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(INTERMISSION Ⅱ)

“MADE IN TAIWAN”


“ZIPPO”


“canned coffee” ー茨城県・鹿島灘ー


“Idling”


“HARD BOILED” ー静岡県・富士川ー


“DRIVE IN” ー三重県・鈴鹿ー


“dialect”


“photogenic”


“COIN SNACK”


“It Is Convenient!”


“SOUP” ー岐阜県・中津川ー


“CAFEー2” ー横浜ー


“SHIP”


“MADE IN TAIWAN”


〈当作品には一部、現在では不適切と思われる表現もありますが、舞台となった当時の歴史的価値を重視し、注釈を付け、「◯抜き単語」で表記してあります。ご了承下さい〉


「アレッ!」


 僕が振り返ると、「ジーッ…」というゼンマイの音に合わせ、石の上に載せたソイツは、徐々に傾き始めた。


「ヤバイ!」


 しかし、僕が駆け寄るよりも早く、「カシャッ!」という音がしてシャッターが切れる。その頃には完全にアサッテの方向を向いていたカメラは、その後、地ベタに落ち、裏側のフタまで開いてしまう。


「やっちゃたよ~」


 ガッカリだ。これでは、この前に撮った数枚までパーだ。夕方近くなった林道の、とある「峠の碑」前での出来事だった。


 こんな経験は度々(たびたび)あり、失敗した写真もご愛嬌。

 僕は三脚なんて持っていなかったし…持っていたところで、旅先でのスナップ写真。イチイチそんな物、出していられないし…人に頼むのも面倒だ。それに、頼む人がいないような所でばかり写真を撮っていたので、バイクや、ちょっとした物を三脚代わりに、「記念撮影」をする事が多かった。


 僕がそのころ愛用していたのは、安物の「バカチ◯ン」カメラ。


(「バカでもチ◯ンでも撮れる」という意味だろう。その製品が売れるかどうかは、「操作が簡単か」というのが大切な要素らしい。だから「買物バイク」はヒットしたのだ)。


〈注:「チ◯ン」という表現は、民族差別用語らしいのですが…この当時、また、これを書いた当時は、一般的な単語として使われていました。自分も含め、同世代の人間は、意味もわからず使っていたと思われますが…「そんな時代だった」「そんな時代もあった」という意味もあり、あえて「◯抜き単語」で掲載します〉


 オヤジの「お下がり」の一眼レフも持っていたけど、いつ捨ててもいいような代物だったので、旅に出る時はいつも、そのカメラを持って出かけていた。


“MADE IN TAIWAN”のカメラ。


 元々ソイツは、伯母さんにもらった物だった。

 伯母さんが海外旅行に行った際、持参のカメラが旅先で壊れてしまい、現地で安物を買ったのだ。タイマーもフラッシュも内蔵されていない、いたってシンプル(?)なカメラ。

 それをもらい受けた僕は、シャッターを切るボタン・スイッチに取り付ける「ゼンマイ式タイマー」を買い、家にあったフラッシュを、いつもそのカメラとセットで持ち歩いていた。

 かさばるし、タイマーやフラッシュをセットしたりと、何かと手間がかかったけど、違う物を手に入れようなんて気は起きなかった。

 僕はカメラに関しては素人だ。それに、特別興味も無い。写ってさえいればいいのだ。


 でも、そのカメラを使い続けていたのには、他にも理由があった。


 カメラの写り具合や値段は、そのほとんどが「レンズで決まる」と言うけれど、たぶんレンズのせいなのだろう、僕はその安物のカメラで撮った写真の写り具合が気に入っていた。

 そのカメラで撮った物は、何か違うのだ。国産の物ほど鮮明じゃなかったけど、チョット淡いような色合い。

 自分の頭の中で、過去の出来事を思い描いたような、そんな色調。

 記憶とピッタリ一致するような、そんな写り具合があった“MADE IN TAIWAN”のカメラ。


 雨・風・ホコリ、バイクの振動など、ずいぶん(こく)な使い方をしたかもしれない。

 レンズの傷、ボディーの(ヘコミ)。そして、いつしかシャッターが落ちなくなり、別のカメラに取り替えた。


 あれから、借りたり・買ったり・もらったり、何台かのカメラを手にしたが、でも、あのカメラのような写り具合を持つ物には、いまだ出会えていない。


“MADE IN TAIWAN”のカメラ。


 ソイツは僕の「お気に入り」だった。



“ZIPPO”


「シュッ! シュッ! シュッ!」


『チェッ! 着かないよ』


 僕はたて続けに、ライターの石を擦る。でも、風が強い。それでなかなか、ガスに火が移らない。


「シュッ! シュッ! シュッ!」


 僕は、とある南の島にいた。

 その島のユース・ホステルで知り合った連中と、暇潰しに、港へ見送りに来ていた。

 僕はジャンパーの(エリ)を風よけにして、百円ライターで、タバコに火を着けようとしていたのだけど…でも、なかなか火が着かない。

 港とは、だいたいどこでもそうなのだが、風が強い。


「シュツ!  シュツ!  シュツ!」


『ん…?』


 そんな時、「カチン」と音をたてて、オイル・ライターの火が差し出される。

 炎は強い風に揺られて真横を向くほどだったが、ソイツはしっかり燃え続けていた。


「コイツはさ、ここん所の穴の開け方に、特許か何かがあってさ、風に強いんだ」


 僕は、個々のパーツの名称を知らなかったが…着火した火を取り囲んでいる金属部分について、火を貸してくれた彼は解説してくれた。


『へ~、そうなんだ』


 僕は感心してしまった。たしかに、他のオイル・ライターとは、穴の形や位置が違っている。

 僕はアゴを突き出し、タバコの先端に火を移す。


 旅をしていると、変わった奴と知り合う事がある。

 レイバンへの「こだわり」を語る奴。

 カメラへの「うんちく」を述べる奴。

 その他、諸々…。


 僕は、どちらかと言えば、実用性を重んじる方だった。自分の体験や経験から「必要だ」「欲しい」と思った道具を使う事にしていた。

 たとえばダイバーズ・ウォッチだ。ダイビングをするという訳ではなかったが、バイクで旅する事の多かった僕は、雨やホコリにも強い…水が入らないという事は、ホコリも入らないという事だ…デカクて重い、本物のダイバーズ・ウォッチを愛用していた。


