To North ―北へ―
To North ―北へ―
※ “coke” ー福島県・喜多方ー
※ “FRISBEE” ー福島~山形ー
※ “bass drum” ー青森県・津軽ー
※ “SLIP DOWN” ー北海道・洞爺湖畔ー
※ “corn” ー北海道・内陸部ー
※ “fishing” ー北海道・太平洋岸ー
※ “STUCK” ー北海道・太平洋岸ー
※ “SHOOTING STAR” ー北海道・内陸部ー
※ “MOON” ー北海道・太平洋岸ー
※ “CAFE” ー網走ー
※ “beer” ー北海道・オホーツク海沿岸ー
※ “TENT” ーサロマ湖ー
※ “pass each other” ーオホーツク海沿岸ー
※ “WILD5” ー稚内ー
※ “kiss” ー礼文島ー
※ “Shieled” ーサロベツー
※ “MOON LIGHT” ー留萌ー
※ “DAWN” ー渡島ー
“coke” ―福島県・喜多方―
まだ初日だというのに、僕のバイクは、あるラーメンで有名な町を抜けたあたりで…そんな所は、全国各地にあるのだろうけど…再びパンクに見舞われた。
幸いそこは、夏の緑葉を纏った木々が生い茂る、神社の前だった。パンク修理を終えるまでの間、夏の陽射しを遮るため、僕はバイクを境内の端に押し入れた。陽は高く昇り、真上から夏の陽射しが照りつける。午後の早い時間だった。
7月30日、日曜日。例年より十日も遅く、やっと梅雨が明けた。最近の長期予報では、今年の夏は「冷夏」だと言っていた。梅雨明けの遅れが、冷夏にいっそうの拍車をかけた。僕は、本格的な夏の到来を待っていた。今年の夏は、北を目指して旅立つつもりだったから…。
8月5日、土曜日。そそくさと準備を整えた僕は、北を目指して旅立った。
木々の間を通り抜けて舞い降りる
夏の陽射しはキラキラと
ここに棲む妖精のようだ。
ここに到着する前、僕は、あるお城を見物した。「福島県 会津若松市」にある「会津若松城」=別名「鶴ヶ城」。
「戊辰戦争」の時に、城が焼けていると勘違いした若い兵士たちが、集団自決した話で有名な場所だ。
駐車場に戻ってみると、荷物を満載した僕のバイクは、無残にも横倒しになり、ブレーキ・レバーは、根元の所でポッキリ折れていた。
よく見ると、リア・タイヤのエアーが、すっかり空になっている。僕のオフロード・タイプのバイクは、サイド・スタンドしか付いていない。つまり、パンクしたリア・タイヤは、僕がお城を見物している間、徐々にエアーが抜けてゆき、その分だけサイド・スタンドとは反対側に傾き、倒れてしまった訳だ。
その場で一応パンク修理はしたのだが、一度パンク修理剤の入ったチューブに、安物の自転車用のパッチでは歯が立たなかったようだ。ほんの数十キロ走ったあたりで、リア・タイヤがヨレ出したのだ。
少一時間後、僕はパンク修理を終えた。日陰にいたとはいえ、真昼の真夏の暑さの中で、喉の渇きは限界点に達していた。道路の向かいに酒屋がある事は、最初から知っていた。でも僕は、パンク修理が終わるまで、ズーッとガマンしていたのだ。
『こういう時は炭酸系。コークにしよう』
それは、パンク修理をしている時から、決めてあった事だ。僕は道路を横断して自販機に向かい、缶コーラを買う。
「プシュッ!」と少気味よい音をたてた缶に、僕はたまらず口を着ける。でも…
『?』
口先に当たる、液体ではない固体の感触。
僕は夏場、金属製のコップに溶かしたカルピスを、冷蔵庫の冷凍室に入れ、表面がうっすらと凍ったところで飲むのが好きだった。
急に暑くなったので、温度設定を誤ったのだろう、そのコークは、表面がうっすらと凍るくらいに冷えていた。
「うまい!」
後にも先にも、表面が凍ったコークを飲んだ事も、こんなにおいしいコークを飲んだ事もなかった。
「動かなくなった機械など、ただの鉄クズ」と化していた僕のバイクは、キック一発息を吹き返し、僕たちは北に向かった。
でも…TO BE CONTINUED!
“FRISBEE” ー福島~山形ー
僕は決心した。
車載工具以外、ロクな工具を持っていなかったけど、三度目のパンクに見舞われた時点で、リア・タイヤを外してチューブを交換する事にしたのだ。
そこは一応国道だったが、国道とは名ばかりで、峠に近いこのあたりは、未舗装の、モロ林道だった。
ここのすぐ手前で僕は、かなり長い時間、足止めを食わされた。道路工事のため、一時間以上に渡って、一部の区間が上下線とも完全に通行止めになったのだ。
こんな所を走っていると、時々そんな事があった。でも僕は、別にアセル必要も、先を急ぐ用事も無かった。
僕は待たされている間、アリンコとシャクトリ虫の対決を眺めていた。たぶんアリンコが、そいつをエサにしようと、シャクトリ虫に勝負を挑んだのだ。
僕は足元で展開される『真昼の決闘』に気づき、それを傍観していた。最初は優勢だったアリンコだが、たぶん触覚をやられたのだろう、突如狂ったようにグルグルと回りだし、戦線から離脱してしまった。
その後シャクトリ虫は、身体を上下にクネらせながら、悠々と去って行った。
もうかなり、陽が傾き始めた時間だった。夏とはいえ山の上。それに太陽は、この場所を越え、山の向こう側に沈んで行く。残された時間はあまりないし、道具も不十分だ。僕はアセッた。足場の悪い砂利の上。そこで、サイド・スタンドしか付いていないバイクの、リア・タイヤを外さなくてはならないのだ。
そこに、先ほど足止めを食っている間、言葉を交わした親子連れの車が差しかかる。減速し、運転席の窓を開けたお父さんが声を掛けてくれるが、迷惑をかけてはいけない。さも景色でも眺めているといった風を装い、軽く会釈をしてやり過ごす。
たしかにそこは、緩い上りの左カーブの外側で、見晴らしが良かった。
折り畳み式の空気入れを伸ばし、サイド・スタンドの反対側に噛ませ、リア・タイヤが浮いた状態でバイクを固定する。そして、やっとの思いでタイヤを外したところで、用意してあった新品のチューブを取り出す。でも…
『?』
封を破いて取り出したチューブを見て、僕は我が目を疑った。袋の中から現れたソイツは、僕のバイクに合わない事は一目瞭然だった。袋に表示されているサイズを見ると、「8インチ」と記されてある。僕のバイクのリア・タイヤは「18インチ」だ。
『なんてこった!』
僕はバイク屋さんで手渡された新品のチューブを…貼ってあった表示も確かめずに、荷物に詰め込み…後生大事に、ここまで運んで来たわけだ。
『ツイてね~や…』
木々が生い茂った下界を見下ろし、溜め息ひとつ。でも、天気の良い夏の日没前は、西陽を背にしていると、キラキラと色々な物が輝いて、なかなかに綺麗だ。
そして、悪い事とは知りつつも、僕はソイツを、空に向かってフリスビーのように放り投げた。キラキラと輝きながら回転したソイツは、すぐに森に吸い込まれた。
僕は山道を、ユックリと下って行った。道は未舗装なうえに暗くて狭いし、それ以上に、こんな山奥の闇の中でのパンク修理なんて、まっぴら御免だからだ。
(けっきょく僕は、その後もう一度、安物の自転車用ツギアテで…さらに細心の注意を払って…パンク修理をするハメになった)。
山をかなり下って舗装路に出て、バイクごとそっくり中に入れるような「バス待合所」の小屋で、今晩を明かす事にした。こういった「バス待合所」は、僕の定宿だ。時には先客がいて、他を当たらなければならない事もある。
翌日、ヨタヨタと走って、隣の県の県庁所在地に着いた。ディーラーを探し当て、ピッタリのサイズのチューブを買った僕は、国道の脇でバイクを横倒しにして、五度目の修理を行っていた。
