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地獄の風呂事情

作者: 雉白書屋

 いやあ、暑い暑い、ぐつぐつと煮え立つような暑い季節ですねえ。でも、そんなうだるような暑さだからこそ、ザバッと風呂に入るのがまた、気持ちいいもんですなあ。

 で、風呂上がりに冷たいのを、くーっと一杯。これがまた最高……なのに、肝心の風呂が壊れちまいましてね。こりゃあ困ったなあと、まあシャワーで済ますしかないかと考えていたら、ふと近所に銭湯があったのを思い出しましてね。こりゃあ、ちょうどいい機会だと思い、ふらっと足を運んでみたんです。

 時間帯がよかったのか、それともいつもこんな調子なのか、中はがらんとしてましてね。年季の入った番頭さんがにこっと笑って「お兄さんの貸し切りですよ」なんて言うもんだから、こりゃあ贅沢だなっと鼻歌まじりで服を脱いだんです。

 気分よく体を洗って、ざぶんと湯船に浸かったまではよかったんですが、これがまた思った以上に熱くてね。つい「いや、あっつ……」なんて声が漏れちまったんですよ。

 そしたらすぐ後ろから、「ふふっ」って笑い声がしたんです。

 びっくりして振り返ると、そこには年配の男が一人、肩まで湯に浸かっていました。浅黒い肌の痩せた爺さんでねえ。にやりと笑って、こう言ったんですよ。


「お兄さん、これくらいで熱いなんて言っちゃあダメだよ」


 私は、『なーんだ、人がいたのか。しかも、常連さんかね』なんて思いましてね。へへっ、どうもすいやせんって感じで軽く笑っておきました。

 すると、その爺さん、ちょっと妙なことを言い出したんですよ。


「地獄の風呂はもっと熱いからねえ」


 はて、地獄……? 私はよく意味がわからなかったもんで、「近くに他にも銭湯があるんですか?」って訊いてみました。そしたら爺さん、いきなり声を上げて笑い出しました。


「はははは! まあ、近いと言えば近いねえ。その気になりゃ十秒で行けるだろうさ。そのへんにある剃刀で、うまいこと首を掻っ切ればな」


 そう言いながら、爺さんは自分の首をスーッと手で掻き切る真似をしました。それを見た瞬間、ぶるっと震えちゃいましてね。いやあ、気味が悪いってのもあるんですが、なんか得体のしれないものを感じたんですよ。

 でも、ここで変に刺激するのもよくないと思って、「ははあ」と相槌を打つくらいしかありませんでした。

 そしたら爺さん、すっかり気分が乗ってきたらしく、べらべらと話し続けました。


「閻魔様ってのは、そりゃあもう恐ろしい顔をしててなあ。『お前は地獄行きだ!』って、顔をぐーっと近づけて言われたときゃあ、小便ちびっちまったよ。で、鬼どもにズルズル引きずられて地獄へ連れて行かれてな。閻魔様から離れられてほっとしたのも束の間、そっからが本当に恐ろしいところでなあ」


 爺さんは湯気の向こうの、ぼんやりと霞んだ天井を見上げながら、しみじみと語りました。


「地獄の風呂っていうと、窯茹で地獄が有名だがな、他にもいろいろあるんだよ。どれもこれも熱いわ、硫黄くさいわで、たまったもんじゃない。しかも、鬼どもがでっかい柄杓で湯をぐわんぐわんかき回すもんだから、湯に入ってるおれたちまで一緒にぐ~るぐると回っちまうんだよ」


 私は「はあ、それは災難でしたね」と適当に返しました。せっかく風呂に入りにきたというのに、なんでこんな妙ちきりんな話を聞かされなきゃならんのかと、だんだん馬鹿らしくなってきちゃってね。


「肩まで浸かるのが決まりなんだよ。まあ、鬼の気分次第じゃ、頭を掴まれて丸ごと沈められることもあるがな。で、湯に浸かってると、だんだん顔がトマトみたいに真っ赤になってくるんだ。それなら、首から下も真っ赤になると思うだろ? 違う違う。皮膚がずるっと剥がれて、真っ白な脂肪がむき出しになるんだよ。でも、そいつもすぐに溶けて、今度は骨が出てくる。『ははは、いいダシが出た』なんて、鬼どもが毎回同じ冗談を言っては笑いやがるんだ。まったく、あれこそ本当の地獄だね」


