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(INTERMISSION Ⅰ)

“FULL FACE”


“HELMET”


“tune the RADIO”


“FULL FACE” ―東北―


 僕は左手に海を見ながら、北に上っていた。『そろそろ休もう』と思うのだが、手頃な場所を物色しつつも素通りしてしまい、もうかなりの時間、走り続けていた。

 フルフェイスのヘルメット。シールドを上げたままの僕の顔は上からの真夏の太陽と、下からのアスファルトの照り返しで、ヒリヒリしてきた。


 僕の悪いところは、いったん走り出すと、生理的欲求が限界まで達しでもしない限り、なかなか止まれない事 だった。それに事前の下調べもせず、ロクに地図も見ないで走っていたから、「そこまで行って、どうしてあそこに行かなかったんだ」なんて言われる事も、しばしばだった。

…北海道の北の端まで、一日半でたどり着いた。

…九州の南の端から、高速も使わず、二日半で帰って来た。

 僕の部屋に貼ってあった日本地図には、僕がたどった黒いマジックの線が増えていった。

 そんな風に走っていた時期もある。


 でも、前しか見ないで走っていると、せっかくの景色を、半分しか楽しんでいない気分になる時もある。たまには立ち止まって振り返り、いま来た道を引き返してみるのも悪くない。上りなら下りになるし、正面から照りつける太陽が、今度は背後から照らしてくれる。山陰や物陰に隠れて見えなかったものが、反対から来ると見える事もある。

 問題は、いつ・どこで引き返すかだ。でも、なかなかフンギリが付かないのも確かだ。「どれだけ多くの距離を・どれだけ沢山の道を走ったか」という事を、至上の命題としていたような、あの頃の僕にとっては…。


 小学校も高学年の頃。クラスの中で、自転車の「スピード・メーター」が流行った時期がある。

 下り坂で、どれだけスピードが出るかを試したものだ。そしてそのメーターには、「積算計(オド・メーター)」も付いていた。中には自転車を逆さまにして、タイヤだけを回している奴もいたけど、皆どれだけ走ったかを競い合った。


 初のバイクでの泊りがけのツーリング。

 東北地方を二泊三日で走り抜けた僕の顔は、フルフェイスの開口部通りに、四角く日焼けしていた。



“HELMET”


「これ、あとで食べてね」

 そう言って、そのおばあちゃんは、僕が片手に提げていた物の中に、数個の「みかん」を詰め込む。

 ちょうど、人間の頭ほどの大きさ。カバーは掛けてあったけど、大きく開いた開口部。

「そ・そんな…いいですよ」

 と言う間も無く、コロコロと、簡単に転がり込む。

 ここは、私鉄の駅のホーム。地下連絡通路の、上りの階段。そこを、一段一段登っていたおばあちゃんの「手押し車」を持ってあげたのだけど…

「かえって済みません」

「みかん」をもらってしまった。


 僕が手に提げていたのは「ヘルメット」。電車に乗るのに、何でそんな物を持っていたのか…事故ったり、故障したわけじゃない。

 僕はこの後、旅先で知り合った連中数人と、街で再会する事になっていた。その中の一人に、このヘルメットを譲る事になっていたからだ。


 中学一年でレーシング・カートに乗り始めて以来、今まで僕は、様々なヘルメットを被ってきた。


フルフェイスにジェットヘル。

(正式には「オープン・フェイス」と言うそうだ。ちなみに、あいにく僕は「おわん」型は大嫌いなので、トライアル用の「半キャップ」以外、一度も手にした事が無い)。


 オンロード・タイプにオフロード・タイプ。

 日本製、アメリカ製、イタリア製、フランス製。

(外国製のヘルメットは、日本人である僕の頭形に合わない物もあったが、ライディング装備(ギヤ)に関しては超ミーハーだった僕。ガマンして被っていた事もある。でも、外国製の多くは、ヘルメット本体がダメになる以前に、交換用のシールドが手に入らなかった。それで、シールドがキズだらけになったところで、手放すのが常だった)。