(成人式のお祝いに、オフクロからもらって以来、ずっと愛用している。もしも僕が死んだら、唯一「形見の品」と言える物だ)。


 僕はソイツが欲しくなった。

 当時の沖縄は、日本への返還後、税金等が段階的に引き上げられている途中で、内地とくらべ物価が安かった。はっきりとは憶えていないが、たぶん輸入品も安かったのだと思う。

 それで那覇に戻った僕は、旅の記念も兼ねて、“OKINAWA”という文字と“AIR FORCE”の紋章が入った“ZIPPO”のオイル・ライターを購入したのだ。


(あの頃の内地ではまだ、数も今ほど出回っていなかったし、値段もずっと高かったと思う)。


 その旅から戻って、数ケ月がたったある日。僕は数人の、高校時代の同級生と再会した。

 その中に、“ZIPPO”のオイル・ライターを持っている奴がいた。彼のライターのボディーには、「サラダ(オイル)」のステッカーが貼ってあった。

「サラダ・オイルでも火が着くんだぜ」

 彼はそう語っていた。


 それから数日後のこと。

「シュツ!  シュツ!  シュツ!」

 僕の“ZIPPO”のオイル・ライターは、いくら石を擦っても火が着かない。オイル切れだ。

 でも、僕の住まいの近所で、ライター用のオイルを売っている店のアテを、僕は持っていなかった。それに夜だったし、わざわざ出かけて行く気にもなれない。


「サラダ・オイルでも火が着くんだぜ」


 僕は友人の言葉を思い出した。

 それで、台所の棚からサラダ油を持ち出した僕は、何のためらいも無く、それを注いでいた。


「冗談に決まってるだろ!」

 後でその友人にその話をすると、彼は軽くそう言い放ち、僕は皆の笑いの(まと)となった。


 内部の綿を取り出して水洗い後、乾燥させ、正規のオイルを(ひた)してみたが、いっこうに火は着かない。マッチなどから火を移してみるが、黒い煙を上げて芯がくすぶるだけだ。

 オイルを買いに行くのが面倒臭かったのと、まずは人の言う事を信じてしまう「素直さ」と、とりあえずは試してみようという「好奇心」が災いして、最悪の事態を迎えてしまったのだ。

 それ以来、僕のあの“ZIPPO”のオイル・ライターは、二度と炎を上げる事はなかった。


 今でも、オイル・ライターの匂いをかぐと、あのライターの事、そして南国の風を思い出す。

 そしてあのライターは今、皆に「物持ちがイイ奴」と言われた僕の…今では、めったに引っ張り出す事もない…『旅の記念品』の中で、ひっそりと眠っているはずだ。



“canned coffee” ー茨城県・鹿島灘ー


「さてと…」


 僕は、さきほど自販機で買った缶コーヒーを、ジャケットのポケットから取り出し、「ポン!」とテール・ランプの上に載せる。

 僕のオフロード・バイクのテール・ランプは、四角くて大きい。ちょっと缶コーヒーを置いておくには、手頃な高さと大きさだ。


『まずは写真でも撮って…それから飲もう』


 臨海工業地帯のはずれの砂浜。浜辺に出ていた僕は、カメラの準備をする。


『話に聞いていた通りだ』


 黒くしまった海砂は、バイクで走っても(わだち)を作る事がない。

 僕は自分の勇姿でも撮ろうと、セルフ・タイマーをセットし、急いでバイクに飛び乗った。


 僕は、キャンプや野宿の時など、缶コーヒーを数本買い込んでおくのが常だった。ジュースや、特にコーラなどの炭酸系は、ぬるくなると飲めたものじゃない。


(まだ、お茶系の飲物やペット・ボトルが、今のようにポピュラーになる以前の話だ。ましてや「水」なんかに、お金を払うようになるなんて、考えた事もなかった)。


 夜中にフト目を覚ました時に…

 もちろん朝の起き抜けに…

 タバコ一本と、缶コーヒー一本。


「コーヒーを飲むと眠れなくなるから」なんて人もいるが、カフェインには習慣性があり…もちろん個人差はあるだろうが…馴染んでしまうと、効かなくなるそうだ。

 それに、コーヒーなどよりコーラの方が、はるかにカフェインを多量に含んでいるという話を聞いた事がある。


(カフェイン・レスの商品が開発されたのは、それからかなり経ってからの事だ)。


 まあ受験の頃、インスタント・コーヒーをガブ飲みしすぎて、体調を崩した事もあったけど…

 一時間おきくらいに、大き目のマグ・カップでコーヒーガブ飲み。そのうち気分が悪くなってきて、寝床に入るが妙にドキドキして眠れない。そんな事が何日か続いた後、フト気がついた。

『コーヒーの飲み過ぎなんじゃないか?』

 たしかに正解だったようだ。でも、それでも僕は、「缶コーヒー」(と、「コーヒー牛乳」)が大好きだった。


(我が家は、高校生になるくらいまで「コーヒー禁止」だった。きっと、その反動なのだ)。


『あ!』


 記念撮影を済ませ、国道に戻った所で思い出した。


『そういえば…』


 僕は、とある所で出会ったヒッチ・ハイクの男の話を思い出した。

「まだ見えるのに、戻れなかったんだよ」

 彼はそう語っていた。

 冬の寒い日。自販機で温かい飲物を買った彼は、再び歩き出してほどなく、その自販機の上に、はめていた軍手を置き忘れた事に気づいたそうだ。

 振り返れば、まだ見える距離。

 でも、歩き出して数日たっている。わずか数百メーターの「後戻り」をする決心がつかぬまま、歩き続けたそうだ。


『あるわけないよな』


 僕は上体をひねって振り返る。


『まずは写真でも撮って…それから飲もう』


 そう思って、テール・ランプの上に載せておいた缶コーヒー。僕はその存在を、すっかり忘れて走り出していた。


『まあいいか』


 僕は黙って、そのまま先を目指した。



“Idling”


