?」


 その申し出に、正蔵は――。

 

 

~~



「やっぱりさー、もったいなかったんじゃない?」


 ティータイムのひと時。ギルドマスター、エリザベートがそうこぼした。

 

 ゴルダス冒険者ギルドが、新たなギルドマスターを迎えて息を吹き返した、との話題から。

 

 けっきょく正蔵は、ゴルダス侯爵の申し出を受けなかった。それどころか――。


 アドラが重そうな体を揺らして言う。

 

「うちの一人勝ちを嫌ったって話はまあ、どうにか理解できるけどさ。クンツを返す必要はあったのかねえ」


 正蔵はジラハルの元右腕、クンツをゴルダス側に戻す提案までした。

 クンツはすでにエルンハイネ冒険者ギルドに再就職していたが、彼をゴルダスが引き抜いた、という体だ。

 

 彼の手腕はすばらしく、坂道を転がるしかなかったゴルダスの立て直しに成功しつつある。

 

 正蔵はしれっと答えた。

 

「なに、ライバルがいなくなると面白くないだろう? クンツさんは優秀だし、ゴルダス冒険者ギルドはいまだに規模も後ろ盾も我らの上を行く」


 だがね、と正蔵は子どものように屈託なく笑うと、


「だからこそ、倒しがいがあるのだよ」


 彼の言葉のとおり、エルンハイネ冒険者ギルドの職員はさらに士気を高め、夏の息吹が街へ訪れたころ、正蔵はついに目標を達成する。

 

 エルンハイネ冒険者ギルドを街一番のギルドに押し上げることに、成功したのだ――。


 


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