殺し屋はターゲットに恋をする
雨の激しいある夜の出来事だった。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ・・・・・・」
空から降ってくる滝のような雨に打たれ、その雨のせいで溜まっている浅い水溜りに足を何度も捕られそうになりながらも、男は必死で走る。いや、ただ走っているのではない。逃げているのだ。後ろから息も切らさず恐ろしい速度で追いかけてくる『あいつ』から。
「はぁ、はぁ、はぁ、・・・・・」
自分がなぜこのような状況に陥っているか、男は何となくわかっていた。おそらく、裏金の問題を隠蔽しようとしたことが原因で今このようなことになってしまったのだろう。いや、それだけではない。国税をうまく誤魔化し、一般の市民を容赦なく金を騙し取る。そんなことを繰り返しているうちに、あの『組織』から警告がきてしまった。これ以上悪事を働くのならば、と。
くそっ、こんなことになるのだったら大人しくしておくべきだった。そう悔やんでももう遅かった。その警告を無視し、金と権力で弱いものを虐げ、その光景を笑って見ていたのは自分なのだから。
慣れない全力疾走のため、息を切らして走っていた男は必死で動かしていた足を止めなければならなかった。行き止まりだったからだ。目の前に道はない、あるのは高い高いコンクリートで出来た壁だけ。
「っひ・・・・・た、助けてくれ・・・・頼む・・・・。か、金ならいくらでも・・・」
壁に背を向けへたり込み、もう逃げることができないと悟ったのかゆっくりと歩いてくる『そいつ』に命乞いをする。自分でも情けなかった。下げたことのない頭を地面にこすり付けるように下げ、顔は恐怖で引きつらせている様子を、情けないと言う以外なんと言えばよいのだろうか?
「お金ならいくらでも払う?ふざけないで。そのお金は誰から奪ったものよ?誰から騙し取ったものよ?」
「っひ、っひぁ・・・・・」
「私たちの警告を散々無視したあげく、弱いものに暴力を働いてお金を手にしたのは誰よ?あなたでしょう。散々悪事を働いたのに、その果ては命乞い?ふざけないでよ」
そう言うと、『そいつ』は懐からリボルバー式の黒い銃を取り出す。弾はもうすでに装填されているのか、マガジンを確認することなく銃口を男の頭に押し付けた。
「ひぃ、あぁ・・・・・た、助け・・・・」
男の口からはそれ以上言葉は出てこなかった。『そいつ』は銃の引き金を引いたのだ。発砲音が響き渡ったあと、弾は男の頭を貫通し、壁に埋まった。―――人を殺すには十分な威力だ。
男の首に手をやり、いつも通り脈がないのを確認した『そいつ』は、ためらうことなくその場を後にした。
++++++
「ただいま戻りました社長」
「おっかえり〜〜〜僕のかわいい玲菜ちゃ〜〜ん。僕とぉぉっても寂し―――へぶし!!」
「社長、ここは会社です。普通にその行為はセクハラになります」
報告に来た途端抱きつこうとした中年の男の横っ面に、ありったけの力を込めた鉄拳を食らわす。その男はしばらくじたばたと悶絶し、たまに「ぐぉぉぉぉ」やら「いぎぃぃぃ」などとわけのわからない言葉を言っていた。
ここは「A・B・K」と呼ばれる会社の社長室だ。この会社は主にはおもちゃの開発、販売をして利益を得ている。子供に人気なフィギュアから大人が好むTVゲームまで幅広いおもちゃを提供しており、その利益は日本おもちゃ会社のトップになるほどの実績を上げていた。
今悶絶しているのがご察しの通り、「A・B・K」社の現社長、「佐々木 幸一」である。若いときに勢いで会社を設立し、その勢いのままとうとう日本トップにまで上り詰めた人物だ。経営力だけではなく、人柄が気に入られているのか、人望も厚い。事実、この人のためなら死ねる!と宣言した社員もいるくらいなのだから。
日本のトップに立つおもちゃ会社。だがそれは社会一般に知られる顔でしかなかった。裏では依頼人に頼まれた人物をこの世から消し去る職業、「殺し屋」を営んでいる会社だった。
異常なまでの戦闘力を持ち合わせている幹部が直接動き、抹殺を行っている。頼まれた依頼は確実にこなし、何よりも早い。相手がどんな屈強な人間でも、1日あれば抹殺に取り掛かれるといった、かなりの実力を持っている会社だ。この会社がその気になれば、日本どころか世界まで征服することができる、という噂が後をたたない。
