ドラゴンスレイヤー
「「「「「いらっしゃいませ~♪」」」」」
『輝く鷲冒険者ギルド』改め『エルンハイネ冒険者ギルド』は、他ギルドより早い9時半から窓口を開く。
受付の職員はみな、弾ける笑顔と元気のいい挨拶で冒険者たちを出迎えるのだ。
ふたつのギルドが経営統合を決めてから、1か月が経過した。
受付開始時間の前倒し。気持ちの良い雰囲気での出迎え。
他にも様々な施策を打ち、もともと大通り沿いで立地の良いギルドは連日、冒険者たちで賑わっていた。
7つに増やした受付とは別に、受付フロアの右手奥に仕切りに囲まれた窓口がある。
「だからぁ~、これはあなたさまには無理だってばー」
猫耳をぴこぴこさせながら、獣人族のモコが男性冒険者に応対していた。
「そこを、なんとかっ!」
若い冒険者は額をテーブルにこすりつけた。やや頭髪が寂しくなりかけているが、生気盛んな20代の若者だ。体つきもよく、なかなか鍛えられているな、と正蔵は受付フロアに立ち入ってすぐに感じた。
「俺もそろそろでかい依頼をこなして、『金』になりたいんだよ。な? 頼むよ。これ受けさせてくれよ。だいたい、依頼は『銀』の俺でも受けられるって書いてあるじゃねえか」
「でもねー、『お客様ではぜったい無理無理』ってうちの者も申しておりましてー」
モコは依頼の紙をぴらぴらと振った。
このギルドでは、依頼を受けようとする冒険者が問題なく達成できるかどうかを判断してから、依頼をお願いするようにしている。
受付では捌ききれないものを、別に設けた相談窓口で応対するのだ。
手付金の慣習が残っていたころは、依頼が達成されなくてもギルドにお金が入ってきた。そのため積極的には、冒険者を吟味する行為はほとんど行われていなかった。
が、達成率を上げることはギルドの利益に直結する。
だから正蔵は早期に、こうした相談窓口を設置したのだ。
今日の相談窓口の担当はモコで、背後にはナーガ族のラーライネがぶつぶつ言っていた。
正蔵は彼らに近づき、ひょいとモコから依頼票を取り上げ、内容を確認する。
彼の後ろに隠れていたソフィも顔を出し、依頼票を眺めて言う。
「ダークドラゴンの討伐、ですか。軍隊さんと一緒なら、サポートとして『銀』級の冒険者を集めることもありますから、問題ないのでは?」
「いや、従軍の案件ではないな。政府の依頼ではなく、旅商人の組合からのものだ。対象の魔物の動向調査がメインだが、『可能なら倒せ』と書かれている」
倒した場合は報奨金が跳ね上がる。
だから男は倒す満々でいると考えられた。
「冒険者だけで倒すとなると、『金』どころか『白金』案件ですね」
冒険者には階級がある。強さや実績に応じ、『白金』、『金』、『銀』、『銅』、『鉄』の順。
最上位の『白金』ともなれば、まさしく一騎当千の強者で、王国では7名しか認められていない。
正蔵はずいっと男に顔を近づけた。
「我々も商売をしています。達成が難しいと判断した方に、依頼はお任せできかねますな」
「ぐ、ぅぅ……」
男は正蔵に気圧されて仰け反った。だが瞳には怒りや不満といった感情が渦巻いている。
すかさずソフィがフォローする。
「焦って大きな手柄を立てようとすれば、命にかかわりますよ。あのケトラ姉弟だって、すこし前にドラゴン討伐で大ケガを負って、今も活動を休止していると聞きますし」
話題に出た姉弟は『白金』の冒険者で、彼らにも単独では難しい案件だとやんわりと諭した。
「ちっ、わかったよ……」
男は言葉とは裏腹に納得しかねる表情のまま、外へ出ていった。