 そんな僕の最初のヘルメットは「H・A」。


(今でこそ世界の“Arai”になったけど、当時はまだ、パンフレットに「新井広武商店」なんて文字が入っていた)。


 そいつは、ジェットヘルに、仮面のようなフェイス・ガードが付いた物。フェイス・ガードを下ろせばフルフェイス・ルック。はずせばジェットヘルに早変わり。

(「バイク通」になら、「BMWの純正ヘルメットみたいな感じ」と言えば想像がつくと思う)。


 でも僕は、本当は本物のフルフェイスが欲しかった。なんたって僕は、フルフェイスのヘルメットが大好きだったから…。


 今では、フルフェイスなんて当たり前のような時代になったけど…当時はまだ、出始めの頃。

 その数年前に封切られた、「スティーブ・マックイーン」氏の名画『栄光のル・マン』の登場人物の中に、一人だけ、フルフェイスのヘルメットを被っているレーサーがいた。

 コスプレ大好きだった僕は、その宇宙帽のような形に、憧れにも近い感情を抱いたわけだ。

(だいたいバイクに乗っている人間なんて、コスプレ大好きに違いない。片手にヘルメットを提げていなかったら、あんな派手な皮ツナギや皮ジャンで、街など歩けない)。


 小学生だった僕は、ステッカーを買いにカー用品店を訪れては、ヘルメットの試着をし、それを被る日を想像しては、ひとり悦に入っていたものだ。


 あれ以来…あの初めてのヘルメットを手にして以来、僕の所有したヘルメットの数は、優に20~30個には達しているはずだ。

 今でも、あの最初のヘルメットの内装の匂いを思い出す。そこにあるのは、期待・興奮・憧れ…

(持って生まれたものか? 原初の記憶か? とにかく「匂い」というものは、人の感覚に作用し、感情を刺激したり、記憶を呼び覚ましたりするものだ)。


 でももう、今の“Arai”に、あの匂いは残っていない。



“tune the RADIO”


「ガーガーガー・ピー!」


『チェッ!』

 僕は顔をゆがめながら、ユックリとダイヤルを回す。


『なんか入らないかな…』

 夜のこの時間のAMバンド。聞こえてくるのは、意味不明な、たぶん朝鮮語ばかりだ。

「日本にいるスパイに暗号を送るため、夜になると出力を上げるからだ」なんて話を聞いた事があるけど…たしかに夜間、日本国内にあっても、都会から離れた所にいると、聞こえてくるのは大陸からのものばかりだ。


「ガーガーガー・ピー!」

 普段は、テレビはおろか、ラジオだってめったに聞かない僕だけど…


(僕が好んで聞くのは「AM810」。音楽が流れている時の、「AFN」∶“American Forces Netwok"=「アメリカ軍放送網」…旧「FEN」∶“Far East Network"=「極東放送」だけだ)。


