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South in Summer ―再び南へ―

“Twilight”


“KARAOKE” ー兵庫県・丹後半島ー


“NAIL” ー福岡県・久留米市ー


“Thunder” ー長崎県・西海ー


“Fire Work” ー佐賀県・虹の松原ー


“Squall” ー沖縄本島ー


“evening calm” ー沖縄県・真栄田(まえだ)岬ー


“farewell” ー石垣島ー


“breakfast” ー九州・内陸部ー


“RUSH” ーROUTE1・静岡ー


“Twilight”


夜の(とばり)が降り始めた頃…


僕はその街のバイパスに入った。


初めて訪れる、知らない街での夕暮れ。


もうかなり遅い時刻だったけど…


本格的な夏を間近にひかえた…


陽の長い頃の週末。


道はけっこう混んでいた。


夕焼けが残した赤味がかった灰色の中に…


延々と続く赤いテール・ランプ。


目を()らしても…


瞳の中に残像となって残る対向車のヘッド・ライト。


そう言えば僕は子供の頃…


オヤジやオフクロが運転する車の後部座席で…


目を細めたり、顔をしかめたりして…


対向車の放つライトの光を見ているのが好きだった。


そんな子供だった。


看板に書かれた文字を、片っぱしから読んでいた。


そんな子供だった。


でもたぶん…


この街は素通りしてしまいそうな…


そんな僕のペースだった。



“KARAOKE” ー兵庫県・丹後半島ー


『KARAOKE』という単語は、和製英語と言えるかどうかはわからないが、今では英語の辞書にも載っているそうだ。


(たしか語源は「(カラ)オーケストラ」…つまり、歌声の入っていない、演奏(バック・バンド)の事だ)。


 僕は、まっ赤に熟した「完熟トマト」にかぶりついた。

 僕はひどい空腹感を覚えていたが、何もする気がしなかった。そこで、何の手間もいらないトマトを食した訳だ。


「こっちの方では、このくらいに熟してから食べるんだよ」


 たぶん、僕が地元の人間ではない事を察した店のおばさんは、そう説明してくれた。

 僕はきのう、このキャンプ場に入る前に、近くの食料品店で買い物をした。その時、その店のおばさんが、オマケにこのトマトをくれたのだ。


 僕は完璧二日酔いだった。何もする気がしない。でも、朝から照りつける真夏の陽射しで、テントの中がムシムシし始める。

 僕は追い立てられるように、でもフラフラと、テントからはい出る。


「おはようございます」


 僕は彼等に、朝の挨拶をする。彼等は皆、すでに朝食を済ませたようだ。もう帰り支度を始めている。

 僕は(まぶ)しい太陽の光に、眉間に(しわ)を寄せながら、彼等の車を見送った。

 その後、僕は再びテントに入る。フードや出入口を開け放ち、もうひと眠りだ。


 昨晩の事。


 僕は御飯が炊き上がった後、コッフェルの(フタ)を裏返しにして、トマトをもらった店で買った今晩のメイン・ディッシュ「ぎょうざ」を焼き始めたところだった。

「いっしょに やろうぜ」

 僕はお隣りさんに、そう声を掛けられる。

 僕は、僕よりずっと年配の人達の集団に誘われて、その「ぎょうざ」持参で、彼等の輪に加わった。彼等は、この県の反対側から来た、会社の同僚達だそうだ。


(関東以北の人間は意外と知らないのだが、京都や兵庫は日本海に接しているのだ)。


 やがて、彼等が持参していた8トラのポータブル・アンプで、カラオケが始まる。

 当時カラオケはまだ、今ほどポピュラーなものではなかった。たぶんカラオケ・ハウスやカラオケ・ボックスなんて物は、まだほとんど存在していなかったと思う。


(浪人時代、「夜の徘徊」中に、たまたま通りかかったスナックから、漏れ聴こえていた記憶はあるけど…)


 だから僕は、カラオケなんてやった事がなかった。だいたい人前で、一人で歌を歌うなんて、恥ずかしくて…。

「グビ・グビ・グビ!」

 ビールをあおるピッチが早くなる。もうすぐ僕の番だ。

 はじめ僕はためらった。でも、「一酒一飯」の恩義もある。僕は酔っ払っていたせいもあり、意を決する。

 初めてのカラオケ…僕は紙コップに注がれたビールをもう一杯、一気に飲む。

 いよいよ僕の番だ。でもその前に、もう一杯。そして…

「~! ~!」

 でも、フト気がつくと、酔ってヘロヘロになっていた僕は、ロクに歌詞も知らないくせに、数少ない「若者向け」の曲を、片っぱしから歌っていたのだ。誰かに止められるまで…。