「初めて見る方でしたね。流れか、拠点をこちらに移したのでしょうか?」
「見たところ腕っぷしは『銀』に収まらないようだが、血気盛んすぎるのは問題だな」
「今の人の強さが、わかるんですか?」
「魔物もそうだが、冒険者には特有の『雰囲気』というものがある。それでだいたいの実力は測れるよ。まあ、魔力がどうとかはさっぱりだがね」
正蔵はあらためて、手にした依頼票を眺める。
「うん、今日はこれにしよう」
「あ、やっぱりそうなりますか……」
ソフィは諦めたように肩を落とした。
「ではラーライネさん、君も一緒にお願いするよ」
「オニのおっちゃん、またお出かけ?」
モコの問いに、正蔵はにっと笑って答えた。
「ああ、ちょっとドラゴンとやらを見てくるよ」
~~
誰がどんな依頼をこなせるかを判断するには、冒険者だけでなく、依頼内容も深く知る必要がある。
冒険者ギルドが扱う依頼の多くは、魔物に関するものだ。
この世界にやってきて日が浅い正蔵は、魔物をよく知らなかった。
そこで正蔵は相談窓口を設けてから、ちょくちょく魔物の観察に出かけていた。依頼としてよく扱われるものを中心に、彼らの棲息地へ足を運ぶのだ。
「ふむ、なかなかに硬い。しかも、ひとつひとつが鋭いな。鱗というよりは、鋭利な刃物でできた鎧か」
トレイアの西に位置する山岳地帯。
ここには数種のドラゴンが棲息している。
馬よりも速く駆け抜けて到着した正蔵は、さっそく巨大なドラゴンを見つけ、ぺたぺたと触っていた。
赤茶けた鱗に覆われたドラゴンは、正蔵たちを意に介さず、岩場で日向ぼっこをしている。
ドラゴンはひとたび暴れれば街ひとつを壊滅させかねない、災厄級の魔物だ。
けれど元来は大人しい魔物で、知能もかなり高い。
食性は樹木。といっても、巨大な体を持つわりには極めて少食だ。数日で大木を一本食べる程度。彼らは魔力をエネルギー源としていて、森の精霊から樹木を通じて魔力を取りこむのだとか。
ラーライネの解説だが、正蔵にはちんぷんかんぷんだった。
「オニガワラさん、あまり刺激はしないでくださいね。それはレッドドラゴンといって、他の種類に比べて気性が荒く、凶暴な面がありますから」
ソフィが遠くからハラハラと見守っている。傍らにはラーライネが横たわっていた。正蔵に運ばれただけだが、それでも体力のほとんどを使ってしまったらしい。
「こちらが敵意を向けなければ、気にもしないようだ」
正蔵は構わず、ぺたぺたと触る。
「えっと、その……。そ、そろそろお昼にしませんか?」
気が気ではないソフィはどうにか正蔵をドラゴンから引き離そうとして、そう提案した。
「む、もうそんな時間か」
ドラゴンに熱中するあまり、時間を忘れてしまったらしい。
正蔵はソフィのところへひとっ飛びし、休憩することにした。
食事中、正蔵は率直な感想を漏らす。
「人の身であれを倒そうというのは無理があるな。すくなくとも、出がけに話をしたあの青年では傷ひとつ付けられないだろう」
「ドラゴンは本来、『触れてはならないもの』ですからね。地域によっては信仰の対象にもなっています。ただ『白金』級の冒険者さんなら、相性にもよりますけど互角以上に戦えます。中には『ドラゴンスレイヤー』の称号を国王さまから賜った猛者もいらっしゃいますし」
「ほう。ドラゴンスレイヤーとは大したものだな」
「魔法も通じにくいですから、竜殺しを専門にする人はまずいません。でもその人は竜種と相性がよいそうで、依頼をこなすうちにいつの間にか、と聞いたことがあります」
