味気ないハッピーエンドをきみに
「さっちゃん、私ね。ようやく彼氏ができたの」
親友のしんちゃんは、浮かない表情でそう言った。
その日は祝日だったが、恵まれないことに雨が降り始めていた。
傘を持っていなかったので、私たちは仕方なくファミレスで女子会をするに落ち着いた。
食事が終わり、各々がドリンクバーから取ってきたコーヒーを飲み始めるころ。湯気が立ち上るカップを両手で包むように持ちながら、しんちゃんはふと、そんな言葉をこぼした。
「えーっ本当に? おめでとう」
私は屈託のない言葉で返した。
でも、なぜかしんちゃんは浮かない表情をしている。
聞いてみるとしんちゃんは答えた。
「彼氏にね、結婚を前提にお付き合いしてほしいって言われたの……。でも私、正直まだ結婚とか、よく分からなくて……。子どもは何人欲しいとか、家はどこに建てようと思ってるとか言われても、まだそういう気持ちになれないっていうか……。でも、もう私たちも二十八でしょう? この機会を逃したらと思ったら……」
「断ろうにも、断れなかった?」
しんちゃんは、苦笑しながらうなづいた。
「初めての、彼氏なの。知ってると思うけど……」
「うん」
「だから、とても嬉しいのは本当なの。でも、なんでなんだろう……この先のことを考えたら、心がざわざわして……」
純粋に恋愛を楽しめる時期は終わりが近い。
しんちゃんも私もそれはよく分かっている。
「……さっちゃんは、今の彼氏とどう?」
「上手くいってるんじゃないかな」
「何年目だっけ?」
「そろそろ二年目かな」
「二年目……そっか」
しんちゃんは目線をそらして、こんなことを聞いてきた。
「エッチとか、どれくらいの頻度でするの?」
「……うーん」
答えに詰まった。
「週一であるかないか、かなあ。私も向こうも仕事あるし、向こうの職場がけっこう遠くてさ。合うってなると都心のホテルになるんだけど、週末はどこも混んでるし」
「……そうなんだ」
「怖い? セックスが」
「……うん」
「彼氏さんの期待に答えてあげることも大事だけど、とにかく自分の心と体を一番優先しなよ。怖いなら、怖いと思う理由を向こうに伝えればいい。伝わらないならそれまでだし、しんちゃんのことを本当に大事に思ってる人なら、きっと伝わるはずだよ」
少しでも気が和らげばいい。
そう思って私は言ったけど、綺麗事だとは分かっていた。
「……うん。ありがとう、さっちゃん」
私は胸を痛めた。
うわべの言葉を使ったことではなく、平気な顔で、しんちゃんに嘘をついたことに対して。
2
まず私の彼氏は社会人ですらない。
普通の大学生だ。
週一でエッチしているという話も嘘だ。
本当は、まだキスすらしたことはない。
それには理由がある。
「ただいま」
「おかえり。早かったね」
昭也くんはリビングのソファーに座りながら、サッカーの中継を見ていた。
「雨が降ってきちゃったから」
「濡れなかった?」
「うん。大丈夫」
私はとなりに腰かけて、彼の肩に頭を乗せるように寄りかかった。
「いま前半?」
「うん。一点リードしてる」
テレビの向こう側では、雨中のコートで日本の選手と外人の選手たちが必死にボールを奪い合っていた。
「日本、勝つといいね」
「そうだね」
私が手のひらを彼の太ももに置くと、彼もそれに応えて、自分の手をその上に乗せた。自然と目が合って、くすりと笑いあう。
でも、それ以上二人の顔が近づくことはない。
私はセックスが嫌いだ。
※
私は高校生のとき、一度妊娠している。
授業中急に気分が悪くなって、病院に運ばれた。そこで妊娠していると告げられたとき、私はこみあげてきた吐き気をこらえることができず、その場で戻してしまった。
――この心臓の真下に、もう一つ命があるってこと?