だが、この会社もポリシーというものが存在する。それが「世の中に必要ない人物しか殺さない」だった。気に入らないだとかの私怨はもってのほか、ターゲットがどんなに人々から嫌われていようが、世の中に必要だと社長である幸一が判断すれば、その依頼は白紙となる。
そのため、主な暗殺のターゲットは薄汚い政治家となっている。国民を騙し、自分だけが甘い汁をすすっているなどというふざけた政治家は、依頼がなくとも暗殺する。
一見物騒に見える会社だが、自分の人生を人に迷惑をかけない程度に楽しく過ごしていれば、人を傷つける『剣』どころか、危険から身を守る『盾』になってくれる会社なのである。会社の名前だって、「A(悪人は)BK(殺す)」の略(命名幸一)なのだから、この会社は絶対的な正義を貫き通している。それゆえ、害のない人間にとってはまさに剣を防いでくれる盾に値する会社なのだ。
長い悶絶から立ち直った幸一は、社長独特の皮製のふわっとした椅子に腰をかけ、目の前にいる大人の一歩手前くらいの女に話しかけた。
「それで、ちゃんと始末できた?」
「はい、問題はありません。後片付けは姉がやってくれると思うので」
「うん、それならいいんだ。・・・・・・・はぁ・・・・・・・」
「? どうなされましたか?」
「いやなに、まだ若いのに人殺しなんてことさせて申し訳ないって思ってさ」
目の前にいるついさっき暗殺を終えた女、「佐々木 玲菜」は今年で17になる。物心ついたときには銃を握り、10歳頃には人を殺していた。そして、初めて人を殺してから7年経った今、玲菜が殺した人数は104人。もちろん先ほどの仕事の人数も含めてだ。7年の時間にしては人数が少ないのは、幸一の配慮からだった。
普通ならば友達と一緒におしゃれして町へ出かけたり、良い男と一緒に映画でも見る年頃のはずなのに・・・・・・。それに、玲菜は美人だ。そこら辺のちゃらちゃらと偽者のブランド品で身を固めている女とは比べ物にならない。なろうと思えば、ハリウッドだってびっくりの大女優にだって簡単になれるくらい、玲菜は美人だった。表舞台に出れば、この会社を遥かに上回る富や名声を得ることができるのは断言できる。
そういうことも含めて、殺し屋などという日の当たらない仕事をさせている幸一は罪悪感を隠せなかった。殺しと言う精神にダメージを与えるような仕事を、本当ならやらせたくなかった。
そんな幸一に、玲菜は優しい笑みを浮かべて答えた。
「気にしないでください。捨てられていた私とお姉ちゃんを助けてくれたのは社長・・・・お父さんじゃない。私何とも思ってないよ、後悔もしてない。お父さんの役に立てて幸せだよ。だからそんな顔しないで。ね?」
「れ、れいなぁぁぁぁぁぁぁ―――あべし!!」
「だからやめてってば」
再び幸一の横っ面に鉄拳を食らわす。幸一は先ほどと同じく頬を押さえ悶絶し、「いぎぎぎぎぎ」やら「あががががが」などとわけのわからない言葉を放っていた。
はぁ、と少しため息をつき、玲菜は腕を組んだ。
「それで?次の仕事は?」
「いたたた・・・・この男だよ」
幸一はデスクから一枚の紙を取り出し、玲菜に手渡した。ターゲットの情報が書かれてある書類だった。現在住所、氏名、年齢、顔などの情報が紙いっぱいに書かれており、暗殺時には欠かすことのできない貴重な情報源だった。
名は「木下 刹那」、年齢は玲菜と同じ17歳。顔は至って優しげで、見る限りではそんなに害を及ぼす人間には見えなかった。
「・・・・・ずいぶん、優しそうな人ね。年も私と一緒じゃない」
「僕も最初は疑ったよ。こんな優しい顔している人が本当に恐喝、強盗、殺しをやってるなん
てね。でも・・・・・」
「やってた・・・?」
「実際に見てはいないけど、この会社の情報網は確かだ。残念だけど、消すしかない」
幸一は残念そうに、下を向いて答えた。玲菜は、幸一がこんなに残念な顔をしているのはあまり見たことがなかった。
「・・・・・わかった。それじゃ、行ってくるね」
そう言い、社長室の戸に手をかけたときだった。社長が少しだけ心配そうに玲菜にたずねた。
「玲菜ちゃん、具合悪くない?声が少し変だよ?」
「雨の中ずっと追いかけてたからね。でも大丈夫だよ、そんなにひどくないから」
幸一の心配をやんわり受け止め、玲菜は社長室から出て行った。
+++++
{・・・・・無理しないで休んどけばよかったかな・・・・・}
玲菜は今、ターゲットの自宅に向かっていた。時間は夜。風がやたらと吹いており、冷たい空気が玲菜の体温を奪っていった。