「ふむ。それでダークドラゴンというのは、そこで寝ているのよりも強いのかね?」
「そうですね。大きな個体なら、ドラゴン数匹を相手に引けを取りません。しかも極めて好戦的で、下手に近づくとすぐ襲ってきます」
そのダークドラゴンが一匹、この辺りに出没するらしい。
街道からはかなり距離があるが、先月、とある商隊が襲われた。そのため王都やトレイアの冒険者ギルドに依頼が出回っているのだ。
「できればダークドラゴンも見てみたいものだな」
「それだと、わたしたちが調査依頼をしているようなものですから……」
ソフィは乗り気ではないらしい。
昼食がひと段落し、帰りたそうな二人を眺めてどうしたものかと悩んでいたら、ずずんと地響きが轟いた。
遠く、巨大獣の雄叫びのようなものも響く。
昼寝をしていたレッドドラゴンが立ち上がり、雄叫びの方向へ頭を向ける。しばらく牙を剥いて警戒していたドラゴンは、ばさりと翼を羽ばたかせ、逆方向へと飛び去った。
「な、なんでしょうか……?」
「わからん。が、ちょっと様子を見に行こう」
「ふぇ!?」
正蔵は二人を抱え、雄叫びの場所へ向けて走った。
岩場と森の境目で、巨大なドラゴン二匹が戦っていた。
いや、すでに決着はついている。
横たわるのは青い鱗を持つドラゴンで、首筋に大きな傷があった。息は、していない。
それを見下ろす、もう一匹のドラゴン。
禍々しいまでの黒い鱗で覆われている。青いドラゴン――ブルードラゴンよりもひと周り大きく、依頼にあったダークドラゴンで間違いなさそうだ。
「共喰い……」とラーライネがつぶやいた。声がすこし震えている。
「ドラゴンは、同種の肉を食べるのかね?」
ラーライネはふるふると首を横に振る。
ドラゴンの食性は樹木で、木を通じて森の精霊から魔力を取りこむ。だが他の生物を食らってその魔力を吸う個体もいるらしい。
凶暴で好戦的なダークドラゴンは特に、そういった傾向の個体が目立つとのこと。
「でも、変……。ブルードラゴンは、竜種で一番人懐っこいけど、ダークドラゴンに次ぐ、強さを持っている。見た感じ、一方的にやられたような……?」
ラーライネが首をひねる。
「それよりオニガワラさん。早く、逃げましょう……」
ソフィは凄惨な現場に顔が青ざめていた。
ダークドラゴンへの干渉は依頼を受けるに等しい。冒険者ギルドの職員は、依頼をこなす行為が禁じられている。
一見して黒い竜の実力は判断できた。
たしかに長居は無用。
正蔵は気づかれないよう、ソフィとラーライネを抱えようとして。
「む? あれは……」
事切れたブルードラゴンの傍らに、小さな影を正蔵は見つけた。
人ではない。人の子どもくらいの大きさの、青い竜だった。
「ブルードラゴンの雛でしょうか? 親を、目の前で殺されたんですね……」
ソフィも気づく。口元を手で覆い、泣きそうなほど苦しげな表情をしていた。
――グガァッ!
黒竜が吠えた。ぎろりと金色の瞳を幼い青竜へと向ける。
仔竜は親にぴっとり寄り添い、ぶるぶると震えていた。
ダークドラゴンが巨大な口を広げ、動けずにいる仔竜に襲いかかる。魔力どころか、小さな体をひと飲みにする勢いで。
弱肉強食は自然の理。
まして依頼対象のダークドラゴンへ直接かかわるのは、規則に違反する行為と取られかねない。
「だがそんなことは、些末っ!」
おそらくは我が子を守ろうとして、一方的に殺された親ドラゴン。
そして息絶えた親に寄り添い、恐怖に震える仔ドラゴン。
一人の父親として、見過ごすわけにはいかなかった。
ダンッ!
