第20話:聖戦は生乾きの臭いと共に
「ハンス、準備しろ。これは聖戦だ。町内の全世帯から『生乾き』という名の邪悪を殲滅し、全夫たちに『妻への跪き』を叩き込む」
主人のその言葉を聞いた瞬間、ハンスは無言でAED(魔導式蘇生装置)の出力を最大に設定した。目の前の閣下——かつての「氷血の狂犬」シグルドは、いまやエプロンを纏い、洗濯板を聖剣のごとく構えている。
事の発端は、シグルドが町内のティーパーティー(主婦の社交場)に、リアナの「付き添い(という名の護衛兼椅子)」として参加したことだった。
「うちの旦那、靴下を脱ぎっぱなしで……」
「家事なんて女がやるものだって顔をしてるのよね」
奥様方の何気ない愚痴。それが、シグルドの「リアナへの異常な献身基準」に触れた。
「……貴女方の夫は、奥方の苦労を『翻訳』できていない!」
立ち上がったシグルドの威圧感に、ティーカップが音を立てて震える。
「洗濯物の汚れが落ちないのは、洗剤のせいではない。布地への敬意と、妻への跪きが足りないからだ! 愛の不足だ! 殲滅してくれる!」
地獄のブートキャンプ:家事軍事訓練
翌朝、町中の夫たちが広場に強制召集された。教官シグルドの指導は、まさに苛烈を極めた。
「貴様! その畳み方はなんだ! 角が揃っていない! それはリアナ殿の……いや、奥方の足首を包む結界としての強度を成していない! **『リアナ流・聖なる畳み方(結界構築)』**をマスターするまで、一歩も帰さん!」
「た、助けてくれ……死ぬ……」
「家事がこんなに命がけだなんて聞いてない……!」
夫たちの悲鳴、嗚咽、そして筋肉の断絶音。
それらすべてが、傍らで見守るリアナの耳には『真実の読解者』によって、濁流となって流れ込んでくる。
(……止めて。誰か、あの狂犬を止めて……!)
リアナは頭を抱えた。しかし、彼女をより追い詰めているのは、夫たちの悲鳴ではない。隣に立つシグルドから放たれる、**【全神経を動員した10万文字超の讃美歌】**だった。
『ああ、訓練に励む私を見守るリアナ殿の瞳……! その潤んだ瞳に映る私は、なんと不浄で、なんと幸福な塵芥か。彼女の視線が私の皮膚を焼く。いっそこのまま熱放射に変換され、彼女の冷えた爪先を温める熱源体へと昇華したい……』
「シグルド様、もうやめて……脳が……私の脳が沸騰しちゃう……!」
夜の聖域、あるいは心停止
その夜。訓練を終えたシグルドは、完璧に「結界」として畳まれた衣類を手に寝室へ現れた。
疲れ切ったリアナは、ふと、彼の背中に漂う微かな「寂しさ」を読み取った。
どれだけ献身しても、彼は自分を「不浄な戦士」と思い込み、リアナという聖域に触れることを自ら禁じている。その自制心が、逆に彼を孤独にしていた。
リアナは勇気を振り絞り、彼のシャツの袖を引いた。
「……シグルド様。今日は、その……訓練もお休みして、一緒に寝ませんか?」
それはリアナなりの、精一杯の「誘い」だった。
だが、シグルドにとってそれは、慈愛という名の「最終審判」に等しかった。
「…………ッ!!」
シグルドの脳内に、**『リアナ殿からの直接的誘惑(宇宙崩壊の予兆)』**という翻訳が駆け巡る。あまりの尊さと悦びに、彼の心臓は文字通り、物理的にその鼓動を停止させた。
「閣下ァァーーーッ!!」
扉を蹴破り、AEDを手に突入してくるハンス。
「奥様、離れてください! 心室細動です! 閣下、まだお子様を拝んでいないうちに昇天するなど、このハンスが許しませんぞ! 1、2、放電!!」
「アガガガガガガ!!(聖なる雷)」
翌朝、リアナの寝室には、完璧に洗濯されたシーツと、真っ白な灰になった夫、そして溜息をつく従者が残されていた。