玲菜は風邪をこじらせていた。そう、前の仕事のときに降っていた雨のせいだった。冷たい雨に加えてこの強風、風邪を悪化させるにはもってこいの環境だ。
{ちょっと・・・・・まずい、かも・・・・}
頭がボーっとし、視界がぼやける。体には力が入らず、足を引きずるようにして歩いていた。典型的な風邪の症状だった。
体の具合の悪さに耐えて歩いているうちに、ついにターゲット「木下 刹那」の家に着いてしまった。決して大きくはなく、少し新しい感じの家。この中に・・・・・ターゲットはいるのか?いや、いない。電気が点いていないからだ。時間は夜であってもまだ8時頃、青年の寝る時間には少し早い。―――つまりは留守、ということになるのだろうか。
{なんで、こうタイミングが悪いかなぁ・・・・・}
早く抹殺して家に帰って休みたいのに、肝心なターゲットがいなければ話にならない。このまま待っているしかないのか・・・・・いや、それはできない。理由は至って簡単だ。玲菜は、
{あ・・・・・・・}
倒れてしまったのだから。
どしゃ、とアスファルトの上に倒れこみ、玲菜はそのまま意識を失った。
+++++
「!?っは!!・・・・・・・あれ?ここは?」
意識が覚醒した途端に起き上がるが、見慣れない部屋だとわかるとすぐさま辺りを見回した。壁には今はやりのロック歌手のポスターが張っており、大きいタンスもあった。
床はマンガなどがぶっきらぼうに置いてあったが机の上は割りとあっさりしており、英文に蛍光ペンで印をつけたままの参考書が広げてあった。
「どこ・・・・なんだろ?」
ベッドから起き上がろうとするが、その瞬間頭がボーっとしてすぐに寝込む形になってしまった。ふと気になって自分の額に手を当ててみる。―――熱かった。風邪で自分の手も熱くなっているはずなのに、その手よりもずっとずっと熱かった。自分が抹殺した人たちの呪いか?とくだらない考えを頭に浮かべ、苦笑する。殺された怨みが積もった呪いが風邪、本当にくだらない。
とにかく、玲菜はこれからどうすればいいかを考えなければならなかった。まず、このまま寝ているわけにもいかないだろう。すぐに起き上がって出て行かなくてはいけない。出口はあの窓から出いいだろう。顔を手でかばいながら突っ込む形で窓ガラスを破り、すぐさま脱出する。問題はそのあとだ。このふらふらの体で「A・B・K」本社に帰還することができるか?答えは否だ。この厄介な風邪のせいで再び倒れてしまうに決まっている。
どうすればいいか・・・・・・考えていると不意にドアが開き、入ってきた人物を見た瞬間、玲菜は呆気に取られてしまった。なぜならば、入ってきた人物は今から抹殺しなければならないターゲット、「木下 刹那」だったからだ。
「あ、起きたな。具合はどう?玄関先で倒れてるから驚いたよ」
ターゲットは手に水とタオルの入った洗面器を持っていた。おそらく、高熱で倒れた自分の額に乗せて熱を下げようとしているのだろう。
ゆっくりとターゲットは玲菜の寝ているベッドに近づき洗面器を床に置くと、中に入っている水に浸しているタオルをギュッと絞り、風邪のせいで熱くなっている玲菜の額の上に乗せた。ひんやりとしていて、熱が一気に引いていくような錯覚に襲われたが、今はそんなことどうでもいい。
問題は、なぜこのターゲットが自分を助けたか、だ。普通だったら例え道に倒れていようとも、見知らぬ人を自分の家にあげて介抱するということはありえない。病院か警察に連絡するはずだ。そしてその二つのどちらかがやってきたら、はいさようなら。後は人事、知らん振りのはずなのだ。なのにこのターゲットは見ず知らずの女性を自宅まで運び込み、ご丁寧に看病までしてくれている。幸一から渡された書類に書いてあったターゲットの情報からだとどうしても結びつかない行為だった。
玲菜が自分を怪しげな目でじっと見ているのに気がついたのか、ターゲットはにこっと笑って立ち上がった。
「ああ、腹が減ったんだな。じゃあおかゆでも作ってくるよ。大人しく寝てるんだぞ」
そう言い残すと、ターゲットはドアの向こう側へと消えていった。
自分のためにおかゆを作るだ?ますますターゲットの考えていることがわからなくなった。書類には強盗、恐喝、殺しの常習者だと記されてあった。だが、今ターゲットがしている行為は、そういうのとは無縁の人助けだ。
{私を助けて、何か得が?}
そうだ、そうに決まってる。犯罪者が良いことなどするはずがない。自分を助けているのは、あとでお礼として多額の金を貰おうとしているからだ。なんて卑劣なヤツ!なんて最低なヤツ!
