ゴルダス弱体化計画
ゴルダス冒険者ギルドのギルドマスターに就任した、ゴルダス侯爵の三男、ジラハル。
正蔵は彼の調査を進めるうち、ひとつの結論にたどり着く。
(まったくもって、取るに足らん男だ……。初対面ではちょっと期待したのだがな)
ジラハルはこの2年、ゴルダス侯爵家が運営する中規模の貿易会社のトップを務めていた。
彼が就任してからの業績はうなぎ上り。
これだけなら評価に値するのだが、周囲の反応は冷ややかだった。
短気で粗暴。思い付きを口走ることが多々あり、間違いを指摘されても頑なに方針転換しない。
そんな彼が大成功を収めたのには、間違いなく『別の誰か』の存在があると、正蔵は一人の男を思い描いていた。
ジラハルにくっついていた、中年男性。
文官じみた容姿でありながら、武人のごとき顔つきと雰囲気をまとった男だ。
彼の名はクンツ。
平民の出で、猛勉強の末に官吏となり、ゴルダス侯爵に見出されてジラハルの側仕えとなったらしい。
クンツが裏方となってジラハルをよく補佐し、彼の幼稚な経営を支えていたのだろう。
(だが、だとすると不可解だな)
このところのジラハルによる妨害工作は、子供騙しの域を出ていない。
優秀なブレインがついていながら、どうして?との思いは拭えなかった。
(二人の関係が悪化した何かがあるのだろうか? もしそうなら、クンツ氏をこちらに引きこむことも可能かもしれない)
いまだ牙と爪を封じている様子のクンツ。
その実力は本物に違いない。
最近他社からの引き抜きに成功した正蔵は味をしめていて、次の標的をクンツに定めた。
そのためにやるべきは――。
(うむっ! 放っておこうっ)
そのうちジラハルが大きなヘマをやらかして、二人の関係はもっと悪くなるだろう。
正蔵はしばらく様子を見ることに決めたのだった――。
~~~
正蔵が悠長に構えていたころ、ゴルダス冒険者ギルドの執務室では不気味な笑い声が響いていた。
「ふははははっ! いいことを、思いついたぞっ!」
ジラハルは側仕えの男――クンツを呼びつけ、今度こそエルンハイネに一泡吹かせようと策を説明した。
「いいな。お前は役所に赴いて、冒険者統制部の依頼管理課の課長に――」
ジラハルの命令を受けたクンツは、珍しく質問を投げた。
「課長クラスに話を通すだけで、よろしいのですか?」
「ん? 十分だろう。裏工作というのはな、かかわる人間が少ないほうがいいんだよ」
「では、協力者への報酬はいかがいたしましょう?」
「はっ、報酬なんて必要ないさ。役所の連中にはいろいろ甘い汁を吸わせてやっているんだ。その恩に報いる絶好の機会を与えてやったと思わせておけ」
「しかし――」
「うるさいなあ。向こうが文句を言ってきたら、適当に脅しておけ。お前は他に余計なことはせず、俺の言ったことを忠実に、過不足なく実行すればいい」
クンツは「承知しました」と無感情に答えると、急ぎ役所へと向かった。
「ふふ、エリザの可愛い顔が歪むのが目に浮かぶな」
ジラハルは一人きりの執務室で、再びの高笑いを上げる。
それを背に受けながら、クンツは考えを巡らせていた。
(見返りなしで役所を従わせる、か……。しかも協力者が少なすぎる。私にできることに限界はあるが……)
エルンハイネに――あのオニガワラという男に勝つ策を、クンツは時間ギリギリまで練るのだった――。
~~~
「何かね?」
執務室に呼び出された正蔵は、執務机でぶすっとしたエリザベートの前に立った。横にはアドラがいる。
エリザベートは紙束を机の上に叩きつけた。
「政府からの依頼票よ」
「ずいぶんたくさんあるねえ。何が起こったってんだい?」
政府案件は重複できるものを除き、ほぼゴルダスが独占している。めったに回ってこない依頼が大量に舞いこんだ。普段なら諸手を上げて小躍りするところだ。
しかし、おいしい話にはやはり裏があった。
正蔵は一枚を手に取り、内容を眺めてからつぶやく。
「従軍案件にしては、報奨金がずいぶんと低いな。これは正規の半分程度だ」
「こっちもそうだよ。なんだいこりゃ? 誰がこんな依頼を受けるかってんだよ」
