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曖昧な優しさ

掲載日:2026/03/31

お読みいただきありがとうございます。

5、6年ほど恋愛という恋愛をしていない人間が恋愛小説を書いたらどうなるのか。

そんなコンセプトで書いてみました。最初は全然違う目的で書いていましたが、それはあとがきで書きますね。感想等いただけると嬉しいです。

「逃げてるだけでしょ」

開口一番、それだった。

「……いきなりだな」

「いきなりじゃないよ。ずっと思ってた。あんた、逃げてる」

グラスの氷が小さく鳴る。店内のざわめきが、妙に遠く感じた。

「別に誰にも迷惑かけてないだろ」

「かけてるよ。好かれてんの、わかってるくせに中途半端な距離でキープしてる時点で、十分迷惑」

「キープなんてしてない」

「してるよ。無自覚なだけで一番タチ悪い」

言い返そうとして、言葉が出なかった。彼女はため息をついて、続ける。

「好きになるのが怖いんじゃないでしょ」

「……は?」

「好かれる責任が怖いんだよ」

核心を掴まれた気がした。

「……そんな大層なもんじゃない」

「大層だよ。あんたにとってはね」

彼女は肘をついて、まっすぐこっちを見る。

「いいなと思う人ができる。でも踏み込まない、なんで?」

「……めんどくさいから」

「嘘つけ」

間髪入れず否定してくる。

「自分が好きになると、相手もそれなりの温度で返してくる。それが重くなるのが怖いんでしょ」

黙るしかなかった。

「で、いざ向こうの好意が強くなると、今度は応えなきゃいけない自分から逃げる。最低だよ、それ」

静かに、でもはっきりと言われた。

「期待させるだけさせて、最後はごめんで済ませるんでしょ?」

「ちゃんと線は引いてる」

「引けてないからこうなってるんでしょ?」

テーブルを軽く叩く音。

「優しくするけど責任は取りませんって、一番都合いいポジションに居座ってるだけ」

胸の奥がじわっと熱くなる。

「じゃあどうしろって言うんだよ」

少しだけ声が荒くなった。彼女は一瞬だけ目を細めて、それから言った。

「最初から関わるな」

「……は?」

「応えられないなら、期待させるな。優しくするな。近づくな」

言葉が鋭すぎて、笑いそうになる。

「それじゃ人と関われないだろ」

「だったら中途半端に関わるなって言ってんの。自分が傷つきたくないからって、相手に中途半端な希望押し付けるくらいなら、最初から一人でいろよ」

驚くくらいまっすぐな言葉が胸に突き刺さる。

「……そんな簡単に割り切れるわけないだろ」

「割り切れないなら、せめて自覚しろ」

彼女はグラスを持ち上げる。

「自分がやってること、優しさでもなんでもないから」

氷がまた、音を立てた。

「ただの保身。しかも結構、卑怯なやつ」

言い切られて、逃げ場がなくなる。

「……別に、誰かを傷つけたいわけじゃない」

絞り出した言葉に、彼女は小さく頷いた。

「知ってるよ。だから余計タチ悪いって言ってるの」

少しだけ、声のトーンが落ちる。

「悪意がない分、繰り返すでしょ、あんた。今回も仕方なかったって顔して、また同じことやる」

図星すぎて、笑えない。しばらく沈黙が落き店員が通り過ぎて、またざわめきが戻る。

「ねえ」

彼女がぽつりと呼ぶ。

「一回くらい、ちゃんと誰かの期待背負ってみたら?」

「……無理だよ」

反射的に答えていた。彼女は少しだけ笑った。

「ほらね」

その笑いは、軽蔑に近かった。

「そうやって無理で逃げる」

「事実だろ」

「違うよ」

彼女は首を振る。

「やらないだけ。できないんじゃない、やらないって選んでる」

言葉が、妙に静かだった。

「そのくせ、誰かに好かれる可能性だけは手放さない、都合よすぎでしょ」

「……」

「自分は傷つかない位置にいて、でも誰かからの好意は欲しい」

何も言えなかった。彼女はグラスを空にして、テーブルに置く。

「それ、恋愛わかんないじゃないよ」

立ち上がりながら、最後に言った。

「ちゃんとわかってて、逃げてるだけ」

伝票を取ると「一番ダサいタイプ」そう言って、彼女は振り返らなかった。席に残されたまま、しばらく動けなかった。テーブルの上の水滴を、指でなぞる。さっきの言葉が、頭の中で何度も繰り返される。やらないだけ、都合よすぎ、ダサい、全部否定できなかった。スマホが震えた。画面を見る少し前に知り合った相手からだった。

『今度、いつ会える?』




スマホの画面に浮かぶ「今度、いつ会える?」その一文を、しばらく見つめたまま動けなかった。どう返すか頭の中で、いつもの選択肢が並ぶ。「最近ちょっと忙しくて」「また落ち着いたら」「予定見て連絡する」どれも便利で、どれも逃げ道だった。指が、そのどれかをなぞろうとした。