「はあ、それはつらいですねえ」


「みんなギャーギャー悲鳴上げてのたうち回ってさ。その姿を見て、鬼どもがゲラゲラ腹を抱えて笑ってんだよ。おれはそれが腹立たしくてな。あるとき、いっちょ我慢してやろうと思ったんだ。どんなに熱かろうが、悲鳴なんざ絶対上げず、涼しい顔で浸かってやるってな。ほら、こんなふうに。お兄さん見てよ。どうだい、キマッてるだろ? そしたら、鬼どもが面白くなさそうな顔をするんだよ。そうそう、そんな感じ。お兄さん、うまいね」


「はあ、そうなんですか」


「でな、鬼どもときたら、どうにかして悲鳴を上げさせてやろうと、丸太みたいなでっかい木のへらで、お湯をガンガンかき混ぜ始めたんだ。でも、おれは顔色一つ変えてやらなかった。ははは、本当は胃袋丸ごと吐きそうなくらいきつかったがな」


「はあ、それはそれは」


「そしたら今度は、ぐわあっと真っ赤に熱した大岩を湯に放り込んできやがった。ドボン! と水しぶきが上がり、ゴボゴボゴボゴボ! って音を立てて、どんどん温度が上がっていったんだよ。でも、おれは一度やると決めたからね。じっと耐えてやったのさ」


「はあ」


「すると、とうとう鬼どもは面白くなくなったらしい。最後にこう言ったんだ。『お前は地獄に向いてない。現世に戻れ』ってな」


「はいはい、それで生き返ったってわけですか」


「いやあ、どうなんだろうねえ……」


 私が適当に相槌を打ち続けていたもんですから、爺さんもさすがに察したんでしょうね。ふいに口を閉ざして、黙り込んでしまいました。なんだかちょっと悪いことしたかなあって、こっちがいたたまれなくなっちゃってね。湯から上がることにしたんですよ。

 ……でもね、体を拭いて、髪を乾かしていたときです。突然、風呂場のほうから『ガタガタゴトンガタ!』って、すごい音がしたんですよ。あの爺さんがのぼせて倒れちまったんだって思って、慌てて風呂場を覗きました。

 するとなんと……そこには誰もいなかったんですよ。

 あれは幽霊だったんだ……。地獄から追い返されて、現世を彷徨ってるんだ……。そう思った瞬間、せっかく芯から温まったのに背筋がぞくぞくっと冷えちゃってね。私はなんとも言えない気持ちで脱衣所を出ました。

 そしたら、番頭さんがのんきな顔で言うんです。「どうでしたか? 貸し切りは」

 私はちょっとだけ苦笑いして、こう返しました。


「いやあ、幽霊との混浴じゃ、生き返った気なんざしませんよ」


 すると番頭さん、怪訝そうに眉をひそめました。『なんのこっちゃ?』って顔してね。

 私はため息をつきつつ、さっきの爺さんの話をひととおりしてやったんですよ。するとですよ。番頭さん、急に血相を変えて風呂場へ駆け込んでいきました。

 そして、少ししてから――。


「ちくしょう!」


 と、怒鳴り声が響きました。

 何事かと思いながら立ち尽くしていると、番頭さんが怒り心頭って様子で戻ってきて、こう言いました。


「またやられたよ。風呂場に窓があったろ? あそこ、鍵がバカになってて閉まらないんだよ。それで時々、隣の家の爺さんが勝手に入りに来やがるんだ。最近は来ないと思ったら、まったく、ろくでもねえ。ありゃあ、死んだら地獄に落ちるぞ」


 番頭さん、顔を真っ赤にして地団駄踏んでましたよ。私はその姿を見ながら、ぽつりとこう呟きました。


「地獄の門の鍵は、バカになってないといいですねえ……」

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