正蔵は顎に手を添えた。
「なるほど。それが狙いか。おそらく我らの達成率を下げ、悪い噂を流すためのものだろう」
「やっぱりそうなのね。姑息というか子供騙しというか……」
「まだ依頼を受け付けちゃいないんだろ? 全部突っぱねりゃいいのさ」
アドラは息巻くが、事はそう単純ではなかった。
「ゴルダスの手が回っているのなら、『受けなければ次から依頼は絶対に頼まない』と言われたのだろう?」
「そ。『達成できなくても同じ』って言外に含まれているわね」
だから受けるしかない。そして達成できる冒険者にお願いするしかない。
「難しいわね。というか、絶対無理よ。ご丁寧に『銀』級以上の案件ばっかりだもの」
級が低ければ、対象の冒険者も多くなる。
緊急にお金が必要な者、昇級目的の者が、どうにか受けてくれるかもしれなかった。
「社長、その発想は間違っているぞ」
意見を否定されたのに、エリザベートは『来たかっ!』と言わんばかりに目を輝かせ、身を乗り出した。アドラも「おおっ」と興奮ぎみだ。
正蔵はちょっと照れながら、
「冒険者に無理を強いるギルドに、未来はない。嫌々であれば依頼をこなせない危険もある。なにより、以降我らの依頼を受けてもらえない。これまで築いてきた信用が地に落ちるというわけだ。それも見越してのジラハルの策だろう」
「うん、それで?」
「だから――」
「「だから?」」
「役所へ直談判に行く」
「「……」」
「双方が納得できるよう、交渉する」
沈黙は、さらに続き。
「「はあ~……」」
二人は盛大なため息を吐き出した。
「あのね、あっちは役所の連中とつるんで、こっちを嵌めようとしてるの。そんなのと交渉しても意味ないでしょうに」
さすがの正蔵も策を誤ることがあるのかと、エリザベートは肩を落とした。
「あんたまさか、力づくで解決しようってんじゃないだろうね?」
アドラも懐疑的だ。
「勝算はある。むろん平和的な方法で、だ。が、諦めが早く疑り深い君たちには教えない」
正蔵は「吉報を待て」と足早に、二人が呼び止めるのを無視して執務室を飛び出した――。
中央広場の一角にそびえ立つ、荘厳な建物。
この街の行政を司るお役所だ。
「あの、わたしが付いてきてよかったのでしょうか?」
ソフィが小さな丸眼鏡の位置を正しながら、おそるおそる尋ねた。
「役所へ営業に行くことは今までなかったのでね。いい機会だから、ぞんぶんに勉強するといい」
「は、はいっ」
元気よく返事をしたものの、ソフィは不安でいっぱいだった。
「では、行くとしよう。たしか、冒険者統制部の依頼管理課だったな」
正蔵は意気揚々と入り口をくぐった。
受付で担当者に会いたいと伝えると、対応した女性に「あいにく不在にしています」とにべもなく断られた。
「では、担当ではない人をお願いします」
「は?」
「同じ部署の方が全員不在ではありませんよね?」
「えっ、ですが、担当者以外はわからないかと……」
「ええ、構いませんよ。むしろ事情を知らない方が望ましいですね」
「あ、えっと……」
女性は怯えたようになりながら、奥にいる上司へ助けを求めた。初老の男性は首をひねりつつも、ちょうど近くを歩いていた一人の職員を呼び止めてくれた。
個室に案内され、男性職員と膝を突き合わせる。
正蔵はいきなり依頼票をテーブルに並べ、本題に入った。
職員は依頼票を眺め、怪訝に眉をひそめる。
「たしかにこれは、報奨金が低すぎますね」
言ってから、何かを思い出したようにハッとして、表情を歪めた。『変なのに関わってしまった』と顔に書いてある。
事情は少なからず知っているようだが、今は追及する場ではない。
正蔵は深々と頭を下げた。
「大変失礼いたしました」
「えっ? あの……」
「こちらが報奨金の額を確認しないまま持ち帰ってしまいました。しかしながら、これらは明らかに不備があります。依頼票を受け取るときに気づいていなかった、こちらのミスです」
正蔵は頭を下げたまま、感覚を鋭利にして周囲を観察する。
職員はどう答えてよいかわからないのか、不安そうにしていた。
