3. おいたはメッ! だよ?
天音は強く拳を握り締めた。
彼女の胸を占めるのは、燃え広がる炎のような──猛烈な憤りであった。
──何故。
──何故、誰も不平を言わないの。
この学園に入学してから、天音はいつも疑問を抱いていた。
神代という生徒が権威を振るい、他の生徒は黙ってそれに従う。日々の横暴な行いにも、文句一つ言わない。そんな学園の日常が、理解できなかった。
不満に思う者はいないのか。
そう投げかけて、天音は否、と首を横に振った。
恐らく不満に思う者はいる。だが言えないのだ。あの男の、あの男に従う全校生徒の報復を恐れて。
幼い子どもの戯れのように人を傷つけ、壮年の王者のように人を操る。それも、恐怖という感情で縛った上で。
神代はそういう男なのだと、今日、嫌というほどわかった。
──そう、これは紛うことなき独裁である。
腐りきった権威は、人をも腐敗させる。
学園という、この小さな箱庭は、腐ってしまっているのだ。
「革命だ」
天音は、強い眼差しで、まっすぐ前を見据えた。
──今こそ、汚れを雪ぐべきだ。
──今こそ、革命のときなのだ。
民の権利を取り戻す時が来た。立ち上がれ、市民たちよ。
「前回、神代に完敗した天音ですが、今日はどのように動くでしょうか」
「まあ同じ轍は踏まないでしょう」
「鮮やかな勝利を期待しています。……えー、神代は現在、校内で特に豪華な部屋で、優雅にコーヒーを飲んでいます」
「様になっていますね」
『たっ、大変だ!』
『大量の生徒が、この部屋に押しかけてきてる……!』
『なに?』
「どうやら優雅なオフタイムを過ごしている場合じゃなさそうですね」
「そもそも神代の場合、いつオンになっているのかわかりませんけどね」
『俺がここにいると知れば、すぐに散るだろう』
『それが、神代を出せって言ってて……』
『どういうことだ?』
「神代の余裕も剥がれてきましたね」
「どう動くのでしょうか、楽しみです」
『神代を出せ!』
『権利は市民にあり!』
「部屋の外には相当の人数が張っているようですが……」
「天音の姿が見えませんね」
『一体どうなってる』
『反乱だ……』
『何だと』
『反乱だ……!』
「恐怖政治も度が過ぎたのでしょうか」
「とうとう政権を離すときが来たのかもしれません」
『それも、ものすごい数だ!』
『ふざけるなっ。反乱分子なんか断罪だ! そうすれば元通りになるだろう!』
『数が尋常じゃありませんっ』
『数? 十か? 二十か? そのくらいだったら、倍の人数を駆り出せば済む話だ』
『そんなものじゃないです! 少なくともこれは……さ、三……』
『三? 三十か?』
『いえ……三百は下らないかと』
『三百っ!? そんな馬鹿なっ』
『本当です!』
「神代に焦りが見えてきました」
「民の一揆には恐ろしいものがありますからね」
『嘘だろう! いつの間に、こんな……っ』
『…………』
『ここまで急激に反乱分子が膨れ上がることなんてあるのか!』
「先程までの余裕綽々な神代の表情はどこへやら。かなりの混乱が見られます」
「大変そうですね」
「そうですね」
「おや、集団の中心から進み出てきた、あの姿は……天音です。拡張器を手にした天音が、先頭に立っています」
『神代に告ぐ! 単身での部屋からの退出及び、我々への投降を要求する!』
「キラセカのヒロインらしく、とても凛々しい姿です」
「まさに主人公の魅力ですね」
『今から三分以内にこの要求を飲まない場合、強行突破する!』
『く……っ。ここまでか……』
「とうとう諦めたようですね」
「これで天音の勝利……ということでしょうか」
「神代、手ぶらで部屋を出ました」
「天音との対面は二度目になりますが、覚えているでしょうか」
※
せめて、負けるときは潔く。
なけなしの挟持を振るい、神代は堂々と歩いた。それは、裏切り者たちに王者の風格たるものを見せつけるようであった。
「お前、あのときの……」
反乱、いや革命の頂に立つのは、予想に反して平凡な少女だった。
いつの日か食堂で自分に楯突いた女に、このような形でまたも逢おうとは。なんと皮肉な運命か、と嘲笑った。