「……は?」

背後から、呆れを通り越した声が落ちた。振り返ると、さっき帰ったはずの彼女が立っていた。片手に財布。どうやら忘れ物らしい。

「え、なんで戻って...」

「それ今、何しようとしてた?」

遮られる。視線が、俺のスマホに落ちる。

「……別に」

「別に、じゃないでしょ」

一歩近づいてくる。ため息が、露骨でわざとらしい。

「ねえ、私にあれだけ言われてさ、結局それ送るの?」

言葉が詰まる。

「曖昧なやつ。いつものやつ」

沈黙が肯定になる。彼女は、はっきりと顔をしかめた。

「……ほんと終わってる」

小さく吐き捨てる。

「ここまで来てそれ?救いようないんだけど」

「……別に、まだ送るって決めたわけじゃ」

「もう決めてる顔してる」

逃げ場がない。彼女はテーブルに財布を置いて、腕を組んだ。

「ねえ、あんたさ」

少しだけ、声のトーンが落ちる。

「昔からだよね、それ」

「……何が」

「大事なとこで、絶対に踏み込まないの」

胸の奥が、少しだけざわついた。

「別に昔は」

「いや、昔からだよ」

被せるように言われる。

「忘れた?」

その一言で、景色が一瞬だけ歪んだ。忘れるわけない。



高校二年の夏だった。放課後の教室は、やけに静かで。窓から入る風が、カーテンをゆっくり揺らしていた。

「ねえ」

後ろから、声がした。同じクラスで、何度も話して、気づけば一緒に帰るようになっていた相手。

「ちょっといい?」

その時点で、なんとなくわかっていた。でも、知らないふりをした。「どうした?」といつも通りの声を出す。彼女は少しだけ笑って、それから真顔に戻った。

「気づいてるでしょ?」

逃げ道を塞ぐ言い方だった。心臓が、少しだけ速くなる。

「……何が」

「ちゃんと聞いて」

彼女は深く息を吸って、言った。

「好きだよ」

教室が、やけに広く感じた。言葉は、ずっと前から予想していたはずなのに、現実になると重さが違った。

「……そっか」

最悪の返事だったと思う。でも、それ以外が出てこなかった。彼女は一瞬だけ固まって、それから笑った。

「そっか、ってなに」

軽く言ってるようで、目は笑ってなかった。

「いや、その…急に言われても、びっくりするだろ」

「うん、まあそれはわかる」

頷くが逃がしてくれない。

「で?」

核心だけが残る。

「……ごめん」

反射だった。考えるより先に出た言葉。その瞬間、彼女の表情が、はっきりと崩れた。

「ああ、そっちなんだ」

乾いた声が突き刺さる。

「いや、違くて」

「何が違うの?」

「その……今はそういうの考えてなくて」

言いながら、自分でも薄っぺらいと思った。彼女はしばらく黙って、それから小さく笑った。

「ねえ、じゃあさ」

顔を上げることができない。

「なんであんな優しくしたの?」

何も言えなかった。

「毎日一緒に帰って、話聞いて、変に期待させるようなことばっかして」

「そんなつもりじゃ」

「それが一番ムカつくの」

即座に切られる。

「そんなつもりじゃないってやつ」

一歩、距離を詰められる。

「こっちはさ、ちゃんと考えたんだよ」

声は震えていた。

「言ったらどうなるかとか、嫌われたらどうしようとか、それでも言いたいから言ったの。なのにあんたは、考えてませんでしたで済ませるの?ずるくない?自分は安全なままで、相手だけリスク取らせて」

返す言葉が見つからなかった。

「最低だよ」

その言葉は、軽くなかった。教室の空気が、重く沈む。

「……ごめん」

それしか言えなかった。彼女はしばらく黙って、それから息を吐いた。

「うん、知ってる。悪気ないんでしょ」

頷けなかった。

「だから余計ムカつく」

視線を外され「ねえ」ともう一度だけ、こっちを見る。

「ちゃんと向き合う気ないなら、最初から近づかないでよ」

その一言は、妙に残った。

「優しさってさ、受け取る側は勝手に意味つけるんだよ」

笑ってない笑顔。

「責任取れないなら、やめて」

それで終わりだった。そのあと、彼女とはほとんど話さなくなった。気まずさとかじゃなくて、明確に距離を置かれた。何度か、話しかけようとは思った。でも、そのたびに思い出した。あの顔やあの言葉。自分は安全なままで、相手だけリスク取らせて。胸の奥に、じわっとした感覚が残る。あれ以来だった。誰かと距離が縮まりそうになると、無意識にブレーキを踏むようになったのは。

優しくすれば、期待される。期待されれば、応えなきゃいけなくなる。応えられなければ、傷つける。だったら、最初から踏み込まなければいい。

でも、完全に離れることもできなかった。人と関わるのは、嫌いじゃない。むしろ、好きで心地よかった。だから結局、近づいて、でも踏み込まず、期待させて、でも応えず傷つけない距離に逃げ続けた。その結果が、今だ。