そう強く思い込み、玲菜はゆっくりとベッドから起き上がった。
あのターゲットを抹殺する。
玲菜はドアを開け、階段を降り、キッチンのすぐ入り口のところまでやってきた。だが、
{やっぱり・・・・・駄目かな・・・・・}
自分の体が悲鳴を上げている。ただでさえ高くなっている体温をさらに上げて、安静にしていろと警告している。だが、そうすることは許されなかった。この社会のごみを抹殺しなければ、他の人々に害が及ぶかもしれないのだ。ここで何としてでも消さなければならない。
頭がボーっとして体がだるいが、抹殺の二文字に励まされキッチンへと足を踏み入れた。ゆっくり懐に手をやり、いつも使っている愛銃を取り出・・・・・・
{あ、あれ!?お、落としちゃった!?}
せなかった。どうやら、この家の玄関まで歩いてくる際に落とし、体の状態のほうに気がいっていたため落としたのに気がつかなかったようだった。
だが、玲菜は銃だけで人を殺してきたわけではない。時には撲殺、時には斬殺、時には絞殺など、そこら辺にあるものを使って殺したときもある。つまり、銃がなくとも殺すことができるのだ。
ターゲットは調理に夢中で自分の存在に気がついてはいない。テーブルに置いてあった果物ナイフをそっと手に取り、ターゲットに忍び寄る。が、
「!?」
調味料を取り出すためなのか、ターゲットはくるっと玲菜のほうに体を向ける。そうなれば当然ナイフを持った玲菜の姿が目に映る。つまり、自分を殺そうとしている女の姿が目に入る。
事を理解する前に抹殺しなければ!そう思い、玲菜はターゲットの心臓めがけてナイフを振り下ろすが、急に足の力が抜けターゲットに体を預ける形になってしまう。やはり、無茶だったのだ。
「お、おい大丈夫か?・・・・・お前、手に持っているのって、果物ナイフ?」
ナイフを持ち、なおかつ自分のほうを向いている。この二つのことから、ターゲットは玲菜の意図にやっと気がついた。
「・・・・・もしかして・・・・・」
ばれてしまった、と玲菜は思った。抹殺の意図がターゲットにばれてしまった。こうなってしまえば抹殺は困難になる。うかつに後ろ姿を、隙を見せることもなくなるだろうし、自分に対して何をしてくるかもわからない。やっかいな失敗をしてしまったと玲菜は・・・・・
「りんごだな!?りんごが食べたかったんだな!?」
玲菜の考えは、あまりにも間抜けなターゲットの発言によってがらりと変わってしまった。殺そうとしたのに、それをどう取ればりんごが食べたいになるのか。このターゲットはもしかして天然なのか、と思わずにはいられなかった。
「今剥いてやるから待ってろよ」
そう言うと背中を押されて部屋まで強制的に歩かせられる。そして再びベッドに寝たのを確認したターゲットは、「今もって来るから」と一言を残してキッチンへと戻ってしまった。
玲菜はベッドの中で考え込んだ。もちろん、ターゲットの殺害方法。基本的には殺しさえすればいい。方法は問わない、どんな手でも構わない。後に証拠隠滅班がやってきてどんな証拠も消し去ってくれる。
だが刺殺はもう無理だ。近くに手頃な武器がないからだ。カッターなど、文房具的なものはターゲットの机の中を探せば出てくるかもしれないが、その最中にターゲットが部屋に入ってきたらアウトだ。今度こそ怪しまれるし、第一刺そうとしても刃が折れてしまって刺せないだろう。
確実に、かつ手頃な武器で。この2つの条件を満たせばいいのだが、熱のせいで頭の働きが鈍っているのか、どうしても考えが浮かんでこない。―――今ほど風邪を恨めしく思ったことはなかった。
ふぅ、とため息をつき、額に乗っている濡れタオルを取った。冷えていれば心地よいが、体温を奪った分ぬるくなった濡れタオルは気持ち悪いだけだった。
{・・・・・・これだ!}