(僕は、その時まで知らなかったけど…僕は「いったんマイクを握ったら、離さない」タイプの人間だった訳だ)。


 僕は酔いと酔いで…つまり「酒の酔い」と「歌の酔い」で…すっかり陶酔(トリップ)状態だった。

 最後に憶えているのは、僕を誘ってくれたリーダー格の男が、冷めてコッフェルの(フタ)に張り付いていた「ぎょうざ」を食べてくれている姿だ。


「カラオケ」さえ無ければ、こんな状態にはならなかっただろう。

 飲み過ぎ・二日酔いの僕は、けっきょく連泊せざるを得ない状態で、午前中はゴロゴロとして過ごし、午後も遅い時間になってから、完全に酔いを覚ますため、ひとり目の前の海に泳ぎに行った。



“NAIL” ー福岡県・久留米市ー


 そのキャンプ場を発って、未舗装路に入ってすぐだった。


「カン! カン! カン!」


 リア・フェンダーから、規則的に物が当たる音が鳴り出した。あわててバイクを止めた僕は、リア・フェンダーの中をのぞき込む。


「なんだよコレ!」


 思わず驚きの声を上げてしまう。僕の中指ほどの太さと長さがあろうか、錆びついた巨大な釘が、リア・タイヤにブッスリと刺さっていたのだ。


『こんなサイズのクギ、いったい何に使うのだろう?』


 毎度の事なので恐縮だが、ロング・ツーリングをしていると、必ず一回はパンクの洗礼を受ける。


(自転車でのサイクリングでも、同様だったが…当時の「道路事情」とは、“そんなもの”だったのだろう)。


 でも、これほどまでに大きな釘が刺さるなんて…僕はあっけにとられた。


 その前日。九州のとある街。

 夕方その街に入った時、降り続いていた雨はやっと上がっていた。でも、街のメイン・ストリートにはまだ、大きな水溜りがあちこちに残っていた。

 ここは有名な芸能人が何人も出ている街で、けっこう大きな街だ。

 その郊外にある山。雨も上がったことだし、僕はそこにあるキャンプ場を、今晩の宿泊地にした。


『ここは盆地なのかな?』


 綺麗な街の夜景を見下ろしながら、ひとり、缶ビールを飲む。

 周りはかなり騒々しい。たぶん下の街から、たぶん学校か子供会の、夏休みを利用した行事なのだろう、大勢の子供達がキャンプに来ていた。

 僕はその集団から離れた見晴らしの良い場所に、ひっそりとテントを張り、ホロ酔いの良い気分で、その晩を過ごした。


「チェッ! ガッカリだよ」


 そんな翌朝だった。

 朝から晴れわたり、キャンプ場を出たばかりなのに…『こっちからでも降りられるだろう』なんて、来た道を戻らず、未舗装の地道に入ってすぐだった。


「シュー」という、エアー漏れの音。

 僕のナナハンは、チューブレス・タイヤだ。小さな釘くらいなら、走り続ける事もできる。でも、こんなに大きな釘では無理だ。だいたい、どんどんエアーが漏れ出ている。

 急いで「チューブレス・タイヤ用パンク修理キット」を取り出す。

「ブシュー」

 突き刺さっていたソイツを抜くと、一気にエアーが吹き出した。僕はあわてて、座薬のような形をしたゴム製のプラグに(のり)を塗り、急いでパンク穴へ差し込む。

「シュー」

 でも、エアー漏れは止まらない。こんなに大きな穴だ。市販のプラグでは小さすぎる。もっとも、最初からわかりきった事だったけど…。


 僕は慎重に、でもなるべく急いで、山を降りる。

 下を走る国道に出て、タイヤ屋を探す。いざとなったら、空気入れで、エアーを足しながら走ればいいのだ。

 でもその前に、タイヤ屋さんの看板が目に入る。

 しかし…これだけの穴を本格的に修理するとなると、いったんタイヤをホイールから(はず)して、内側から修理しなくてはならないそうだ。

