※鬼瓦3姉妹の日常(2)
昼食後の眠たい時間帯。
鬼瓦家のダイニングテーブルでは上二人の姉妹が、勉強に精を出していた。
「ねえ香菜、これって4年生の範囲じゃないの?」
「計算は、苦手っす……」
「苦手意識があるから適当になっちゃうんだよ。じゃあ次、『138÷25』。やってみて」
「5だね」
「いやこれ、明らかに割り切れないでしょ」
「じゃあ、だいたい5」
「……だいたい正解」
「マジで!?」
「どこから『5』って数が出てきたの?」
「んっと、25を10倍したら250でしょ? その半分くらいかなーって」
「考え方は合ってるのよ。面倒がらずにちゃんと筆算して……ほら、ここに5を立てると?」
「んー、5×5は25で……5×2は10だから、125になって……」
「ほら、答えが出たじゃない」
「5あまり12?」
「余りは13。最後まで集中してやんなさいよ」
「むぅ……。そもそも計算なんて人にやってもらえばいいじゃん」
「せめて電卓使って自分でしよ?」
彼女らの先生役であるエマリアは、二人のやり取りを眺めて思う。
(わたくし、やることありませんねえ……)
このところ、優菜はこちらが用意した課題をすらすらこなし、余った時間で妹の勉強をみてやっている。課題をこなす時間は日に日に減少し、結果として香菜の面倒をみる時間が増えていく。
香菜は香菜で、質問はまず優菜にするようになった。
必然、エマリアはやることがなくなっていた。
(もうすこし、わたくしを頼っていただきたいのですが……)
自身の存在意義を脅かされているエマリアだった。
(にしても、優菜さんは優秀ですねえ)
本格的に勉強を始めて間もないのに、もう中学1年の前期分は理解してしまっていた。
(もっと先に進んでもよいでしょうか? よいですね。早く壁にぶちあたってもらわないと、わたくしの仕事が……)
もっと教師っぽいことがしたいエマリアだった。
午後の授業は、(エマリアはほとんど何もせず)粛々と進んでいた。
と、そこへ。
「おはようさまですっ!」
三女の陽菜が二階から降りてきた。お昼寝が終わったらしい。陽菜は寝起きがものすごくよかった。
「おっ、陽菜ち起きたね。よしっ、遊ぼう!」
香菜は眠気まなこから一転、元気を取り戻す。
「区切りもいいですし、休憩にしましょうか」
エマリアはけっきょく何もできずじまいだった。
しばらく庭で遊んでいると。
ぴんぽーん。
珍しく家のチャイムが鳴った。
シルビアがインターフォンで応じる。
「あら、あなた。どうされました? こんな時間に」
まだ帰宅時間にはずいぶん早いのに、正蔵が帰ってきたらしい。
「え? ええ、その方の魔力量を計ればよろしいのですね。では、すぐそちらに向かいます」
シルビアはパタパタとスリッパを鳴らして玄関へと急いだ。
「おとーさまが、かえってきたですか?」
「他に誰かいるみたいだよ?」
下姉妹は顔を見合わせて、
「おきゃくさまですっ」
「見に行こう」
庭から外を回り、玄関へと向かう。
「ちょっと待ちなさい。失礼よ」
と言いつつ、優菜も楽しそうに追いかける。
「いや、まずいですって」
エマリアは慌てて3姉妹の後を追った。
家の陰から覗くと、玄関先に正蔵とシルビア、そして見知らぬ青年がいた。短髪で栗毛のひょろりとした男だ。
「誰だろう? あのおじさん」
「わかものでは、ないですか?」
「大人の年齢って見た目じゃよくわかんないよ。とりあえずパッとしないね」
「なよなよさま、です」
「まあ、頼りなさそうよね」
「みなさん声っ、声をもうすこし落としてくださいっ」
言いたい放題の姉妹に、エマリアは気が気ではない。
だが3姉妹の酷評は続く。
「あのおじさん、さっきからママの胸ばっかり見てるね」
「男の人って……」
上姉妹が怨嗟の視線を向ける一方、陽菜は無垢な瞳で言った。
「ひなさまも、おっぱいはだいすきですよ?」
「あたしも好きだけどさ。ママの胸揉んでると、安心するよね」
「やすらかなきもちに、なるです」
「最近、揉ませてもらってないなあ」と香菜は遠い目をする。
「ひなさまは、まいあさ、まいばん、おひるねちゅうも、もみまくりです」
「羨ましい……」
下姉妹の会話に加わっていないが、優菜もときおり同意するようにうなずいている。
「あの、みなさん、そろそろ戻りませんか?」
教育上よろしくない会話なのではと考え、エマリアはどうにかこの場を離れようと画策したのだが。
じーっと、3姉妹はエマリアの控えめな胸に注目を集めた。
「なんか、すみません……」
居たたまれなくなって謝るエマリア。同じ女神なのに、あらゆる面で差をつけられている自分が恥ずかしい。
「いえ、べつに深い意味は……」
「エマリア先生はかたちがいいよね。前にお風呂を一緒したとき思った」
上姉妹がフォローしようと必死な中、
「ちいさいと、あかちゃんがおなかをすかせて、しまうです」
ちっちゃな子はときに、平然と残酷なことを言う。
「大丈夫だよ陽菜っち。小さくてもガンガン生産されるから。たぶん」
「赤ちゃんができると大きくなるって言うしね」
上姉妹のフォローも限界に近づいていた。
「まだのぞみはあるですか。えまりあせんせいさま、よかったですね」
(泣きたい……)
おっぱい談義に花を咲かせるうち、シルビアが青年の顔を眺め、明るく告げた。
「この方に魔法の才能は、まったくありませんね」
ずがびーんとショックを受ける青年。正蔵もこめかみあたりをぴくぴくさせていた。
だが何やら話したあと、正蔵はよいことを閃いたとばかりに手を打つ。
やがて、正蔵と青年は連れ立ってどこかへ行ってしまった。
(あの青年の魔法適性を調べていたのでしょうか?)
そういえば、とエマリアは3姉妹を見た。
「さ、戻って勉強を再開よ」
「はっ!? ぜんぜん遊んでないっ!」
「ひなさまはおえかきをするですっ」
仲良く庭へと戻ろうとする彼女たちは、1級神の血を半分受け継いでいる。
(ただの子どもであるはずは、ないですよね……?)
エマリアは見ただけで魔力を計るような技術は持っていない。だからすぐ近くにいた陽菜の頭に、手を置いて。
(見た目は、一番奥様に似ていますし、けっこうな魔力があるのではないでしょうか?)
手のひらを通して、陽菜の内部へ、意識を――。
「――ひっ!?」
バチンと何かに弾かれた感覚。思わずエマリアは手を引っ込める。
「エマリア先生? どうしたんですか?」
「ん? どったの?」
不思議そうな上姉妹。
陽菜は「あたまをなでなでしてもらったです♪」と上機嫌だった。特段、変わった様子はない。
(今のは、なんだったんでしょうか……?)
手のひらに痛みはない。傷もない。痺れもない。物理的に弾かれたように感じたが、陽菜に反作用が発生した気配もない。
エマリアは、遠ざかる3姉妹の後姿を、呆然と眺めてから。
(うん、気にしては、いけませんね)
何もなかった。そう、自分に言い聞かせた――。