真夏の太陽が放つ熱で、アスファルトが溶け出しそうな暑い日だった。
“bass drum” ー青森県・津軽ー
『あれ?』
むこうに、小さな田舎街のメイン・ストリートが見える。
「ド~ン! ド~ン! ド~ン!」
伝わってくる重低音。
『こんなとこでも、やってるんだ…』
この近隣の住人、全員が繰り出したのではないかと思えるほどの人だかり。
「ド~ン! ド~ン! ド~ン!」
バイパスと呼べるほどの道ではなかったが、その集落をパスする新しい道。旧道とこの道の間には、視界をさえぎる物は何もない。
『それも、こんなまっ昼間から…』
僕はバイクを止めて、しばし、その行列に見入ってしまう。
「ド~ン! ド~ン! ド~ン!」
『ねぶた祭り』の定義を、よくは知らない。でも、山車や太鼓は、テレビで見た「ねぶた」のそれだ。正確な期日は知らないが、時期的には、青森市内で開催されるのと、同じ頃だと思う。
『へえ~、なるほど…』
本当の最果ての地より、「最果て」という感じのする所。演歌でも有名な「竜飛岬」の、突端の灯台からの帰り道。まだ、岬をグルッと回る道ができておらず、来た道を引き返しているところだった。
「ド~ン! ド~ン! ド~ン!」
今まで見た事もないような、大きな太鼓から繰り出され重低音。ホント、「腹の底」に響いてくるようだ。
「ん~!」
唸ってしまう。
(重低音には、人の心を酔わせる効果があるらしい。ロック・コンサートの開演前などに、低音の効いたBGMを流しているのは、そのためだ。しょっぱなからノリノリで行けるように、開演までに観客の気分を高揚させておくのだ)。
「ド~ン! ド~ン! ド~ン!」
子供の頃は大好きだった夏祭り。でも、大人になってからの僕は、「祭り見物」というものにあまり興味が持てない。どうも、あの人混みがいただけない。生家の近所の「夏祭り」にすら、顔を出さなくなって久しい。
(もっとも、地元の小さな祭りなんて、子供の社交の場。もうそんな年じゃない)。
『…』
僕は、そのユックリとした行列が過ぎ去るまで、「小休止」と言うには長すぎる時間を、道ばたで過ごした。
「ド~ン! ド~ン! ド~ン!」
「祭り」の規模も、山車や太鼓の大きさも、本場の本物とは比べ物にならないのだろうが、とにかく何だか得した気分だ。でも…
『さて、そろそろ行かなくちゃ』
今日の出発点まで戻らなくては、新しい道が始まらない。
(注:後に出会った青森出身の女の子の話によると、青森市内で開催されるものを「ねぶた」と言い、同時期に各地で催されるものは「ねぷた」と呼ぶそうだ。ただ、「ねぶた」だけは特別で、山車の形や装束、太鼓のリズムも違うのだそうだ)。
“SLIP DOWN” ―北海道・洞爺湖畔―
どういう理由なのかはわからないけど、僕の経験から言うと、夜の間ずっと持ちこたえていた雨雲なのに、夜明けとともに降り出す事が多い。
その日も、そんな早朝だった。
湖を見下ろす高台で野宿した僕は、夜明けとともにパラつき出した小雨にグチを言いつつ、シュラフをたたんで走り出す。
湖沿いの道に降りてすぐだった。緩い右カーブに差しかかる。スピード・メーターの針は、時速60キロのあたりを指していた。じゅうぶん曲がりきれるスピードとカーブだった。僕は減速もせず、そのカーブに入って行く。
『…』
アタマは起きたばかりで、ちょっと寝ボケていたかもしれない。でもその道は、きちんと舗装された道だった。何も注意する事など無かった。
『…?』
カーブの頂点に差しかかるあたりだった。何の前触れも無く、いきなり、前後のタイヤが同時にズルッときた。僕はバイクを立て直そうと、右足でアスファルトを蹴る。でも、荷物満載の僕のバイクは、とても重かった。足を着いた最初の感触で、立て直す事をあきらめた。僕はバイクを放す。
『!』
雨で濡れた路面は、よく滑った。僕は上半身は起こしたまま、左足を伸ばし、右膝を着いた格好で滑って行く。スローモーションで流れて行く景色の右側から、横倒しになったバイクの姿が視界に入ってきて、左側へと僕を追い越して行く。舗装部分から路肩に外れる時、バイクは一瞬軽く跳ねた。
『…』
僕は路肩に出る前に、止まる事ができた。立ち上がり、バイクに駆け寄る。バイクを起こし、後ろを振り返る。道路から逸れていたので心配は無かったが、ダンプが一台走って来た。通り過ぎる時、そのダンプの運転手と目が合う。角刈りのオニーサン。彼は僕に一瞥をくれただけで、走り去る。
『やっちゃったよ~』
ひと息ついて、徐々に現実の時間の流れの中に帰ってきた僕は、あちこちあたりを点検する。幸いケガは無いようだ。ただ…バイクは右側のミラーのガラスが割れ、ハンドル・グリップとブレーキ・レバーの先端が削れ、合羽は右膝のあたりが破れていた。
(僕は合羽の穴はガム・テープでふさぎ、グリップとレバーはそのままで走り出す。丸型から角型に換えてあった換えてあったミラーは、途中にあったバイク屋さんに同じ物があったので、新しい物を買った)。
でも僕は、ナゼそんな所で転んだのか、合点がいかなかった。
その後もう一度、その場所を通った。その日は雲っていたが、雨は降っていなかった。路面は乾いていた。
『なるほど!』
僕は納得した。ちょうど僕が転んだあたりの、右カーブの頂点。その左の外側には、民家か何かに続いているのであろう、未舗装の小道の出入口があった。そしてそのあたり一面は、はっきり茶色とわかるほど、沢山の土が浮いていたのだ。
どんよりとした早朝。雨が落ち始めた路面は、一様に黒光りしていたので、それに気づかなかったのだ。
でも、人間の感覚や記憶というものは、不思議なものだ。僕はあの日・あの時の、音も無くスローモーションで滑って行くバイクの姿を、今でもはっきりと、鮮明に思い出す事ができる。
でもなぜ「スローモーション」で、なぜ「無音」なのだろう? そういった場合の記憶には、必ずその二つが揃っている。
“corn” ー北海道・内陸部ー
僕はバイクに跨ったまま、田舎道の道路脇で地図をのぞき込んでいた。ガソリン・タンクの上に固定してあった、タンク・バッグのマップ・ケースだ。
「ふ~ん?」
僕は道を失っていた。持っていた道路地図は、そんな田舎の山道には大雑把すぎて、あまりアテにはならなかったのだ。
「う~ん?」
顔を上げて、あたりを見回す。
あのとき僕は、どこに行こうとしていたのか? 今でははっきりと思い出せないけれど、あのころ僕は、オフロード・タイプのバイクに乗っており、よく林道を走っていた。どうせまた、とんでもない所に入って行こうとして、道に迷っていたのだ。
でも、そんなに気にする必要はなかった。道は必ずどこかでつながっているし、行き止まりなら戻ってくればいいだけだ。
(実際、林道を走っていると、「崖崩れ」などで、そうせざるをえない場面に出くわす事がよくある)。
あの日、そしてあの頃の僕には、まだ時間はたっぷりあった。
「?」
バイクを止めていたすぐ先の、民家の生け垣から、手ぬぐいで「ほっかむり」をしたおばさんが出てくる。まあ年齢から言えば、ちょうど僕のオフクロと同年代といったところだ。
僕はバイクから降りて、そのおばさんに道を尋ねる。確かその時、結局ラチは明かなかったのだと思う。とにかくお礼を述べて、先を急ごうとしたのだ。するとおばさんは、「ちょっと待ってな」と言って、家の方に引っ込む。
ほどなく、再び姿を現したおばさんは、両手で包み込むようにアルミ・ホイルを持ってくる。
「これ食べな」と言って渡されたアルミ・ホイルの中には、茹でた「とうもろこし」が二本。
僕はその「とうもろこし」を、どこにしまったのか?