「オニガワラさぁぁ~~~~~んっ!?」
正蔵は大地を蹴り、ダークドラゴンへ飛びかかった。その横っ面を、ひっぱたく。
轟音に続き、ダークドラゴンがぐらりと傾いた。大地を揺らし、巨躯が倒れる。
「む?」
と、正蔵は、黒い首元にきらりと光るものを見つけた。
剣だ。
白刃きらめく美しい両刃の長剣が、ダークドラゴンの首に突き刺さっていた。
正蔵は黒竜の首に取りつくと、長剣を抜いた。
ドラゴンが起き上がろうとしたので、大きく飛びのいて仔竜の側に降り立った。
立ち上がった黒竜とにらみ合うこと数十秒。
先に動いたのはダークドラゴンだった。
漆黒の翼を羽ばたかせる。巨躯がふわりと舞い上がった。
上空20メートルほどで再びのにらみ合い。
しかし黒竜はやがて、もう一度翼を羽ばたかせると、山の間に姿を消した。
「オニガワラさん、また無茶をしてっ」
ソフィが駆けてきた。ラーライネも続いていたが、途中で体力が尽きたのか、へたり込む。
「クェッ!」
ブルードラゴンの子どもはひと鳴きすると、小さな羽をパタパタさせて飛び上がった。しばらく親ドラゴンを眺めてのち、森の中へと逃げていく。
正蔵は息も絶え絶えなラーライネを担ぎつつ、尋ねる。
「あのドラゴンの子は、今後どうなるのだろうか?」
「……小さいうちは、親から魔力をもらって育つ。だから、たぶん……」
魔力がなければ、いずれ死んでしまうだろう。
保護できなかったのが悔やまれる。
「あのダークドラゴンも、また現れるかもしれないな」
ラーライネによれば、他のドラゴンから魔力を吸い取ったので、10日ほどは大人しくしているだろうとのこと。
そこまで言って、ラーライネは体力の限界とばかりにぐったりしてしまった。
「しかし、あれだけ強大な魔物だ。討伐しなければ、商隊の安全は確保できない。ソフィさん、例のドラゴンスレイヤーは、どこで活動しているのかな?」
「たしか、王都を拠点にしていたと思います。トレイアにも何度か来たことがあったと聞きますね。わたしたちのギルドに足を運んでくれたことはありませんけど、エリザベートさんはもしかしたら知っているかも」
「ふむ。では一度、ギルドに戻ろう」
正蔵は森に目をやった。後ろ髪を引かれる思いで二人を抱え、本拠地へと戻るのだった――。
~~
大通り沿いにある新生『エルンハイネ冒険者ギルド』に戻った正蔵たちは、すぐさまギルドマスターの執務室へ入った。
応接用のソファーでだらんとしていたエリザベートに詳細を報告する。
「ドラゴンを素手でひっぱたいて転がした、なんて初めて聞いたわ」
縦ロールの金髪をもてあそびながら、エリザベートは呆れ声を出す。
正蔵がベルトに差した白刃の長剣にちらりと目をやり、大きくため息を吐きだした。
「なんか、いろいろ繋がっちゃったわね。結論から言えば、ダークドラゴンの討伐はかなり難しいわ」
「例のドラゴンスレイヤーでも、かね?」
「不確定情報ではあるんだけど、その人、死んでるかもしれないのよね」
「えっ?」と声を上げたのはソフィだ。
「ちょっと前に、けっこうな規模のドラゴン討伐があったのは知ってる?」
「もしかして、『白金』のケトラ姉弟が失敗した件ですか?」
「そ。南の国境地帯で暴れてたドラゴンを討伐するための従軍案件よ。でも軍は壊滅。ケトラ姉弟も、たしか姉のほうが大けがをしたって話ね。でも、それだけじゃなかったのよ」
別の依頼で参戦できなかった件のドラゴンスレイヤーが、遅れて戦いに加わったのだ。