 深夜の国道。

 外灯の明りに誘われた虫たちが飛び交う自販機の横で、俺は缶コーヒーを(あお)っていた。

 (かたわ)らには、サイド・スタンドに車重を預け、少し傾いた黒のビッグ・バイク。

 並列四気筒750ccのエンジンが、滑らかにアイドリングする。

 つい今しがたまで走って来た熱気が、コーヒーの缶を持って並んで立つ俺の身体に伝わって来る。


 俺はセンター・スタンドが嫌いだった。

 直立不動でお行儀良く、主人を待っているような犬も大嫌いだった。

「フン!」

 いつもチョット「ハスに構えた」ような、でも奥底ではわかりあえるような奴の方が、案外頼りになるものだ。


 俺は、飼い慣らされてしまった単気筒(シングル)二気筒(ツイン)は気にくわなかった。

「単コロ」のクセにセルが付いているなんてインチキ臭かったし、わざと高目のギヤでドコドコ走ってみた事もあったが、バランサー付きなんて、どうもウソ臭かった。


 V型多気筒(マルチ)ってヤツも、どうも俺の感性には合っていなかった。

 モーターサイクルの場合、エンジンの振動や排気音は、直接ライダーに訴えかけてくる。又、そのエンジン型式というものは、視覚的なものばかりでなく、乗り心地などの乗り味や、操縦安定性にまで影響を及ぼす重要な要素(ファクター)となってくる。そしてそれは、個人の「好み」に大きく左右される。

 俺は並列マルチの、滑らかな回転や音色が好きだった。


 俺は星ひとつ見えない夜空を(あお)いで、缶コーヒーを飲み干す。

 今日も随分走った。まだこれからも走り続ける。その確かなアイドリングが、(かす)かな予感を実感にかえる。まるで「早く走ろうぜ」と、俺を()き立てているように…。



“HARD BOILED” ー静岡県・富士川ー


「ハードボイルド」という表現は元々、アメリカ軍の新兵達が、「かたゆでの卵ハードボイルド・エッグ」みたいに頭の固い、上官や教官たちを指す言葉として使ったのが始まりだ…というような事を、昔、何かで読んだ記憶がある。


 夜明け前から、ずっと降り続いていた。

 有料の橋の、料金所の手前。開けた土地の、ガランとした場所。雨雲で覆われた、早春の遅い夜が明け、ちょうど通勤時間帯の頃。

 ひと走りには十分な距離と時間を走った僕は、道が混雑し始めてきた事もあり、まだ開いていない喫茶店の軒先で小休止。


 ポツンと道路沿いに建つ喫茶店。

 セパレートのレイン・ウェアの上着だけを脱ぎ、降り続く雨と、車の流れを見ていた。


『?』


 その店の裏手に、乗用車が一台乗り着ける。

 両側のドアが開き、中年の夫婦が降りてくる。小走りに、僕が腰を降ろしていた入口にやって来る。この店の、オーナー夫妻のようだ。

 僕は立ち上がり、道を開ける。軽く会釈して、朝の挨拶を交わす。悪い人ではなさそうだ。僕にもそういった印象を持ってくれたら幸いだ。

 僕は軒先を拝借していた事もあり、そしてもちろん、事実、空腹であった事もあり、何か食べる物ができないか尋ねる。でもやはり、すぐには無理だと言う。僕は礼を述べ、再び走り出す準備を始める。

 そんな僕に、オーナーの奥さんがビニール袋を手渡してくれる。その中には、殻付きの「()で卵」が二つ。


 僕の好みは、「トースト」なら“こんがり"め、「ゴハン」なら“シャリッ"と硬め、「目玉焼き」なら“アップサイド・ダウン"…つまり「両面(りゃんめん)焼き」


(「ターン・オーバー」とも言う)。


「スクランブル・エッグ」でも「玉子焼き」でも、火をよく通した硬めのやつが好きだった。


(ただし、逆説的に例外な物もある。たとえば「もやし」だ。僕は、そのシャキッとした感触を損ないたくないから、「もやし」の場合、煮るにしろ炒めるにしろ、サッと火を通す程度だ)。


 たぶんその卵は、たとえば「サンドイッチ」の中身など用に、つぶして使うための物なのだろう、僕の好みの「かたゆでのたまご」…『ハードボイルド・エッグ』だった。



“DRIVE IN” ー三重県・鈴鹿ー


 俺がドアを開け店に入ると

 カウンターやテーブルいっぱいに陣取った荒くれどもの視線が

 一斉にこちらを向く

『ふん!』

 俺は心の中でそう(つぶや)

 ジロリとあたりを一瞥(いちべつ)する

『大したこたぁ~ないぜ!』

 俺は連中に、そう悪態をつく

…僕はまるで、西部劇の主人公にでもなった気分だった。


 旅立ちの日の前夜。もうあと数時間後に迫った出発の時を前にして、僕はなかなか寝つけなかった。久しぶりのロング・ツーリングに興奮していたのだろう。

 早くに寝床に入ったのだが眠りに()けず、モソモソと起き出しては、結局テレビの映画番組を最後まで観てしまった。

 その映画は西部劇。「ビリー・ザ・キッド」の物語だった。


 まだ日もそう長くはない、早春の夜明け前。身体に感じる寒さは、真冬の頃とさほど変わらない。

 首周りの寒さよけに、長めのスカーフを巻いた僕は、自らを「さすらいのビリー・ザ・キッド」と命名して、「出発(でっぱつ)」した。


(ちょうど、「さすらいの~」なんてタイトルの小説を読んでいたからだろう。ちょっとテレ臭いが、誰に話すわけでもない。気分は「その気」の方が楽しめる)。


 でもまだ初日だというのに、明けがた降り出した雨は、今日一日中降り続き、夜になってもまだ降り止まなかった。

 でも僕は、走り続けていた。別にアテのある旅ではなかったし、今日の目的地があるわけでもない。走れるだけ走って、適当な場所で寝るだけだ。


 そこは深夜営業の、主にトラック・ドライバー相手のドライブ・インだった。

 僕はいい加減、疲れていた。バイクから降りると、足元がフラつくほどに…。

 頭の中はカラッポに近かったが、目だけはギラギラしていたはずだ。長時間のライディングの後は、たいていそうなっているものだ。

 そして、変な「空想」や「妄想」が浮かんで来る事も、しばしばなのだ。


 僕は「場違い」と言うほどではなかったが、「特異」な存在だった。皆の奇異の視線が集まる。

 僕は堂々と、でも一番端の、人目につかない席に着く。


(だいたい単独行(ソロ・ツーリング)が好きなライダーというものは、誰もいなければまん中を陣取るが、他に人がいる時は、好んで隅っこに行きたがる)。


 そこで「さすらいのビリー・ザ・キッド」は、濃いブラック・コーヒーを一杯飲んだ。

 たぶん、重労働な深夜のトラック・ドライバーのためなのだろう、そのコーヒーには、板チョコが二かけら、添えてあった。



“dialect”


