新生『エルンハイネ冒険者ギルド』
「どうだいっ!」
ギルドマスターのアドラが、応接セットのソファーでふんぞり返った。
彼女の前に座るのは、人懐っこい笑みを貼りつけた50代の男性だ。ローテーブルの上で貨幣を一枚一枚丁寧に数えている。
「たしかに、今月分まできっちりといただきましたよ」
今日、彼がやってきたのは借金の取り立てだ。名はヨーゼ。街一番の銀行に勤めている。
滞っていた分も含め、期日分までを受け取って顔のしわをいっそう深くした。
「ずいぶんと調子がよいようですなあ。しかし、思いきったことをしたものです。手付金を廃止するとは」
「なあに、考えてみりゃ、変な慣習だったからねえ。ま、おかげさんで大成功さ」
「ふむ。しかし、これからが大変なのでは?」
ヨーゼは笑みをうっすら陰らせる。
「他のギルドも手付金を失くすところが出てきました。ここも相変わらず、重複可能な依頼以外は受けさせてもらえていないでしょう?」
「ぅ……、まあ、ね。そこはほら、実績を積み上げていけば、さ」
「期待していますよ」
ヨーゼは立ち上がると、ぺこりとお辞儀をして出ていった。
アドラが正蔵に目をやり、にやにやと笑う。
「ヨーゼのおやじめ。うちに来てから帰るまで、ずっとあんたを気にしてたねえ」
「ギルドマスターを前にして、少々失礼な態度ではあるな」
「ま、けっこう噂になってるからね。『零細ギルドを躍進させた、凄腕の営業マンがいる』ってさ」
「まだ躍進までには程遠い。ヨーゼ氏も言及していた手付金の廃止のみならず、冒険者へ直接営業をかけるギルドもちらほら出てきた。我らの優位性は崩れつつある」
もともと不利な状況でのスタートだ。上に追いつきかけたものが、また差が開いてしまう事態になりかねない。
「こんなちまちました方法を繰り返しても、延命できる程度のものでしかない」
正蔵は採用される際に宣言している。
1年以内に最大手の『ゴルダス冒険者ギルド』を押し退け、業界トップに躍り出る、と。
「というわけで、規模の拡大が急務だ」
今は人手が足りない。だから大きな一手が打てず、それを連発するのは不可能だった。
「拡大、ねえ……。人が増えるってことは、ギルドマスターの責任も増えるってことかい? 勘弁しておくれよ……」
アドラはやれやれと首を振り、
「規模の拡大っつっても、元手がないからねえ。今は借金を返すので手一杯だよ。まずは借金を完済して、ちょっとずつ貯金して、元手ができたらドカーンって感じでいいんじゃないかい? 焦る必要はないよ」
「社長、その考え方は根本から間違っている。『元手が貯まってから行動を起こす』のでは、機会損失は免れない。そも現状を維持していただけでは、いずれ我らは追い詰められる。零細の我らは、常に他ギルドに先んじた手を打ち続ける必要がある」
小さなものを連発しても効果は高が知れている。
だから大きな一手――業界で一気に中堅クラスまでのし上がる策が必要だと正蔵は考えていた。
「またなんか無茶を考えてるって面だねえ。で? 具体的に、何をしようってのさ?」
正蔵はぎらりと双眸を光らせ、告げた。
「買収だ」
「は?」
「中堅どころの冒険者ギルドを、金で買う」
「はあ!?」
アドラ以下、従業員一同が目を丸くする。
「私が前にいた組織では珍しくないやり方だ。新興で勢いのある組織が、より大きいが勢いの衰えた組織を買収し、規模を一気に拡大する。好立地の拠点も即戦力の人材も流用でき、さらに勢いを増すことが可能だ」
「言ってることは、わかるんだけどねえ……。けど、他のギルドを買うだけの金はどこにあるってんだい?」
アドラは半眼で問うも、覗いた瞳には期待が宿っていた。
しかし正蔵が寄越したのは、実にありふれた答えだった。