「えっと……、じゃあ、こちらは一度、預かりまして確認をしてみますね」
ソフィの顔がぱっと明るくなった。
役所が依頼票を受け取れば、無茶な依頼をこちらが受けなくてよい理由になると考えているのかもしれない。
だが――。
「やあ、エルンハイネさんはこちらにいますかな?」
ノックもせず、ドアが開かれた。入ってきたのは中年男性。職員が「課長」とつぶやいたことから、依頼管理課の責任者だろう。
職員は困惑とも安堵とも取れる複雑な表情で、簡単に事情を説明すると。
「エルンハイネさん、これは間違ってはいませんよ」
課長の男は名乗りもせず、作ったような笑みでそう言った。
「私ども地方の役所が、冒険者ギルドに発行する依頼には大きく2種類あります。ご存知ですかな?」
「たしか、地方の役所が独自に発行するものと、中央の役所が地方を経由して発行するもの、でしたか」
「ええ。いずれにせよ、報奨金の設定は地方の役所が決めるのも、ご存知ですよね?」
「……承知しています」
課長はにっと笑う。
間違いなく、この男は首謀者の一人。ジラハルに協力する者だと正蔵は確信した。
「最近はいろいろあって、うちも予算が限られていましてね。このくらい切り詰めないとやっていけないんですよ」
課長は正蔵の反応を待たず、畳みかけてきた。
「エルンハイネさんは依頼をこなせる冒険者捜しに定評がありますからな。きっとふさわしい冒険者を見つけてくれると信じていますよ」
口元を歪めただけの笑み。
正蔵は心からの笑顔を返し、ソファーに背をもたれかけた。
「無理ですな」
「ほう。では、お断りになると? でしたら今後、エルンハイネさんには――」
「いやいや、断るとは言っていませんよ。ただ、困りましたなあ、お互いに」
「お互い……?」
「だってそうでしょう? 私どもはもちろんですが、貴方がただって、達成してほしいから依頼をするのです。特に従軍案件のような中央からの依頼は、達成できなければ貴方個人の評価にも影響が出るのでは?」
課長は苦い顔をした。
しかしまだ、どこか余裕が感じられる。
正蔵は彼と、その部下の表情も注視しながら、言葉を紡いだ。
「限られた予算で、貴方も相当苦しいお立場なのでしょう。そこで提案なのですが――」
正蔵はずいっと身を乗り出し、静かに告げた。
「ひとまず地方が独自に発行している依頼は保留とし、その予算を中央からの依頼に回して、適正な報奨金額にしてはどうでしょう?」
課長が目を見開いた。
が、提案に驚いた風ではない。
わずかに喜色が浮かんでいるところから察するに。
(すでに知っていた……。いや、知らされていたのか)
課長は受け答えから、さすが役所の管理職と思わせる老獪さを醸していた。
だが彼は、与えられた仕事を正確にこなすのを得意とするタイプと正蔵は判断している。
(この入れ知恵は、はたしてジラハルがしたものだろうか……?)
短気で短慮なジラハルならば、課長までしか手懐けていないはず。
であれば、事情を知らない上との直接交渉で突破できる。
正蔵は確認すべく畳みかけた。
「もし貴方の一存で決められないのであれば、貴方の上司……冒険者統制部の部長にお話を通していただけますか? もし今いらっしゃるなら、是非ともご同席いただきたい」
「……」
腕を組み、黙考する課長。
その口元が知らず緩んだのを正蔵は見逃さなかった。
(部長も懐柔済み、か)
今自分が相手をしているのは、ジラハルではなく、クンツだと確信した。
そして同時に、正蔵の目論見が崩れた瞬間でもある。
にもかかわらず――。
(久しぶりに、手ごたえのある相手だな)
今この場にはいない、この策を仕掛けたであろうクンツとの対決に、正蔵は心が躍る思いだった。
見かねたらしい職員が口を開く。彼は事情をよく知らないようなので、助け舟を出したつもりだろう。
「我らでは判断できかねますので、一度部長にお話して、後ほど結果を連絡差し上げるということで……」
課長は職員を目で制する。『余計なことはするな』と視線で訴えていた。
