第5話:氷の騎士と、心音のステップ
リアナが体調を回復させてから数日後。二人に下された任務は、敵対派閥の貴族が主催する夜会への潜入だった。
名目は「婚約者候補としての同伴」。
純白のドレスに身を包んだリアナを、漆黒の夜会服を纏ったシグルドが迎えに来た。
「……似合っている。行くぞ、リアナ殿」
相変わらずの鉄仮面。声のトーンはマイナス10℃。しかし、その手は手袋越しでも伝わるほど微かに震えていた。
(ぎゃあああああああああああ!! 天使! 降臨!! ホワイト・エンジェル!! 待って、そのドレスの背中の開き具合は法に触れないか!? 俺の視線でリアナさんの背中に穴が空いたらどうするんだ! 今日この会場にいる男全員の目を潰して回りたい……! いや、俺が今すぐ視力を捨てて神に感謝を捧げるべきか!?)
(閣下、とりあえず落ち着いてください! 視力も他人の目も捨てないで!)
会場に到着した二人を、好奇の視線が包む。
「あの氷の騎士が、ついに女を連れてきた」「どうせ契約上の関係だろう」と囁く周囲に対し、シグルドは鋭い一瞥をくれる。
「気にするな。……我々の任務を遂行する。まずは……踊るぞ」
(あああああ! ダンス! ついに来てしまった! リアナさんの腰に触れる!? 許可なく触れていいのか!? 騎士団の法典には「聖女の腰に触れる際の適切な力加減」なんて載ってなかったぞ! 0.1ミリでも力を入れすぎれば折れてしまう、だが緩すぎれば彼女を転ばせてしまう……! 指先の細胞一つ一つに集中しろ、シグルド! 今この瞬間、俺の全神経は右手の掌に集約される!!)
オーケストラが優雅なワルツを奏で始める。
シグルドが恐る恐るリアナの腰に手を添え、もう片方の手で彼女の指先を握った。
(柔らかい……!! 餅か!? 雲か!? マシュマロか!? 違う、リアナさんだ!! 手のひらから伝わる彼女の体温が、俺の魔力回路を逆流していく……! 脳が焼ける! 沸騰する! 幸せすぎて、このまま爆発して会場中に俺の愛を撒き散らしてしまいそうだ!!)
(爆発しないで! 大惨事になりますから!!)
ステップが始まる。シグルドの動きは完璧だった。さすがは騎士団長、一糸乱れぬ足運び。しかし、密着したことで「心の声」の音量は過去最大(物理的衝撃を伴うレベル)になっていた。
(いい匂いがする……。これは、朝露に濡れた百合の花か? それとも彼女自身の魂の香りか? 吸いたい、肺が破れるまで吸い尽くしたい! だがそんなことをすれば変態だ! 紳士たれ! 俺は今、高潔な騎士としてここに立っている。……嘘だ! 本当は今すぐ彼女を抱き上げて、この会場から逃げ出して、世界で一番安全な自室の毛布にくるんでしまいたい!!)
「……閣下、顔が怖いです。潜入捜査ですよ」
リアナが耳元で小さく囁く。
(耳元で囁かれたあああああああ! 吐息! 聖なる吐息が俺の鼓膜を震わせた! 昇天する! 今、俺の魂が天国の階段を三段飛ばしで駆け上がっている! ダメだ、戻ってこい俺の魂! まだリアナさんのウエストの感触を脳に刻み込んでいないだろうが!!)
(もう、閣下……!)
リアナは呆れ半分、羞恥半分で俯くが、シグルドの脳内パニックは止まらない。
(待てよ。俺のステップ、キモくないか? 喜びが漏れすぎて動きがキモくなってないか? さっきから「愛してる」のリズムでステップを踏んでしまっていないか!? 左、右、愛してる! 左、右、結婚したい!! ぎゃああああ、無意識のうちに求婚のステップを刻んでいるだと!?)
(大丈夫です、外見上は最高にクールでカッコいいですから!)
曲が終わりに近づき、二人の距離がさらに近づく。
最後の一音、シグルドがリアナを抱き寄せるフィニッシュ。
至近距離で見つめ合う二人。シグルドの無表情な瞳の奥で、感情の超新星爆発が起きていた。
(……ああ、もう死んでもいい。いや、死ねない。彼女を守るために、俺は不老不死の怪物を目指すべきかもしれない。リアナさん。俺の唯一の光。……願わくば、この音楽が永遠に止まらなければいいのに。いや、止まったら今度こそ俺、口に出して告白しちゃう。止まるな音楽! 鳴り続けろ!! 俺が魔力で楽器を操作してでも演奏を続けさせてやる!!)
(魔力でオーケストラを操らないでください! 迷惑すぎます!)
結局、曲が終わると同時に、シグルドは「任務に集中せねばならん」と吐き捨て、猛スピードでテラスへと避難していった。
その後ろ姿を見送りながら、リアナは「私の心臓も、さっきから結構うるさいんですよ」と、誰にも聞こえない声で呟くのだった。