「...ほらね」

現実に引き戻される。目の前には、幼馴染の彼女。

「全然変わってない。理由はわかったよ、でもさ」

少しだけ、柔らかくなる声。

「だからって、ずっとそれで逃げ続ける理由にはならないでしょ」

視線が、真っ直ぐ刺さる。

「一回失敗したからって、ずっとやらない言い訳にしてるだけじゃん」

痛い。でも、否定できない。

「……怖いんだよ」

気づけば、口に出ていた。彼女は少しだけ目を丸くする。

「また同じことになるのが。誰かに期待されて、それに応えられなくて、ああいう顔されるのが怖い」

しばらく、沈黙。彼女は小さく息を吐いた。

「じゃあさ、今も同じことしようとしてるのはいいの?」

スマホを指さす。

「また誰かにあの顔させるかもしれないのに、怖いのはわかるよ。でもさ逃げ続けてる限り、絶対に同じこと繰り返すよ」

静かな断言。言葉が重くのしかかる。

「だって、何も変えてないんだからそれに」

少しだけ、言い淀む。

「……見ててイラつくし」

「は?」

思わず間抜けな声が出る。彼女は顔をしかめた。

「なにその顔」

「いや急に雑じゃん」

「うるさい」

軽く睨まれる。でも、そのあと少しだけ視線を逸らして、小さく言った。

「……もったいないし」

「え?」

聞き返すと、即座にそっぽを向く。

「別に」

「いや今なんか」

「いいから早く返せば?」

話を切られる。「ちゃんと」と強調される。スマホを見る。

『今度、いつ会える?』

シンプルな問い。逃げ道はいくらでもある。画面越しじゃなくて、さっきの言葉が頭に残っていた。

やらないだけ、逃げてるだけ、また同じことやる。今度は、さっきとは違う場所を選ぶ。送信ボタンの上で、一瞬だけ止まる。これを押したら、逃げられない。責任が生まれる。期待が生まれる。小さく、押した。送信完了の表示。画面を閉じる。隣で、彼女がちらっと見る。

「……なんて送ったの」

少しだけ警戒した声。

「ちゃんと会うって」

短く答える。一瞬の間。

「……ふーん」

興味なさそうに言うくせに、ほんの少しだけ口元が緩んでいた。

「まぁ、いいんじゃない?」

ぶっきらぼうに言って、財布を取る。

「じゃ、今度こそ帰るわ」

背を向ける。数歩進んでから、止まる。振り返らないまま、ぽつりと。

「逃げんなよ、次は」

そのまま、店を出ていった。残された席で、もう一度だけスマホを見る。さっき送ったメッセージが、そこにある。逃げなかった証拠みたいに。でも同時に、これから逃げられない証でもあった。




店のドアが閉まる音が、やけに大きく響いた。外の空気は少し冷えていて、さっきまでの店内の熱が一気に引いていく。数歩歩いて、彼女は立ち止まった。

「……はぁ?」

小さく漏れる声。そのまま、ゆっくりとしゃがみ込む。通行人が一瞬だけ視線を向けるけど、どうでもよかった。

「なにやってんの、あたし……」

両手で顔を覆う。さっきの光景が、ぐるぐると頭の中で再生される。ちゃんと会うってあの一言。

「いやいやいやいや、違うでしょ普通」

ぶんぶんと首を振る。思わず声が出る。

「そこはさ、ちょっとくらい揺らぐとこじゃん……」

誰に言ってるのかもわからないツッコミ。でもすぐに、言葉が止まる。自分が言わせた。夜の街灯が、やけに白い。街頭の下で頭を抱える。

「……何してんのほんとに。好きな人の恋愛、全力で背中押してどうすんの」

さっきまでの自分の言葉が、全部ブーメランみたいに返ってくる。やらないだけでしょ、逃げてるだけ、踏み込めよ。

「……いや、それあたしじゃん」

即座に自己ツッコミ。

「どの口が言ってんのほんと」

思わず地面を強く踏む。痛くもなんともないのに、やり場がない。

「踏み込めてないの、あたしの方じゃん……」

声が少しだけ小さくなる。昔から知ってる。あいつの変なとこも、逃げ癖も、優しさも、全部。だからこそ、腹が立った。でもそれ以上に、

「……ほっとけなかったし。誰かにまた同じことするの、見たくなかったし」

それも本音。でも、それだけじゃない。

「……そもそも、あたしが嫌だったし。他のやつとそういうの、普通に嫌だったし」

自分で言って、自分でダメージを受ける。

「……あーもう、最悪すぎる、じゃあ言えばよかったじゃん」

自分に言い聞かせるみたいに。

「あたしでいいって」

すぐに、首を振る。

「無理でしょ...あんな状態のやつにさ、そんなの言ったら」

少しだけ思い出す。さっきの顔。怖いって言ったときの、あの声。胸の奥が、少しだけ痛む。

「……ああいう顔してるやつに、踏み込めるほど強くないんだって、あたしは。結局さあいつのこと責めてるけど、同じじゃん。傷つくの怖くて、自分からは何も言わないくせに、でも他のやつに取られるのは嫌で、だからああやって横から口出して、一番ダサいの、あたしかも」

自嘲気味に笑う。しばらく、何も言わずにその場にしゃがり込む。車の音。遠くの笑い声。その全てが遠く感じる。ポケットの中で、スマホが震えた気がした。びくっとして取り出す。通知は来ていない。ただの錯覚。