「いや、時間をかけるわけにはいかない。エルンハイネさん、すぐに部長を呼んでまいりましょう」
課長がゆっくりと腰を上げる。
演技は堂に入ったものだが、早く正蔵をやりこめたくて必死な様子。
正蔵は「お願いします」と頭を下げた。
部長が現れても、結論は変わらない。ならば、わざわざ呼びつける意味はない。
「そういえば――」
だから正蔵は、一気に決めることにした。
「部長は今回の報奨金額の件、『ご存じない』のですよね?」
課長の表情がわずかにこわばる。
「どう、でしたかな? 依頼の報奨金額は、よほど大きな案件でない限り、依頼管理課に一任されています。ただ、耳に入っている可能性もなくはないような……?」
「ふむ。もしご存じないなら、部長は難しい判断に迫られますな。ただその場合、時間をかければ依頼の達成はますます難しくなります。いや、部長が同様の判断を下されるのなら、やはり依頼の達成は困難……」
正蔵はうむむとうなり、しばらく考えているふりをして。
ぺちりと膝を打ち、満面の笑みで言った。
「よし、ここは私が中央の役所に出向き、事情を説明して中央分の依頼を撤回していただきましょう。そこで浮いた予算を地方分に回せばいい」
「「はあっ!?」」
課長は腰を抜かしそうなほど驚いて、職員も目を丸くする。
「いや失礼。その程度では手ぬるい、と驚かれたのですね。わかりました。ここはこの街で働く者として、地方の役所の事情を知らず、ポンポンと無理な依頼をしてくる中央にガツンと言ってやりますよ」
「「えぇっ!?」」
「なあに、中央が文句を返してくるようなら、もっと上……そうですな、国王様に直談判でもしましょうか」
あっはっは、と豪快に笑う正蔵を、青ざめた顔で眺める二人。
特に課長は気が気ではなかった。
そもそも彼は、ジラハル側からの一方的な命令を、部長から押しつけられただけ。
見返りはない。
ただやらなければ、侯爵家の力で左遷されると部長に脅されていたから、しぶしぶ従っているに過ぎなかった。
部長だってそうだ。
が、中央の役所に事が明るみになるのはまずい。
報奨金の額は地方の裁量に任されているとはいえ、不適正な金額設定を知れば疑念を抱くに違いないのだ。
正蔵が直談判するまでもなく、国王やそれに近い貴族の耳に届く可能性が、まったくないとは言いきれなかった。
そうなれば、ジラハルの立場も危うい。
おそらく……いや、ほぼ確実に、今回の件にはジラハルの上――ゴルダス侯爵は関与していないのだから。
(そうだ。ジラハルを守るという大義名分は、今この男が作ってくれたじゃないか)
正蔵が本気かどうかは、この際どうでもいい。
彼の凶行を阻止する目的だったと、ジラハルへの言い訳は立つ。
ちなみに、正蔵は本気で最終的に、国王へ直談判する気でいた。
(だいたい、達成されないことを前提に依頼をするなんて、そもそも間違っている……)
依頼は達成されてこそ意味がある。
冒険者にとっても、依頼主にとっても。
常々彼は、達成率の悪いゴルダスとの取引を縮小したいと考えていた。
エルンハイネ冒険者ギルドに任せれば、その営業力で依頼はことごとく達成されるだろう。
自身の評価が上がるのは間違いなかった。
(なんだ、迷うことなど、何もないじゃないか……。部長だって、きっとわかってくれる!)
課長は、覚悟を決めた。
「わかりました、エルンハイネさん」
しがらみを吹っ切ったように、晴れ晴れとした顔で言う。
「私の権限で、依頼の報奨金はすべて適正なものに戻しましょう」
「おおっ! しかし、予算は……」
「なに、関係部署に頭を下げるのは慣れっこですからね。すぐに依頼票を書き換えますので、しばらくお待ちください」
課長は職員ともども、依頼票を抱えて部屋を飛び出した――。
役所からの帰り道。
「やりましたねっ、オニガワラさん。まさか適正な報奨金額の依頼を、お役所からこんなにいただけるなんて」
受けても突っぱねてもエルンハイネ冒険者ギルドが不利益を被る危機。
それを逆手に取って、めったに回ってこない政府案件を大量に受けたのだ。