「借金する」
アドラはがっくりと肩を落とす。
「どこの酔狂が、零細のギルドにそんだけの金を貸してくれるってんだい?」
「その零細ギルドに、いくらか都合つけてくれているところがあるじゃないか」
「銀行にかい? そりゃ無理ってもんだ。あたしらに金を貸してくれてるのは、この家と土地を担保にしてるからさ。ボロ屋に価値はないけど、土地はそこそこあるからね。奥まった場所で商売には向かないけど、住むには静かで安全なところだし」
「まあ、細かい話はあとでいい。正直なところ、資金集めにはさほど苦労しないと私は思っているからな。それよりもまず、どのギルドを買収するかを定めなければならない」
「それこそ、どこの酔狂がうちに『買ってもらっていい』なんて言うかねえ」
「目星はすでに付けている。大手の3ギルドを除き、我らの手法を真っ先に採用したギルドと、最近になってようやく追随したギルドだ」
前者は、逼迫した現状を変えようと必死なところ。
後者は、時流に乗り遅れてもがき続けているところ。
「ただ、後者は買収しても軌道に乗せるのが難しい。経営陣は少数を残して退場してもらわなければならない。逆に前者の経営陣は丸ごとこちらの幹部に迎えたいところだ。いずれにせよ、交渉には骨が折れるがね」
「てことは、実質は一個に絞られているってことかい?」
正蔵はうむ、とうなずいて、そのギルド名を告げた。
突然、目の前に座るソフィが立ち上がり、
「そこは無理ですっ!」
「そこは無理だよっ!」
アドラと声を合わせたのだった――。
二日後、正蔵はソフィと連れ立って、目的のギルドにやってきた。
大通り沿いにある3階建ての比較的真新しい建物だ。
『輝く鷲冒険者ギルド』
創業者の名を冠するギルドが多い中、一風変わった名前のギルドだった。
「オニガワラさん、やっぱり無理ですよぉ」
珍しくソフィが弱音を吐いている。
それほどの難敵であることは、事前にアドラとソフィから散々聞かされていた。
曰く、『話が通じない』と。
とにかく頑固で、自身の考えを曲げず、何を言っても拒否を返すので、そう評されているらしい。
二人はギルドマスターと既知の間柄らしく、その人となりは十分把握できた。
たしかに、『ちょっと変わった人だな』と正蔵は感じた。
だが、正蔵は『話が通じない』とは思わなかった。
ギルドの経営状況や、依頼の達成数などを細かく分析し、説得する余地は十分あると踏んでいる。
だからこそ、こうして足を運んだのだ。
勝算があればこそ、である。
「とにかく、アポイントは取ったのだから、会ってみよう」
事前に訪ねることは伝えてある。
今日、午前10時に来てほしいとの回答をもらった。
もちろん『買収の話をしたい』とは言っていない。挨拶と、仕事上の重要な話と濁していた。
入り口をくぐると、冒険者たちが窓口で受付と話をしていた。
受付は5つあり、すべて埋まっている。
順番待ちの人もちらほら見えた。
立地が良い。
それだけでも大きなアドバンテージであると正蔵は改めて思う。
と、窓口から離れたところに、異様な集団がいた。
鎧姿の男たち10人を前にして、少女がなにやら語っていたのだ。
金色の長い髪が螺旋を描き下へと流れている。やや目元はきついものの、愛らしい顔立ち。
黒いゴシックドレス調の服を着て、腰に手を当て、控えめな胸をそらしていた。
「あれ? エリザベートさん、何をしてるんでしょうか?」
ソフィも見つけたらしく、そんなことをつぶやいた。
少女の名はエリザベート・カロック。
貴族の流れを汲む彼女は、弱冠14歳にして『輝く鷲冒険者ギルド』のギルドマスターである。
エリザベートが正蔵たちに気づいた。
ソフィを見つけ、にぱっと笑みを咲かせる。鎧姿の男たちを置き去り、すたすたと近づいて、
