じいちゃん編
『ひぃば』と言っても、私の曾祖母という意味ではない。
ひぃばには8人の曾孫がいたから、孫の私も『ひぃば』と呼んでいたのだ。
ひぃばは上品なおばあさんだった。
いつでもスカートを履き、出かけるときは真っ赤な口紅をひき、鞄や靴のコレクターで、一人娘である私の母、加奈を愛して止まなかった。
夏休みや冬休み、母に連れられて里帰りすると、一体何時間前からそうしているのか、マンションのベランダでジーっと通りを見つめて私たちを待っていてくれた。
10年前、じいちゃんは末期の胃癌だったのだが、じいちゃんとひぃばの世話をしてくれていたおばがくも膜下出血で半身麻痺になり、じいちゃんが入院することになったので、ひぃばは1人になった。
普段は無口だけれど、怖い顔に似合わず心優しい私の父は、ひぃばに言った。
「お義母さん、うちに来ますか。」
「うん行くよ。」
即答だった。
ここから、ややこしく慌ただしく、そして私にとってとても貴重な8年間がはじまったのである。
まず、我が山本家の当時の家族構成から話さねばならない。
父、母、私、妹、父方の祖母、以上5人家族。
自営業で、一階が両親が経営するコンビニ、二階が住居。
私は会社員、妹は大学生だった。
家事は主に祖母が一手に引き受けてくれていた。
そこへまず、身動きの取れないじいちゃんを、救急車でうちの近くの病院に搬送してもらった。
それと同時に、ひぃばをうちに連れてきたのだ。
察していただきたい。
一つ屋根の下に、父方と母方の祖母が同居しているのである。
しかも家事をするのはおばば(父方の祖母)で、ひぃばはほぼ、おばばに世話をされるようなものなのだ。
軋轢が生まれない訳がない。
そんななか、まずはじいちゃんの看病生活が始まった。
そんなわけで、まずは私のじいちゃんのお話。