「……なに期待してんの、あいつから連絡来るわけないじゃん」

今の関係で、さっきあんなこと言って。少しだけ、親指が動く。連絡先を開き一番上にある名前。タップしかけて止まる。

「……何送るの、さっきのなしって?それともやっぱあたしと会えって?」

想像して、即座に顔をしかめる。

「無理無理無理。重いし意味わかんないし」

自分で自分を否定する。

「ほらね、やらないだけ」

さっき言った言葉が、そのまま自分に刺さる。

「できないんじゃなくて、やらない」

静かに繰り返す。指先が、ほんの少し震える。

「……どうすんの、これ」

答えは出ない。ただ一つわかるのは、さっきまで逃げてる側だと罵っていた人間と、同じ場所に自分も立っているということだった。ゆっくりと立ち上がる。深く息を吐き、スマホをもう一度見る。名前は、まだそこにある。少しだけ迷って、結局、画面を閉じた。

「……今日は無理」

小さく言い訳する。

「整理できてないし」

誰に対してかもわからない言い訳。でも、足はもう動き出していた。帰り道を歩きながら、ぽつりと呟く。

「……次は」

風に消えそうな声。

「次は、逃げないで言うから」

誰に聞かせるわけでもなく。でも確かに、そう決めた声だった。




それを見つけたのは、本当に偶然だった。仕事の帰、駅前の人混みを抜けて、信号待ちで立ち止まったとき。

「...あ」

視界の端に、見覚えのある横顔が入った。一瞬でわかる。見間違えるはずがない。

「……まじで?」

彼は、笑っていた。隣には、見知らぬ女。いや、正確には見知らぬ、じゃない。あの時、スマホに表示されていた名前の相手だと、直感でわかった。距離が近く自然すぎる距離。肩が軽く触れそうで、でも触れないくらいの、あの絶妙な距離。

「……はは」

信号が青に変わる。人が流れるでも、足が動かない二人は、こっちに気づかないまま歩いていく。楽しそうに話している。彼が、少しだけ照れたように笑って、相手がそれに笑い返す。

ああいう顔、するんだ。知らなかった。いや、知ってたかもしれない。でも、自分に向けられたことはなかった。胸の奥が、ゆっくりと冷えていく。

「……そっか」

誰に言うでもなく、呟く。当たり前の結果だった。

自分が言ったんだ。ちゃんと向き合えって、逃げるなって。ちゃんと、やっただけ。あいつが...それだけ。

「……よかったじゃん」

言葉にしてみる。全然、よくなんかなかった。



気づいたら、店に入っていた。いつものとこじゃない。適当に入った、少し暗めの居酒屋のカウンター席。

「とりあえず、なんでもいいから強いやつください」

自分でも雑だと思う注文。店員が一瞬だけ戸惑って、それから無難なものを出してくる。グラスを掴み一口。喉が焼ける。

「……っは」

息が漏れる。でも、ちょうどよかった。何も考えたくなかった。もう一口。もう一口。ペースが明らかにおかしい。

「……なにやってんだろ」

小さく笑ったつもりだが笑えてない。頭の中に、さっきの光景が何度も浮かぶ。隣にいる女、近い距離、自然な会話。あの、柔らかい笑い方。

「……あんな顔、すんじゃん」

ぽつり。グラスを置く音が、少し強くなる。

「なにそれ、聞いてないんだけど」

誰も聞いてないのに、口が動く。

「いや別に、聞く義理もないけど」

自分で自分にツッコミ。

「……はは」

また笑う、今度は少しだけ歪んでいた。グラスをくるくる回し氷が音を立てる。

「当たり前じゃんね、だってあたしが言ったしちゃんと向き合えって、逃げんなって」

言葉を並べるたびに、少しずつ声が荒くなる。

「で、向き合ったらこれでしょ?」

グラスを持ち上げ、一気に飲み干す。

「成功じゃん、なにが不満なの」

自分に問いかける。答えは出てる。

「……めちゃくちゃ不満なんだけど」

喉の奥が熱いのか、胸の奥が熱いのか、よくわからない。

「なんであたしこんなイラついてんの?意味わかんな、自分でやらせといて自分でキレてるの、ほんと意味わかんない」

失笑するも、失笑すらもうまくできなくなる。

「……いや、わかるけど、普通に嫌だし」

小さく呟きそれを認めた瞬間、何かが崩れた。頭を抱える。

「やっぱ好きじゃん」

言ってしまう。誰もいないのに、小声で。言葉が止まらない。

「何がちょっと気になってるだよ。全然好きじゃん。普通に無理なんだけど、他の女とああいう感じなの普通に無理なんだけど…無理。でもさじゃあなんで言わなかったのって話でしょ」