「ごめんなさい、今日の会談はなしにしてちょうだい」
開口一番そう言うや、後ろに控える男たちに目配せして、正蔵たちの横を通り過ぎてしまった。
いち早く反応したのはソフィだった。
「は? や、ちょっとエリザベートさんっ!? どうしたんですか、いったい!」
エリザベートはぴたりと足を止め、くるりと振り返ってまたも笑顔になる。
「これから急ぎの用事があるのよ。だからごめんね。会談はまた今度」
踵を返そうとした彼女を呼び止めたのは正蔵だ。
「ギルドマスターが私兵を連れてお出かけとは、穏やかではありませんな」
ぴくりと、少女の片眉が動いた。
「あら、なかなか鋭いわね。彼らを冒険者ではなく、私兵だと見抜くなんて。いいわ。会談を直前でキャンセルした非はこちらにあるのだし、理由くらいは説明してあげる。外で話しましょう」
エリザベートは顎で入り口を示すと、すたすたと出て行った。
正蔵とソフィは顔を見合わせてから、彼女の後を追った。
外には馬車が用意されていた。4頭立ての大きな馬車だ。私兵はそこへ乗りこみ、エリザベートは正蔵たちに向き直る。
「これから私、アラシュアン洞窟に行かなくちゃならないのよ」
「アラシュアン洞窟?」
正蔵が首をかしげると、ソフィが説明した。
「河を越えた山あいにある洞窟です。魔物の棲み処になっているので、ふつうは近寄らないんですけど……」
「貴方、そんなことも知らないの?」
エリザベートは呆れたように正蔵を見やった。「まあいいわ」と肩をすくめ、
「そこの調査依頼が、王国政府からあったのよ。で、とある冒険者パーティーにお願いしたんだけど、期日になっても音沙汰なし。死んじゃったのか、逃げ出したのか、いちおう確かめないとね」
「ギルドマスター直々に、ですかな?」
「職員に危険なマネはさせられないわよ。普段は実家から私兵を借りて彼らだけに行かせるのだけど、近場だし、私は魔法が使えるしね。ま、今回は依頼主からせっつかれたのもあって、面目を保つ意味合いも大きいけど」
そういうわけだから、とエリザベートは手をひらひらさせて踵を返した。
「ちょっと待ってもらえますか?」
正蔵は慌てて呼び止めた。
話を聞き、引っかかりを覚えたからだ。
「なに? 私、急いでるのだけど」
半眼で睨んできた少女に、正蔵は――
「私も、同行させてもらえませんか?」
「貴方が? どうして?」
「今日はカロックさんとのお話に予定を開けていました。ついで、と言っては失礼ですが、やることもありませんので」
「うーん……」
エリザベートはじろじろと正蔵を眺める。
「噂どおり体格はいいわね。でも、魔物に襲われても助けてはあげられないかもよ?」
「構いません。自分の身は自分で守ります」
「そ、ならいいわ」
こっちよ、と顎で馬車の裏を示す。大きな馬車に隠れ、2頭立ての箱馬車が並んでいた。
「わ、わたしもっ! わたしも行きますっ!」
「勝手にしなさい」
エリザベートは振り向きもせず言う。
こうして、正蔵とソフィはエリザベートの箱馬車に乗りこんだ。
街の南側を走る大きな河。
渡し舟で対岸へ渡り、2台の馬車は荒野を進む。
「それで? 貴方たち、私に文句でも言いに来たの?」
箱馬車の中で、正蔵とソフィはエリザベートと向かい合って座っていた。
「文句、とは?」
「だって、手付金を廃止するやり方を真っ先にマネしたのはうちだもの」
「我々が文句を言う筋合いはありませんよ」
「ならよかったわ。ま、文句を言われても知らん顔するつもりだったけど」
あははとエリザベートは屈託なく笑う。
「じゃあ、なんの話? 依頼を回せって言うなら、今すぐここから蹴り落とすわよ?」
「いえ、そうではありません。が、その前に」