たぶん、背中に背負っていたデイ・パックの中だ。
僕は長期ツーリングの時は、いつもデイ・パックを背負っていた。でも普段は、わずかな食料が入っているだけだった。
バイクに乗るようになる以前、さかんにサイクリングをしていた頃、背中に荷物を担いで、散々な思いをした事があった。
厚手のセーター1枚に雨合羽。大した重量ではなかったが、長時間、ドロップ・ハンドルの前傾姿勢をとり続けると、手首や腕・背中にかなりの負担がかかるのだ。それ以来、バイクに乗るようになっても、その時の教訓を忘れなかった。
それで、背中のデイ・パックが満杯になるのは、キャンプ場を目前にした、「買出し」の後だけだった。
あらためてお礼を言って、バイクを走らす。冷めてはいたが、その「とうもろこし」は、その日の晩の夕食になった。
“fishing” ー北海道・太平洋岸ー
「あいつは、気が短いんだよ」
四十がらみのその男性は、沖に向かって何度も竿を振る男の後ろ姿を眺めながら、そう言う。
「釣りが好きなんて言うと気が長そうに聞こえるが、案外そうじゃないんだな」
あちらに・こちらにと、せわしくポイントを変えながらサオを振るのは、四十前と思しき彼の義弟。
「意外に短気な奴が多いんだよ」
なるほど…「獲物を求めて、あちこち探し回る」その姿を眺めていると、納得だ。
それにしても…薄曇りの太陽に、鉛色の海。
北の海は、夏の時期でもこんなものなのか? たとえ晴天だったとしても、深い青には、清涼感が漂っている。
彼と、彼の奥さん。そしてその弟さん。
たまたま昼食どき。バイクごと浜に降りてボケ~ッとしていた僕は、たまたまバーベキュー(?)にやって来た三人に声を掛けられ、パック入りの具材の「ジンギスカン」を振舞ってもらっていた。
(関西では「一家に一つ たこ焼き器がある」と言うように、北海道では「一家に一つ ジンギスカン鍋がある」と言う)。
旅に出るとナゼか海に出てしまい、海岸沿いのルートを取る事が多いのは、内陸部で育った「山ザル」のせいだろう。
(もっとも、『関東平野』の北のはずれ。「山間部」というわけではないのだが…)。
それに僕は、この年まで、「釣り」というものをほとんど経験した事がない。ナゼなら、もともと興味が無いという事もあるのだろうが、だぶん…。
僕は、地方都市とは言え県庁所在地の、駅まで歩いて数分の所で生まれ育った。
(もちろん、生まれたのは市内の病院だが)。
時期まさに「高度経済成長期」のまっただ中。
近所を流れる川は、どこもドブ川だった。妙に生温かい・悪臭を放つ川辺で遊んだりはしていたが…とても魚が棲めるような場所ではなかった。
それは河川ばかりではない。近所に森や林も存在していなかった。あるのは、ガランとした空地のみ。
(あの頃すでに、「カブト」や「クワガタ」は、祭りの縁日で買う物だった)。
そんな関係か、虫・鳥・魚は、大の苦手なのだ。
(イヌ・ネコは、物心ついた時すでに我が家にいたので、何の違和感も無いし、むしろ大好きだ)。
おそらく、そんな生い立ちの影響もあるのだと思うが…魚は、あの「ヌルヌル・ビクビク」とした感触が嫌で、死んでるヤツだって、シッポをつかむのがやっとだ。
(ただし、料理になって出てくれば、たとえ「生」でも問題ない)。
それに鳥や魚は、特にあの目がいただけない。知能をまったく感じさせない、ただ物を見るためだけに付いている目。
(そのへんが、イヌ・ネコとの一番大きな違いなのだろう。イヌ・ネコほどの知能になれば、それぞれ個性が出て、違いがあらわれる)。
一方ムシは…ただ眺めているだけなら、生き物なのに機械的な動きが面白いが…背中をつかんだ時、モゾモゾ動く脚が指先に触れる感触が気持ち悪くて、イマイチ興味が持てなかった。
金魚を飼った事も、「じゅうしまつ」や「はつかねずみ」を飼った事だってある。
(「切手収集」などと同様、その時々でクラスの流行りというものがあるからだ)。
ごたぶんに漏れず、校門の外でヒヨコを買った事もある。
(まだ、スプレーで色を塗ったカラー・ヒヨコは存在していなかったが)。
知っての通り、その手のヒヨコはすべて「雄鶏」。成長すると、早朝からやかましい。街中なので、近所迷惑でもある。
ある日、学校から帰ると、祖父がおろして鍋になっていた。特別な愛着はなかったし、「好き嫌い」のまったく無い僕だったが…『あの鳥だ』。そう思うと、まったくハシをつけられなかった。
(きっと僕は、世界が「食料危機」に陥ったら、まっ先に死んでしまうだろう。その時になってみなくては断言できないが、人格を捨ててまで生き延びるより、「尊大な死を選ぶ」…そんな自分であってほしい)。
「!!!」
さらにポイントを変えた弟さんは、何かをグチりながら、鉛色の海に向かって竿を振る。
『なるほどな』
かなりイライラしている事が、その仕草を見ているだけで伝わって来る。
『精神衛生に悪そうだ』
知りもしないクセに、「ノンビリ屋さん」ばかりだと思っていたが…なるほど納得。後学のためになりました。そして…
「釣りが好きなんて言うと、気が長そうに聞こえるが、案外そうじゃないんだな」
「釣り」とはまったく無縁の僕だったが、その後、そんな話題に至ると、そんな講釈をたれている自分がいた。さらに…
「人生をずっと楽しみたいなら、釣りをしなさい」
そんな訓を聞いたのは、いつの事だったろうか? しかし相変わらず、僕は「釣り」には縁が無い。
“STUCK” ー北海道・太平洋岸ー
「仕方ないな…」
僕は一人そう呟き、バイクのタンデム・シートに山ほどに縛り付けてあった荷物の縄を、解き始める。
僕は、国道からずっと遠くに見えた白い砂浜に誘われ、その浜辺に出ようとしていた。
海に注ぎ込む手前で、幅の広くなった川。そこの右岸に沿った、未舗装路の途中。その川が、道の低くなった所にまで張り出して、すっかり水没している箇所があった。でも、そんなに深くはなさそうだ。
『行くっきゃない!』
そう思い、勢いをつけて、一気にそこを渡り切ろうと思ったのに…。
こういった場合、バイクのフロント・タイヤを浮かせて…浮かないまでも、リアに荷重を移し、フロントを浮き気味にして…突っ切るのが定石なのだ。
でも、グッと落ち込んだ窪地。それに、腰を引く事もできないくらいに荷物を満載した状態では、バイクのフロントは、まったくと言ってよいほど持ち上がらなかった。
前のめりのままの体勢で、水溜まりに突っ込む。こうなったら後は、なるべくスピードを維持したまま、向こう岸に這い上がらなくてはならない。
でも水の抵抗で、スピードは一気に落ちる。おまけに海砂の路面は、グリップが悪い上に抵抗が多過ぎ、前に進まない。
両足を着いてバイクを押し出そうとするが、バイクのフロント・タイヤが水から出た所で、リアが空転し始める。
『あと少し』
僕はそう思い、アクセルをフカしてバイクを押す。
でも、軟らかい海の砂は、あっという間に深い溝を作る。バイクはまったく動かなくなった。「スタック」だ!