 タイヤ屋の小太りのおじさんは、僕が差し込んだプラグの横に、もう一枚、平たいプラグを差し込んでくれる。とにかくそれで、一応エアー漏れは止まったようだ。

 僕はその店を後にする。

『でも、なんだか不安だな…』

 旅の行程を考えると、先行き少々不安だ。まだ、予定の半分も走っていない。


「いざとなったら、チューブを入れちゃえばいいんだよ」

 僕は友人のそんなアドバイスに従い、サイズ ピッタリのチューブを持参していた。

 それから、不安を抱えて走った数日後。案の定、修理したパンクの穴からの「エアー漏れ」発見。

 そこで、さらに手持ちの座薬型プラグを「刺す」と、音をたてて、勢いよくエアーが抜け出す始末。


「仕方ない」


 そこで、宿の庭先で「チューブ入れ」に挑戦した僕は…でも見事に失敗。新品のチューブに、穴を開けてしまったのだ。

 ロクな工具もないくせに、そんな所で、初めての「チューブレス・タイヤ」に挑んだのが敗因だ。


(あの当時の僕の「整備の腕前」は、そんなものだった。もっとも、それを「生業(なりわい)」としている人以外では、よほどの「数奇者(すきもの)」かレースでもやっていない限り、皆そんなものだろう。「単気筒」のバイクに乗っていながら「何それ?」。「単気筒」という言葉すら知らない女の子もいたものだ)。


 翌日僕は、ホイールごとタイヤを抱えてバスに乗る。そして、一番近くのディーラーへ。

 大きな出費だったけど、仕方ない。帰りの道程(みちのり)だって、まだそっくり残っているのだ。

 それに僕は、まだできたばかりの「最南端の高速道路」を走ってみたかったから…。


 まあいいさ。切り詰めれば、何とかなるよ。



“Thunder” ー長崎県・西海ー


 この夏、記録的な豪雨に見舞われたこの地方は、道路がいたる所で寸断され、僕は回り道をしながら、やっとの思いで目指すキャンプ場にたどり着いた。もう夕暮れも近い。でも…。

 駐車場には、一台の車も無い。管理人さんくらいはいるだろうと思い、管理人室を探す。森の合間のキャンプ場に入って行くと、夜はいっそう間近に迫っていた。


「?」


 僕は心細くなった。やっとたどり着いたキャンプ場なのに…夏休みのまっ最中だというのに…そこにはひとっ子ひとり、僕以外、誰もいなかった。

 でも…夕暮れはもう間近だ。

 でも…僕は決心を決めかねていた。

 だって…森の中のキャンプ・サイトは薄暗く、色々な動物たちの(うごめ)きや、様々な虫たちの鳴き声で満たされていたから…。それにそいつは、暗くなればなるほど、数や音量を増していたから…。


 街中で育った僕は、ひとりで野宿やキャンプを張るようになるまで、夜の田舎や山奥は、静かだと思っていた。でも実は、けっこう騒々しい。田んぼはカエルの、森は夜ゼミの合唱が鳴りわたる。そして、夏の夜のジャングルは、たくさんの生き物たちが闊歩(かっぽ)し、まるでお祭り騒ぎのようなのだ。

 でも、夜の闇の中、通行止めばかりの道を走って、いったいどこへ行けばよいのか?


『いまさらジタバタしても始まらない。どうせ、どこへ行っても同じだろう』


 僕はそう思って、キャンプを張る決心をした。ただし…

 砂利の敷かれた広い駐車場のまん中に、僕はテントを張る。すっかり暗くなってから、テントの前でコンロに火を(おこ)し、夕食の準備を始めると、遠くに閃光の(ひらめ)きを感じる。

「!」

 その駐車場は、山の上を切り(ひら)いた所にあった。周りを(さえぎ)る大きな木も林も無い。遠くに稲光が見える。僕はこのあたりの気象に不案内だ。それに、グルグル回って、暗くなりかけた頃ここに着いたので、方角もあやふやだ。