静かに続く。

「チャンス、あったじゃん。全部言えたじゃん。言えなかったけど。結局あたしも、やらないだけじゃん」

さっき自分が言った言葉が、また刺さる。

「できないんじゃなくて、やらない怖いから」

グラスを見つめため息混じりに言う。

「同じ顔されたらどうしようって、断られたらどうしようって、そりゃあいつ責めらんないわ」

少しだけ、納得してしまう自分がいる。それが余計にしんどい。

「でもさあ」と顔を上げる。誰もいない空間に向かって。

「タイミング悪くない?今じゃなくない?もうちょいさあ……なんかあったじゃん」

ぐだぐだの言い訳。でも止まらない。

「なんで今なの?なんでちゃんとやるの今なの。今までやらなかったくせに」

言ってから、気づく。それは「……あたしが言ったからじゃん」

完全に、沈黙。数秒、何も言えなくなる。力なく笑う。

「自業自得すぎて笑える」

グラスに残った酒を、一気に飲み干す。

「っは……」

息が荒くなる。

「ほんとバカ。自分で背中押して、自分で傷ついて。何それ意味わかんない」

でも一番わかってる。思い出す。ちゃんと選んだ顔。逃げなかった顔。

「……否定したくないし」

ぐちゃぐちゃの感情の中で、それだけははっきりしていた。

「だから余計ムカつくんだけど」

涙が出そうになって、慌てて笑う。天井を見上げる。

「最悪、どうすんのこれ」




待ち合わせの時間より、少しだけ早く着いた。駅前の人通りの多い場所。ガラスに映った自分の顔を、なんとなく確認する。

「……別に変わらないか」

整っている、とはよく言われる。自覚がないわけじゃない。けど、それが何かを解決してくれるわけでもないことも、知っている。ポケットの中でスマホが震えた。

『もう着きそう!』

「……ちゃんと来るんだよな」

当たり前のことを、少しだけ意識する。逃げていない、それだけで、ほんの少しだけ緊張した。

「お待たせ!」

顔を上げる。手を軽く振りながら、彼女が近づいてくる。

「いや、今来たとこ」

自然に出た言葉に、自分で少しだけ驚く。前なら、もう少し距離を取った言い方をしていた気がする。

「ほんと?よかった」

彼女が笑う。その笑顔に、ほんの少しだけ視線を逸らしかけて止める。逃げるな。頭のどこかで、あの声がする。

「じゃあ、行く?」

「うん、いこっか」

並んで歩き出す。少しだけ、距離が近い。意識するとぎこちなくなるから、考えすぎないようにする。

「今日、どこ行くの?」

「一応、いくつか見てたけど」

スマホを取り出して見せる。

「この辺のカフェか、そのあと軽くぶらぶらでもいいかなって」

「いいね、その辺のカフェ気になってたの!お店はお任せで大丈夫?」

「……まあ、一応」

苦笑いが出る。

「ちゃんと考えてきたし」

「意外」

「そう?」

「なんか、ノリで決めそうなイメージだった」

図星に近い。

「……まあ、いつもはそうかもな」

「でしょ?」

笑われる。その軽さが、少し心地いい。店に入る。落ち着いた雰囲気のカフェ。向かい合って座る。メニューを開いて、少しだけ沈黙。

「何頼む?」

「んー……どうしよ」

彼女が悩む。その間、なんとなく顔を見てしまう。視線に気づかれて、目が合う。

「あ、なに?」

「……いや」

一瞬、逃げそうになる。

「似合ってるなって思って」

言葉が、出た。自分でも少し驚くくらい、自然に。彼女が一瞬固まる。

「……え?」

「その服」

逃げ道みたいに付け足す。でも、完全に引くわけじゃない。

「……ありがとう」

少しだけ照れた顔。その反応に、胸の奥が少しだけ温かくなる。

「じゃあ、これにする」

「俺も同じのでいいや」

注文を済ませる。少しずつ、会話が増えていく。仕事の話、好きなものの話、どうでもいい話、笑う回数が増える。

「なんかさ最初会った時より、話しやすくなったかも」

「……そう?」

「うん。前、ちょっと距離あった」

痛いところを突かれる。

「……かもね」否定はしない。

「今は?」

「今は、ちゃんとこっち見てくれてる感じする」

言葉が、少しだけ引っかかる。でも、それは悪い意味じゃなかった。

「……そっか」

コーヒーを一口飲む。少しだけ苦い。でも、嫌じゃない。店を出て、街を歩くと人混みの中、自然と隣に並ぶ。ふとした瞬間、肩が軽く触れる。前なら、少し距離を取っていた。でも今はそのままにした。彼女は、特に気にした様子はない。

「ねえ」

「ん?」

「手、冷たくない?」

不意に言われる。

「え?」

一瞬遅れて、彼女が軽く手に触れてくる。そのまま、少しだけ握られる。

「……そっちの方が冷たいだろ」

軽く、握り返す。ほんの少しだけ。ぎこちないけど、確かに。

「じゃあちょうどいいね」

その言葉に、少しだけ息を吐く。怖くないわけじゃない。でも、逃げてない。それだけで、前とは違った。歩きながら、ふと考える。この先、どうなるかはわからない。また、同じことになるかもしれない。でも今は、ちゃんとここにいる。曖昧に逃げるためじゃなくて、ちゃんと関わるために。