『日本のFMは、お喋りが多くてFMの意味がない』なんて思っている僕だけど…


(まだFMといえば「NHK」しかなかった頃、沖縄には「FEN」のFMが流れているというので、わざわざFMも備えた小型携帯のラジオを買った)。


 そんな僕だけど、無性にラジオが聞きたくなる時がある。そんな時は、つけっ放しだ。

「そんな時」とは、どこかで、たった一人、野宿やキャンプをしている時。要するに、人の話し声が聞きたくなる時だ。


「ガーガーガー・ピー!」


『どうしてわざわざ、こんな事してるんだろ?』

 なかなかチューニングの合わないラジオに、多少のイラだちを覚えてきた僕は、そう思う。


『都会にいれば、こんな事はない?』

 たしかに、「都会の孤独」を語る奴は多い。


『こんなに大勢の人間がいるのに、僕は誰ひとり知らないし、僕のことを知っている人も、誰ひとりいない…』

 ひとり都会で浪人していた二年間。そんな毎日を過ごした。でも、ただ人がいるというだけで、安心感があるものだ。でも…


『今ぼくは、この場所にたった独り』

 すぐ近くには、誰もいない。「都会の孤独感」とは質が違う。はっきり言って、「都会の孤独」は各個人の問題だ。誰のせいでもない。でも…


『どうしてわざわざ、こんな事してるんだろ?』

 好きでやっているはずなのに、こんな時には、いつも考える。


『きっと僕は「孤独」が好きなんだ』

 昔からそうだった。「孤独」を楽しむようなところがあった。たぶんそれは、生まれた時から備わっていたものだ。


 子供の頃、まだ幼稚園にもあがらなかった頃だと思う。今でもひとつだけ、はっきり憶えている情景がある。父親と外出した時の事だった。

 父といっしょに歩いていた僕は、フト、立ち止まりたくなった。

 父の後ろ姿は、どんどん遠ざかってゆく。

 あの角を曲がったら、父の姿は見えなくなる。

『ひとりぼっちになっちゃう…』

 そこで、夢中で走り出す僕。

「不安」。「焦燥」。そして「孤独」。

 でも、そんな心の奥底から滲み出てくるような感情…もちろんあの頃は、それが何なのかわからなかったが…それが僕は大好きだった。一度おぼえたら、もう病み付きだった。よく、そういう遊びをしたものだ。

 両親は気づきもしなかったろうけど…虫とかそういったものに気を引かれて、歩みを止めていたわけじゃない。僕はそういう子供だったんだ。


(たぶんこれは、「いないないバア!」の心理学に通じるものだ。赤ん坊に向かって「いないない…」と言って顔を隠すと、不安気な表情になる。次の瞬間、「バア!」と言って顔を見せれば、ケタケタと笑い出す。普通一般の赤ん坊の反応だ。でもその中には、「喪失と再生」の心理的・精神的作用が働いていると言う。不安感からの開放。安心感の獲得。それが心に心地好いから喜ぶ…なるほど。たしかに、そうかもしれない。だからたぶん、僕みたいな感情は、誰にだって、多かれ少なかれ備わったものなのだ)。


 だから時として、僕の心は「孤独」を求めてくる。「孤独」が不足してくると、たぶん僕は旅に出たくなるのだ。


(ハナから目的が異なるのだから、一般の観光客と違い、いわゆる観光地に興味が湧かなかったのも当然なのだ)。


 でも「平凡な日常」「退屈な人間関係」の中にあって、『独りになりたい』なんて思って出かけた旅先で、思いがけない「出会い」や「発見」がある事も事実だ。


(だいたい、『孤独』は誤解されている。それについて、多くを語る人間がいないからだ。

 別に「孤独好き」は、「特殊な事」でも「人間嫌い」でもないのだ)。


 その日知り合ったばかりなのに、同じ宿の同じ部屋に泊まったなんて事も、一度や二度じゃない。


(あいにく女性とは、一度もそういう事はないけど)。


 こんな事があった。

「いっしょに走ってくれませんか?」

 僕より少し年下の男の子。

 この春、高校を卒業し、初の単独行の初日。夜も更けたコイン・スナック。シュラフだけは持参しているそうだが、心細そうな顔をしている。もう旅に出て一ヶ月以上たっている僕の姿は、きっと彼の目には、とっても心強く映ったのだろう。

 それからしばらく走り、僕達は、横断陸橋の下に、今晩の宿を定めた。翌日は途中までいっしょに走り、別れた。まさに旅は『一期一会』。そんな瞬間があるものだ。

 その後、彼はどんなライダーになったのだろう?


 こんな事もあった。

「いっしょに酒でも飲みませんか?」

 僕はお隣りさんに、そう誘われたのだ。でも、「明日は早いので」と言って断った。まだ旅に出た初日の晩。まだ「孤独」が、じゅうぶんに不足していなかったのだ。

『悪いことしたな…』

 断った後で、多少の後悔の念が残る。彼は今日、山から下りて来たそうだ。きっと人恋しかったのだろう。悪い事をしてしまった。

 洞窟のようなトンネルを抜け、雄大な山々と、綺麗に澄んだ川のある、高原のキャンプ地での事だった。


「~、~」

 やっとの思いで、かすかに日本語の放送が入った。でも、これだって、電波やラジオの感度の問題で、いつまで続くことやら…。

「ザーザーザー」という、ノイズまじりのAM放送。でもかえって、とっても人恋しさが募るんだ。


「こんな気持ちになったこと、あるかい?」


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