敗色濃厚の中、ケトラ姉弟を含め負傷兵を守るため、彼はたった一人で戦場に残った。
「私は直接見たことはないけど、ぶっちゃけ彼の強さはダークドラゴンに遅れは取らないわ。なんたって竜種の血を受け継ぐ竜人族だもの。竜種に対する相性は抜群。でもね――」
そのドラゴン討伐では、想定外の事態が起こっていたとエリザベートは続ける。
「2匹、いたのよ。大型のダークドラゴンがね。で、そいつらが縄張り争いをしていた真っ最中に、のこのこ討伐隊は現れちゃったわけ。どっちかが勝つまで静観してればよかったんだけど、争っている隙を狙おうとしたんでしょうね。気が立ちまくりの2匹の戦いに巻き込まれて、さすがの『白金』クラスも不覚を取ったって話」
そして混乱の中、生き残りがどうにか王都へ戻ったときには、一時ケトラ姉弟の消息も不明。そして、ドラゴンスレイヤーは以降、どこにも姿を見せなかった。
「だから死んだんだろうって、噂されてたんだけど……」
エリザベートは正蔵の腰にある剣を指さし、
「それ、彼のものよ。たぶん貴方たちが出会ったダークドラゴンは、そのときの1匹ね。縄張り争いに負けて、こっちに流れてきちゃったんじゃないかしら?」
剣士が愛刀を放っておくのには、相当な理由があるに違いない。
もっとも可能性が高いのが、もはやこの世にいない、ということ。
「ケトラ姉弟のほうは復帰したらしいから、依頼をこなせるとしたら彼らだけど……」
「彼らは、今どこに?」
「もともと世界中を旅して回ってる冒険者なのよね。本来の拠点は海を越えた外国だから、もう帰ったんじゃないかしら?」
「他に候補はいるかね?」
「ていうか、これもう軍隊でどうにかしなきゃいけない問題だと思うわ。『金』級を10人くらいは集めないと、どうにもならないわよ」
そもそも依頼自体、商隊からの調査がメインの内容だ。
極めて危険なダークドラゴンが生息しているとわかれば、その情報を政府に上げて、国家として討伐してもらうためだった。
「今回、無理に戦う必要はないのよ。『金』の冒険者を適当に見繕って、『調査だけ』の約束でお願いするしかないわね」
「……」
「言っとくけど、『たまたま出くわした冒険者ギルドの職員が戦って倒しちゃった』なんてやめてよ? そんなこと続けてたら、うちだけじゃなくて業界にお金が回ってこなくなるんだから」
「……なかなか難しいものだな」
「ホント、なんでショウゾウは冒険者にならなかったのよ」
「今さらな話だな。とにかく、例のダークドラゴンが活動を再開するまで10日ほどの猶予がある。この1週間ばかし考えさせてもらえないだろうか?」
「いいわ。私もケトラ姉弟の足取りを探ってみる。彼らが完全に復調しているなら、勝機はあるものね」
正蔵は剣をエリザベートに預け、執務室を後にした。
その二日後。
事態は新たな局面を迎えるのだった――。
~~~
昼を過ぎ、正蔵が外回りから戻ると、受付が騒然としていた。
「俺、『白金』の冒険者を初めて見たよ」
「俺も俺もっ」
「でも見た目はパッとしなかったよな?」
「姉のほうはかなりの美女って話じゃなかったか?」
「噂なんて、信用しちゃいけねえってことだな」
正蔵は受付にいたモコに状況を尋ねる。
「例のケトラ姉弟ってのが来たんだよ。今さっき、執務室に案内されてった。おっちゃんにも同席してほしいって、エリザが言ってたよ」
まさか捜していた姉弟が向こうからやってくるとは思わなかった。
正蔵は執務室へ急ぐ。
途中、正蔵を呼びにきたソフィと合流し、執務室へ入ると。