『あと少し』
僕はそう思って、少々ガンバリ過ぎてしまったようだ。
エンストしたバイクから跨り降りても、バイクは一人で立っているほどに、溝を深くしてしまったのだ。
「チェッ!」
陽は、もうずいぶん西に傾いている。天気は良いので『この先で野宿でも』と思っていたのだが、とにかく早く、この場から抜け出さないと暗くなってしまう。
でも、山ほどの荷物を積んだ状態では、一人でこの溝からバイクを引っ張り出す事は、到底不可能だった。
「仕方ないな…」
それで僕は意を決して、ライディング・ブーツを足首まで水に浸けて、ロープを解き始めた訳だ。
這い上がりかけた側に荷物を降ろし、バイクのリア・タイヤを溝から引き上げる。
そしてエンジンを掛け、その窪地から抜け出る。
その先で、僕はバイクをUターン。帰りの同じ苦労を思うと、もうここから先に進む気にはなれなかった。
今度は一気に向こう岸に到達した僕は、ザブザブと何回も川を横断して、荷物を運んだ。
“SHOOTING STAR” ー北海道・内陸部ー
ちょっと肌寒かったけど、走り疲れた僕は道端にバイクを止め、アスファルトの上に寝転んだ。
今晩は快晴だ。夏とはいえ、夜も更けた北の大地。空気は澄んでいて、星の瞬きもはっきり見える。
「あっ!」
軽く叫んで、頭を起こす。空を見上げて数分もしないうちに、「流れ星」がひとつ、流れたからだ。
『今日はツイてる』
そう思った。僕はその時まで、「流れ星」を眺める事に不慣れだった。もしかしたら、あれが初めてだったかもしれない。
「UFОを見たい」と言う人は多いが、「UFОを見よう」と空を見上げる人は、案外少ないものだ。
それに、僕が生まれ育った所は、綺麗な夜空とは無縁の、濁った天蓋だった。だから僕は、「流れ星」を目撃できた事に素直に喜び・感動した訳だ。
「!」
それからほど無く、又ひとつ、星が流れた。ほんとに「流れる」という感じで、アッと言う間に消えてしまう。
「流れ星が消えないうちに、三度願いを唱えると願いが叶う」なんて言うけれど、それはまず実現不可能だからそう言うのだ。
そして又ひとつ。でもまだ喜んでいた。そして又…。三十分も夜空を見上げていると、三~四個の星が流れた。
「…?」
僕は少し不安になってきた。「流れ星」がそんなに流れるものだとは、思ってもみなかったから…。
そして、子供の頃よく聞いた、「人が死ぬと、流れ星が流れる」、あるいは「彗星が現われると、不吉の前兆」という話を思い出してしまったから…。
いくつまで「流れ星」を数えただろう…僕はやおら起き上がり、バイクに跨る。差し込んだままにしてあったキーを捻り、急いでキックを踏み降ろす。
エンジンの振動と騒音、そしてライトの明かりに、安堵感を覚える。
そして僕はそれ以上、夜空を見上げる事なく走り続けた。
それからしばらく後。
フトその時の事を思い出し、今までのところ何ら不幸な出来事が起こっていない事を知ってから、「流れ星の数」について、自分なりの認識を持った訳だ。
“MOON” ー北海道・太平洋岸ー
国道を外れて、海の見える丘の中腹に、野宿に手頃な場所を見つけた。
海に向かって落ちて行く途中の、テラスのようになっている場所だ。
狭い小径だけど、バイクの細いタイヤなら、ゆうゆう入って行ける所だった。
もうすでに、「薄暗い」を通り越した時刻。
バイクのタンデム・シートに縛りつけてあったキャンプ道具を下ろして、そそくさと夕食の準備を始める。陽はほとんど沈みかけていたが、使い慣れた道具を使うのに、さほどの不便は感じなかった。
メイン・ディッシュのインスタント・ラーメンができあがる頃には、陽もすっかり沈んでいた。
できあがった夕食を食べながら、ふと海の方に目を上げると、水平線から昇る、大きな輝く物体が見えた。
一瞬それが何なのか、わからなかった。
『UFОか? 海坊主か?』
すすりかけたラーメンもそのままに、僕はその物体に見入ってしまう。得体の知れない、巨大な物体。
『いったい、これから何が起きるのか?』
背筋が寒くなる。目を見開いたまま、僕の動きは止まったままだ。
ただ頭の中だけは、目まぐるしく動き回っている。データのファイルをめくるように、過去の経験からそれが何なのか、答えを得ようとして…。
そして次の瞬間、頭をよぎった考えは…
『あれは月だ』
僕は納得した。
「理由はわからないけど、光線か何かの関係で、太陽だって日没の時には大きく見えるじゃないか」
僕はホッとして、一人そうつぶやく。
だって仕方ない。「月の出」を見たのは、生まれて初めてなのだ。
ささやかな夕食が終わる頃、月は高く昇り、いつものよく知っている姿を見せていた。
(注∶誰にでも経験ある事だと思うが、実はこの現象、単なる目の錯覚で、絶対的な大きさは変わらないそうだ。ただ、低い位置にある時に赤っぽく見えるのは、光りがより長く大気中を通過するため、『赤方偏移』により、スペクトルの赤方の色が残るためらしい)。
“CAFE” ー網走ー
僕は国道から降りたすぐ下の浜の、木造廃船の陰で、夕食の準備をしていた。
曇ってはいたけど雨は降りそうにもなかったし、時間も時間だったので、今日はその脇で寝るつもりだった。
「…」
元は漁船か何かだったのだろう、こうして海から打ち上がった姿を間近で見上げると、けっこう大きな船だ。
でも、なかば砂に埋まり、鳥についばまれ骨を晒た魚のような姿の船内に、もぐり込む気にはなれない。
「?」
人の気配を感じる。黒いTシャツに長い髪をした、場違いな雰囲気の若い男が、廃船の向こうから顔を出す。
チョットうんざりだ。
日本は狭い。『こんな所に誰も来ないだろう』と思うような所にも…たとえば、野宿や昼寝をしようと分け入って行った先にも…人がやって来たりするものだ。
こんな事があった。
バイクで「独り旅」に出て、初めて野宿した時だ。
ゆくゆくは工場でも建ち並ぶのであろう、埋め立てられたばかりの臨海工業地帯のはずれ。防波堤の向こうからは、テトラポットに砕けた波の音が聞こえる場所だった。
確かに日没過ぎまでは、ひとっ子ひとり、僕以外、誰もいなかった。でも、それからがいけなかった。
夜になってから、沢山の人間が訪れた。独り静かに野宿しようと思っていた僕に言わせれば、「まるで、お祭り騒ぎのよう」だった。
頭の上の堤防の壁を、大勢の人間が行き交う。
寝るに寝れない気分になってしまった僕は、それらの人が立ち去る夜遅くまで、防波堤に腰掛け、暗い海の向こうに見える漁船の明かりを見たり、足下で吸い込まれそうな不気味な音をたてるテトラポットをのぞき込んだりしていた。
どうやらそこは、「夜釣りの聖地」だったようだ。
こんな事もあった。
所々に大きな岩が顔を出している、草におおわれた岬の突端近く。
僕は大きな岩陰に、その日の寝ぐらを設営していた…と言っても、テントは無しだ。