「なるほど、お前だったか。仕返しのためにここまでしたのか?」
「違う」
きっぱりと否定する少女は、あのときと同じ凛々しさを放っていた。
「短期間でこれだけの人数を集めるとはな。一体どうやったんだ? 魔法か何かか」
「魔法……ある意味そうかもしれないね」
意外な言葉を口にした少女は、そのまま続ける。
「人は抑圧されれば、ストレスがたまる。神代、あなたは鞭を振るい続けることばかりで、飴を与えなかった。それが神代の敗因」
「お前が飴を与えたと?」
頷く彼女にまた一つ疑問を重ねた。
「でも、声高に反乱を訴えれば俺にはわかる」
「今は便利な時代だから」
そう言って見せたのは、携帯電話。
「メール、SNS、ネットの掲示板……使える手は全て使ったよ。魅惑的な言葉を並べ、時には厳しい言葉も混じえて、潜在意識に揺さぶりをかける。集会では、視覚効果を計算し、人間の本能を刺激する演出を見せる。こうして私の革命計画に心酔した人たちは、周囲を誘い込み、その人たちもまた周囲に声をかける。そうしていたら、あっという間に反神代派が集まったよ」
「な……っ!」
人間の本能にまで届く、緻密な宣伝行為。
これには覚えがあった。
「そうか、お前……プロパガンダの魔術師か……!」
プロパガンダの魔術師と呼ばれた、ナチス宣伝大臣ゲッペルス。まさしく彼女は、この学園のゲッペルスとも言えよう存在であった。
「そう。これが私の使った『魔法』。神代、恐怖で大勢の人を従わせるあなたのやり方はもう古い。今は、情報を操り、人間の心理を利用する時代なの」
「く……っ」
もはや認めざるを得なかった。
彼女は、平凡な女、などという器ではない。凄まじい何かを内に秘めている。
「神代。確かに私は、怒りを原動力にしていたと思う。でもあなたへの恨みだけでは、こんなことはできない。これだけの人数を動かせない」
強い視線に射抜かれる。
「私は、この学園を変えたかった。品格に欠ける行いで地を踏み荒らし、肥えていく暴君。人としての誇りを失い、ただただ上に従う生徒たち。そんな光景が当たり前になっている学園を変えたかった」
何だ。一体何だというのだ。
自分よりも頭一つ分低い背である少女に、何故「大きい」と感じるのだ。
この女の何がそうさせる。
「力だけで弱者を従わせるだけなら、獣でもできる。躾を恐れ飼い主に従うだけなら、家畜でもできる。だけど私たちは人間なんだ。誇りある、人間」
一歩、女は前に踏み出した。
「本当の家畜に成り下がったなら、私の言葉に耳を貸さず、あなたに従い続けていたかもしれない。でもまだ彼らは人としての尊厳を捨てていなかった。だから動けたの。……神代、あなたも同じ」
彼女の眼差しは澄み切っていた。何かを見通すような、そんな双眸に、神代は吸い込まれるように見入った。
「あなたもまだ、本当の獣に成り下がっていない筈。力で従わせるのではなく、恐怖で縛りつけるのではなく──あなたの心で、人の心を掴み取るの、神代」
その言葉は確かに、神代の心を掴んだ。
彼女はゲッペルスなどではない。市民を魅了し革命の先導をした英雄──ナポレオンだ。
家柄に頼り、欲に溺れた自分には、英雄の光り輝く魂は眩しかった。
「あなたは、これからもこの学園のトップとして立ち続けてもらわないといけない。……頭をなくした手足は動けないから。だけど神代、今までのやり方はもう通用しない」
「ああ」
負けたというのに、この晴れやかな気持ちは何だろうか。まるで泥を拭ったような、この心地は。
「俺の完敗だ。……お前、名前は?」
「私? 私は──」
※
「倉本天音、堂々たる勝利を飾りました」
「神代もこれは負けを認めざるを得ないでしょう」
「最初はどうなることかと思いましたが、今確かに、二人の絆が結ばれたようです」
「運命の出会いがどこに転がっているか、わからないものですね」
「ヒーローのひとり、神代との波乱な出会いは、こうして結末を迎えました。しかし彼女の学園生活は始まったばかり」
「これからの更なる活躍に期待しましょう」
「それでは、中継を終えます」
(めんどくさくなったから)終わり。




