ex.1 エルザ
「ほわあああ! な、なんて素晴らしい洋館なの! これよ! 私は異世界にこれを求めていたのよ! こういうお家の令嬢になることが私の夢だったの!」
リナ・レ・アウレーカに渡された拠点に入るなり、興奮を抑えらえないとばかりにオル子がはしゃぎだす。
ぴょんぴょん跳ねまわるオル子の頭の上で、先ほど召喚されたばかりの少女――ミュラも何故かすこぶる満足そうな表情を浮かべている。
彼女の名前はオル子が識眼ホッピングでステータスを視たから判明したのだけど、どこからやってきたか等の情報は一切得られなかったのよね。なにせミュラ、喋らないし。
それなのに、出会ったばかりのオル子にあんなにも懐いていたりする。
召喚されてからずっとオル子にしがみ付いている姿はまるで生まれたばかりの魔獣の赤子みたい。
「前魔王用に作られているだけあって、立派なものね。三階建てでこれだけの広さがあれば、百人くらいは生活できるんじゃないかしら?」
「エルザ、エルザ! 部屋を決めましょう! これからここが私たちのお家になるんだから、マイルームを作るべきだと思うの!」
「オル子の部屋は魔王用の一番広い部屋に決まってるでしょう? 広い部屋じゃないとあなたの無駄に大きな体では、扉幅すら通り抜けられないじゃない」
「無駄とか言うな! これがシャチの標準体型なんだもん! 太ってないもん!」
じたんばたんと飛び跳ねて抗議されても、シャチなんて異世界の魔物を私は知らないから何とも言えないのよ。
仕方なしに、私は納得してもらえるよう別の理由を口にしてあげた。
「体型は置いておくとして、その様子だとミュラはオル子と同じ部屋がいいんでしょう? 二人で使うなら大きい部屋の方がいいじゃない」
「おお、なるほど! ミュラ、私と同部屋でいいの?」
オル子の問いかけに、ミュラはこくこくと頷いてみせる。
反応から見て、意思疎通はしっかりできているのよね。言葉は通じているけれど、声は発さない。不思議な娘ね、恐らく種族はリナと同じデモン系列と思うんだけど。
「よーし、それじゃあ館内を冒険がてら私たちの部屋へレッツゴー! ミュラ……いいえ、ミュラさん、ここでの私たちは貴族令嬢だと思いなさいな。淑女たるもの、足音を立てて歩いてはなりませんよ?」
「あなた、宙に浮いてるじゃない」
「スカートのプリーツは乱さないように、タイが乱れてお頭つきになっていましてよ? おーっほっほっほ! 行きますよ、ミュラさん! この星を消し炭にしてあげましょう!」
また意味不明な言動をしつつ、オル子はミュラを連れて階段を上がっていった。
あの娘の奇天烈な行動は今に始まったことでもないので、適当に聞き流しておくことにする。
オル子の高笑いが遠ざかるのを耳にしながら、私は帽子を脱ぎながら口元を緩める。
「……オル子、か」
手元でくるくると白黒帽子を回しながら、私は面白おかしな相棒の名を呟いた。
出会ってまだ数日程度しか経っていないのに、まるで数年来の友人のようにすら思えてしまう。
オル子と一緒にいる日常が、当り前のものとして受け入れてしまっていて、それを好ましいと思う自分がいる。
クユルの森で出会った不思議な魔物、オル子。彼女は本当に常識外れの存在だった。
ステージ1でありながら、魔王の眷属を次々と倒す能力には驚きを通り越して笑うしかなかった。
生まれたばかりでその戦闘力ならば、これから先はどれほどの怪物として開花するというのか。
そんな末恐ろしい力を持つオル子だが、その中身には別の意味で恐ろしさを感じずにはいられない。
オル子はとんでもなくおバカだ。
喜怒哀楽をこれでもかと表に出し、出会ったばかりの私やリナに警戒心すら抱かずニコニコ笑って距離を詰めていく。そこに裏なんてなにもない、というより裏を抱くほどの頭がない。
