第27話:透明パパの隠密生活!〜寝顔を拝むのは、私だけでいい〜
1. 狂気の見送り
「いいかい、レオナ。外の世界は毒気に満ちている。他の園児が吐き出す二酸化炭素を直接吸ってはいけないよ。この特製魔導フィルター付きマスクを――」
「パパ、これ、お顔が全部隠れちゃう。お歌が歌えないもん」
お泊まり保育の集合場所。シグルドは膝をつき、娘の両肩を掴んで今生の別れかのような悲壮感を漂わせていた。周囲の親たちがドン引きする中、背後から冷ややかな声が突き刺さる。
「シグルド、いい加減に離しなさい。そんなことを続けていたら、いつかレオナに――心底嫌われるわよ。」
リアナの「嫌われる」という単語。それはシグルドにとって、心臓を直接素手で握りつぶされるに等しい衝撃だった。
「レオナに……嫌われる……? 私が……? なぜだ、私はこんなに愛して……」
「愛が重すぎて物理的な質量を持ってるのよ。ほら、行きなさいレオナ!」
「はーい! ママ、パパ、いってきまーす!」
元気に駆け出すレオナ。シグルドはその場に崩れ落ちたが、その瞳は絶望では曇っていなかった。むしろ、暗黒の決意に燃え上がっていた。
2. 透明なストーカー
「……『嫌われる』のではない。『見つからなければ』いいのだ」
レオナたちが園内に入った直後、シグルドは懐から古びたスクロールを取り出した。
最上級隠密魔法『虚無の境界』。
本来、一国の王を暗殺するために使われる禁忌の術を、彼は「娘の昼寝を見守る」ためだけに発動させた。
姿を消し、気配を断ち、音を消したシグルドは、悠々と保育園の門を潜り抜ける。
教室の隅、天井の梁の上、給食室の換気扇の横。
透明な死神は、常にレオナの半径3メートル以内に滞在した。
「ふふ……レオナ。今、隣の席の少年が君の卵焼きを欲しそうな目で見たね。……ガルドス、あの少年の家庭の全資産を調査し、卵焼き工場を買い占めて一生分送りつけてやれ。二度と娘の皿を覗かせないように」
(※影から音もなく頷くガルドスも、実は透明化して同行していた)
3. お昼寝タイムの聖戦
最大の試練は、午後のお昼寝タイムに訪れた。
薄暗い教室に敷き詰められた布団。レオナの隣には、あろうことか先ほど卵焼きを狙った少年が配膳されていた。
(……許せん。密着している。レオナの純粋な寝息が、あのような凡夫の肺に吸い込まれるなど、世界の損失だ)
透明なシグルドは、音もなく二人の間に割り込んだ。物理的に隙間を作るため、少年の布団を足でミリ単位で押し出す。
「……んん……」
少年が寝返りを打ち、レオナの方向に手を伸ばそうとした瞬間、シグルドの指先から「微弱な電撃」が走り、少年の腕を逆方向へ弾き飛ばす。
「レオナの寝顔を拝むのは、私だけでいい。……神ですら、この光景を盗み見ることは許さない」
シグルドは透明なまま、レオナのすぐ横で正座し、一睡もせずにその寝顔を凝視し続けた。執念という名の重力で、部屋の湿度が5%ほど上昇していた。
4. 暴かれた「空気の違和感」
しかし、レオナは「真実を暴く」子供である。
むくり、と起き上がったレオナは、誰もいないはずの空間を見つめて首を傾げた。
「……? なんだか、ここだけ『パパのにおい』がする。すっごく、ねっとりしたパパのにおい」
「ッ……!?」
シグルドは息を止める。だが遅かった。
レオナの小さな手が、透明なシグルドの鼻先に触れる。
「あ、パパみっけ! パパ、お仕事は? じーっとしてて、お地蔵さんみたい!」
透明化が解け、空気中にドロリと出現する黒衣の美丈夫。
周囲で寝ていた園児たちが一斉に目を覚まし、天井裏に潜んでいたガルドスも観念して落下してきた。
「パパ……お外で寝るの、レオナ、怖くなかったよ? でも、パパの方が寂しかったんだね。よしよし」
娘に頭を撫でられ、シグルドは歓喜と羞恥のあまり「気体化」しそうなほどの衝撃を受ける。
そこへ、保母からの緊急連絡を受けて駆けつけたリアナの、般若のような形相の足音が廊下に響き渡った。
「シ・グ・ル・ド……? 嫌われるって言ったそばから、不法侵入?」
「待て、リアナ! これは監視ではない! 護衛……いや、風景の一部として――」
その夜、シグルドはレオナの寝顔を拝む権利を1週間剥奪され、地下霊廟の「ポポちゃんの隣」で反省文を書く羽目になったのである。