確かに日没過ぎまでは、ひとっ子ひとり、僕以外、誰もいなかった。でも、それからがいけなかった。
夜になってから、沢山の車が訪れた。独り静かに野宿しようと思っていた僕に言わせれば、「まるで、ラッシュ・アワーのよう」だった。
岩をさけながら、何台もの車が乗り入れて来る。僕は踏まれやしないかと、ヒヤヒヤしていた。
寝るに寝れない気分になってしまった僕は、それらの車が立ち去る夜遅くまで、クルクル回る灯台の明かりを眺めていた。
どうやらそこは、「アベックの聖地」だったようだ。
その男の後に続いて、ゾロゾロと人が現れる。正確な人数は憶えていないが、十人くらいはいただろうか。老若男女、年齢も身なりもマチマチの、一見ヘンな集団だった。
彼等はどうやら、そこでバーベキューを始めようとしているらしい。
『すぐ脇でやらなくてもいいだろ』
僕はそう思っていた。
そして、一番最後に現れた、スーツにネクタイという一番場違いな格好をした男が、僕に向かってこう言う。
「こっちに来て、いっしょにメシを食おう」
僕は遠慮がちに、その輪に加わる。
彼等は、国道のすぐ向かいにあるドライブ・インの従業員と、夏の一時期だけ、そこで住み込みのバイトをしている若者達だった。
(彼等は皆、僕と同じ学生で、なかには遠くからやって来た人間もいた)。
そして僕に声を掛けてくれたのは、年齢はまだ三十代だろう、そこの若い社長さんだった。
そこで僕は、しこたまジンギスカンを食べ、たっぷりビールを飲んだ。
そして結局、そこに泊めてもらう事になった。
もう時効だろうから告白するけど、僕は生まれて初めて、酔っ払い運転をした…と言っても、国道を横断しただけだが…。
僕は両足をベタベタと着かなくては走れないくらいに、ベロベロに酔っ払っていた。
(でも、公明正大・神に誓って、後にも先にも飲酒運転をしたのはこの時だけだ)。
そして道路の向かいにある、けっこう大きなドライブ・インの敷地に入る。
僕は店仕舞いした後の、静かな店内が好きだった。
三人の左端。入口寄りに座っていた僕は、グルリとあたりを見回す。
切り出したままの木材を使った壁。カウンターに、イスやテーブルも木目調…
僕は同年代の二人の男と共に、そのドライブ・インの「喫茶コーナー」にいた。
「喫茶コーナー」とは言っても、独立した出入口の扉があり、室内はちゃんと「喫茶店」という造りをしている。
僕達は三人並んでカウンターに腰掛け、酔い覚ましのコーヒーを飲んでいた。
一人は、細身で小柄な長髪。
もう片方は、やけに黒い髪で、黒ブチのメガネをかけている。
コーヒーを炒れてくれた長髪の彼が、この喫茶店を任されているそうだ。
店仕舞いした後の喫茶店。
僕達は静かに、でも楽しく語り合った。僕はそんな雰囲気が、とても気に入った。
その後僕は、その二人が寝泊まりしているタコ部屋で、彼等とザコ寝した。
翌日。
僕は恩返しに、そこのパンフレットの糊付けの仕事を手伝ってから、そこを後にした。
“beer” ー北海道・オホーツク海沿岸ー
その日はもう、走る気がしなかった。
それでまだ、お昼をちょっと過ぎたくらいの時間だというのに、僕は缶ビールを買って、バイクと共に浜に下りて行った。
灰色の海を見ながら、ビールを飲んだ。朝から曇っていて、「ビール日和」ではなかったけど、350mlの缶ビールはすぐ空になる。
でも、はっきり言ってマズかった。
真夏の炎天下で飲むビールが意外とマズいのと同様、夏とはいえ、今日みたいな肌寒い日に、冷えたビールはうまくない。
(僕は冬場はビールを冷やさない。そういう時は、階段の隅にでも置いてあった常温のビールの方が、うまかったりするからだ)。
誰にも会う事は無かった。
アルコールをとった直後なので、すぐに走り出すわけにもいかず、僕はただ、灰色の海を見ていた。
もう旅に出て、半月ほどが経つ。
酔いが覚め始めると、急にダルくなってきた。それで僕は、相変わらず海を見続けていた。
単調な波の繰り返しだけど、見ていて不思議とアキが来ない。
結局その日は、半日そこで海を見て過ごし、そのままそこでキャンプを張った…と言っても僕は、その時まだ、テントを持っていなかった。
持っていたのは、シュラフと、ピクニックなどの時に地面に敷くビニール・シートだけだった。
(夜半に小雨が降り出した時など、シュラフの上にそのシートだけを巻いて、一夜を明かした事もあった)。
天気が悪かったので、バイクのハンドルから、近くに落ちていた木の枝をペグ代わりに、荷物を縛る時に使っているゴムひもを渡す。
そしてその上にシートを被せ、簡易のテントを張る。
(長さが足りなかったので、飛び出してしまった足元には、バッグの中の荷物が濡れないようにと、余分に持参していた青いゴミ袋を履く)。
案の定、暗くなってから雨が降り出した。
たしかに、ビニール・シートの防水は完璧だ。でも、換気の事などまったく考えていないビニール・シート。その内側には、湿気で大きな水滴ができ、顔の上にポタポタと落ちて来る。
とりあえず、雨で直接濡れる事はなかったので、そのまま眠り続けた。
僕は、その後訪れた街のスポーツ用品店で、シーズンが過ぎて安くなっていたテントを買った。
その日も曇っていた。それで僕は、早目に缶ビールを買っておいた。
“TENT” ーサロマ湖ー
湖の向こうに沈んで行く夕日を眺めながら、僕達は酒などを酌み交わして談笑していた。
僕と、今日途中からここまで一緒に走った男。そして、このキャンプ場で先にテントを張っていた男。それに、僕達より後から到着した三人組。
同じバイク乗り同士だし、酒が入ったという事もあって、僕達はすぐに打ち解けた。
三人組の一人。小柄よく喋るひょうきんな男が、ここに来る途中で買ったという「ツブ貝」を、フライパン代わりの「小型折りたたみ式シャベル」で炒め終わる頃には、皆したたかに酔っていた。
宴は最高潮だった。
そんな時、二台のバイクがキャンプ場に入って来た。僕達より、少し離れた所にテントを張った二人組だ。彼等は、到着が日没近くだった事もあり、たぶんどこか近くに、夕食でも取りに行ったのだろう。
広々としたここのキャンプ場は、キャンプ・サイトまで、バイクの乗り入れもオーケーだった。
「あ!」
ちょうど正面にそれを見ていた僕は、おもわず声を上げてしまう。
「消えた!」
詳しい説明はいらなかった。僕がみなまで言わなくても、みな何が起きたのかわかったようだ。
「キャハハハハ!」と大声で笑い出す者。
「カメラ! カメラ!」と騒ぐ者。
僕達は、現場に向かって駆け出した。
ここのキャンプ場は、道路に面していた。キャンプ場と道路の間には、出入口のところ以外、グルリと排水用の溝が掘られていた。
夜の闇に惑わされ、後方の一台が、その溝に落ちたのだ。