手に取った瞬間、鈍った頭に考えが浮かぶ。そう、このタオルで絞め殺してしまえばいいのだ。何とか後ろに回りこんで、気取られないようにタオルを首に巻き、ターゲットが気付いた瞬間一気に絞める。ターゲットは突然のことにパニックを起こすはず、そこをうまく利用すれば抵抗されないはず。
トン、トン、トン、と階段を上がってくる音が聞こえた。ターゲットが調理したおかゆを持ってきたのだろう。玲菜はベッドから起き上がり、ドアのところへ素早く移動する。タオルをねじり紐状にし、構える。―――準備は万端、いつでも来い。
ガチャ、とドアは開いた。
瞬間、玲菜はターゲットの首めがけてタオルをひっかけようとする。が、
{えっ!?}
足元に置いてあった―――いや、散らかしてあったマンガに足を取られ、そのまま横転してしまう。ドテッと情けなく転んだ玲菜は散らかした本人のターゲットを睨むことしかできなかった。このマンガさえなければ・・・と。
「何・・・・・・やってんの?」
ターゲットは本当に不思議そうな目で尻餅をついている玲菜を見ていた。キッチンミトンがはめられている手には鍋が握られており、中のおかゆがほこほこと湯気をたてていた。おかゆのにおいが玲菜の鼻をくすぐり、腹の虫が鳴いた。
くぅ〜〜
「・・・・っぷ、はははははははは。やっぱりおなか空いてたのか。ほら、ベッドに戻って」
玲菜は顔を真っ赤にさせ、しぶしぶと言われるがままベッドに戻った。
腰のところに枕を置き、上半身を起こす形をとる。寝たまま食べるわけにもいかないのだから当然だった。
「1人で・・・・・・無理か」
そう言うと、ターゲットはスプーンでおかゆをすくい、ふーふーと息を吹きかけておかゆを適温に下げる。
「はい、口開けて〜」
言われたままに口を開け、ターゲットの作ったおかゆを口にする。特別おいしい、というわけでもなかったが、何だか優しい味がした。
おかゆを食べさせてもらっている最中、玲菜は考え込んだ。あの青年、刹那は恐喝、強盗、殺しの常習犯だ。それは情報屋からの確かな情報、間違いなどあるはずがない。今まで間違った情報など一度も送られてこなかったのだから。
だが、玲菜にはどうしても刹那がそんなことをするとは思えなかった。こんな間抜けで、お人好しが、人の体を、心を傷つけるような真似などするはずがない。根拠があるわけではない、だが『この人は絶対に違う』という気がしてならないのだ。
確かめてもいいかもしれない。あつあつのおかゆを口にしながら玲菜は思ったのだった。
+++++
「恐喝に強盗に殺しだぁ?!そんなことした覚えなんかないよ!!」
「・・・・・・本当に?」
「本当だよ。されたことはあるかもしれないけど・・・・・・・・」
食事のあと、玲菜はターゲットに確認を取った。率直にだ。あなたは恐喝、強盗、殺しの常習犯ですか?と、あっさり、ストレートに。
やっぱりと言うか、ターゲットはそのことを否認した。だが、それが事実なのか嘘なのかはまだ確定できない。
「ふぅ・・・・・・・・。ま、いいかな・・・・・・」
倒れていたところを助けてもらった手前、話してもいいか。そんな考えが頭に浮かんだ。
「はっきり言う。私はあなた、木下 刹那を殺しに来たの」
「は、はぁ?!」
玲菜は、自分はある殺し屋の一員として働いていること、そして今回のターゲットが刹那に決まったことをできるだけ細かく話した。ターゲットも最初は笑っていたが、ずいぶん前から起きている『悪徳議員、謎の失踪事件』のことを思い出すと、玲菜の話を馬鹿にしようとはしなかった。
「・・・・・・・・・・つまり、俺がその恐喝やら強盗やら殺しをやってるっていう情報が玲菜の会社に流れてきたから殺しに来た、ってことか?」
「そう。でも・・・・・・」
「俺はそんなことをするやつにはどうしても見えない、ってことか。何だか嬉しいな」