「?」

 稲妻や雷鳴は、まっすぐではないが、こちらに向かって来るように思えた。

 雨だけならまだしも、広い広場のまん中で、雷の下に(さら)されたのではたまらない。

 僕は駐車場の(はず)れにあるコンクリート製のトイレの脇まで、闇の中、テントや荷物を運ぶ。


『このあたりは、豪雨に見舞われたばかりだ…』

『地盤だって、緩んでいるかもしれない…』


 引越しが済んで、テントの中から外の様子をうかがっていた僕は、あれこれと思いを巡らす。


『高度が高い所の雷では、ここだって安全とはいえない…』


 こういう状況になると、ロクな考えは浮かんで来ないものだ。


『俺なんて、ミミッチイ小心者だよ…』


 別に僕は「野生派」を気取ろうなんて思った事も、実行した事もなかったけど、大自然に独り取り残されたようで心細くなり、そんな自分が情けなくなった。

 背中に当たる、ゴツゴツした砂利の感触。

 遠くに響く雷鳴。

 闇に(うごめ)く生き物たちの気配。

 シュラフに入った僕は、時々うつらうつらとしながらも、なかなか寝つかれない。でも幸い、雷や雨は押し寄せては来なかった。遠のく雷鳴に、いつしか浅い眠りに落ちていた。


 翌日は快晴。

 僕は眠たい目をこすりながら、『救援物資』と書かれた「垂れ幕」や「旗」をなびかせたトラックの群れとスレ違いながら、次なる目的地を目指していた。



“Fire Work” ー佐賀県・虹の松原ー


 松林の中に()る、そのキャンプ場に着いたのは、もう陽もすっかり落ちた頃だった。国道を挟んで、すぐ向こう側は海水浴場だった。

 とても素敵な地名の所だった。


 受付で料金を払った僕は…

「空いてるから、どこでもかまわないよ」

と言う、管理人のおじいちゃんの言葉に…

『どこでもいいや』

と思い、夜空を見上げる。空は満天の星空だ。

 外灯の明りを頼りにテントを張り、夕食を食べる。すぐ近くを鉄道が走っている事に気づき…

『失敗したかな』

と思いながらも、終電の頃にはシュラフの中で眠りに()いていた。


 翌朝。雨音と、頬に感じる湿っぽさで目を覚ます。

「しまった!」

 僕は飛び起きる。テントの中は水浸しだ。昨晩の見事な星空と夜の闇にだまされて、不覚にも、窪地の底にテントを張っていたのだ。

 ドーム型テントなので、ペグをはずすだけで簡単に移動できたが、荷物を出したりと、管理人の気の好いおじいちゃんに手伝ってもらって、大あわてだった。

 ズブ濡れになりながら引越しが終わった頃には、一応雨は上がっていた。でも曇り空だ。

『これじゃ、ここにもう一泊だな』

 そう思いながら、木の幹に渡したロープにシュラフなどを干し終えた頃、引越し先のすぐ近くのテントから、女性が一人出て来た。

 淡く日焼けした肌。ストレートの、ちょっと長めの髪。洗い(ざら)しのブルーのシャツにGパン。

 ひとりでキャンプしているのだから、けっこう旅慣れしているのだろう。そんな雰囲気があった。


「あのー、ユースのガイド・ブックあったら、見せていただけませんか?」


 年は僕より少し上のような感じだった。控え目で、大人しそうな女性だった。

 僕は、使いやすいように、地域ごとに()じ直したユース・ホステルのガイド・ブックを取り出す。その中の「九州」の部を彼女に手渡した。

 そしてひとしきり、ここで起こった出来事を、僕は話す。


「わたしのテントで、お茶でも飲みませんか?」


 はっきり憶えていないが、たぶんそんな風に言われたのだと思う。僕のテントは、まだビショビショだ。

 再び降り出した雨に、あわてて濡れ物を投げ込んだ僕は、彼女のテントにおじゃまする事にした。

 彼女は、熱い紅茶を御馳走してくれた。家庭の台所と違って、何かと手間のかかるキャンプ地での「温かい物」は、最高のもてなしだ。ましてや夏とはいえ、ズブ濡れになった後だったので、とても美味しかった。

