月と兎のためのセレナーデ
俺は恋人の少女に連れられ、病院の屋上へと足を運んでいた。
「寒くないですか?」
「ああ、大丈夫だ。ありがとう、彩月」
車椅子に腰を掛けながらここまで運んでくれた恋人に感謝の言葉を述べる。
それを聞いた彩月は一瞬複雑そうな表情を見せるが、すぐにいつもの可愛い笑顔に戻った。
「体が動かないというのは不便だな。こうやって誰かに助けてもらわないと、外の風を浴びることもままならない」
「……きっとすぐ前みたいに元気な水兎さんに戻れますよ」
「ああ、そうだな。いつまでも彩月に迷惑かけてられないな」
「まったくです。私の手は車椅子を押すためじゃなくて、水兎さんと手を繋ぐためにあるんですから」
少し恥ずかしそうに声を震わしながら彩月は軽い冗談を言ってくる。
きっと彼女の今の顔は真っ赤に染まっているだろう。
ほんとに……大好きな彼女の表情を見れないのが、残念で仕方ない。
この病気に体を蝕まれてからだいぶ時間が経ったが、こうやって彼女に迷惑ばかりかけてしまう事と、虹色に輝いていた世界を見れなくなってしまったのは未だ慣れそうにない。
でもそれも今日で終わりかもしれない。
「見てください。星が綺麗ですよ」
「そうだなぁ」
「お月様も満月です。すっごく輝いてますよ」
「彩月よりもか?」
「う~ん……私一人だと負けてしまいますが、水兎さんと一緒なら私の方が輝いてますね」
「ははっ。そうか」
「そうです」
満月だって相当なものだろうが、うちの彩月には勝てないだろう。
それぐらい魅力的な女性だからな。
「あなたと会った時も、こんな夜でしたね。覚えてますか?」
「そりゃあもちろん。真夜中の公園で一人花火をしている不思議な美少女なんて、忘れたくても忘れられないさ」
「そんな不思議な人に『俺もいいかな?』なんて言ってきた人は誰なんですかね?」
「さあ? そんな奴がいたのか」
「あの後わざわざ新しい花火を買い足してきたのは水兎さんじゃないですか」
「そう言われるとそんな気もするなぁ」
「しかも全部線香花火」
「そうだっけ?」
わざとらしくとぼけると彩月は『もう!』と言いながら拗ねてしまう。
何を言ってもこうやって反応してくれるため、彼女にはつい意地悪をしてしまう。
そんな彼女を見て声を上げて笑うと、彼女も一緒に笑ってくれる。
「あ、もうそろそろ時間になりますよ」
「ああ。ありがとう」
だが少し楽しく会話をしすぎたのか、全身が辛く少しでも気を抜いたら気を失いそうになっていた。
「……膝枕、してあげましょうか?」
「それは願ってもない提案だな」
彼女はいつも俺の具合の様子を見て、何かを聞いてきたりはしない。
ただこうして何かを与えてくれて一緒に居てくれる。
何も心配させたくない俺からするとすごくありがたかった。
彩月は俺の体をすぐそばにあったであろうベンチに運び、そのまま彼女の膝へと頭を預ける。
病気にかかる前から彼女はよくこれをしてくれた。
彼女曰く好きだからしてくれているらしいが、そんなに面白いものなのだろうか。
彼女の膝の上で体を休めていると、ヒューと言った笛のような音の後に大きな炸裂音がなった。
それは間を開けることなく連続して起きていく。
「花火! 上がってますよ」
「やっぱりここからでも良く聞こえてくるな」
「水兎さんの言う通り、本当にこんなに良く見えるんですね」
「そうだろ? 彩月とまた花火が見たかったんだ」
「でも線香花火じゃなくて良かったんですか?」
「まだその話する?」
「さっきの仕返しです」
今日はこの市で行われる大きな花火大会の開催日だった。
病院の屋上から良く見えると知っていた俺は、この日まで生きていたら彩月を誘おうと思っていた。
そうしてなんとか今日まで生きながらえた俺は、こうやって彼女と一緒に花火を見るという願いがかなった。
正直気を保つので精一杯なぐらい辛い状態だし、花火をこの目で見ることさえも出来ない。
だけど彼女が喜んでくれると思ったことはしてあげたい。
それが彼女にしてやれる人生最後の贖罪だった。
彼女は今笑えているだろうか? この状況を楽しんでくれているだろうか? こんな体ではそれを確認する事すら叶わないが、それでも彼女に最後の時まで笑っていてほしいと願う。
「水兎さん。私進路を決めたんです」
花火の音を楽しんでいると、彼女はさっきとは違う真剣な声でそう語る。
「そっか。どうするんだ?」
「私は、わたし。医者になろうと思っています」
「すげぇじゃん。でもどうして?」
「将来私が水兎さんの病気を治してあげるんです」
「……」
「そして、水兎さんのような境遇の人を他にもいっぱい助けてあげるんです」
「みんなみんな笑顔でいて欲しいんです。世界で苦しんでいる人たちに私が手を差し伸ばしてあげたい」
「それが、私の夢です」
予想もしていなかったスケールの大きな夢に思わずびっくりするが、すぐに彼女らしいと納得してしまった。
「そしたら、元気になった水兎さんからプロポーズされるんです」
「私は躊躇わずに二つ返事で承諾しちゃいます」
「庭が広い一軒家に二人暮らしをして、可愛い柴犬も飼います」
「水兎さんが好きな音楽が出来るようにグランドピアノも置いちゃいます」
「水兎さんがピアノを弾いている所を見ながら、私はキッチンで料理を作ります」
「そしたらいつか子供もできて、二人で一緒に大喜びします」
「そうやっておじいちゃんおばあちゃんになるまで幸せに暮らすんです」
「それは……すごく、幸せだな」
「きっとすごく楽しいですよ」
きっと彼女と送っていく時間はすごく幸せなんだろう。
想像をしなくてもそんなこと理解できる。
だけれど二人ともわかっている。
そんな未来が、訪れることがないことを。
「だからその日まで、生きて……い、生きて、ください」
彼女の瞳から流れる涙が顔にぽたぽたとこぼれてくる。
「す、すみません。泣かないって決めてたのに」
彼女の涙を指で拭って慰めてあげたいが、俺の体は動かず声をあげることすらできなくなっていた。
もう体の限界が近づいていた。
「私、あなたがいないとだめだめで。あの日から、水兎さんがいてくれたから生きてこれて」
「それなのに、なんで」
花火の炸裂音がだんだんと少なくなっていく。
もうそろそろ花火大会も終わっていくのだろう。
花火の音がピアノの綺麗な旋律のように聞こえてくる。
「水兎さん。お願い、死なないで」
俺は一番大切な人を幸せにすることも、音楽家の夢も叶えられず死んでいくのか。
まったく、人生思うようにいかねえなぁ。
思い返せば後悔ばかりだけど。
彼女の体温はとても、温かい。
だんだんと意識が遠のいていく。
だが不思議と花火が破裂する音はだんだんと大きくなっていく。
それが俺には、俺たちのためへの小夜曲に聞こえた。
あぁ、今ならいい曲が書けそうだ。
そうだなぁ、曲名は。
月と兎のためのセレナーデ。
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