少しだけ笑うと、刹那は大分熱が引いた玲菜に聞く。
「それで、玲菜はこれからどうするんだ?俺を殺すのか?」
「ううん、一応様子見になる。少なくても、悪いことしてるっていう確証を得るまでは殺さない」
「ははは、そりゃよかった。俺もまだ死にたくないからなぁ〜」
本当に玲菜の話を信じているのか疑わしくなるくらいに刹那ははしゃいでいた。普段ではありえない刺激的なことがあったからなのか、それとも笑っていなければやっていられないからなのか、よくわからない。
「ところでさ。・・・・・・・・・俺とお前、前に会ったことないかな?」
刹那の表情ががらりと変わり、急に真面目な顔になった。
「わかんない、たぶんないと思う」
会ったことがない、と口に出したものの、玲菜もまたターゲットを見た瞬間そのような感覚に襲われていた。まるで、小さいときに一度だけ会って、それからまた何年か経ってから再び会ったみたいな、おぼろげな感覚。
「さて、っと」
だが、今はそんな感覚にひたっている場合ではない。やるべきことがあるのだから。
「お、おい。まだ寝てないと・・・・・・」
「ちょっと電話貸してね。連絡するから」
そう言うと、玲菜はドアノブに手をかけてゆっくりと開け、出て行く寸前にこう言った。
「そうそう、私しばらくここに住むから。よろしくね」
とんでもないことを言ったはずなのに、それが当然のようにさらっと言ってみせたので、刹那は玲菜の言葉を理解するのに少し時間がかかった。
「あぁ、よろしくな〜って・・・・・・は、はぁあああああああ??!!!!」
+++++
幸一は愛娘からの電話の内容を聞いて驚かずにはいられなかった。
「えぇ!?ちょ、ちょっと玲菜ちゃん?!」
「そういうことだから、私しばらくターゲットの家に住むから、心配しないで」
「いやいやいや!!!心配どころありすぎっしょ?!相手は恐喝、強盗、殺しの常習犯なんだよ!?そんなとこで寝てたらきっと襲われると思うなぁ〜・・・・」
「大丈夫だよ。刹那はそんなことしない人だし、なによりも私強いから、心配しなくてもいいよ」
「じゃ、じゃあせめてターゲットの住所教えて?ね?お父さん心配で心配で夜も眠れない!!」
「寝なくていいよ。住所教えるとややこしくなるから」
「父の心配は皆無!?しかもややこしくなるって玲菜ちゃんはお父さんを何だと思ってるのさ?!」
「う〜ん・・・・・馬鹿?」
「うわ直球!!娘に馬鹿って言われたよ!!お父さんショック!!」
「・・・・・・もう切るね。お父さんと話してると疲れる」
「反抗期真っ只中!?もしもし!?玲菜ちゃん?!もしも〜し・・・・・」
ツーツー、という受話器の音は、玲菜との電話が切れたということを教えていた。大きなため息を1つ吐いてから、幸一は受話器を置いた。
「うえ〜ん、僕の可愛い玲菜ちゃんが〜・・・・・・」
「しゃちょ〜」
「あんなに健気で優しくて純粋だった僕の可愛い玲菜ちゃんが〜・・・・・・」
「しゃちょ〜〜」
「あんな凶暴そうな男と一緒の家に住むなんて・・・・・・」
「しゃちょ〜ったら」
「あぁぁああ・・・・・僕はどこで育て方を間違えてしまったんだろう・・・・・」
「・・・・・・っふ!!!」
「ひべ!!!!!」
何回も話しかけているのに無視している幸一の横っ面を思いっきりぶん殴る。綺麗に一回転して無様に床へと叩きつけられた幸一は、「ぎぎゃぎゃぎゃぎゃ」やら「えびびびびびび」などと現代日本語では理解できそうもない奇声を上げのた打ち回っていた。
「いつまでも人の話無視してっからでしょ?それより!!あたしの玲菜ちゃんは!!どこ!どこ!!どこなの!!!」
「ぐぇ・・・・ちょ、ま・・・・・・里奈・・・ちゃ・・・・・ぐるじ・・・・・・」
「玲菜ちゃんはどうしたって!?今の電話玲菜ちゃんからだったんでしょ!?どうなの!!」