正蔵は鋭い目つきで尋ねた。
「今回の依頼を受けた冒険者は、どのような方々なのですかな?」
「なによ。変なところが気になるのね。んーっと、直接私は会ってないけど、流れの冒険者パーティーみたいね」
「流れ?」
「トレイアを拠点にしていない冒険者のことよ。王都かどこかから、別の仕事のついでにトレイアに立ち寄って、お小遣い稼ぎしたかったんじゃないかしら?」
そういった冒険者は、依頼が達成できないと判断すると、ギルドへ報告せず、何食わぬ顔で拠点へと戻る場合がある。
エリザベートはそう語って肩をすくめた。
「なるほど。ところで、依頼は王国政府から、とのことでしたか」
「そうよ。久しぶりの政府案件だから気合が入ったのだけどね。流れの冒険者でもみんな『銀』だったし、大丈夫だとうちの職員も判断したんだけどね。当てが外れちゃったわ」
政府案件は最大手の『ゴルダス冒険者ギルド』がほぼ独占している。
2番手、3番手のギルドに回ってくることも滅多にない。
エリザベートがギルドマスターを務める『輝く鷲冒険者ギルド』は街で4か5番手の中堅だ。政府案件は年に1回もないだろう。
「ふむ、なるほど。では――」
正蔵は、冷ややかに言い放つ。
「今すぐ引き返すべきですな」
エリザベートは怪訝に眉をひそめる。が、次なるひと言で、碧眼が怒りに染まった。
「嵌められたんですよ、カロックさんは」
「……なん、ですって?」
「めったに回ってこない政府の依頼を、流れの冒険者たちが受けた。そして彼らは行方が知れず、魔物の棲み処に『ギルドの責任だから確認してこい』と依頼主が迫る。でき過ぎているとは思いませんか?」
「ッ!?」
エリザベートは眉間にしわを寄せ、わなわなと震えた。
「貴女は我々のやり方を真っ先に取り入れ、しかも街では大手3ギルドに迫る規模をお持ちだ。我らのような零細であれば『悪あがき』と取れる行為も、彼らには脅威と映るでしょうな」
「……」
「そんなの、ひどすぎますっ!」
絶句するエリザベートに代わり、ソフィが立ち上がって叫んだ。揺れる馬車によろめき、正蔵に倒れかかる。
「ご、ごめんなさいっ」
顔を真っ赤にしたソフィを座らせ、正蔵はエリザベートに向き直った。
「あくまで可能性ではありますが、危険地帯へ赴く前に、その冒険者たちの身元を明らかにすべきでしょう。すぐに戻って、彼らを調べるべきです」
恫喝と取られないよう、正蔵は気持ち柔らかに、諭すように意見した。だが、
「いいえ。私はこのままアラシュアン洞窟へは向かうわ」
エリザベートは決意を言葉に乗せる。
「貴方たちはここで降りなさい」
そして、御者に馬を止めろと命じようとした。
正蔵は質問でそれを制す。
「意固地になる理由を聞かせていただいても?」
「べつに意固地になっているわけじゃないわ。貴方が言ったんじゃないの。『あくまで可能性』だってね。身元を調べている間も時間は確実にロスをするの。だったらまず、彼らがきちんと目的の場所に行ったかどうか、確認すべきよ」
冒険者は依頼を受けた際、ある取り決めをギルドと交わす。
依頼を達成できなかった場合、速やかにギルドへ報告するのがルールだ。
しかし万が一の事態が起きて報告が行えない場合を考慮し、何かしらの証拠を残す。それが冒険者とギルドの間の慣わしになっていた。
ギルドとの信頼関係を崩さない意図もあるが、冒険者自身のためでもある。
冒険者は危険と隣り合わせの職業だ。不慮の事故で死亡することも考えられる。
自身の名誉のため、『依頼を受けておきながら逃亡した』との疑いを持たれないよう、対策をするのが常だった。
「彼らは魔物に襲われて、命を落としたのかもしれないわ。その可能性がわずかでもある限り、私には確認をする義務があるの。彼らの名誉のために。ギルドマスターとしての、ね」