僕達は、揃って溝の闇をのぞき込む。土を掘っただけのその溝は、さして深くなかった。クッションとなるような草も、たくさん生えている。幸いケガも無いようだ。
大丈夫だとわかっている時のバイク乗りは、いらぬ同情などせずに、そいつを楽しんでしまうものだ。みんなで大騒ぎしながら、バイクを引っ張り上げる。
「ふ~!」
誰かが溜め息をつく。ひと騒動は、そこで終わった。自分達の縄張りに戻った僕達は、いい加減、疲れていた。酔って、大騒ぎをして、力仕事をして、気が抜けて…そんな感じだ。
「あ~、ヤリて~」
三人組の一人が、股間に手を這わせながら、ポツリと呟く。細身で長身・長髪の男。三人の中の親分格。
でも、誰も返事をしなかった。みな旅に出て、半月以上は経っている男どもばかり。
「?」
その頃になって僕達は、ここから少し離れた所に、大きなキャンプ・ファイヤーの火が燃えている事に気づく。けっこう大勢の人間がいるようだ。
「行ってみようぜ」
誰かがそう言う。僕達は気を取り直して、立ち上がる。
そこでは、大きな焚き火を囲んで、大勢の男女がフォークダンス(?)か何かを踊っていた。
「女がいるよ」
さっきの男が、アゴを突き出し気味にして、そう言う。ユラユラと、顔に焚き火の光りを浴びながら…。
「?」
そこへ、酔ってヘロヘロになった男がひとり、やって来る。ロレツの回らない口調で、何か言っている。どうやら「仲間に加わりませんか」とでも言っているようだ。どこかの大学か何かのワンゲル―「ワンダーフォーゲル」のようだ。
「…」
でも僕達は、遠巻きにその光景を眺めただけで、その場を後にする。
ナゼって…とても仲間に加わろうなんて雰囲気ではなかった。だって…酔った僕の目には、どこぞの新興宗教団体か何かが、怪しげな儀式でも行っているように映ったから…。
他の連中もそうだったのだろう。僕達は寝る事にした。それぞれ自分達の「ねぐら」に引き上げる。僕も自分のテントに入る。
僕が使っているテントは4人用テント。ソロ・ツーリングには、ちょっと大き目だ。でも、荷物などを運び込んだ上に、くつろげるスペースを確保するとなると、このくらいがちょうど良い。それにバイクなら、徒歩や自転車で旅行している人達ほど、かさや重量を気にしなくてよい。
「ZZZZZ…!」
テントに入るとほど無く、大きなイビキが聞こえてきた。先ほど、噂に聞いていた通りの轟音だ。その主は、タテ・ヨコにガッチリした体を持つ、三人組の最後の一人。
(「おチビさん」に「ノッポさん」に「おデブさん」。ホントこの三人、アニメに登場するキャラの組み合わせだ)。
僕は懐中電灯の先端の、ガラスと反射鏡の部分を外し、それをスタンド代わりにして、懐中電灯を立てる。こうすると座りが良いし、豆電球の淡い光りが、なかなかに良い雰囲気なのだ。
その明かりの元、持参の手帳に今日の記録を付けた後、明かりを消す。
ある、日本一周をしていた自転車野朗が言っていた。
「テントに入ると、やる事がいっぱいあって」
たしかに、そうかもしれない。男ってのは、面倒臭くて、そしてなかなかに悲しい生き物なのだ…。
翌朝僕は、本日の目的地が同じだった、昨日から一緒に走っている男と共に、そこを後にした。
“pass each other” ーオホーツク海沿岸ー
『あれ?』
どこかで見た事のあるヘルメット。正面からでは、それしかわからないけど…
スレ違いざま…
『!』
目と目が合う。
『やっぱりだ』
その姿をはっきりと確認した僕は、急ブレーキを掛けて停止する。路肩にバイクを寄せて振り返ると…反対車線の路肩には、左ウインカーを点滅させて停車しているバイク。
向こうも僕に気が付いたようだ。
僕はバイクをUターン。後ろにつける。
そしてお互い歩みより、笑顔を交わす。懐かしい旧友に、偶然再会した時のような、そんな感慨。
「やっぱりだね」
口にヒゲをたくわえた彼は、そう言う。
ジェットヘルにコンペ・シールド。
年がずっと上なせいもあるだろうが、物腰穏やかで、落ち着いた雰囲気が漂っている。
持ち物…ライディング・ギアや、持参のキャンプ道具など…も、小綺麗にまとまっていて、洗練された感じがする。
「都会のアウトドア・マン」
(彼のバイクは「品川」ナンバーだ)。
整えられた口ヒゲが、そんな印象をいっそう強調している。
彼とは、「北海道のヘソ」とよばれる地のキャンプ場で知り合った。
緩やかな草原が、小さな湖に落ちて行く綺麗なキャンプ場。
その日のキャンパーは、僕達ふたりだけ。
天気はあまり良くなかったけど、雨粒が落ちて来る事はない。
曇り空に霞んだ湖。
北の湖には、こういった天気のほうがお似合いだ。なかなかに神秘的な顔を見せてくれる事がある。
ウイスキー片手に、チビチビと語り合う。
機能的な一人用テントに、手間のかからない小型コンロ。
小さくても、最新式のこういった物の方が、かえって値がはるものだ。あり合わせの僕とは対照的。
でも、勘違いしないでくれ。僕は皮肉を言ってるわけじゃない。
翌朝。
「反対回りだから、またどこかで会うかもしれないね」
彼はそう言っていた。
(…と言っても、まだ数日前の出来事だ)。
彼と再会したのは、やはり曇り空。海からの風が強い、荒涼とした最北の直線道路。
「それじゃ」
僕達は、軽く言葉を交わしただけで、そこで別れた。
またどこか、全然違った場所で再会する事があるかもしれない。もし本当に、縁があれば…の話だが。
『きっと、まったく気づかずにスレ違っている人だっているのだろう』
最後に僕は、そう思った。
“WILD5” ー稚内ー
僕達は、右に冷たい青色の海を見て、緩いカーブが続く海岸沿いの道を、けっこうなスピードで飛ばしていた。
追い付く車も、スレ違う車も、ほとんどいない。
『とにかく行ってみなくちゃ。それも、できるだけ早く…』
僕たち五人は、全員そう思っていたはずだ。その日は良く晴れた日で、水平線の上には、遠い異国の地―樺太―が、うっすらと浮かんで見えていた。
「ほんとかよ?」
その話を聞いたのは、たった今出発してきた岬の、道路をはさんだ反対側にある公園でだった。
その岬は、「おっこちそうや」なんて言われる所だ。でも別に、断崖絶壁になっているわけではない。ほとんど平坦な場所なのだ。つまりそこは、まさに「最北端」の地。
(たしか「最南端」と「最東端」と言われる所は、あくまで普通の人が普通に行ける所で、本当の「最南端」と「最東端」は、無人島のはずだ)。
おまけに、なだらかな岩場の海岸なので、みなが競って最北端を目指して岩に飛び乗るので「おっこちそうや」となるのだそうだ。
『とにかく、急がなくちゃ』
いつの間にか僕達は、合計五名に膨れ上がっていた。
先頭を切って走るのは、荷物満載の2スト、オフロード・バイクに乗る男。
続いて、軽装備でヨーロピアン・スタイルのバイクに乗る男。