倒れ伏していた幸一の胸倉を掴み上げ、力任せにブンブン振る。
いくら威厳がないといっても、日本大企業社の社長である幸一を掴み上げ、記憶が飛ぶのではないかというくらい頭を振らせているのは、幸一の娘、そして玲菜の実の姉、「佐々木 里奈」である。見たものは息を呑まずにはいられない程の美人である玲菜の姉だけあって、その美貌は玲菜に勝るとも劣らない。
この会社一番の殺しの実績を上げているのは里奈だ。ターゲットを消すまでの時間、コスト、方法、タイミング、全てが完璧で、里奈なしではこの会社の実績は半減してしまうと言われているくらいの実力を持っていた。現在、里奈の中でブームとなっている殺し方は斬殺。業物の日本刀で頭を落とし、首から出る血の噴水を見るのがこの上なく楽しいらしい。戦国時代にいたのなら、間違いなく千人斬りをやってのけただろう。
ただ、最近は玲菜のほうにも気をかけており、玲菜が殺したターゲットの証拠などは全て里奈が隠滅している。仕事になれば鬼になる里奈も、玲菜といると途端に駄目になってしまうという弱点があった。いくら仕事を熱心にやっていても、玲菜の姿が目に入ったら磁石の如く玲菜に急接近し、そのままべったりしてしまう。そう、里奈は極度のシスコンなのだ。
―――これは余談だが、一昔玲菜の貞操が里奈のせいで危機にさらされたという噂が立ったのだが、事実はわからない。
日本刀という重いものを振り回せる腕を持つ、今玲菜のことを心配している極度のシスコン姉。その里奈が、手加減なしで胸倉を掴んで首をぶんぶん振れば、
「・・・・・・・・・・・」
「あれ?お父さん?どしたのよ?」
幸一が気絶したのにも頷ける。
+++++
電話から帰ってきた玲菜はバフッとベッドの中に潜り込み、そのまま瞼を閉じた。
「あの・・・・・・・・さ」
「ん?何?」
瞼を閉じながら言う。上半身を起こして喋るのもめんどうなのか、それとも体がまだ本調子じゃないのか、よくわからない。
「何で一緒に住むのか、よくわかんないんだけど・・・・・」
「だからさっき言ったでしょ?本当に悪人かどうか確証を得るまでは殺さないって」
「言ったけどさ、それが住むのとどういう関係が・・・・・・・・・」
「身近にいたほうがわかりやすいでしょ?一緒に住んだほうが、あなたがどういう人物なのか見極めがつきやすいし」
「で、でもさ。男女が一緒の家で住むってのは・・・・・・・」
「問題ないよ。刹那は変なことしないから」
「なんでそんなことわかるんだよ・・・・・・・」
「・・・・・・くぅ・・・すぅ・・・・・・」
「話の途中で寝んなよ・・・・・・」
やれやれ、と呆れながらも玲菜に毛布をかぶせ、空っぽになった鍋とすっかりぬるくなった水の入った洗面器を持って部屋を出た。両手が塞がっているので、肩でうまくスイッチを押して明かりを消し、足を使ってドアを閉めた。
「あ・・・・・・・・」
バタンとドアの音が耳に入った瞬間、さっき玲菜が言った「刹那は変なことしない」という言葉がよみがえってきた。玲菜は体の調子が悪いので完全に眠りに入っている。その間に何かしらできたはずなのに、刹那はしなかった。
「玲菜の言った通りになっちゃったな」
ははは、と苦笑いをしながら、刹那は階段を下りていった。
―――明日から、何だかとても大変になりそうだ。そのことが刹那の頭から離れなかった。
ラブコメちっくなのを書きたいなぁ〜、と思ってとっさに書いてしまいました^^;
本当は連載予定してたのですが、気まぐれ書きで定期的に更新できないと判断したので、短編という形で投稿させていただきました。
もし面白いなどの好評を頂けたのであれば、頑張って連載しようと思います。
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