瞳に揺らぎは一切ない。決意は固いようだ。
(なるほど。たしかに頑固だ。しかし、『話が通じない』のは、やはり誤りだったか)
エリザベートには一本、揺るがぬ芯――信念が通っている。
その信念から外れる行為を是としないために、頑固と映ってしまうのだろう。
「では、我々もこのまま同行させていただきます」
「はあ?」
「なにせ、暇なもので」
「……勝手にしなさい」
さすがに買収話をする雰囲気ではなくなった。
以降、現場に到着するまで、箱馬車の中は沈黙に満たされていた――。
アラシュアン洞窟は、山あいの森の中にぽっかりと空いた深い洞窟だ。
獣系の中型程度の魔物が何種類か棲息し、奥にはアンデッド系の魔物も潜んでいると言われている。
「あったわね」
洞窟の入り口横の壁面に、ナイフで削った跡があった。一文字を丸で囲んだマークだ。件の冒険者パーティーと、事前に取り決めていた印と合致した。
「すくなくとも、入り口まではやってきたということですな」
「ええ。あとは調査を進めたポイントにいくつか同じものが記されているはずよ」
「それを、すべて確認するのですかな?」
「まさか。それだと私たちが洞窟を調査しているのと変わらないわ。ちょっと行ったところで確認できれば、それで彼らの名誉は守られる。生死の確認まではしなくていいのよ」
そう言って、エリザベートは先頭に立って洞窟へ入っていく。
「オニガワラさん、大丈夫でしょうか……?」
ソフィが不安そうに正蔵の服をきゅっとつかむ。
「兵士さんたちの話では、ここに棲む魔物は昼間、かなり奥のほうで休んでいるらしい。が、どうなるか……」
正蔵はもやもやしたものを抱えながら、エリザベートの後についていく。
洞窟の入り口は半径5メートルほどの半円であるが、入ってすぐ横幅が半分程度に狭まった。
しばらく進むと、今度は開けた場所に出る。
壁面には発光する苔が生えており、薄緑色の光と松明の赤が混ざり合い、幻想的な景色を描いていた。
「ないわね」
壁面をざっと調べた限り、取り決めていた印は刻まれていなかった。
そして――
「嵌められたってのも、どうやら当たってたみたいだわ」
兵下たちが円陣を組む真ん中で、エリザベートが苦々しく吐き出す。
「エリザベートお嬢様、これは……」
兵士の一人が怯えた声を漏らした。
「冗談じゃないわよ。なんだって、こんなのがいるのよ……」
彼女が忌々しく瞳を動かす先には、透明に近い赤色の塊がそこかしこで揺らめいていた。
スライムと、この世界では呼ばれる魔物だ。
正蔵の腰までの大きさから、彼の背丈に迫るものまで。ぐるりと正蔵たちを取り囲んでいた。
「危険な魔物なのですかな?」
「貴方、本当に物を知らないのね。スライムは物理攻撃が効かないのよ。獣やアンデッドタイプばかりだと思って、手練の剣士を連れてきたのが仇になったわ」
スライムは魔法で対処するのが、この世界の常識だ。特に火を嫌う。今は松明の火を警戒しているのか、取り囲んでからは様子を窺っているように動きを止めていた。
一方で洞窟の奥からは次々と現れ、逃げ道をふさぐように反対側へ集まっている。
「このままじゃジリ貧ね。一部を薙ぎ払って退路を確保するわ。道が開けたら全力で走りなさいっ」
エリザベートは命じてのち、ぼそぼそと奇妙な言葉を口ずさんだ。
兵士たちが腰を低くする。
やがて、彼女の紡ぐ言葉が途切れたところで、来た道に近い兵士たちが横に体を滑らせた。
直後――。
「火炎乱弾っ!」
エリザベートが叫ぶと、前に突き出した手から、小さな炎の塊が無数に撃ち出された。
マシンガンの斉射と表現するには勢いが弱い。しかし炎の球はスライムに触れたとたん、火勢を強めた。
