※鬼瓦3姉妹の日常(3)
麗らかな陽射しが降り注ぐ中、3姉妹は母シルビアと一緒に、近くの森へと遊びにでかけた。お弁当を持って、ちょっとしたピクニックに子どもたちは大はしゃぎだ。
「かなおねーさまっ、とんぼっ、とんぼさまがいるですっ!」
陽菜が叫ぶ。
茂みから突き出た枝の先に、トンボが一匹、羽を休めていた。
「異世界にもトンボがいるんだね。ようし、ここはお姉ちゃんに任せなさい」
香菜はそーっと近づき、しゅぱんっ。目にもとまらぬ速さでトンボの羽を指で挟んだ。
「ふふん。あたしのトンボ取りスキル、けっこうレベル上がってない?」
香菜は優しくトンボの羽を指でつまみ、自慢げに陽菜へ掲げてみせた。
「かわいそうです」
「えっ、あれ? 今の『捕まえて』って流れじゃなかったの?」
「ひなさまは、そんなこといってないです」
「ぇ、えぇ……」
香菜はしょんぼりする。が、手にしたトンボを見て、何かを思いついたようでニンマリと笑った。
そおっと陽菜の胸にトンボを近づける。トンボは陽菜の服にしっかりつかまった。
「どうよ?」
「これは……なふだっ、とんぼさまのなふだですっ!」
トンボは陽菜にしがみついて羽を広げている。その様が幼稚園の名札に思えたらしい。
「ゆなおねーさま、みるですよっ」
陽菜は嬉しくなってくるりと身をひるがえした。が、驚いたのか、トンボは空高く舞い上がってしまった。
「にがさない、ですっ!」
陽菜が躍起になって追いかける。香菜はのんびりと後を追う。
「つかまえて、『ひなさま』となまえをほるです」
「彫るんだ。死んじゃわないかな?」
ちっちゃな子はときに、平然と残酷なことを言う。
「てか、さっき『かわいそう』とか言ってたじゃん」
「それはそれ、これはこれ、とよくいうです」
「まあ、よく言うよね。陽菜っちは」
「あっちにいったですっ」
陽菜は皮肉をスルーして、優菜の前を横切ると、
「陽菜ちゃん!?」
ばふっと茂みの中に突っこんだ。ガサガサとした茂みを渡る音は、やがてぷっつりと消えてしまう。
「あっはっは、陽菜っちは好奇心が旺盛だねー」
「笑ってる場合じゃないよっ。迷子になっちゃう」
長女、大慌てである。
鋭い枝にためらいながらも、陽菜を探して茂みを突っ切ると、鬱蒼とした森の奥に続いていた。
茂みの量は減ったものの、大樹が点在し、まるで迷路のようになっている。
ぴょーんと茂みを飛び越え、香菜もやってきた。
「香菜って最近、運動能力が小学生の域を超えてない?」
「そうかな? 田舎暮らしで体力は上がった気がするけど」
その程度で収まるだろうか?と優菜は不思議に思う。
「とりあえず、いないね。優菜姉、二手に分かれよう」
「えっ、それは得策じゃな――って香菜っ!? 待ちなさいっ、待ってよぉ……」
優菜が止める間もなく、香菜はものすごいスピードで走り去ってしまった。
ぽつんと一人、優菜は残される。
枝葉が生い茂った森の奥。晴天の昼間なのに薄暗い。
小鳥の鳴き声がこだまする。さっきまでは楽しげに聞こえていたのに、今は不気味にしか感じられなかった。
「ひ、陽菜ちゃん……。香菜ぁ……」
あまり大きな声が出せない。叫んで獣を呼んでは一大事だ。この辺りは父正蔵が肉食獣を威嚇して遠ざけているので、大丈夫だとは思いたいが、腰が引けてしまう。
一度戻って母を呼んでこようかと考えたが、妹二人を残しては行けない。特に陽菜はまだ幼く、転んでケガをしていたら大変だ。
優菜は足元を注意深く観察する。むき出しになった土は湿っていて、足跡はかすかに残りそうだった。
大樹の根が隆起して歩きにくい中、ようやく陽菜の足跡とおぼしきものを見つける。
それを辿っていくと、またも茂みに突き当たった。
ガサゴソと茂みを抜けてみれば、
「ひっ!?」
恐怖に足がすくむ。見たこともない生き物を発見してしまった。
(オ、オオトカゲ……?)