一文字ハンドル・バーに換装したアメリカン・タイプのバイクに乗る男は、ピリオン・ステップに足を載せ、前傾のドラッグレーサー・ポジションで走っている。風の冷たいこのあたりを、このくらいのペースで走る時には有効だ。
そして、同じオフロード・バイクに乗る、昨日から行動を共にしている男と僕。
僕達は、お互い付かず離れずの間隔をキープして走っている。
都会の道路と違い、特にこのあたりまで来れば、時間と距離のペースがつかみやすい。都会で60キロの距離を一時間で走り切るのは…つまり、平均速度60km/hだ…「至難の技」に近いが、こちらでなら、そのくらいのペースをキープする事は簡単だった。
この調子なら、ギリギリで間に合うかもしれない。
(と言っても、「制限速度60キロ」のこのあたり。けっして「無茶な走り」をしているわけじゃない)。
たしかに、たまたまそこに居合わせた一人が持っていた時刻表によると、もう船は無いはずだった。
僕達は次々とその岬に到着し、どういう訳かみな、「最果ての島」に行こうとしていた。
そして、もう夕方近い時間だというのに、どういう訳かみな、「今晩の宿」が決まっていなかった。
そして、最後に反対方向からやって来たのは、その日・その島から戻って来たと言うバイク乗りだった。
彼の話によると、まだ最後の船が残っていると言う。夏の観光シーズンだ。ダイヤ改正があったのだ。そんな事とは露知らず、僕達は、あの岬の公園で、バイク談義に花を咲かせていたのだ。
「…!…」
僕達は、最後に仲間に加わった男の先導で、港に向かう。彼は今日の船でその島から戻って来たばかりなのに、また帰りたくなったのだ。でも…
「やっぱりダメだったか…」
そこには、空っぽになった船着き場があるだけ…。
あそこでダベッていなければ、じゅうぶん間に合ったはずだ。でももう、「後の祭り」だった。
「しゃ〜ない…」
僕達は、たぶん混雑する夏場の観光シーズン用の物であろう、屋外の仮設テントの下に並べられたベンチに座って、今夜の予定を練っていた。
もう陽はほとんど沈みかけていたが、特に問題は無かった。だって全員が、ここで一夜を明かすつもりになっていたからだ。
『族になったような気分だ』
暗くなってから、僕達はめいめい自分のバイクに跨り、夜の街に繰り出す。
別に「流し」に行ったわけじゃない。中にはキャンプ道具を持参していない者もいたので、夕食を取りに行ったのだ。
僕も、「旅は道連れ、世は情け」…『たまには、うまい物でも食べなくちゃ』と思い、皆に同行する。
赤いテール・ランプと排気音が心地好い。
「さてと…」
何の事はない定食屋での夕食後、途中で酒と肴を買い、フェリー・ターミナルに戻る。
ここには、僕達以外、誰もいない。誰の目をはばかる事も無く、酒宴が始まる。飲んで、騒いで、みなで岸壁に並び、暗い海に向かって一斉に「連れション」だ。でも…
「止まんね~よ!」
一人だけ、えんえんと放尿し続けてる。
「飲み過ぎだよ~」
誰かが叫ぶ。その後ろで僕達は、腹を抱えて笑い転げる。
誰もいないフェリー・ターミナルに、僕達の笑い声が木霊する。
最後に僕達は、それぞれの寝床を定めた。
仮設テントの下のベンチで横になるもの…
屋外の階段の下に潜り込むもの…
中にはシュラフすら持っていない者もいたが、今日は割りと暖かい。
(夏とは言え「最北の地」だ。それに今年は「冷夏」。ストーブを焚いているガソリン・スタンドがあった。こんな所を訪れるライダーは、セーターの一枚でも持っているのが当たり前だ)。
天気はあまり良くなさそうだったが、僕は、ターミナルの建物沿いの草の上で寝る事にした。
安の定、夜中に雨が降り出した。でも僕は、シュラフの上からピクニック用にビニール・シートを被って、そのまま構わず寝続けた。
そして僕達は、そろって翌日一番の船に乗り込んだ。
“kiss” ー礼文島ー
特に何をするという訳でもなく、別に理由も無かったけど、僕はもう一ヶ月近く、そのユース・ホステルに滞在していた。
北の島にある、古い建物を改造したユース・ホステルだ。
その昔、ここの沖の海流に乗って、大量の鰊がやって来たと言う。
その頃、その番屋として建てられた建物だそうだ。でもやがて、潮の流れが変わり、ニシン漁は寂れてしまったと言う。
ここのユース・ホステルは、僕みたいな「ちょっと変わった」長期滞在者が、常に何人か宿泊していた。
ホステラーの間では、「北の✕✕、南の○○」と呼ばれる「北の雄」だ。「変な奴」には事欠かなかった。
でも、そろそろ潮時だった。昨晩急に「島抜け」を決めて、僕は荷物をまとめたのだった。
船は午後だった。
みな出払って、ガランとした囲炉裏のある大広間でボーッとしていた僕は、ここでヘルパーのアルバイトをしている、一つ年上の女性の手伝いをする事にした。
毎日プラプラしていた僕は、いつの間にか彼女と仲良くなり、彼女がヒマな時は、バイクの後ろに彼女を乗せて、さして大きくないこの島のあちこちを回ったり、島で一番賑わっている港の喫茶店に「ジャンボ・ソフトクリーム」を食べに行ったりした。
それが、僕がこの島でした事のすべてだった。
ユース・ホステルの裏手にある、日当たりの良い小高い丘。その中腹にある洗濯物干し場に、僕達はシーツを干しに行った。
まだ九月になったばかりだったが、「最果ての地」の空は深い青で、高く昇った雲は、すっかり秋の雲だった。
その北に位置する緯度と、島全体の土質のため、初夏から夏にかけ、高度が低いにもかかわらず「高山植物」が咲き乱れるというこの島の山肌は、綺麗な淡い緑色に覆われている。
冬は荒々しさを見せるであろう『日本海』も、いまだ穏やかな表情を見せていた。
僕達は、かなりの数のシーツを物干し竿に掛けた。
天気は良かったけど、吹く風はチョッピリ冷たかった。
青い空と、はためく白いシーツ。そこコントラストが、とっても綺麗だった。
シーツを干し終えた僕達は、物干し場の縁に並んで座って、海を見ていた。
僕達は無言だった。
僕は、特に何も考えていなかった。ただボーッと海を見ていただけだ。
『?』
右隣りに座っていた彼女が、こちらを向く。
僕もその気配を感じて、彼女の方に目をやる。
のぞき込むように僕を見上げる彼女と、目が合う。
『…』
僕は視線を外せない。
僕は引き込まれるように、彼女を見つめたまま、顔を近づけていく。
唇が触れ合う。
初めてのキスだった。
僕は彼女の肩に手を掛け、少しの間、その柔らかさを感じる…。
僕達は、いったん離れた。
彼女は立ち上がり、シーツをかきわけながら、物干し場の奥へと入って行く。シーツをひとつかきわけるたびに、僕の方に笑顔を向けながら…。
『外国映画のようだ』
僕は思った。
物干し場のまん中で、僕は彼女の手を取り抱き寄せる。今度は激しく長く。
そして僕達は、真っ白い世界の中に倒れ込んでゆく…。
僕は、遠のく島影を見ていた。
彼女は見送りに来てくれなかった。