スライムたちは苦しみもがき、壁に体をこすりつけて火を消そうとする。
結果、エリザベートの目論見どおり道が開けた。
「走れっ!」
号令よりも早く、兵士たちは駆ける。松明を持った兵士は襲いかかろうとするスライムを牽制しつつ、正蔵とソフィを誘導した。
囲みを突破し、出口へと急ぐ。
最後尾にはエリザベートが、追っ手に撃ち放とうと走りながら魔法の詠唱に入った。
と、ソフィを抱えるように走っていた正蔵が、ちらりと後ろを振り返って、気づく。
「ん? おい、君たち。すこし速すぎないか?」
手練の兵士たちは足も速い。
物理攻撃の効かない敵の群れに対する恐怖が急がせたのか、エリザベートとの距離がかなり開いていた。
正蔵が足を止めようとした、そのとき。
「ッ!?」
声なき声は、エリザベートのものだ。
彼女の数メートル先。洞窟の上から、赤く半透明のものがぼたぼたと落ちてきた。地面の上に重なっていき、やがて洞窟をふさぐほどの、巨大なひとつの粘性体になる。
「うそでしょ……。キングスライムまでいたの……?」
絶望を孕んだ声音はしかし、次の瞬間には怒声となった。
「貴方たちは早く洞窟の外へっ! 私は自力で突破するわ!」
何人か、立ち止まって振り向いていた兵士が、弾かれるように走り出した。みな、出口へと向かっている。
エリザベートは詠唱を再開する。
「火炎乱弾っ!」
そしてまたも炎の球を一斉射した。巨大なスライムに炎が触れると、めらめらと燃え始めた。しかし――
「きゃっ!?」
キングスライムの燃えている部分が、弾け飛んだ。
炎をまとった粘性物質がエリザベートを襲う。小躯が飛ばされ、彼女は尻餅をついた。
爆散の勢いに加え、細かく分かれたため、火はすぐに消えた。が、エリザベートの体にはねっとりとしたスライムの肉片が貼りついている。
「ぅ、ぁ、やだ……」
エリザベートは肉片を剥がそうとするも、うごめく肉片は彼女の体を拘束しようと手首や足首、胴回りに集まっていく。
本体も動く。
ずるりずるりと少女に向け、巨体を寄せていった。
「オ、オニガワラさん……?」
正蔵は、腰にしがみついているソフィを気遣いながら、半身になり、腰を低くした。
「ちょっと貴方、何をしているの? 魔法……じゃないわよね? こいつに物理攻撃は効かないの。だから早く逃げなさいっ!」
エリザベートは恐怖にすくみながらも、懇願するように叫んだ。
「私の性分でね。試してみないと、気が済まないのだよ」
すぅっと息を吸い、ふぅぅっと細かく吐き出す。
右のこぶしを握りしめ、軽く、突き出した。
ドンッ!
撃ち出したこぶしは空気を押しつぶし、潰れた空気は塊となって前方へと弾けた。
ボッ、と低い音が響き、キングスライムの体に大きな穴が穿たれる。
驚愕に目を見開くエリザベートとソフィ。
しかし驚きは落胆に塗りつぶされる。
スライムの体に空いた穴は、みるみるふさがっていったのだ。
それを見て、正蔵は――。
「なるほど。一発では足りないか」
スライムに正対して中腰になると、今度は左のこぶしも握りしめ、
「うららららららぁっ!!」
左右の正拳突きを連続で繰り出した。
目にもとまらぬ速さのラッシュは、正蔵の眼前の空気を薄くし、洞窟の入り口から風が勢いよく入りこむ。
スライムの上半分が、見る間に消し飛んだ。
「カロックさん、伏せなさいっ」
「ひ、ひぃぃ……」
エリザベートは頭を抱え、地面に突っ伏す。
正蔵はそれを確認すると、さらに腰を低くして残りの体も吹き飛ばしていく。
やがて、足首程度の高さに削られたスライムは、体の色を青に染め、ずるずると洞窟の奥へ移動を始めた。
エリザベートの横を通り過ぎ、奥へ奥へと逃げていき、その姿はすぐに見えなくなった。