東男(あずまおとこ)京女(きょうおんな)」という言葉がある。

 関東生まれのこの僕は、ナゼか関西の女性と縁がある。


「どっから来はったんですか?」

 隣りに並んだバイクの、タンデム・シートに乗っていた少年…おそらく僕より少し年下の、たぶん高校生くらいだ…が、僕にそう声をかけてくる。

『関西弁だよ』

 僕は思った。高速道路の高架の下。そこに沿って走っている国道。もうしばらく、市街地の中を走っていた。

 旅も二日目で、僕は関西のまっただ中にいた。


「どっから来はったんですか?」

 僕はその頃、関東の大都会に住んでいたけど、バイクのナンバーはイナカのナンバーのままだ。話をややこしく(・・・・・)したくなかったので、自分の故郷の名を告げる。


 信号待ちのわずかな時間。彼は関西弁で、僕は関東(なま)りで二言・三言、言葉を交わし走り出す。

『関西弁だよ』

 再び思った。もちろんこれまでにだって、家族旅行や修学旅行など、関西方面を訪れた事は幾度もあった。でもあの頃の僕にとって、『関西弁』はまだ、テレビの中だけの出来事だった。少なくとも、それまでの記憶の中で、自分の身をもって『関西弁』と対峙したのは、この時が初めてだったように思う。


「関西の人は関西弁を話す」

 当然の事なのだろうが、身近に関西の人…関西に限らず、自分が育った土地以外の「(なま)り」や「方言」を持つ人…がいなかったあの頃の僕には、とても新鮮に感じられたのだ。

「同じ日本でも、様々な文化があり、色々な言葉がある」

 この初めてのロング・ツーリングの、この経験以来…このあと僕は、沖縄まで足を伸ばす事になるのだが…特に「言葉」というものに興味を覚えたわけだ。


(それに、僕の脳ミソは「文系」型。特に何もしなくても、「現国」だけはいつも高得点…ただし、勉強が必要な「古文」と「漢文」はダメだった。「英語」に「地理」「歴史」は好きだったけど、「数学」「物理」「化学」…特に電気系…はサッパリ。絵を描くのは好きだったけど、決して嫌いじゃない「工作」は、「下手の横好き」で、どこかピントがズレていた。「体育」も、ポピュラーな「球技」は、何をやってもダメだった)。


*東北での事。

 宿の公衆電話で、延々と喋り続けるおじさんの声。

 僕の部屋にまで聞こえてくるのだが、そのおじさんの喋る東北弁は、宇宙人の言葉並に難解だった。単語ひとつすら聞き取れない。


*北海道最大の都市での事。

 僕とそう年の変わらない女性が、思わず自分の事を「おれ」と言ってしまった時。『しまった』といった顔に、気まずい雰囲気なってはマズイので、僕は聞き取れなかったフリをした。

『おしん』の時代は、そんなに遠い昔じゃない…そう思った。


*長野県の諏訪湖畔。

 休憩する僕の横には、釣りを楽しむ二人組。親子ほどの年の開きはなかったけど、「世代が違う」程度に年は離れている。

 年上の男性は語尾に「ずら」を付け、年下の方には「ら」が付く。言葉の変遷を聞いているようで、面白かった。

 そう言えば、地理的に近い「静岡出身」の僕の友達も、語尾に「ら」が付いたっけ。


*鹿児島のバイク屋さんでの事。僕はチョットした用事があって、そのバイク屋さんに立ち寄った。

 先客がいた。でも、僕には二人の会話がサッパリ理解できない。

『この人、日本語喋れるだろうか?』

 僕は不安になった。でも僕の方に向き直ったバイク屋さんは、即座に僕が地元の人間ではない事を感じとり、「日本語」で話しかけてくれた。


*もちろん沖縄でも、同じような事があった。

 沖縄方言で、仲間と話をしていた工事現場のオッチャン。仲間が立ち去った後、こっちを見て一言。

「こっちは(ぬく)いだろ!」

 オッケー「温い」なら、もう僕にでも理解できる。


 でもテレビの普及などのせいだろう、今ではどこにでも、綺麗な標準語を話す人はいるものだ。

 東京あたりの「若者言葉」(?)しか話せない人間より、かえって地方出身の人の方が、地元の言葉と綺麗な標準語を使い分ける。

 そしてそれは、僕の経験から言えば、圧倒的に女性の方が多い。


 女性は、「言語中枢を(つかさど)る左脳型」だと言われる。

 たとえば、見栄えが良いというせいもあるのだろうが、テレビに登場する「バイリンガルな…」という人は、たいていが女性だ。

 男の場合、たとえば関西以外の人間が関西弁をマネても、どこか不自然でバレてしまうし、関西育ちの男性は、たいていどこかに関西弁を引きずっているものだ。

 一方男性は、「空間認識能力に優れる右脳型」だと言われている。

 それが証拠に、有名画家や建築家は、全部と言っていいくらいが男性だ…ここで言う絵画は、風景画に限る。人物画や静物画には有名女流画家もいるし、インテリア・コーディネーターなどは女性の方が多いだろう。風景画などと違い、ピンポイント的に攻める物だから、この説には反していない。

 もちろん、女性的な男性も、その逆の人もいる。でも、概して「女は運転が下手」と言われるゆえんは、こんな所にある…と、僕は信じている。つまり、全体の流れや動きを、一枚の画面に収められないのだろう。