 でも僕は、ちょっとテレくさかった。彼女も、あまりお喋りな方ではないようだ。テントの入口側に座った僕は、言葉少なに外の雨を見ていた。

 彼女は、現在自分が住んでいる所の地名を()げた。「吉田拓郎」氏の曲のタイトルにもある、東京の街だ。そのとき話した事は、それしか憶えていない。


 その日は一日中、雨が降ったり止んだりの天気だった。僕は自分のテントの中で、本を読んだりしてゴロゴロしていた。

 昼食は、「いっしょに食べましょう」と言われて、お互いが持ち寄った物を、彼女のテントで食べた。

 彼女は、とても家庭的な雰囲気があった。

 僕は、独りで旅をする女性に、割りと懐疑的なところがあった。旅行をする事に異議を唱えるつもりは無かったが、放浪癖のあるような女性には用心していた。

 自分の事を棚に上げ、「女は家庭を守るもの」なんて、押し付けがましい幻想を、まだその頃は持っていたのだろう。


 夕方、近くにある駅前の小さな商店街へ、彼女は傘を差し、僕は合羽を羽織って…ふたりで夕食の材料を買い出しに行った。

 途中、国道のすぐ向こう側にある海水浴場へ立ち寄る。その海には、かなり高い波があった。

 子供の頃、海水浴と言えば、家から何時間もかけて年に一回、家族で出掛けるような所に住んでいた僕…そして一番近い海と言えば、太平洋岸の外海だった…は、ひとりであちこちの海を見るようになるまで、静かな海があるという事を知らなかった。

 そしてその時は、「同じ海でも色々な表情を持っている」という事を、まだ知らなかった。


 その夜は、いっしょに夕食を作り、いっしょに食べた。

 外灯と懐中電灯の明りの中、ポツリポツリと会話を交わしながら…そして何事も無く、シュラフにもぐり込む。


 翌日は、晴天とまではいかなかったが、雨は降りそうにもなかった。少し肌寒かったが、海水浴ができないというほどでもない。

  僕達はいっしょに泳いだ。

  海の家で食事をした。

  黙って海を見ていた。

 きのう見た海は、きょう、とても穏やかだった。波ひとつ無かった。同じ海なのに、違う顔を持っているという事を、そのとき初めて知った。


 その日の夜。

 その海水浴場からだと、左側に突き出した半島のように見える近くの街…街のまん中にお城のある城下町。そして焼き物で有名な…で、花火大会があるというので、ふたりで浜に行った。

 さほど遠くない所に見える花火は、とても綺麗だった。

 僕の左側に座っている彼女は、そのうちそっと、軽く僕の方に持たれ掛かって来る。否、僕の方が彼女に近づいて行ったのかもしれない。

 そんな事はどちらだってよかった。あのシチュエーションなら…静かな海。綺麗な花火。そして、ふたりきりの暗い浜辺…誰だって『そんな気分』になるはずだ。

 僕は、彼女の肩に手でも回せば良かったのだろうか? でも、決心がつかない。

 目に花火は映っていけど、頭の中は、こんがらかっていた。あのとき彼女は、何を考えていたのだろう?

 やがて、花火は終わってしまった。

「帰ろうか」

 そう言うしかなかった。でも、余韻は残っている。


 キャンプ場に戻ってみると、大勢の、僕達と同世代の男女が、お酒が入っているのだろう大騒ぎをしていた。彼等は、この県の県庁所在地にある専門学校生で、皆でここにキャンプに来ていたのだ。