ソフィの興奮は冷めやらない。
「まだ終わっていないよ」
「えっ?」
「依頼はたくさんあるからな。今度は依頼をこなせる冒険者を捜さなくてはならない」
「そう、でした。はいっ、わたし、がんばりますっ」
むんっと気合を入れる少女に、正蔵は頬を綻ばせた。
一方で、クンツの姿を頭に思い浮かべる。
(さすがに中央までは手を回していなかったか。だが、油断は禁物だな)
正蔵は、あらためて気を引き締める。
しかしそれは知らぬ間に、杞憂に終わるのだった――。
~~~
「くそっ、またしても失敗かっ!」
役所からの報告を受け、ゴルダス冒険者ギルドの執務室でジラハルは机をバンバン叩いていた。鬱憤はまったく晴れない。
相手を陥れるつもりが、逆に売上に貢献する羽目になろうとは。
「私の力が足りず、申し訳ございませんでした」
正面に立つクンツが口惜しそうに言った。
「力が足りず、だと? お前まさか、余計なマネはしていないだろうな?」
「……実は――」
クンツは正直に、部長までは話を通したが、それでも不十分だったと謝罪した。
「バカ者っ! 僕の邪魔をして、お前の失態じゃないかっ」
「……」
「まさかお前、エルンハイネに味方しているんじゃないだろうな? いや、そうに違いないっ。いくらもらった? それとも女でもあてがわれたか?」
「いえ、そのようなことは――」
「うるさいっ! この無能め。父上に言われて仕方なく側に置いてやったのに、その恩を忘れるとは何事だっ。もういい、お前はクビだ。今すぐ僕の前から消えろっ!」
ダンッ、と机を叩いた衝撃で、ジラハルは腕が痺れたようだ。手を押さえて顔を歪めている。
「くそっ、どいつもこいつも僕をバカにしやがって。こうなったらエリザに直接、僕の力を思い知らせてやるっ」
クンツは仰天した。
ジラハルの言う『直接彼の力を思い知らせる』とは、対象を拉致し、痛めつけることだ。
以前、一度だけジラハルが凶行に及びかけたことがあった。
すんでのところで阻止したが、今は止める者がいない。
すでに解任を通告された自分の諫言に、耳を貸すとは思えなかった。
だからといって黙ってはいられない。
エリザベートは伯爵家の令嬢だ。貴族が貴族を襲うなど、両家を巻きこむ大スキャンダルになりかねない。
「ジラハル様、敵を見誤ってはなりません。エリザベート嬢も手ごわい相手ではありますが、エルンハイネの躍進を支えているのはオニガワラという男です。彼をこそ、最も警戒すべきかと」
「なんだお前、まだいたのか。あんな頭の中まで筋肉でできていそうな奴に何ができる?」
「いえ。彼は切れ者です。エリザベート嬢のギルドは実質エルンハイネという零細ギルドに吸収され――」
「ああ、わかったわかった。僕に見放されて必死なお前に免じて、最後の助言として心には留めておいてやる。だが僕は一度口にしたことは覆さない。とっとと消えろ。目障りだっ」
ジラハルは回転いすを回し、背を向けた。
「エリザのやつ、まさか本当にあの化け物じみた男に惚れているのか? それほどの実力者だと……? そういえば、エルンハイネには――」
独り言を続けるジラハルが見ていないのを知りながら、男は深々と頭を下げる。「お世話になりました」とひと言だけを残し、ゴルダス冒険者ギルドを後にした――。
夕方の大通りを、クンツはとぼとぼと歩く。
正蔵が見ぬいたように、ジラハルが商売で大成功したのは、彼の功績によるものだ。
行き当たりばったりの策を改善し、現場で直接指揮を執っていたのはクンツだった。
ジラハルには悟られないよう、彼の手柄と思いこませるよう、細心の注意を払っていた。
だが、ゴルダス侯爵の知るところとなり、『もう奴を甘やかすな』と叱責されたため、今回はまったく口を出さなかったのだ。
結果、ジラハルが弄した策はことごとく失敗する。
さすがに見かねて、今回ばかりは独断で立ち回ったものの、最後は主を怒らせ、職を失う羽目になった。
(潮時ではあったな。しかし困った。この歳で、しかも貴族の怒りを買って解任された男を、誰が雇ってくれるだろうか?)