 ただし、女性の「視点」には要注意。

 男は、妻や恋人が多少髪を切っても気づきもしないが…こんな現場を目撃した事がある。

「これ、アタシのじゃない!」

『え?』

 助手席の、シートに付いた長い髪が一本。あわてているのは彼氏の方。でも…

『どうして自分のじゃないってわかるの?』

『だいたい、何でそんなもの見つけるの?』

 男の僕には理解不能。彼氏の「言いわけ」は、しどろもどろ。


(男性諸君! 『女はこわい』ぞ、要注意だ)。


 でも僕は、異性を意識した時の、女性の関西弁が大好きだ。


「そうか~。やっぱ、むこうじゃ、いわへんのやね~」


(たしか、こんな風に言っていたと思う。僕は「正しい関西弁」を知りません。ゴメンナサイ)。


 僕は関西で、生まれも育ちも関西の、関西在住の女性と再会していた。

 北陸に行ったのを口実に、能登(のと)から琵琶湖をかすめ、僕は西の大都会に入ったのだ。

 そこには、彼女の女友達二人も同席していた。それで彼女は、友達の手前、標準語を使うわけにもいかず、関西弁で喋っていた。

 僕は彼女が、綺麗な標準語を喋れるのを知っていた…と言うより、彼女は僕と話をする時は、標準語しか使わなかった。

 でも彼女の関西弁は…普段はどうなのか、わからないけど…異性の僕を意識してか、まったくもって素晴らしかった。


 古来、日本の文化・文明は、関西方面で発展してきた。「関西弁の方が、日本語本来の響きが残っている」という話を聞いた事がある。


東男(あずまおとこ)京女(きょうおんな)


 上方芸能と関係があるというわけではないけど、そのとき以来僕は、女性の関西弁が大好きになったわけだ。

 流れがとっても綺麗で、ふくよかで、ゆったりしていて、たまらない響きがあって…。


「そうか~。やっぱ、むこうじゃ、いわへんのやね~」


 アイス・コーヒーの事を「(れい)コーヒー」…略して「(れい)コー」。


 その言葉を知ったのは、その時だ。



“photogenic”


『あれ?』


 僕は、のぞいていたファインダーから目をそらし、「生」の被写体を見る。


『うん』


 たしかに彼女だ。僕はピントを合わせるため、再びファインダーをのぞき込む。でも…


『う~ん…?』


 やっぱり、何か違う。たしかに「あの()」だけど、ファインダー越しに見た彼女は、何かが違う。


『?』


 何かに気を取られたのだろうか? チラリと横を向く。そんな仕草(いしぐさ)にも、いつもと違う「何か」がある。


 僕が彼女に向けてファインダーをのぞくのは、これが初めてだ。何の変哲もない全自動(オート・フォーカス)カメラ。特別な事なんて、何もない。なのに…


『どうしてだろ?』


「あの()」と、彼女の友達二人に、そして僕。


 寄り道せずにまっすぐ来ても、片道500キロ。僕は、遠路はるばるやって来た。

 彼女の家の向かいの、小さな公園。みんなで記念撮影をするため、僕はカメラのピントを合わせていたのだけど…。


『どうしてだろ?』


 後に…

「色が白い子のほうが、写り()えする」

 なんて話を聞いた事もあるけど、あの時・「あの()」は、日焼けの茶色。


『なにが違うんだろ?』


 後に、こんな経験をした事がある。

 コンサートやリサイタルの、チラシやポスターの写真。

「たしかに、あなただけど…」

 ぜんぜん違う。写真に修正を入れると、「サギじゃね~の」と言いたくなるほどに、別人になってしまうものだ。


(だから、「お見合い」写真には気をつけた方がいい)。


『たしかにカワイイ()だけど…』


 いっそう()きたって見える。


 映画撮影の時の「カメラ・リハーサル」…略して「カメリハ」。新人オーディションの時の「カメラ・テスト」。どちらも「写り()え」を試すものだけど…

写真うつりの良い(フォトジェニック)」なんて英単語があるくらいだから、そういう人はいるらしい。

 そしてきっと、それはファインダーをのぞいただけで、わかるはずだ。だって…


『すっごくカワイイよ…』


 タイマーをセットした僕は、「あの()」をまん中にはさんだ三人の所に駆け寄る。


(身長が一番低いせいもあるだろうけど、自然とそういった位置関係に落ち着くものだ)。


「ジ~…カシャ!」


“Yes!”


 思わず「こぶし」に力が入る。

 フィルムを現像してみると、そこには…僕のバイクのシートに手を載せ、あの時・あそこで、ニコッとほほ笑んだ、ファインダー越しに見たままの「あの()」が写っていた。


『こういう人もいるんだな』


 僕は、そんな写真の写り具合に大満足だ。


『これだけの()」なら、運が良ければ「シンデレラ・ストーリー」だってあるかもしれない』


 僕はそう思った。でも…


『これは誰にもないしょ。僕だけの秘密だよ』


 だからその一枚は、生涯、僕の大切な宝物のひとつになった。


後記∶自信たっぷりに言わせてもらえば、僕にだってこんな経験がある。


「写真使っても、問題無いですか?」


 高そうなカメラを抱えたその男は、僕だけに向かって、そう切り出す。


「なぁ~んだ。お前だけ撮ってたのかよ!」


 僕の周りを取り囲んでいた「取り巻き」連中(失礼)のひとりが、そう言う。

 僕はとある場所で、仲間数人とタムロッていたのだが、いかにも「カメラマン」といった人物が、こちらにレンズを向ける。

 その他大勢は、思い思いのポーズを取っていたのだが…

『こっちを狙ってる』

 僕はそう思い、わざと渋い表情を保っていた。


 ひと通り撮影を終えたその男は、スタスタと、まっすぐ僕の方に向かって来て、目の前で立ち止まる。

 そして…

「写真使っても、問題無いですか?」

 つまり、「肖像権」に引っ掛からないか?…という意味だ。


(実際、僕はスレ違った記憶も無いが、その頃、同じ大学には、学生時代からモデルのバイトをしていた、後に有名俳優になる男が通っていたはずだ)。


 もちろんYESだが…あの写真、その後いったいどうなったのだろう?