長い首を持ち、全身を青白い鱗で覆われた生き物だ。首に比して胴がぽっこりしている。丸まっているが、大型犬くらいありそうだ。よく見れば背に翼のようなものが生えていた。
異世界特有の生き物だろうか?
と、その傍ら、顔を覗きこむようにする妹の姿にようやく気づいた。
「陽菜ちゃん、危ないから、こっちへおいで」
「ゆなおねーさま、このこ、くるしそうです」
陽菜は眉を八の字にして心配そうだ。
優菜はおそるおそる近づいて、陽菜の横にしゃがんだ。
生き物は目を閉じ、口を半開きにして荒く呼吸していた。
「病気、なのかな……?」
だとすれば、こちらに感染する危険もある。
「一度お母さんのところに戻ろう?」
「でも、くるしそうです……」
陽菜は生き物の首のあたりを撫でた。ほんのり、触れた部分が光ったかと思うと。
ぱくっ。
「ひひひ陽菜ちゃぁ~んっ!?」
生き物はいきなり首を起こし、陽菜の手にかぶりついた。
「うふふ、くすぐったいですよ」
が、陽菜はにこにこと痛がってはいない。
「だ、大丈夫なの?」
「もぐもぐしてるですけど、いたくないです」
たしかに、よく見ればまるで乳を吸うような口の動きだ。しばらくすると生き物は陽菜の手から口を離した。
息は整い、血色もよくなったように感じる。
「おなかがすいていたですね」
「でも、餌は何もあげてないよね?」
首をひねる優菜を横目に、生き物は陽菜の言葉を肯定するように「クェッ」と小さく鳴いた。
その声を聞きつけたのか。
「おっ、陽菜っち発見。優菜姉に先を越されちゃったかあ――って、なんかいるっ!?」
騒がしいのがやってきた。
「これってドラゴンってやつかな? ちっちゃいけど」
「どらごんさまですか?」
「たぶん、なんかそういう感じ? ママに聞いてみればいいんじゃない?」
言うや、香菜は悪路をもろともせずに爆走し……………………母の手を引いて戻ってきた。
「ブルードラゴンの雛みたいね」
シルビアはのほほんと言う。
「ひなさまですか。ひなさまとおなじです」
「迷子かしら? 近くに親の気配はしないし……」
どうしましょう?と頬に手を添えて困り顔の母に、陽菜が元気よく言った。
「おうちで、かうですっ」
「陽菜っち、名案だね」
「えっ、本気? わたし、爬虫類系はちょっと……」
シルビアは子どもたちの意見を聞きながら、一昨日の夜に正蔵がした話を思い出した。
西の山岳地帯で、ダークドラゴンに敗れたブルードラゴンの話だ。
傍らには子どもドラゴンがいて、正蔵が助けたあとに行方がわからなくなってしまった。
正蔵の匂いを辿ってきたのか、はたまた強い魔力に誘われたのか。
もし目の前の仔竜が、そのときのドラゴンなら。
「もしかしたら、親を亡くした子なのかもしれないわね。ひとまず家に連れ帰って、お父さんと相談しましょう」
「「はーい♪」」
下姉妹は大喜び。爬虫類系が苦手な優菜も、内心では(ちょっと可愛いかも)と感じていたので反論はしなかった。
その夜。
正蔵は一目見て、あのときの仔竜だとわかった。
ドラゴンの子は親から魔力をもらわなければ生きていけない。幸いにも、鬼瓦家には魔力を供給できる1級女神がいる。そして――。
「たーんとめしあがれ、です」
庭に放した仔竜に、陽菜は小さな手を差し出す。
かぷりと口に含み、もぐもぐする仔竜。
シルビアは目を細めて眺めていた。
「陽菜ちゃん、魔力のやりすぎはよくないから、ほどほどにね」
「はいですっ」
陽菜はぺちぺちと鼻先をたたき、手を引き抜いた。
「たべすぎると、おなかをこわすですよ?」
しゅんと首を垂れる仔竜は、物欲しそうに陽菜の手を見つめていた――。