「いつまで待たせんのよっ。こっちは忙しいってのに」
応接用ソファーでふんぞり返る女が喚いた。
横幅がかなりある、歩くのも疲れそうな太った女だ。その隣にはひょろ長い若い男が、背を丸めて陰気にうつむいている。
ソファーに座る二人組の背後には、顔を布でぐるぐる巻きした正体不明の人物が立っていた。
背格好から少年のようだが、頭部のバランスがおかしい。何か頭の上に乗せた状態で覆面をしている感じだった。
「大変お待たせしました。彼が営業主任のオニガワラです」
二人組の正面に座るエリザベートが引きつった笑顔で言った。正蔵をぎろりと睨み、目で『早くこっちへ来い』と命じる。
正蔵は挨拶したのち、エリザベートの横に座った。
「こちらのお二人は、かの有名な『白金』級冒険者、ケトラ姉弟よ」
「冒険者登録証の確認は?」
「さっき見せてもらったわ。正真正銘、本物の『白金』級の冒険者登録証よ」
冒険者登録証の偽造は難しい。
特に『銀』級以上には王都の宮廷魔導士が特殊な魔法をかけるため、この世に唯一無二の代物と保証される。
ひそひそ話を終え、エリザベートが二人組に向き直る。
「それでケトラ様、本日はダークドラゴンの調査・討伐依頼をお受けいただけると――」
「はんっ、受けると決まったわけじゃないわ」
「と、言いますと?」
「相手はダークドラゴンよ? これっぽっちの報奨金で命を懸けれると思ってんのっ」
バンっ、と女――ケトラ姉はローテーブルの上に置かれた紙を叩いた。依頼票だ。
「依頼主に交渉して、もっと値をつり上げてちょうだい」
「いや、しかし、ですね……」
「ここへ来る前に別のギルドを回ってきたわ。今のところ『ゴルダス冒険者ギルド』が、2倍まで上げてくれるって約束してくれたけど?」
「2倍っ!? ですか……? いくらなんでも法外すぎる気が……」
「ふんっ、凄腕の営業がいるって聞いたけど、大したことないのねえ」
ケトラ姉は鼻で笑った。
ぐぬぬ、と歯ぎしりするエリザベートを正蔵は目で制する。
「ケトラさん、ご要望は理解しました。しかし調査ではなく、討伐となれば難しさが跳ね上がります。おけがはもうよろしいのですかな?」
「なに? まさかアタシらを信用してないっての?」
「以前は、不覚を取ったとお聞きしています」
「はんっ、前のときは不幸な偶然が重なっただけよ。2匹いたのも予想外だけど、軍の連中が使えなさ過ぎてね。足手まといったらなかったわ。でもまあ、弟のケガも大したことなかったし、今回は余裕で倒して見せるわよ」
「弟……?」とエリザベートが怪訝に眉を寄せる。
正蔵はまたも目で制し、話を続けた。
「ところで、後ろにいる方は? チームを組まれる冒険者ですかな?」
「あん? ああ、こいつは見習いよ。冒険者じゃないわ」
「仮に依頼を受けられた場合、同行されるのですかな? 規則では上級の冒険者が一緒でも、冒険者登録をしていない者は連れていけないことになっていますが」
「こいつはただの荷物持ち。一緒に戦うんじゃなけりゃ、途中まで一緒に行ったって構わないでしょ」
「では、監視のため私も同行させていただきます」
「はあ? アンタ何様よ? まったく、気分が悪いわね。もういいわ。こんなとこ、こっちから願い下げよっ」
ケトラ姉は憤慨して立ち上がった。重そうな体を揺らし、のっしのっしと歩き出す。ひょろりとした弟が続き、その後ろを覆面の少年が付いていこうとして。
「君は、この連中が偽物だと知っているのかね?」
ぴたりと、3人の足が止まる。真っ先に振り返ったのは、顔を真っ赤にした姉だった。