 案外僕は…“photogenic”ではなかったのかもしれない。



“COIN SNACK”


 今ではほとんど姿を消してしまったけど、僕は昔はどこにでもあった、街道沿いの「コイン・スナック」が好きだった。なぜって…

 ホコリまみれの(すす)けた顔で、洗濯はおろか、何日も風呂に入らない汚い格好では…

 雨の降る日。合羽は着ていても、蒸れたり、隙間から入り込んだ雨水で、パンツまで湿っている状態では…

 ハデな皮ツナギ、あるいは仰々(ぎょうぎょう)しい皮ジャン。もしくは、白く乾いた泥飛沫(しぶき)の付くオフロード・ウェアなんて身なりに…

 小脇にヘルメットを抱えていたのでは、綺麗な店に一人で入るのは、かなり勇気がいる事だ。


(そんな僕が、何の気がねも無く、平気で入って行けるのは、「立ち喰いそば屋」と「ラーメン屋」「牛丼屋」くらいのものだ)。


 だから、人目をあまり気にする必要の無いコイン・スナックは、バイク一人旅の僕には、かっこうの休息場所だった。


*札幌のあたり。持参のカップ・ラーメンに水道の水を入れ、備え付けの電子レンジで「チン」した時は大失敗だった。まったく温まらない。

(それでも僕は、ふやかしたソイツを食べた)。


*あれは岩手だったか、宮城だったか…? ある清涼飲料水メーカーの工場の前。そこで経営していたのか、そこの商品名の入ったタオルなどのグッズの販売機。

(僕は、どうせ使うものだと思い、旅の記念も兼ねて、それらを購入した)。


*家までの帰り道。深夜の仙台。お茶を出してくれた管理人さんがいた所。僕はその人の話相手になった。

(と言っても、元来「人見知り」の僕だし、元々「世間話」が苦手な僕なので、眠たい目をこすりながら、その管理人さん…たぶん、定年後の再就職なのだろう…の話にうなずくだけだった)。


*たしか愛知。ゲーム機器の(やかま)しい騒音の中、テーブル型のテレビ・ゲームの画面につっぷして、仮眠を取った事もある。

(まだ元祖TVゲーム、「インベーダー・ゲーム」が残っていた頃だ)。


*夕暮れ近い長崎路。トタン張りの簡素なコイン・スナックで、ひと休み。少々空腹だった僕は、アルミ・パック入りの温かいトーストを食べてから走り出す。

(同類のハンバーガーの自販機と同様、僕はそのシワシワのパンが、案外お気に入りだった)。


*熊本だったと思う。畳が敷いてある一角に上がり込んで、雨上がりの景色を眺めていた。

(何と言う光景でもなかったけど…ナゼか僕は、あの時、ガラス窓から差し込む晩春の午後の日差しが、忘れられない)。


*夜明け前。鹿児島の海沿いの国道。開口部のフタの壊れた「うどん」の販売機の前で、その出来上がり具合を眺めていた。

(エレベーターが降りて来るように、残り時間を知らせるランプが上から下に点滅するのだけど、すべては一ヵ所で行われている事を、そのとき初めて知った)。


 そんなこんなで、僕の旅は「全国コイン・スナック行脚(あんぎゃ)」と言えなくもないものだった。


 でもたぶん、コンビニが登場し、その増殖に押されるように、コイン・スナックはどんどん姿を消してしまい、現在僕が住んでいる地では、その姿を見掛ける事は、まったくと言っていいほど無くなってしまった。


 だが近県では、どういう訳か、厳しい条例で性風俗が規制されている県と、教育県などと言われているその隣県には…数はかつてほどではないが…コイン・スナックが(ただし、ほとんどがゲーセン兼だが)存在しているのだ。

 それがナゼなのか、僕にはわからないけど…。



“It Is Convenient!”


 店の前の街路樹の脇に置かれた、白いベンチ。そこに座って、僕はその店で買ったパンを食べていた。

 大きな交差点の角にある店の前。ここの歩道は、大きく湾曲して張り出した三角地帯を形成し、その店の前には、街中だというのに、かなり広いスペースがあった。

 バイクで乗り入れて、長時間駐車していても、歩行者の(さまた)げにはならない。

 九州最大の都市。その都会のドまん中だったけど、ちょうど昼休みが過ぎた頃。人通りも少なく、妙にノンビリした空気が漂っていた。


“It Is Convenient!”


 便利な世の中になったものだ。

 僕がひとりで各地を回り始めた頃、初めて日本にコンビニが登場した。

 深夜に知らない街に入ると、コンビニの明かりばかりが目についた時期もある。

 終日営業のコンビニには、レースをやっていた頃も、たいへん世話になった。今では、よほど山奥にでも行かないかぎり、コンビニの一軒でもあるのが当たり前だ。


『どこかでコンビニに寄って…』


 だいたい僕は、ひとりでは、知らない店になど入れない人間なのだ。

 慣れない所では、妙に居心地が悪くて、キョロキョロしてしまう。遠慮がちにコソコソしていたのでは、「味もわからない」まま、そそくさとその店を後にする事になる。


『コンビニで、弁当でも買ったほうがマシだ』


 それに、特に夕食後は、その場でゴロリと横になりたい人間なので、食べた後に帰らなくてはいけない状況では、「食べた気がしない」のだ。


(男性の婚姻率の低下に、コンビニの存在を指摘する声もあるが、事実その一因にはなっていると思う)。


『コンビニで、おかずを買って帰ればいいや』


 そんな僕だから、今でも…そして海外に行っても…たいへん重宝している。


“It Is Convenient!”


 でも…こんな思い出がある。


 今は昔。東北の太平洋岸。すっかり暗くなった頃、とある小さな街に差し掛かる。

「え~と…」

 僕はキョロキョロしていた。今日はまだ、夕食の材料を調達していなかった。ずっと暗い夜道が続いていたからだ。

 このあたりで何とかしておかなくては、この先、どこまで行けば開いている店があるかわからない。

『ん?』

「コンビニエンス・ストアー」なんて、店の横壁に、ペンキで大書きしてあったけど…普通の食料品店だった。とにかく…

『助かった』

 そこだけ煌々(こうこう)と、明りがついてる。まだ夜の8時前だったけど…あたりは真っ暗で、どの店も店仕舞いした後だった。だから…


“It Is Convenient!”


 たぶん、このあたりでは、午後8時でも、じゅうぶんコンビニエント。でも、営業時間は「PM8まで」。


 いそがなくちゃ!