でも、僕はそれで満足していた。
でも、住所どころか、彼女の名前がどういう字を書くのかさえ知らなかった。
僕はそういう事に関しては、いつでも後悔を後に引きずってしまう。
『その出来事』が思い出に変わるまでには、けっこう時間がかかった。
“Shieled” ーサロベツー
日本の最も北に位置する大地の、最も北のあたりを走っていた。
僕の住む土地ではまだだろうが、冬の訪れが早いこの地では、すでにススキの穂が色着き始め、標高の高い場所ではもう紅葉が始まっていたし、山の頂は雪化粧している所もあった。
僕は右手に、海に沈み行く太陽を見ながら、南に下っていた。
北の大地だったが、ここのところ好天が続いていたため、日中はけっこう暖かかった。
でも、陽が傾き始めたこの時間、急に気温が下がってきた。
海岸から、付かず離れず走っている道だった。
海からの風がちょっと強かった。
それで僕は、シールドを下ろして走っていた。
僕は、シールドやゴーグルが嫌いだった。
ナゼって、シールドやゴーグル越しの景色は、何かのフィルターを通して見たようで、テレビや映画の画面を見ているようだったから…。
僕は「生」の空気に触れたかった。
だから、ヘルメットにシールドは付いていたが、めったに下ろした事がない。
ホコリのひどい場所。
トラックの後ろなどに着いて、巻き上げる小砂利や排気ガスの煙りがひどい時。
あとは雨の日。少しだけ下ろして、雨よけのバイザー代わりとして使っていただけだった。
それと似たような理由から、サングラスも嫌いだった。
サングラスの場合、色まで違って見えるのだからいっそう嫌だった。
僕は「生」の色が見たかった。
本来、瞳の色が濃い人種には…極端に陽射しの強い場所や、スキー場などで「雪目」にならないため以外…サングラスは必要ないという話を聞いた事がある。
たしかにサングラスをすると景色が暗くなり過ぎてしまい、あたりが良く見えなくなって、かえって運転しづらかったり、眠たくなったり…。
(でも歳を重ねるにつれ、光に対する抵抗力が衰えてきたようだ。だから僕は、バイクに乗り始めて十年近い歳月が経つまで、スモークのシールドを経験した事がなかった)。
海からの風が、潮を含んだ飛沫を運んで来る。それでシールドには、ベタベタとした水滴が一面に付着する。
左手のグローブの、人差指の甲でシールドを拭うが、白く尾を引いて伸びるだけで拭き取れない。
長く引き伸ばされた幾本ものスジで、かえって視界を悪くしただけだ。
そこで僕は、いつも通りシールドを上げてみる。ヘルメットの開口部に晒された顔面に、ベタベタとした感触の飛沫が付く。
それでも僕は満足して、そのまま走り続ける事にした。
“MOON LIGHT” ー留萌ー
満月が、明るい白色の光を落としている晩だった。
たまにしか、スレ違う車のないような土地と時間帯。対向車の明りが見えた時だけ、自分の存在をアピールするため「ライト・オン」にする以外、僕はヘッド・ライトを消して走っていた。
僕のオフロード・タイプのバイクは、こんな状況では、ライトを消した方が良く見える。
元々「ちょうちんライト」だし、アップ・フェンダー、それもさらに大きく上側に湾曲した物に換えてあったから、フェンダーに反射した光が跳ね返って来て、余計に視界を悪くしていたからだ。
それに、例えば懐中電灯だ。
光が当たる一点は良く見えるかもしれない。でも、その光線によって区切られた外の世界は、まったく見えなくなってしまうものだ。
余分な明りを消し去ると、そこには綺麗な白黒の世界が広がっていた。
人間の目というのは、昼と夜では、違った組織が働くそうだ。
夜用のものは、暗がりで良く見えるかわりに、昼用のものより色の識別能力がずっと落ちる。それで白黒に見えるのだそうだ。
僕は、そんな景色を楽しんでいた。
やがてポツポツと点在する、寂し気な街の明りが見えてきた。
僕は道なりに、右にほぼ直角のカーブを曲がる。道幅は十分だ。でもそのカーブを抜けたとたん、「ガタ・ガタ・ガタ」と上下に、激しい振動を感じる。
『踏切りだ!』
僕は踏切りの標識を見落とし、踏切りそれ自体にもまったく気づかず、減速すらせずにそこを通過してしまったのだ。
『そろそろマズいよな』
僕は街に入る前に、ライトをオンにした。
“DAWN” ー渡島ー
『ん?』
左側の、目線より低い位置から、一条の光が僕の眼を射る。
『まぶし~!』
そちらを向くと、大きな朝焼けをバックに、水平線の一点から、強い光線が漏れ出ている。
『日の出だ』
僕は今、海をはるか下方に見下ろす、海岸沿いの高台を走っている。
「ふあ~」
でも、大きく一回生アクビ。走りながら、グローブをはめたままの左手で、目頭をこする。
たいていの場合、朝日とともに、かえって眠たくなるのが僕の常だ。
たぶん徹夜明けのショボくれた眼に、朝の太陽の光は強烈すぎるのだ。眼を開けていられなくなり、猛烈な睡魔が襲ってくる事が多々ある。
今まで、そんな「夜明け」を何度体験しただろう?
*夜明けとともに訪れた眠気に、ガマンができなくなった僕は、24時間営業の、国道沿いのコイン・スナックで 小休止。
再び走り出すと、遅いトラックに引っ掛かる。センターラインはイエローライン。
『行っちゃおうかな?』
一瞬、そんな思いが頭をよぎる。でも、寝ボケ眼だ。ほんの少しの間、そのトラックに付いて走 ると、「検問」の「立て看」が…。
あそこで追い越しをかけていたら、完全アウトのタイミングだ。
*夜中に出発して、ちょうど夜明けの頃、『日本海』に出た。でもなんだか、夕方のような感じで気持ちが悪い。
「朝日は海から昇るもの」
僕にはそんな感覚があったからだ。完全に明るくなったところで、僕は道沿いのパーキングで横になる。
*まだ夜中と言えるような朝早く。僕は友人と二人、クルマで山あいのモトクロス場に向かっていた。
「おい! なんだよアレ?」
僕は、隣りに座る友人に声をかける。
黒い山のシルエットが連なる一角。山と山の間の谷になった部分。一ヵ所だけ、大きく薄明るくなっている場所 がある。ほんとにそこだけ…と言っても、かなりの面積のはずだ…明るくなっている。なんだか薄気味悪い。
「大地震の前には、空が輝く発光現象があるって言うじゃないか…」
僕はひとり、まくし立てる。奴は、ジッと押し黙ったままだ。しばらくの沈黙の後、彼はこう言った。
「あれは…日の出だ」
なあ~んだ。山間部だったので、朝日がそこからだけ差し込み始めていたのだ。
完全に明るくなった頃、モトクロス場に着いた僕達は、レース前にひと眠り。
でもその事件は、ふたりの間では「長野の発光現象」として、語り継がれる事になった。
「ふあ~」
僕はもう一発、大アクビ。
でも、もう少し。開いているスタンドがある所までガンバろう。
「そこで、夜明けの缶コーヒーでも飲めばいいさ」