「……なあ」

「ん?」

少しだけ、言葉を選ぶ。

「また、どっか行くか」

彼女が一瞬驚いて、それから笑う。

「うん、行こ」

その返事が、まっすぐだった。胸の奥に、小さく何かが残る。それはたぶん逃げなかった分だけ、ちゃんと生まれたものだった。




「……変わったね」

彼女がぽつりと言う。場所は、この前彼が決意を固めたあの店。

「そうか?」

「うん、ちゃんと人と向き合ってる顔してる」

グラスを指でなぞる。彼は少しだけ考える。

「多分、お前のおかげ」

「……やめて。そういうの」

苦笑い。沈黙が落ちる。

「……あたしさ、言うだけ言って、自分は何もできてない。だからちょっと、落ち込んでる」

正直な言葉。彼は少しだけ視線を柔らかくする。

「別にいいだろ」

「何が」

「言えただけでも、その...俺は言えなかったわけだし。それにちゃんと考えてる時点で、逃げ切ってはない」

彼女が顔を上げる。

「……なにそれ」

「事実だけど」

短く端的に言う。沈黙。でも、さっきまでの重さとは違う。

「……あんたさ」

「ん?」

「優しくなったね」

「前からじゃね?」

「いや、前は逃げるための優しさだった」

言葉が、少しだけ鋭い。

「今は踏み込むための優しさ」

彼は何も言わない。でも、少しだけ照れたように笑う。その表情を見て、胸が、ぎゅっとなる。

「……ほんとやだ」

ぽつりと呟く。

「なにが?」

「タイミング」

視線を逸らす。

「今それになる?」

彼は少しだけ首を傾げる。

「……ん?」

彼女は小さく息を吐いて、

「……好きになるじゃん」

言葉が落ちた瞬間、時間が止まった気がした。

「……え?」

思わず、声が漏れる。自分でも情けないくらい間抜けな声だった。彼女は一瞬だけ固まって、それからはっとしたように顔を逸らす。

「……ごめん、今のなし」

早口になりグラスを掴む。

「ちょっと飲みすぎてるし」

明らかに動揺してる。その様子が、逆に現実感を強くする。今の、本音?理解が追いつかない。心臓だけが、やけに速い。

「……」

何か言わなきゃいけない気がするのに、言葉が出てこない。彼女がさらに続ける。

「変なこと言っただけだから」

「いや……」

やっと声が出る。でも、続かない。頭の中がぐちゃぐちゃで、整理がつかない。好き?俺を?さっきまでの会話と、全然繋がらない。

「……え、ちょっと待って」

思わず言うと彼女がびくっとする。

「なに」

少しだけ警戒した声。

「今の……ほんと?」

言いかけて、止まる。言葉を選びきれない。結局、それしか出てこなかった。一瞬、沈黙。彼女は顔をしかめて、視線を逸らす。

「……そういう反応するなら、やっぱ忘れて」

「いや、違くて、そうじゃなくて、その……」

何をどう言えばいいのか、わからない。

「ただ普通にびっくりしてるだけ」

正直に言う。彼女がちらっとこっちを見る。その目が、少しだけ揺れてる。

「……だよね」

自嘲気味に笑う。

「急すぎるし」

「うん、急」

思わず頷く。

「……いや、でも嫌とかじゃない」

言いながら、自分でも驚く。彼女の動きが止まる。

「……え?」

「その……」

言葉が詰まる。でも、引くのも違う気がした。

「びっくりしてるだけで普通に、ちょっと…嬉しいし」

言ったあとで、自分の鼓動が一気に大きくなる。彼女が完全に固まる。

「……は?」

「いや、だから」

自分でも何言ってるのかわからなくなりながら、

「そういう意味で言ったわけじゃないならごめん」

「いや、そういう意味だけど」

即答だった。今度はこっちが固まる番だった。

「……え」

「何回言わせんの」

彼女が顔を逸らしたまま言う。耳が、少し赤い。その様子がやけに鮮明に目に入る。こんな顔、するんだ。今まで見たことのない表情だった。強くて、はっきりしてて、言葉も遠慮なくて。そういう印象しかなかったのに。今は明らかに、弱い。照れている。そのギャップに、変なところで意識が持っていかれる。

少しだけ見つめてしまう。

「……なに」

気づかれ、視線を逸らす。でも、少しだけ笑ってしまう。

「いやなんか」

「なに」

「……可愛いなって思った」

言ってから、はっとする。今のはさすがに踏み込みすぎた。でも彼女の反応は、予想と違った。

「……は?」一瞬フリーズして「はあ!?」

急に顔を上げる。

「なにそれ!?」

「いや今のはその、違くて、そういう意味じゃなくて」

「どの意味!?」

完全にテンパってる。でも、その様子がさっきよりもさらに素で。余計に、目が離せなくなる。

「いや、だから」

必死に言葉を探す。

「そういう、いつもと違う感じが、ちょっといいなって思っただけで」

彼女が固まる。

「……最悪」

「なにが」

「そういうのずるいから」

さっきと同じ言葉。

でも、今は意味が少し違う気がした。

「……ごめん」

「別に謝ってほしいわけじゃない」

「じゃあどうすればいいんだよ」

「知らない」

即答、でもそのあと少しだけ間があって、

「……そのままでいい」

小さく続ける。

「え?」

「今みたいに変に誤魔化さないで」

「……」

「ちゃんと驚いて、ちゃんと困って、ちゃんと返して、そっちの方がマシ」

胸の奥が、少しだけ軽くなる。

「……わかった」と正直に頷く。

「多分、今めちゃくちゃ困ってるけど」

「うん」

「でも、逃げるつもりはない」

その言葉に、彼女がほんの少しだけこっちを見る。

「……ほんとに?」

「多分」

少しだけ苦笑する。

「まだ慣れてないから」

「……はは」

小さく笑う。その笑い方が、さっきより柔らかい。

「じゃあまあ、その多分に期待しとく」

カラン、と氷が鳴る。彼もグラスを持つ。軽くぶつける。小さな音。でも、その距離は確かに前より近かった。逃げてない。でも、まだ完全に踏み込めてるわけでもない。その不安定さごと、少しだけ、心地よかった。