魔王の眷属を一蹴する化け物の中身が『これ』だなんて、いったいどんな冗談なのだろう。
だけど、そんなオル子に私は自分でも笑えるくらい心惹かれている。
楽しければ笑い、悲しければ泣き、嬉しければ大いに騒ぎ、苦しければ必死に慌てふためく。
そして、私に対する好意を惜しげもなく真っ直ぐに伝えてくれる。それがとてもくすぐったくて、悔しいくらいに嬉しい。
こんなにも真っ直ぐに私を見てくれる誰かに出会ったのは、初めてだから。
こんなにも裏表なく接してくれる存在なんて、今までなかったから。
自分でも簡単な理由だなって思ってしまうけれど、そんなオル子をどうしても好ましく思ってしまう。どうも危なっかしいオル子の力になってあげたいと感じてしまう。
「我ながら単純な女だこと。ま……仕方ないわよね。放っておけないなって思っちゃったんだから」
今、オル子はリナ・レ・アウレーカによって非常に危機的な状況に陥ってしまった。
これから先、オル子の『支配地』を奪うために、多くの魔物から狙われることになるだろう。
逃げ回るだけで生き延びられるほど『魔選』は甘くない、このまま何もしなければオル子は格上の魔物に殺されてしまうかもしれない。だけど――そうさせないために、私がここにいる。
思考することを好まないオル子の代わりに、どうすれば生き延びられるかを思考して一手を紡ぐ、それが私の役目だ。
この楽しい時間を続けるために。
運命が巡りあわせてくれた、異世界からやってきた不思議な友人を守るために。
「出来る限りのことは、全部やらないとね――たとえそれが、リナ・レ・アウレーカの狙いであっても、最後の最後で鼻を明かしてあげれば私たちの勝ちだもの」
そう、たとえリナ・レ・アウレーカが筋道を描いたように――オル子が魔王となったとしても。
これからのことを思いながら、私は館の階段をあがっていった。
明日からの計画をオル子と話し合うために、館で一番大きな部屋の扉を開くと――何故かオル子が床に伏せてめそめそと号泣していた。それも背中にミュラを乗せたままで。
「……ウキウキで部屋に向かったと思ったら、なにを号泣してるのよ、あなたは」
「うぼああああ! 聞いてよエルザ! 久しぶりにベッドで眠れると思ったの、思ったのにいいいい!」
泣き喚くオル子の横に視線を向けると、見事に圧潰したキングサイズのベッドが置かれていた。
ああ、なるほど。つまるところ、ベッドを見て興奮して、いてもたってもいられず、その上に飛び乗ったと。寝転がったと。そうしたらものの見事に壊れたと。
「馬鹿ね。あなたの体重でベッドなんて使える訳ないじゃない。ゴーレムすら余裕で圧殺できる重さなのに」
「うわああああん! 私はデブじゃないもん! ベッドで寝たかっただけなのに、ふかふかお布団で寝たかっただけなのにいいいい!」
どうしようもない理由で大泣きするオル子。そんなオル子の頭を撫でて慰めるミュラ。あんなに小さい娘の前で本気で号泣して、それを慰められるってどうなのかしら。
私は大きく溜息をついて、圧潰したベッドから魔獣の毛皮でできたシーツを引っ張り出す。そして、それを床に広げてオル子に提案した。
「ほら、今夜はこの上で寝なさい。かなり毛並みのいい魔獣の毛皮みたいだから、気持ちよく寝れると思うわよ」
「わあああああん! こんな飼い犬用みたいな寝床は嫌ああああ! 床で毛布に包まって寝る令嬢ヒロインなんて前代未聞過ぎるうううう!」
ワンワンと泣き叫ぶオル子に、思わず笑ってしまう。
どうやら、今夜もまだまだこの娘のおバカっぷりに振り回されて、退屈せずに済みそうね。本当、オル子って娘は。