 僕達は、半ば無理矢理強引に、その宴会に巻き込まれてしまった。でもそれは、ある意味では幸運だったのかもしれない。もし、その晩もふたりっきりになっていたら…。


 翌朝僕は、次の目的地を目指して出発した。

 彼女は見送ってくれたが、僕は走り出す瞬間、コクンと(うなず)いただけだった。

 僕達は、苗字を名乗りあった程度の仲だ。


 クラッチをつないだ瞬間の、彼女の何か言いたそうな顔が、妙に印象的だった。



“Squall” ー沖縄本島ー


 海の向こうに見える半島が煙りだした。

「スコールがやって来る」

 僕にはもうわかっていた。

 僕は構わず、そのカーテンに向かって行く。反対方向に走るバイクの速さと相まって、アッという間にスレ違う。

「気持ちイ~!」

 僕はハンドルを握ったまま腕を伸ばし、のけぞってしまう。


 夏の南の島は、日に何度か「通り雨(スコール)」がやって来る。一瞬ザアッと降ったかと思うと、次の瞬間には、さっきまでの真夏の光が戻って来る。

 少々濡れても、TシャツにGパンだ。南国の陽射しと、風を切るバイクのスピードのおかげで、すぐに乾いてしまう。

 特に、夏の日の僕のお気に入り…下着を着けず、素肌にGパン…なら、湿気がこもる事も無い。


 でも、その日は失敗だった。

 合羽も持たずに出掛けていた僕は、宿に着く直前にスレ違った「スコール」のおかげで、結局ビショビショで宿に戻った。



“farewell” ー石垣島ー


 僕は、ちょっとジーンと来ていた。ただ上を見上げているぶん、僕の方が有利だった。

 ヤツは柄にもなく、ちょっと神妙な面持ちで僕の事を見下ろしている。

 人は涙を(こら)える時、涙がこぼれ出さないようにと上を向く。

 ま、それほどではなかったけど、ヤツと過ごした数日間の事を思い出すと、やっぱり込み上げて来るものがあった。


 バイクには、ズルズルと後ろ髪引かれる事なく、排気音の軽い余韻を残して、一気にその場から立ち去れる(いさぎよ)さがあるけど、見送り・見送られるなら、やっぱり船がいい。

 アッと言う間に立ち去るわけでなく、ゆっくりと、後ろ姿を見せる事もなく遠ざかって行く船が…。

 今までの、短いけど楽しかった出来事を思い返し、噛みしめる時間は十分ある。

 それで、送る方も送られる方も、思わずジーンときてしまうのだ。


 やがて船はゆっくりと、岸壁を離れ出した。

 あの時、汽笛やドラは鳴ったのだろうか? 僕はよく憶えていない。


(離島と言われるような離れ小島には…南でも北でも…名物の宿が()ったりするものだ。独りで旅をしていても、そういった所に行けば、僕と同じような、独りや少人数で旅をしている「似たもの同士」が大勢いたし、すぐに仲良くなる事ができた。そして、そういった島での、特に「見送り」は熱烈だった。皆で熱くなる事ができた年齢や世代だったのかもしれない)。


