29.私のために争わないで。人生で一度は言ってみたいわ
空を彷徨い続けた青い光が、旅の果てに辿り着いた巨城の壁をすり抜ける。
城内にある一室、椅子に腰かけて盤上遊戯に興じていた男の体を包むように青い光は広がり、そしてゆっくりと浸透するように消えていった。
光を受け入れた男は、盤上の駒を動かしながらクスリと笑う。
「グラファン君が負けてしまったようですね。残念です。力を引き出してあげた彼はなかなかに強く、将来は『青騎士』として君のように私のもとで働いてもらうつもりだったのですが」
金の長髪を有し、見目麗しい男が仰々しく駒を動かすが、彼と盤上戦を指し合う騎士は言葉を返さない。
だが、まるで会話が成立しているかのように、男は会話を続けていく。
「グラファン君を倒した相手が気になりますか? ふふっ、正直ですね。もちろん、その相手の情報は手に入れていますよ。グラファン君の死が私に全てを教えてくれています」
駒を指す手を止め、男は表情を大きく変えた。
それはどこまでも優しげでいて、それ以上に欲望を押し隠そうともしない、覇者を目指す獰猛な笑みで。
「お喜びなさい、『白騎士』。グラファン君を倒した魔物は、それはそれは素晴らしい魔物ですよ。ええ、この私――飛将イシュトスが心奪われるほどに、『オルコ』は素晴らしい」
グラファンの死によって得た『光景』を反芻しながら、イシュトスは満足げにその名を呟いた。
飛将軍――『空王』イシュトス。
前魔王アディム・クロイツの配下であり、魔王軍を形成する六軍団の一つ、『飛翼軍団』の長であった絶対強者、イシュトス・ブロムナド。それが彼の名であった。
アディムの死後、息子であるハーディンの下に付き従うことを彼は明確に拒み、反旗を翻した。
支配地を多数抱え、ハーディン率いる現魔王軍と大規模な争いを続けている彼は、魔物の中で反ハーディン派としてよく知られ、同時に『魔選』での有力な優勝候補として名高い。
彼は自慢の『飛翼軍団』と新たに手に入れた魔物たちの力によって、現魔王軍と互角以上の戦いを繰り広げていた。
言うなれば、次期魔王となりうるほどの魔物が、グラファンを倒したオル子を手放しで賞賛しているのだ。
「素晴らしい。彼女は実に素晴らしいですよ。グラファン君を力でねじ伏せ、獰猛に躊躇なく殺す姿のなんと美しいことでしょう。牙を剥く者には無慈悲なる死を与える、理を持ちながらにして獣に身を委ねることも辞さない二面性。気の向くまま、赴くままに残虐を、蹂躙を行う彼女の姿がどうしても私の心を捕えて離さないのです」
手元の駒を一つ進めながら、イシュトスはオル子を褒め称え続ける。
グラファンを容赦なく攻め立て、力で蹂躙し殺したオル子の戦闘光景を何度も脳内で繰り返し再生し続けるイシュトス。
そんな彼を見向きもせず、対面に座る白き甲冑はコトンと駒を動かす。
「力もさることながら、彼女を取り巻く配下たちも面白い。特殊進化を果たしたウィッチに、流将軍『海王』ジーギグラエの娘、そしてもう一人は誰だと思います?」
イシュトスの問いに白騎士が答えを返すことはない。
彼は黙したまま、イシュトスの言葉の続きを待っているのか、それとも一手指すことを待っているのか。
「ふふっ、なんとミュラ姫なのですよ。聖地にて闇深き夢の世界で絶望の歌を奏で続けているはずの姫が、ね。ハーディンとガウェルの必死に冷静を取り繕う顔が簡単に想像できますよ」
愉悦ここに極まれりと言った様子で、イシュトスはクスクスと笑いながら一手を指す。
そんな笑いを止めるように、白騎士もまた次の手を。彼の手に、イシュトスは伸ばそうとした手をぴたりと止める。どうやら次は深く考える必要のある一手になりそうだ。
「私が力を引き上げたグラファン君を退けるほどの魔物で、多くの強力な配下を持ち、『海王』となり、そして『勝者の王冠』たる姫までついてくる。ここまで揃っておいて、私がどうするかなんて分かり切っているではないですか。欲しい。オルコが欲しい」
胸の内に溢れる欲望を隠そうともせず、イシュトスは言葉に感情を込めて語り続ける。
「彼女を手に入れれば、私の『魔王』への道は確実なものとなるでしょう。彼女は『黒騎士』として必ずや私の配下に加えます。いいですね?」
イシュトスの問いかけに、白騎士は答えない。
彼はひたすら主の命令を待ち続けるだけだ。
「オルコがミュラ姫を連れている以上、ハーディンとガウェルは彼女を血眼になって探しているでしょうね。おそらく、追手を差し向けているはず。ですが、オル子を討伐するとなると、相応の軍勢が送り出されるはず。それほどの動きが魔王軍であったのであれば、私の元にその情報が流れていないはずがありません」
少し考える仕草をみせ、イシュトスは一つの推測を紡ぎ出す。
「おそらく、ハーディンたちはまだミュラ姫の居場所やオルコのことを把握していないのではないでしょうか。ならば」
顎に手を当てたまま、イシュトスはあるスキルを発動させる。
スキル『支配地勢力図』によって生み出された大陸図を眺めながら言葉を紡ぐ。
「聖地とグラファン君に支配させていた箇所の『魂の色』が同一に塗り替えられた。これを見て、ハーディンたちは姫を攫った者が海王城にいると気づいて刺客を送り込む可能性が高いでしょう。ここでハーディンたちにオルコを横取りされるのは困りますね――白騎士、お願いできますね?」
イシュトスの言葉に、白騎士は頷くのみ。
それに満足するように笑い、イシュトスは彼に命令を下す。
「私と睨み合っている以上、ハーディンとガウェルは動けませんからね。雑魚たちを蹴散らしてあげなさい。君の姿を見れば、ミュラ姫を攫った者が私だと誤解してもらえるかもしれません。決して奴らにオルコとミュラ姫のことを気づかせないように、いいですね?」
白騎士に指示を出し、イシュトスは椅子から立ち上がって軽く伸びをする。どうやら盤上ゲームは彼の敗北で終わりそうだ。
肩を軽く鳴らし、椅子にかけていた外套を羽織り、イシュトスは楽しそうに白騎士へ告げた。
「軍を率いて出ます。私がここで牽制をすれば、二人はこれから先、更に動きを取りにくくなり、オル子どころではなくなるでしょうから。ふふっ、邪魔をするなら殺意を芽生えさせるほど徹底的に、人の嫌がることは何があろうと全力でやり通す。それが私の信条ですので」
笑みを浮かべると同時に、イシュトスは背中に透き通る黒翼を大きく広げた。
それは彼が大空の覇者として名を残し、多くの魔物を恐怖の底へと突き落とした代名詞である『黒き翼』。
漆黒の羽を広げ、イシュトスは愉悦を零しながらはっきりと意思を示すのだ。
「魔王軍と一当たりしたのち、私もオルコを手に入れるために動きましょう。たとえどんな手を使っても、必ず彼女を私の手中に収めます。彼女とミュラ姫を手にしたとき――私はこの世界の王となるのです。ふふっ、ふははっ!」
欲望と野望の交差するなかで、世界は次々と加速する。
それはオル子の知らぬ存ぜぬ、一筋の光すら差し込まない闇の大地で蠢くように。