「アンタ、今なんて言ったのっ! アタシたちを偽物だって!?」
「ついでに言えば、犯罪者だ。冒険者登録証を本人と偽って使おうとしただけで規則に違反する。逮捕案件だな。この場から逃げられるとは思うな。捕らえ、洗いざらい吐いてもらう」
「この――」
ケトラ姉の偽物が突っかかってくるよりも早く、覆面の少年が床を蹴った。一足飛びに正蔵へ肉薄し、腰に差した古びた剣を抜く。
正蔵は動かない。
覆面の少年はローテーブルに立つと、正蔵の首元に刃を当てる。
正蔵は、眉ひとつ動かさなかった。
「ふ、ふはははっ。でかいこと言ったわりに、大したことないね。見習いごときにビビって動けないなんてねえ」
嘲笑う女を無視し、正蔵は少年に眼光を向ける。
覆面の隙間から、金色の瞳が覗いていた。
「君は、本気で彼らを『白金』の冒険者だと信じているのかね?」
「すこし、黙っていてください」
初めて少年が声を出した。小柄な体つきのとおり、声変わり前の高い声音だ。
「わからないな。どうして君ほどの実力者が、あんな小物に付き従っているのかね?」
「黙ってくださいと、言いましたっ」
金色の瞳が迷いに揺れている。
「ふむ。事情は不明だが、君は明らかに彼らの本質を知りながら協力しているようだ。となれば、すこし懲らしめなければな」
「なにを――ッ!?」
正蔵は少年の顔を大きな手でつかんだ。わずかに力をこめる。
「ぐぁっ!」
少年が苦痛の声を上げ、剣を手放す。
そのまま持ち上げると、少年は手足をばたつかせた。
「くっ、離せっ! このっ、くそっ……」
少年は正蔵の腕や腹を殴ったり蹴ったりする。室内に突風が生まれ、石造りの建物が揺れるほどの暴れっぷりだ。
けれど正蔵は、びくともしない。
唖然として眺めていた女が、震える声でつぶやいた。
「嘘でしょ……。『白金』級の冒険者を、片手で押さえるなんて……っ!?」
ハッとして口を手で隠すも、正蔵含めこの場にいる全員が聞き逃さなかった。
「ちょっとあなた、『白金級の冒険者』ってどういうことよ? その子が?」
エリザベートが詰め寄ろうとするのを、正蔵は空いた手で制す。同時に少年から手を離した。
少年はローテーブルの上に尻もちをつく。
頭部に巻かれていた布が緩み、目元から下のほとんどが露わになった。
女の子のような愛らしい顔つき。しかし正蔵を見上げる眼光は鋭い。
「私は『白金』級とやらの実力は知らないが、君はかの黒竜に迫る力を備えていると感じていた。なるほど、相性を考慮すれば、打倒するのも可能だろうな」
正蔵以外の全員が息をのんだ。
少年は呆けたように瞳から険を剥ぎ、尋ねる。
「僕を、知っているんですか……?」
「さて? 私は君が何者かは知らない。が――」
正蔵はエリザベートへ目配せする。
彼女はすぐさま少年へと駆け寄り、緩んだ布を取り去った。
少年のおでこ。左右に一本ずつ、角のようなものが生えていた。
「龍人族……。貴方はもしかして、『ドラゴンスレイヤー』シドリアス・ゲオルタじゃないの?」
少年はエリザベートを不安そうに眺め、
「わか、りません……。僕は、シドリアスという、名前なんですか……?」
「記憶障害か。であれば、知っている者に訊くのが手っ取り早いだろう」
正蔵は指をぽきぽき鳴らし、
「さっき告げたとおり、洗いざらい吐いてもらうぞ」
偽のケトラ姉弟に、迫るのだった――。
1か月半ほど前。
王国の南国境付近で暴れ回っていたダークドラゴンを討伐すべく、軍隊が向かった。