 僕は港に来る途中で、餞別(せんべつ)代わりに「モンキー・バナナ」を買って、ヤツに手渡してあった。

 僕は昨晩、独り街はずれの浜で野宿した。


 僕とヤツは、この島からさらに船に乗って行かなくてはならない、天然記念物だか保護動物だかになっているヤマネコのいる島で知り合った。

 僕は「バイク乗り」、ヤツは「チャリンコ野郎」だったけど、なかなかに気が合った。


 その島でいっしょにキャンプを張ったり…

 なんでもこの時期、「南の空の低い位置に、『南十字星(サザンクロス)』の一番てっぺんの星が見える」という噂を聞きつけたからだ。

 でも、水平線近くの夜空に、星はまったく見えない。

「だって地球は丸いんだもん」。

 ずっとたどっていけば、どこかに雲が浮かんでいる確率の方が高い訳だ。

 それに、たとえ見えたとしても、ふたりとも星座に詳しいわけではなかった。どれがそれなのか、わからなかっただろう。

 だいたい、それが事実かどうかも定かではない。もっとも、そんな事はどうでもよかった。

 ただ僕達は、そんな話題を酒の(さかな)に、OKINAWA❜S Domestic Beer 「オリオン・ビール」で乾杯したかっただけなのだ。


 潮の引いた干潟を渡り、ジャングルを歩き、大きな滝の上から連れションしたり…帰りに滝ツボで泳いだ頃には、上から放尿した事など、すっかり忘れていた。

 無断で高い鉄塔のてっぺんまで登ったり…テレビか何かの中継用だろう。地上数十メーターの高さで、頂上は風が強くて恐かった。

 そしてきのうの船で、共にこの島に戻ってきたのだけれど…下船してからハグレてしまったのだ。

 ここは日本最南端の「市」だ。初めてここを訪れた時、船上から見えた街の姿を見て、『大都会だよ』なんて思ったものだ。

 夕暮れ時の街をしばらく探し回ったが、結局ヤツを見つけ出せなかったのだ。

 でも、ヤツが乗る船の時間はわかっていた。それで僕は「モンキー・バナナ」を買って、見送りに来たのだ。


 長い時間をかけて、船は港の防波堤を出て行く。

 ヤツはまだ、甲板にいるだろうか? もうここからでは、確認する事はできない。


 遠方に住むヤツとは、その後、数回手紙のやり取りがあっただけで、再会する事はなかった。

 それから十数年後、僕は初めて書いた小説の主役の一人に、彼の勇ましい名前をそっくり・そのままいただいた。



“breakfast” ー九州・内陸部ー


 鍋のフタがカタカタと持ち上がり、白い湯気が噴き出し始める。

「さてと…」

 寝ボケまなこをこすりながら、僕は腰を上げる。

 頭上には青い空が見えているが、あたりはまだ薄暗い。切り立った山肌が両側に迫るこの谷底までは、まだ朝の光は届かない。


「ズズズズズ~」

 きょうの朝食は、昨晩、二食分炊いておいた残りメシで「お茶漬け」だ。

 真夏だったけど、山あいの陽当たりの悪い場所。起き抜けは少し肌寒い。温かい朝メシを流し込むと、ホッとする。


「ふ~」

 その後、残ったお湯を軽く沸かし直す。

 寝グセでボサボサになっているであろう頭を撫で付けながら、金属製のマグ・カップでインスタント・コーヒー。

 きょうも、これから一日が始まるわけだが、急ぐ用事も、アセる必要もなかった。

 九州の内陸部。谷底を流れる川沿いにあるキャンプ場。あたりが徐々に、明るくなってくる。


 ノーベル賞作家「スタインベック」先生の短編に、『朝食』というのがある。おそらく原題は“breakfast”なのだろう。

 中学だったか高校だったか? 僕はよく憶えていないのだけど、国語の教科書に、その日本語訳が載っていた。

 国語の時間。退屈していた僕は、パラパラとページをめくって行き、巻末のあたりに載っていたその短編の存在に気づき、目をとめた。

 先生の話には耳も貸さず、ひとり勝手に、その短編を読んでいたものだ。それから何度か、国語の時間の退屈しのぎに読み返したはずだ。


  朝の光に…

  立ち上る湯気…


 結局、そこまで授業は進まなかったのだけど、ナゼだか僕は、その短編が気に入っていた。

『早くここから出たいよ』

 きっと、「遠い空」に憧れていたからだ。


 あたりがすっかり明るくなった頃。荷物をまとめ上げた僕は、そこをあとにした。

 もうこの場所を訪れる事は、生涯二度とないのだろう…そんな気がした。



“RUSH” ーROUTE1・静岡ー


「ブオン! ガラガラガラ…」


『ヒエ~!』

 僕はビビッた。多少のスピード・オーバーならともかく…

『そこまでは、できないよな』

 そう思った。


 夏の、早い夜明け直前の国道。

 あたりが白み始めた頃、ごていねいに…と言っても、普段はそれが普通なのだが…左右を横切る車が無くても、「赤」でちゃんと止まっているのに、僕の横をかすめるように、ディーゼル・エンジンの黒い煙をまき散らして、軒並み、大型トラックが走り去る。

 これじゃ、信号機なんて、あっても無くても同じだ。

『おっかね~』

 路肩ギリギリに止まっている僕は、すぐ脇を走り抜けるトラックの風圧にあおられ、足元がフラつく。

『いったい、なんなんだよ?』

 たぶん市場(いちば)にでも向かうのだろう、最後のスパートをかけているのだ。


 僕は以前、トラックの運転手たちから、こんな話を聞いた事がある。「高速のエリート・トラッカー」たちの話だ。

 なんでも、飛行機に積みきれない荷物が出た時のために、常に最新型のトラックに乗った彼等が、待機しているのだそうだ。

 飛行機が離陸する前に空港を後にし、乗客が荷物受け渡し場所に出て来る頃には到着する。

 海さえ越えなければ…つまり、船を使う必要のない所なら…どこにでも。

 本当にそんな人達がいるのかどうか?

 だいたい…

 本当にそんな事ができるのかどうか?

 僕はそんな人達に会ったわけではないから、事の真偽は定かではないが…その手の話が大好きな僕。いろいろと想像をめぐらして…たとえば、飛行機に乗った事のある人ならわかると思うが、飛行機の発着には手間がかかる。出発の何時間・何十分も前にチェック・インして、荷物を預けなくてはいけないし、離陸するまで結構な時間が過ぎる。

 降りてからだって、滑走路で待たされたり何だりと…

 だから…

『その時間を加味すれば、案外可能なんじゃないか』

『きっとたぶん、荷物がなかなか出て来ない時は、トラックが遅れたからだ』

 なんて、思ってしまうのです。


「ブオン! ガラガラガラ…」

 トラックの群れは、まだまだ続いている。

『こんな無法地帯。やってらんね~よ』

 そんな状態では、そのうち何だか、こっちが悪い事をしているような気になってくる。


『きょうでこの旅も終わり。身の危険を(おか)してまで走る事はない』


 早朝のラッシュ・アワーが済むまで、僕はコイン・スナックで休息を取る事にした。


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