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Well it maybe the end

 昏き竜(ダーク・ウィルム)

 破壊と悪逆のイメージが付き纏う古い言葉である。神であるのか、魔物であるのか、実在するのか。知られていることはないに等しい。情報が錯綜する以前に、記録が残っていない。忘れ去られた存在なのだ。

 神ではない――ソアフェイムは断言した。神ならば、存在には信ずる者が必要である。何の説明もなく実在している物に、信者は必要ない。昏き竜に心身を預けるなにかを見出すのは、人間側の都合に過ぎない。

「神々は、信者だろうがなんだろうが人間に気をつかっているようには思えないが」

 ダグコールの質問は、多くの信者たちが一度は抱く疑心だろう。そして神の慈悲が与えられないのは、不敬を抱く己に非があるのだと諌めるのが常である。邪竜の信徒はそれに回答することなく、洞窟の壁を指した。削られて均された跡があった。

「ここは忘れられた神の建物だ。人々に名を忘れられた神にはなんの力もなく、意味もない」

「他の神様の場所で儀式するのか?」

「昏き竜に所縁のある土地は存在しない。ただ光は邪魔だ。記憶違いがなければ、ここには広くて平らな場所がある」

「なるほど、都合がいいと」

 魔術師の口癖を真似るように言ったが、なんの含みもなく頷き返されただけだった。

 最深部はドーム状の空間で、奥に楕円形の人間大の隆起があった。かつての神がなにを供物に求めていたのかはわからないが、ソアフェイムは迷わずそこに生贄の女を横たえた。暴れないよう麻痺毒を使ったため怪我はないものの、ひどく怯えて憔悴していた。脱力しているので、彼女を担いでくるのも大変だった。見張りをダグコールに任せて、魔術師は黒い顔料で地面に円を描き始める。カーリデュルアの仕事は灯りと顔料の入った器を持って後をついてまわるだけの雑用だ。

 もしそれなりに知識があれば、描かれる図形が異界の悪魔などを喚ぶものに近いとわかっただろう。式を読み解くだけの能力があれば、道を繋げる先はここであり、ないものが存在できるようにするだけの奇妙な代物であることに気付いただろう。それ以外に特別なところはなかった。

 魔術師は牙のナイフを取り出して胸に抱き、静止した。そしてナイフを下ろし、「十分だろう」と呟いた。

「準備はできた」

「俺は何をするんだ?」

「渡したナイフは手に持っておけ。中に入って、あとは………逆らうな」

 ソアフェイムはわかりにくいことや知っても仕方のないことは言わない。あまりに簡潔な最後の指示はどういう意味だろうと、カーリデュルアは牙のナイフを取り出しつつ考えた。

 儀式によって、彼は昏き竜の従徒になる。聞き慣れない言葉だが、手先とか人形とかいう意味なのだろうか。それならあの指示も理解できる。もし受容できないことを強要されたら………それはどんなことだろうか? たとえば、仲間たちを手にかけることか。それについて吟味するには、現実味がなさ過ぎた。

 ダグコールは広間の入口まで戻り待機。魔法陣の中心にカーリデュルア、その外側に祭壇と、フードを下ろした魔術師。生贄の女は麻痺が抜けていたが、かわりに薄暗い影に四肢を掴まれ、大の字にさせられていた。ここへきて、初めて邪教徒らしい魔法を見た気がする。

 カーリデュルアは振り返って、友人の姿を探した。光源は祭壇上のひとつきりでも慣れた目には十分だ。ダグコールは腕を組んでまっすぐ立っていた。間違いなく彼だ。人相の悪いひげ面で頑丈そうな体つきの、まじめだがけっこう荒っぽい性格の。自分でも何を求めていたのか判然としないまま、カーリデュルアは体を戻した。

 魔術師は腕まくりして生贄の腹に左手を置き、右手に牙のナイフを逆手に握った。女が小さな引き攣れた悲鳴を上げる。

 構えたまま、魔術師は新たな従徒にならんとする若者を見据えていた。明りに下から照らされた、薄い唇が動く。

(ウィルム)よ。

始原の劫火……尽きぬ闇よ。

ここにあるは汝の従徒。

汝に血を……骨を肉を……捧げよう。

破滅、死を………世に齎そう。

獲物の心臓を捧げよう。

なればこれに、汝の呪いを、祝福を」

 ため息のような口調で告げ、ナイフが振り下ろされるときも無造作だった。女は大きく目を見開いたが、切り裂かれた喉からは音は出なかった。

 続いて胸を開いて肋骨をかき分け、心臓が取り出された。ナイフが水平に振られ、繋がっていた太い管が切り離される。肉屋を思わせる手早さだった。そしてソアフェイムは灯りを消した。

 闇に閉ざされる。

「贄はここに。闇はそこに。誓え、カーリデュルア。なにをか捧げる」

 全身の毛が逆立った。体の芯から震えが来た。

 「それ」は場にいる他の誰でもなく、彼を見ていた。

 首筋に息遣いを感じる。

 それは待っていた。灼炎の瞳を光らせて。

 集落を襲った連中のことは、許せない。これだけははっきりした願望だった。恨みを晴らしたいのとはなにか違った。なぜなら怨んではいなかった………カーリデュルアはまた自分の心を発見して、驚いた気分になった。とにかくあいつらを、苦しみを与えて殺してやりたい。

 何をすればいいのかは伝わってきた。牙のナイフを握り締め、自分に向ける。

「心臓でもなんでもくれてやる………だから力を寄越せ!」

 仲間のことは、わからない。どうしたいのか、どうして欲しいのか。だが手放せば、自分はあっという間に堕ちていく気がした。

 ナイフを突き立て押し込むと、さきほど為された事をなぞるように胸を切り裂いた。そこで力尽きた。膝から崩れ落ち、苦しみのあまり血を零す胸に爪を立てた。口からは苦悶の声と共に血が溢れ出る。

 嗤い声を聞いた気がした―――見下ろす灼炎の瞳はいなくなった。そこから移ったのだ。

 背中が一瞬、弓ぞりに撓った。体は無制御にのたうち回り、痙攣した。逆らうなと言われたが、無茶な話だった。心身は自然な反応で異物を拒絶し、しかし強引に塗り潰されていく。心臓が、血潮が、骨髄が、脂肪が、筋肉が、あらゆる骨肉と皮膚が、爪が髪が―――もはや元からおなじものは残っていなかった。

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