綺麗に耕してきた畑の中心に、植えた覚えのない芽が生えているような不気味さがあった。
口内が吐しゃ物で苦いのも構わず、私は迷わず先生に申し出た。
「堕ろします」
刈り取らなければ。
私の畑が、荒らされる前に。
「……澤島沙月さん、だったかな」
先生は剣呑な表情で私の名前を呼ぶと、怒りを包んだ低い声で告げた。
「簡単に言うんじゃあないよ」
知ったことかと、私は思った。
こんな命が欲しくて、男を求めたわけじゃない。
他人から押し付けられた命なんてクソ喰らえだ。
私はただ、同類と認めた他人と、心から繋がりたかっただけなのに。
それから当時の彼氏と別れて、私はセックスをしなくなった。
昭也くんはもちろん、その背景を知らない。
※
サッカーの試合は、日本代表が勝った。
昭也くんはとても喜んで、祝杯と言ってワインのボトルを開けていた。私は彼に、大丈夫かと聞いた。アルコールにめっぽう弱いことは、指摘しなくても彼自身がよく分かっている。
「大丈夫。作戦があるんだ」
そうして彼は、どや顔でこんなことを言っていた。
「普段より多くトイレに言って、毒素を抜けばいいんだよ。これで解決だ」
そして、今。
彼は真っ赤な顔で、私のひざに頭を乗せて眠っている。
「まったくもう……」
こっそり指で前髪をかきわけると、彼の平たいおでこが顔を覗かせる。赤らんだ頬で、ゆったりとした寝息のリズムを刻む彼の姿は、年齢以上に幼くてかわいい。
昭也くんは、良く言えばおっちょこちょい。
悪く言えば不用心な性格をしている。
よくカギを忘れて家を出るし、上着はだいたい裏表が逆だ。デートのときも、三回に一回くらいは社会の窓が開いている。
私以外が彼女だったら、けっこうな確率で振られていると思う。
でも私は、彼のそういうところがかわいくて好きだ。好きではある……が、彼と二年間付き合っている理由は、本質的にそこではない。
私は眠っている彼に、一方的に問いかけた。
「きみも何か、私に隠してることあるよね? 昭也くん」
私は、それが知りたいんだ。
仮に自分が、昭也くんの立場だったとして。
付き合ってはいるがセックスしたくないという彼女と、ずっと一緒にいたいと思えるだろうか。
彼は学生だ。その気になれば、相手なんていくらでもいる。それが、体の一つも許さない彼女と、二年間もずっと一緒にいたいと思う理由とは、逆になんだろうか。
私は、何か裏があると思っている。
だが、それでいい。
むしろ裏があってほしい。
そのストーリーを暴いて、お互いに秘密があることを共有して、それでようやくカップルとして同じ立場で接することができる気がする。
それとも、何?
二十歳も過ぎて、この寝顔通りのピュアな少年のような気持ちで、私のことを好いてくれているとでもいうのだろうか。
もし、本当にそうだとしたら――
その時ヴヴッ――と携帯が唸った。
見るとどうやら、昭也くんの携帯が私の足元で光っている。
私はなんとはなしに彼の携帯を掴んだ。そして、気づいてしまった。パスワードが設定されていないことに。
「っ……」
私は昭也くんが眠っていることを確認した。
不用心だとは思っていたが、まさかこれほどまでとは。
スマホは言わずもがな、情報の塊だ。この中に答えが、彼の『裏の顔』があるかもしれない。
私は興奮した。
見ても……いいよね?
期待と興奮を押し殺し、初めてアダルトサイトを開こうとする少年のように、私は恐るおそる、震える指で携帯の画面を滑らせた。
4
結論から言うと、怪しい点は何もなかった。
SNSに裏垢はないし、他の女性と繋がっているような痕跡もない。気になることがあるのだとすれば、AVサイトの履歴にあった動画に出てくる女優が、私に似ていたことくらいだろうか。
「……バカだなあ」
私は落胆した。
彼はそのファッションセンスのように、表裏の概念がないただの優しい青年だった。
そんな優しい人に、私はずっと我慢させてきたんだ。
本当はしたいのに。
それよりも純粋に、私のことが好きだったから。
「……ごめんね、昭也くん」
申し訳なかったと、素直に思う。
ふと、しんちゃんのことが頭をよぎった。
しんちゃんと付き合えばよかったのに。
そうすれば、私が昭也くんに落胆することも、しんちゃんが彼氏やセックスについてあんなに悩むこともなかっただろうに。
「んんっ……あれ、俺寝てた?」
私の独り言が少し大きかっただろうか、昭也くんが目覚めた。
「……ごめんね。起こしちゃったね」
「いや、こっちこそ勝手に寝てごめん……足、しびれなかった?」
「全然大丈夫だよ。それより昭也くん……今からエッチしようか」
「うんいいよー……って、えぇ?」
昭也くんはあくびをするのも忘れて、驚いた顔で私を覗きこんでいた。
「しようよ。ね?」
「だ、だって……今までしたくないって」
「うん。今したくなったの」
「……どうして、そんな急に」
「いいじゃん。理由なんて」
理由なんて、本当にどうだっていい。
私は視線を引き付けるように、トップスのボタンをゆっくりと外す。
昭也くんの目から、戸惑いが消えていく。
抵抗できないよう胸元に抱き寄せて、私はなるべく色っぽく囁いた。
「大好きだよ。あなたのこと」
ありがとう、昭也くん。
私幸せ。
本当にがっかりしたわ。
おわり