『白金』級の冒険者、ケトラ姉弟を連れた精鋭たちだ。
しかし現地には想定外にも2匹の黒竜が縄張り争いをしていた。
討伐隊はその争いに巻き込まれ、壊滅に近い状態となる。兵士たちを助けようと、ケトラ姉弟の姉も大けがを負う。
弟は姉を兵士に預け、孤軍奮闘するも、体は擦り傷だらけ。見た目ほど深い傷ではなかったが、体力が削られ、絶体絶命の危機に陥っていた。
そこへ颯爽と現れたのが、ドラゴンスレイヤー、シドリアス・ゲオルタ少年だ。
彼はケトラ姉弟や兵士たちを避難させ、2匹の黒竜と相対する。
兵士たちが遠くまで離れたのを見届けて、彼もその場を離脱しようとした。
が、片方のダークドラゴンの首に剣を突き立てた際、不覚を取る。もう一匹の攻撃を食らったのだ。
シドリアスは地面に叩きつけられ、頭を強く打って意識を失う。
黒竜2匹は邪魔者がいなくなり、同種による戦いを再開した。
幸運にも、2匹は戦いながら徐々に場所を移動してたため、シドリアスは巻きこまれることなく気を失ったままであった。
その現場に、居合わせた者がいた。
シドリアスの案内役を請け負った男女の二人組。
二人は討伐された黒竜から素材をこっそり剥ぎ取ろうと、シドリアスに近づいたのだ。
彼らは本物のケトラ姉妹が落とした荷物を偶然見つけ、冒険者登録証をかすめ盗る。
そして頭を強く打って記憶を失ったシドリアスを保護したのち、言葉巧みに騙して彼を従えた。
やがてシドリアスが回復すると、二人はケトラ姉弟を騙ってひと儲けすることを考える。
そんな折、ちょうどダークドラゴンに関する依頼があることを知り、シドリアスに討伐させて報奨金をせしめようと画策したのだった。
「君は、二人の不正を承知で協力したのかね?」
偽ケトラ姉弟を拘束し、正蔵はシドリアスと向き合った。
「すこしおかしいな、とは感じていました。けど――」
自分たちは『白金』級の冒険者である。
けれどケガのため実力が出せない。
完治するまで、代わりにお前が働け。
「僕にとってこの人たちは、命の恩人です。断る理由がありません」
記憶を失くし、冒険者の制度も思い出せない彼は、二人の言葉に納得するしかなかった。
「であれば、情状酌量の余地はあるな。判断は司法が下すだろうが、我らも証人となろう」
エリザベートは「仕方ないわね」とまんざらでもない様子。
事情を話せば、衛兵の聴取も1日かからないだろう。
「というわけで、シドリアス君。どうかね? ダークドラゴンを倒す依頼を、受けてはもらえないだろうか?」
「僕が、ですか……? でも、僕は冒険者登録証を持っていません……」
正蔵がぎろりと偽ケトラ姉弟を睨むと、姉を騙った女が怯えたように言う。
「もう闇市場に売っ払っちまったよ」
エリザベートが肩をすくめる。
「となると『紛失』扱いね。再発行を申請しても、罰則で三つも級が落とされちゃうの。実質、改めて登録しなおすのと変わらないわ」
となれば、『銀』の案件は受けられない。シドリアス単独では――。
「では、『銀』級以上でやる気に満ち溢れた者を探してみよう。その冒険者と一緒に行くといい」
正蔵の頭には、先日この依頼を受けたくて仕方がなかった、血気盛んな冒険者の顔が浮かんでいた――。
準備を整えた三日後。
シドリアスは冒険者として再登録し、『銀』の冒険者とともに旅立った。
苦闘の末、見事ダークドラゴンを打ち果たす。
翌日にはトレイアに凱旋し、報奨金を受け取った。
彼の手には、ドラゴンスレイヤーの証たる白刃の長剣が握られていた――。