クンツはとぼとぼ歩くうち、とある建物の前で立ち止まった。
見上げる先には、看板が掲げられている。
『エルンハイネ冒険者ギルド』、と――。
~~
商売敵の懐刀が単身訪ねてきた。
それだけでも正蔵は驚いたが、彼はジラハルから解雇を通告されたと聞き、二度驚いた。
応接室ではなく、執務室に招く。エリザベートは自席で二人の様子を眺めていた。
「それでクンツさん、どのようなご用件で?」
正蔵はソファーで彼の対面に座り、話を切り出した。
「お詫びを2つと、ご忠告に」
クンツの言葉に正蔵は首をひねる。
「ジラハル様が貴ギルドへ行った度重なる妨害工作を、私は止めるべき立場にいながら止めませんでした。ご迷惑をおかけしましたこと、深くお詫びいたします」
クンツは深々と頭を下げた。
なぜジラハルを止めなかったのかを尋ねられ、クンツは躊躇いがちに、ジラハルの父親であるゴルダス侯爵の意向であったと答える。
「事情を伺った限りでは、クンツさんはゴルダス親子の躾け問題に巻きこまれただけのように思いますがね。それに、結果的に我々は成果を得られました。実のところ、クンツさんも結末を予想されていたのでは?」
「いえ。大した効果はないだろうとは思っていましたが、あれほど見事にこちらの手を逆手に取ったのには、純粋に舌を巻きましたよ」
正蔵が「恐縮です」と目礼すると、和やかな空気が辺りを包んだ。
が、クンツが表情を引き締めて一変する。
「では、もうひとつのお詫びと、ご忠告を。まず背景として、ジラハル様は今、周囲が考えるよりもずっと追い詰められています。それで、その……」
クンツは言葉を濁しつつ、ちらりと執務机に目をやった。エリザベートは暇を持て余しているのか、金色の巻き髪を指でもてあそびながら紅茶をすすっている。
「あのお方は、エリザベート嬢を拉致し、痛めつけようとしていたのです」
ぶはっと、エリザベートが紅茶を噴き出した。
「もはや私の言葉は届かないと悟り、大変身勝手な話ではありますが、警戒すべきはエリザベート嬢ではなく、オニガワラさん――貴方だと進言しました。いちおう、そちらは納得されたようなので……」
「なるほど。標的は彼女から私に移った、と?」
「オニガワラさんや、そのご家族に多大なご迷惑をおかけすることになるとは重々承知しておりましたが、他に手がありませんでした。誠に申し訳ございません」
クンツはまたも深々と頭を下げ、テーブルに額をこすりつけた。
すぐさま顔を上げると、
「2、3の伝手はあります。ジラハル様の怒りが治まるまで、ご家族と一緒に、そこへ身を隠してください」
「ふむ。そちらが忠告というわけですな」
正蔵は淡々と返すも、エリザベートが割って入る。
「冗談じゃないわ。逆恨みでショウゾウが不自由するなんて、理不尽にもほどがあるわよ。いいわ、私がお父様に頼んで、ゴルダス侯爵と話をしてみるから」
「しかし、伯爵と侯爵の関係が悪くなる恐れがあります。まだ実行に移していない現状、ゴルダス侯爵が話をお聞きくださるかどうか……。厳しい方ではありますが、なんだかんだでご子息には甘い方ですので……」
「悠長なことを言っている場合じゃないわよ」
憤慨するエリザベートと、困惑するクンツを眺め、正蔵は――。
「まあ、放っておこう」
「は?」「へ?」
「狙いが私ならば問題ない。奴が行動を起こしたら、私は捕まったふりをして、あの男と直接話をつければいい」
あっけらかんと話す正蔵に、エリザベートは「ま、貴方ならそうするわよね」と肩をすくめた。
話は終わりとばかりに、正蔵はクンツに尋ねる。
「ところでクンツさん、貴方はこれからどうされるのかね?」
「えっ? ……私は、以前の仕事関係の伝手を頼って、再就職先を探そうかと」
「もしよろしければ、ここで一緒に働きませんか?」
「とても光栄な話ではありますが、私はそのつもりできたのではなく……そもそも、数時間前までは商売敵であったわけですから、さすがにお受けするわけにはいきません」
「同業ならば、なおのこと有能な人材は逃したくありません。クンツさんが仲間になってくれれば、我々としても非常に心強い」
クンツは眉尻を下げて黙考する。
拾ってくれたゴルダスへの義理はすでに果たした。ジラハルにはそもそも義理がない。エルンハイネにも義理は通した。
今は身軽で、同時に妻子を養う責任が重い。
「……わかりました。一から勉強させていただくつもりで、身を粉にして働きます」
こうして正蔵は、願ってもない即戦力を手に入れたのだった。
これでジラハルは完全に孤立した。
強硬策に出てくる危険はあるが、自分を狙っているのなら、むしろ早期に問題を解決できる好機となる。
正蔵が当初掲げた、『エルンハイネを街一番の冒険者ギルドにする』という目標は、案外早く達成できるかもしれない。
(順調なときこそ、気を引き締めねばな。すくなくとも、家族に迷惑や心配はかけられない)
だが、敵をよく知る人物を引き入れた今、正蔵は手ぐすねを引いて、その時を待つのだった――。