“SOUP” ー岐阜県・中津川ー


 その高速道路の中間地点まで、あとひと走り。

 こちら側の、最も標高の高い所にあるトンネル。そこまでもう少し…という所でだった。

 電光掲示板には、「事故通行止め」の表示が示されていた。

 夏だったが、夜間、標高が高く、おまけに所々霧がかかった天気。「肌寒い」を通り越した気温だった。


 そのトンネルの、一つ手前のインターチェンジ。

 すべての車両は、否応無しにここで降ろされる。反対側の入口には、トラックが列を作って並び、開通を待っている。

 エンジンをアイドリングさせたまま、仮眠を取る者。

 室内灯(ルーム・ランプ)()けて、マンガや雑誌を読んでいる者。

 車から降りて、顔見知りや仲間達と雑談している者。

 みな思い思いにヒマを潰している。


 僕はそんな光景をよそに、料金所を出ると、このあたりでは高速とほぼ平行して走っている国道を、左に折れる。

 来る時も、やはり深夜の、ちょうどこの時間の頃に、このあたりを通過していた。

 僕は、そのインターのすぐ近くに、赤地に黄文字のラーメン屋の看板(ネオン)が見えた事を憶えていた。

「寒さ」と、軽い「空腹感」を覚えていた僕は、そこを目指した訳だ。


 今回は「旅行」という訳ではなかったけど、ちょっとした用事があって片道700キロの道程(みちのり)を走った僕は、帰路の途中だった。

 夕方近くに目的地を出発した僕は、まだ帰り道の半分程度しか走っていない。


 そこには、トラックでも入れるほどの広さを持つ、砂利敷きの駐車場があった。

 店のすぐ前に乗り入れた僕は、その店に入る。

 ちょっと薄暗くなった照明。

 油の染み付いた壁や天井。

 貼ってある献立表(メニュー)も、少し薄汚れている。

 奥には、ラーメンと、ギョウザか何かを食べているトラック・ドライバー風の男が一人。

 カウンターを出たばかりの所にあるテーブルには、白い割烹着を着た、かなり年配のおばさん…と言うより「おばあちゃん」と言った方がふさわしい…が、テーブルの上に置いた両腕に、顔を埋めていた。


 僕の気配を感じたのか?

 僕が声を掛けたのか?