店を出たあと、夜の空気がやけに冷たく感じた。

「……さむ」

彼女が小さく言う。さっきまでの熱が、急に引いたみたいに。

「店暖かかったもんね、お酒も入ってるし」

そう言いながらも、少しだけ距離を詰める。無意識だった。でも、彼女も離れない。

「……あー、たぶんそれ」

少し酔ってる声。でも足取りはちゃんとしてる。

「送るよ」

自然に言った。一瞬だけ間があって、

「……うん」

素直に頷く。そのうんが、妙に柔らかくて。また、さっきの顔が頭に浮かぶ。可愛い、って思ったやつ。並んで歩き出す。でも、さっきまでより少し近い。肩が、たまに触れそうになる距離。触れないのに、意識だけが触れてくる。

「……さっきのさ、可愛いってやつ」

「あー……」

一気に気まずくなる。

「忘れて」

即答。

「無理」

即返される。

「なんでだよ」

「なんか悔しいから」

少しだけ笑ってる。でも、視線はこっちを見てない。

「……あんたにそう思われるの」

「いや別に変な意味じゃなくて」

「わかってる」

かぶせ気味に言う。

「だから余計に…意識する」

足が、ほんの少しだけゆっくりになる。その言葉の意味を、考える前に体が反応する。なにか言いかけて、やめる。言葉にすると壊れそうで。代わりに、少しだけ距離が縮まる。今度は、はっきり肩が触れた。

どっちも何も言わない。でも、離れない。そのまま歩く。街灯の下で、影が重なる。彼女が少しだけ息を吐く。

「……なんか変な感じ」

正直な声。

「……わかる」

こっちも、正直に返す。さっきよりも鼓動が少し速い。理由は、はっきりしてる。彼女が、少しだけこっちを見る。

「……ねえ、ほんとに逃げない?」

確認するみたいに。少しだけ、不安そうに。

「……」一瞬考える。でも、今回は逃げなかった。

「逃げない」と短く答える。彼女の視線が、少しだけ揺れる。

「……そっか」

それだけ言って、前を向く。でも次の瞬間、手が触れた。偶然みたいなタイミングで。でも、どっちも引かなかった。指先が、少しだけ触れたまま。でも、さっきよりずっと濃い。ゆっくり、彼女の指が動く。ほんの少しだけ、絡む。完全じゃない。でも、逃げてもない。その曖昧な触れ方が、やけにリアルで。心臓が一気に跳ねる。

「……これ」

思わず口に出る。

「なに」

「ずるくない?」

さっきの言葉を返す。彼女が少しだけ笑う。

「お互い様でしょ」

小さく言う。そのまま、手は離れない。ちゃんと繋ぐわけでもない。でも、ほどけない。その距離のまま、歩く。会話は少ないのに、空気だけがどんどん近くなる。触れてる部分から、じわじわと。言葉にしなくてもわかる感じ。でも、まだ決定的な一歩はない。その手前で止まってる。だからこそ、余計に熱い。彼は少しだけ彼女を見る。彼女も、同じタイミングで視線を上げる。目が合う。逸らさない。何か言いかけて、でもどっちも言わない。代わりに、距離だけが少し縮まる。触れてる手が、少しだけ強くなる。その瞬間、もう戻れないかもしれないという感覚が、静かに流れた。でもどっちも、離さなかった。




あの日から、数日。たった数日なのに、やけに長く感じた。スマホの画面を開くたびに、目に入る名前が二つある。ひとつは、今もやり取りが続いている相手。あのあとも、何度か会って楽しかった。ちゃんと向き合って話したし、前みたいに逃げることもなかった。笑う回数も増えたし、触れる距離も、自然になってきていた。

「……違うな」

小さく呟く。違和感は、はっきりしていた。心地いい。でも、それだけだった。ちゃんと向き合ってる自分に満足してるだけで、目の前の相手そのものを、ちゃんと見ているかと言われると少し、ズレていた。

あの日、街で見かけられていたことなんて知らないまま、自分はただ、正しいことをやろうとしていただけかもしれない。逃げないこと。向き合うこと。期待に応えること。それは確かに必要なことだった。

「それで、誰を選ぶんだよ」

自分に問いかける。答えは、もう出ていた。ポケットの中で、スマホが重い。トーク画面を開く。少し迷ってから、指を動かす。


「ごめん、ちょっといい?」

数分後、既読がついた。

『どうしたの?』

いつも通りの、柔らかい返事。胸が少し痛む。逃げようと思えば、まだ逃げられる。曖昧にして、少しずつフェードアウトすることもできる。でも、それをやらないって決めたはずだった。深く息を吸う。そして、打つ。