「立てるかね?」
正蔵は腰を抜かしたソフィを抱え、エリザベートに手を差し伸べる。
半ば放心して正蔵を見上げるエリザベートが、ぼそりとつぶやいた。
「貴方、何者なの……?」
「私かね? 私はただの、ギルド職員だが?」
「んなわけ、あるかぁ……」
弱々しいツッコミが、洞窟に小さく響いた――。
「なるほどね。要するに、うちを丸ごと買い取りたいって話か」
帰りの馬車の中で、正蔵は買収話を持ちかけた。
当初は日を改めてと考えていたが、エリザベートにしつこく『今日の本当の用件を言え』と迫られたので仕方なく。
「そのつもりでいましたが、今は考えを改めています」
「どういうこと?」
「事前に集めたカロックさんの情報に誤りがあったと悟りましてね」
『輝く鷲冒険者ギルド』は、貴族のカロック家が半ば道楽で運営しているギルドだ。
当主のカロック伯爵は、社会勉強のためと一人娘のエリザベートに経営を任せた。
そのため娘もやりたい放題で、ギルドへの愛着はそれほどないと正蔵は踏んでいたのだ。
金額次第では、交渉もスムーズにいくのでは?と楽観していたほど。
が、彼女の言動は、冒険者ギルドと、冒険者への愛情にあふれていた。
責任感も強く、途中で投げ出すようなことはしないだろう。
「ええ、正解よ。いくらお金を積まれようが、ギルドを手放すつもりなんてさらさらないわ。たとえ相手が命の恩人でもね」
「私も恩に着せるつもりはありません。貴女からギルドを買い取るのも無理だと判断しました。そこで――」
正蔵はずいっと身を乗り出し、告げた。
「経営統合というのは、いかがでしょうか?」
「け、経営、統合……?」
「ものすごく簡単に言ってしまえば、ふたつのギルドをひとつにまとめる、ただそれだけです」
「ざっくりすぎるわね……」
「互いに譲れぬ部分はあるでしょう。大きくは『ギルドマスターをどちらがやるか』と『ギルドの名称』ですな。そのあたりは、こちらのギルドマスターを交えて話し合う、ということで前向きに検討いただけないでしょうか?」
「いいわよ」
「いいんですかっ!?」
あっけらかんと承諾したエリザベートに、ソフィが驚きの声を上げた。
「一緒にやるってことは、ショウゾウがうちに来るってことでしょう? それはとても魅力的だわ。でも勘違いしないでね。統合を承諾したわけじゃないわ。話し合いのテーブルにつくってだけよ」
「それでけっこうです」
正蔵はほっと胸を撫で下ろす。
ところがソフィは、思いつめたような顔でぼそりとつぶやいた。
「わたし、お父さんの名前が消えるのは、嫌です……」
「そっちが譲れないのは、ギルドの名前ってこと?」
「えっ? いやあの、それだけじゃなくて……。伯母さんは、ずっとギルドを守ってくれました。やっぱり、ギルドマスターは伯母さんでないと……」
「ずいぶんと欲張りなのね」
「ぅ、すみません……」
「私、ギルドマスターだけは譲れないわよ。名前はまあ、適当に決めたからどうでもいいけど」
「適当って……」
「となると、ギルドマスターを誰がするか、が問題になるわけか」
だが正蔵には見えていた。
アドラが諸手を挙げて『責任が、無くなるっ!』と小躍りする場面が――。
実際、ギルドにこの話を持ち帰ると、アドラは諸手を挙げて小躍りした。
彼女は元からギルドの経営には関心がなかったのだ。
とはいえ、アドラの『守りの経営』の才は責任ある地位にいてこそ輝くものだ。
その後の話し合いで、ギルドの名称は『エルンハイネ冒険者ギルド』とし、ギルドマスターはエリザベート・カロックに、そしてアドラは相談役としてエリザベートを補佐することになった。
こうして、新たな『エルンハイネ冒険者ギルド』が産声を上げたのだ――。