 僕はよく憶えていないが、とにかく僕は注文(オーダー)を入れる。

 おばさんは眠そうに、面倒臭そうに、厨房に入る。

 いつ開通するかわからないし、僕はアセっても・急いでもいなかった。


 おばさんは僕にラーメンを出すと、無言のまま元のテーブルに戻り、僕が入って来た時と同じ格好でつっぷした。

 出て来たラーメンにはなみなみと、たっぷりとスープが入っていた。具が多いという訳ではないのだが、上からのぞき込んでも、麺の姿は見えない。


『さて』


 僕はハシを取る。でも…

 妙に静かだ。

 奥にいる先客は、まだ食べている。

 でも、妙に静かだ。

 外部から耳に入って来る音は、彼のラーメンを(すす)る音だけ。


「ズズズーッ…」


 僕もラーメンを(すす)る。でも…


「!!!」


 僕はあまり味にうるさい方ではないが、はっきり言ってマズかった。


(否。食べ物に関して、「うまい・まずい」という表現は適切ではない。ただ、僕の口に合わなかっただけだ)。


 でも僕は、スープ一滴残さず食べた。


 インターチェンジに戻ってみると、高速はすでに開通していた。

 加速レーンを駈け上がる。次々に飛び去って行く照明灯の光。その時、フト頭をよぎったのは…なみなみ入ったスープに浮かぶ、ニンジンの赤。


 それが今でも妙にはっきりと、頭にこびり付いている。そんなラーメンだった。



“CAFEー2” ー横浜ー


 前にも書いた事があるけど…僕は店仕舞いした後の、静かな店内が好きだった。


「新しいの、入れ直すよ」

 彼は()りたてのコーヒーを、僕達にオゴッてくれる。

 総勢六名。僕達は横一列に並んで、カウンターに腰掛けていた。

 カウンターの中の彼は、この時間、店を(まか)されていたので、シェードが下ろされた店内には僕達だけだ。

 僕達は全員…もちろんカウンターの中にいる彼はのぞいて…皮ツナギの上に厚手のジャンパーという出で立ちだ。


 普段は、ほとんど人とツルんで走らない僕だったけど…その日は珍しく、集団(マス)ツーリングを走った後だった。

 僕が一応名を連ねていたツーリング・クラブの、定期ツーリングだ。

 僕は、そのクラブのリーダー格の男と顔見知りだった。旅先で知り合った、同い年の男だ。それでいつの間にか勝手に、そのクラブのメンバーにされていたのだ。

 でも、彼やその仲間達とは、なかなかに気があったので、毎回というわけではなかったが、ツーリングやクリスマス・パーティーなど、機会があれば参加していた。


 今日のコースは、「峠越え」のコース。僕以外の全員が、「黄線(イエロー・ライン)はみ出し」で捕まるなどのハプニングはあったけど…


 峠の手前の短い直線。

 前を走る仲間達は次々と、ヒラリとバイクを右に倒しては、遅い四輪車を追い抜いて行く。

 しかし後駆(シンガリ)を走っていた僕は、対向車が来たため、皆について行くのを断念。

 でもそこは、そういった類いの違反が多いのか、無線による検挙を行っていたのだ。

 峠手前の空地に、全員並んで立たされている姿は、今でも忘れられない。

 そんな彼等を横目に、僕は一人ゆうゆうと、一足先に「峠の茶屋」へと向かった。


…僕以外の全員が暮らす街に帰ってきて、今日は欠席したメンバーがバイトする喫茶店に、閉店間際に押しかけていた。

「あ~うまい!」

 冷えた身体に、熱いコーヒーは最高だ。僕達は最初、黙ってコーヒーを(すす)る。


 バイクに乗っていると、快適な時期というのは、ほんのわずかだ。

 雨も降れば風も吹く。

 真冬の寒さよりはマシだけど、真夏の暑さは見た目ほど爽快じゃない。

 梅や桜が咲き始めるこの季節だって、バイク乗りには「春まだ遠い」といった感じだ。


 熱いコーヒーに、暖かな室内。やっと身体がほぐれてきた。

 僕は貸し切り状態の静かな店内を見回して、妙にリラックスしていた。僕は店仕舞いした後の、静かな店内が好きだった。

 もしかするとそれは、僕の幼児期の原体験みたいなものと関係があるのかもしれない。

 僕の家族は、祖父母と同居だった。祖父母は商売を営んでおり、僕達の住居は、店舗といっしょになった家だった。

 だから、明りの落ちた静かな店内を、いつも内側から、当たり前のように見て育ったのだ。そして店舗から一歩中に入れば、一家の団欒(だんらん)の場がある。

 きっと、そんな風にして育った僕の生活環境が、仕事の終わった後の店内に、何か特別な感情を抱かせるのだろう。


 夜もだいぶ更けた頃、僕達はきちんと戸締りをして、その店をあとにする。


 僕は襟元(えりもと)袖口(そでぐち)などに特に気を遣って、身支度を整える。

 僕は冬場のツーリング用に、高価な冬山用のダウン・ジャケットを買って失敗した事がある。ブ厚いダウンだったけど、山歩き用の物は発汗性も考慮してある。風に(さら)されるバイクでは、あちこちからすきま風が入って、あまり暖かくないのだ。

 バイク乗りの防寒着としては、薄手でも、スキー用の物がいい。風の侵入に気配りがされているからだ。


(それに「バイク専用」の物より、安い物が出回っている)。


「ここまで来るだけでツーリングなんだよ」


 初めてここの連中…中には女の子もいたけど…に会った時、僕はそんな風に紹介されたはずだ。

 僕はクラッチを切ってギヤを入れてから、右手を上げて最後の合図を送る。まだ少なくとも、一時間は走らなくてはならない。


 でも僕にしてみれば、ほんの「ひとっ走り」の距離だった。



“SHIP”


 船内はちょっと蒸し暑く、寝苦しさに早くに目を覚ましてしまった僕は、涼みに甲板に出る。

 僕が甲板に出ると、綺麗な朝焼けが始まっていた。


 船は今、横長の島の沖合を通過しているところだ。

 海から綺麗に立ち上がった島。所々にポツン・ポツンと人工の明りが見えるが、真っ赤な朝焼けを背にしているので、島全体は濃い灰色のシルエットだ。たぶん、ロケット発射場がある島だ。

 僕は、いつか必ず・そのうちきっと、その壮大な、おそらく日本で最も高価な「打ち上げ花火」を見たいと思っている。


 でも、あいにく今日は雲が多くて、海からの日の出は見られなかった。

 僕は船内に入って、自分の指定席に戻る。

 慣れた航路の慣れた船。今回も、デッキに近いガラス張りの場所に陣地を取った。

 本当は客室ではないのだが、混雑するこの時期なら、誰にも文句は言われない。

 ここは僕のお気に入りの場所だ。僕は乗船するやいなや、一目散にこの場所を目指した。


 バイクは、フェリーの船倉の両端に駐車するため、最初に船に乗り入れる事になる。

 それで、一番に船室に入れるのだ。だから二等船室なら、自分の気に入った場所に、無料で貸してもらえる毛布と枕を広げ、まっ先に自分のヤサを確保する事が可能な訳だ。


 でも、たまには手違いもある。

 ある航路で、車やバイク以外の乗客が大勢、先に乗船してしまった事があった。

 僕が客室に入った時にはすでに、二等船室はほぼ満杯の状態だった。通路にあふれている客もいた。

 そこで僕は、もしかしたら二等寝台が解放されるのではないかと思い、二等寝台の入口の前で、丸めたシュラフの上に座っていた。

 そして案の定、そこのドアが開けられた。僕はまんまと、二等の料金で、二等寝台に潜り込んだ。

 あの船では珍しく、海面に自分の姿を映し、双子星のように海から昇って来る、大きな太陽を見る事ができた。


 船には色々な思い出がある。


*隣り合わせた、帰省途中の父子連れ。

 幼稚園生の男の子と、バイクごっこをしたり、ずっと遊んでいたっけ。


*出港を待つソロ・ライダーが三人。

 向かいのマス席には、頭の変な痩せた中年男。アル中なのか、はたまたアブナイ薬でもやっているのか、船内放 送を僕達の話し声だと思い込み、さかんに文句を言ってくる。


*スシ詰めの二等船室。

 ハズレの方の、本来は通路なのだろう、二人分の幅しかない場所に押し込められた僕。

 隣りには、ちょっとハデ目な女の子二人連れ。言葉を交わす事も無く29時間。息苦しくて疲れた。

 東京の南の島への外洋航路。海が荒れて船が揺れ、軽い船酔いだったのが、かえって幸いした。


*屋外のテント張りのベンチで、遠くを眺めていた。

 雨で煙って何も見えなかったけど、吹き込む雨より、新鮮な空気が欲しかった。荒れた海に、僕は酔いそうだっ たから…。


*けっきょく僕は、フェリー待合所のベンチで、一夜を明かしてしまった。

 空には一面、綺麗な星が出ていた晩なのに、海が荒れていて、船は一晩中欠航していたからだ。他の港もあった が、どれかに乗らなければ帰れない。ずっと待ち続け、そして夜が明けてしまっていた。


 早朝の(まぶ)しい陽射しの(もと)

 船と岸壁を(つな)ぐラダーが水平になったところで、合図と共に、僕はフェリーに滑り込む。蝶番(ちょうつがい)で折れ曲がるようになっているラダーだ。

 でも、タイミングを(はず)すと、垂直に立ち上がるくらいに、まだ海は荒れていた。ただその周期は一定していたので、係員の合図で乗船となったのだ。


*船に乗り込むやいなや、僕は熟睡の極みだ。

 わずか数時間だけど、徹夜で走ってきた旅人には、ちょうど良い仮眠が取れる。僕はそれを見越して、ここまで ガンバッテ走って来たのだ。

 ここの航路は、本土と北の大地を結ぶ「道」だ。絶対に乗らなければならない。


 船には色々な思い出がある。


 二等船室の、薄いフエルト張りの床に耳をつけると、航海のあいだ中、ずっと鳴り続けている振動と騒音。

 客室にだって、かすかに漂う重油の臭い。


 僕は大きな船が、大好きだ。


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