「ちゃんと伝えたくて、この前から何回か会って、すごく楽しかった。でも、正直に言うと俺、他に気になってる人がいる」

既読がつくまでの時間が、やけに長い。数秒のはずなのに、体感はもっと長かった。やがて、既読。返信は、すぐには来なかった。当然だと思う。画面を閉じようとして、やめる。逃げない。数分後、通知が来た。

『そっか』

短いが、その一言に全部詰まっていた。続けて、もう一通。

『ちゃんと話してくれてありがとう』

胸の奥が、ぎゅっと締まる。優しさだった。その優しさに、今まで何度も甘えてきた自分を思い出す。でも今回は、そこに逃げない。

「ごめん。ちゃんと向き合いたかったからこそ、中途半端にしたくなかった」

少し間があって、返ってくる。

『うん、わかるよ。正直、ちょっと期待してたけどね笑でも、ちゃんと選んだならいいと思う。』

最後に『応援してるね』

そこで、やり取りは止まった。スマホを見つめたまま、しばらく動けない。胸の奥に残るのは、後悔じゃない。ちゃんと痛みだった。逃げなかった分だけ、ちゃんと残る。

「……これか」

ぽつりと呟く。前に彼女が言っていた言葉を思い出す。期待を背負え、ちゃんと背負った。そして、選んだ。



夜、いつもの帰り道。あの時と同じような場所で、立ち止まる。スマホを取り出し今度は迷わない。

「今、少しだけ時間ある?」

送信して数秒で既読がつく。返信は、すぐだった。

『あるけど、なに?珍しいね』

少しだけ笑う。確かに、珍しいかもしれない。自分から踏み込むのは。

「会いたい」

一瞬の間。

『……いいよ』

短いけど、少しだけ震えてる気がした。



待ち合わせ場所に着くと、もういた。壁にもたれながら、スマホをいじってる。でも、こっちに気づくとすぐ顔を上げた。

「……なに?急に呼び出して」

少しだけ警戒した声。その先が一瞬詰まる。ここで誤魔化したら、全部台無しになる。わかってる。だから、そのまま言った。

「ちゃんと決めた」

彼女の表情が、止まる。

「……何を」

わかってるくせに、聞く。

「この前のやつ」一歩、近づく。

「他の人と、ちゃんと終わらせてきた」

数秒の沈黙。彼女の目が、ゆっくり揺れる。

「……は?」

「ちゃんと向き合うって、そういうことだと思ったから」

言葉は、驚くくらい落ち着いていた。自分でも不思議なくらい。

「中途半端なまま、お前と話すのは違うと思った」

彼女は、何も言わない。ただ、こっちを見てる。もう逃げ場はない。一瞬だけ大きく息を吸う。そして、ちゃんと踏み込む。

「だからお前がいい」

車の音も、人の声も、全部遠くなる。彼女の目が、大きく開かれる。

「……なにそれ」

やっと出た声は、少し震えてた。

「ずるくない?」

でも、どこかで笑ってる。

「なにが」

「全部」

一歩、こっちに来る。目も逸らさない。

「タイミングも、言い方も……断る理由、なくなるじゃん」

少しだけ、息が抜ける。

「じゃあいいだろ」 

「よくない」

即答しそのあと小さく続ける。

「……ちゃんと聞くけど」

一歩、さらに近づく。

「逃げないんだよね、今度こそ」

まっすぐな確認。昔と同じ問い。でも今回は、違う。

「逃げない」

迷いはなかった。

「怖いけど、それでもやる」

彼女が、少しだけ息を止める。

「……バカじゃん」

小さく笑う。でもその目は、少しだけ潤んでいた。

「でもまあそのバカに、ちょっと期待してる」

今度は、はっきりと笑った。距離が、自然に縮まる。どっちからともなく、手が触れる。今度は、曖昧じゃない。ちゃんと、握る。不思議と前より怖くなかった。

「……これでさ」少しだけ笑う。

「やっと、スタートってことでいい?」

彼女は一瞬考えて、それから頷く。

「遅すぎだけどね」



今までは、きっと全部から逃げていた。責任も、期待も、誰かの気持ちも。周りの話を聞いて、価値観に触れて、気づいたこともある。無責任だと思う瞬間もあったし、驚くくらい何も考えていない人間もいた。でも、それでも思う。誰かを好きになって、付き合うっていうのは、そんなに軽いものじゃない。この数日間があったからこそ、やっとわかった。


だから俺は、もう逃げない。


~END~

最後までお読みいただきありがとうございました。

もともとは男性が恋愛観をぼろくそに言われるだけの話でも書こうかなと思っていましたが、楽しくなってきて、気が付いたら途中から恋愛小説になっていました。

ここで前書きであげたコンセプトで書いてみるかと思いました。

書き終わった時に、正直恋愛系統の話を投稿する恥ずかしさがあり、上げるかどうか少し迷いました。しかし15000字弱書いて上げないのもなぁと投稿することにしました。

無事、二人をくっつけることに成功したわけですが、現実の僕は何も変わらぬ日々を過ごしています。

もうすぐ桜が満開の季節、僕は南極で桜が咲くのを待っています。

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― 新着の感想 ―
はじめまして。読ませていただきました。 2人の感情の流れがよく分かって、読みやすかったです。向き合うというテーマが主人公だけではなく、ヒロインのほうにもあるので、物語に深みが出てると思いました。
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