Prologue ―始まり―
※この物語は実話であり、登場する人物・土地等、すべて実在する…あるいは実在した…ものです。
Prologue ―始まり―
※ “ON ANY SUNDAY”
※ “chase”
“ON ANY SUNDAY”
僕は家を出た所でタバコに火を着け、くわえタバコで走り出す。田んぼの畦道ほどの広さの道に左折するため、バイクを左に傾けた。交差点なので、直角コーナーだ。カーブの頂点あたりで、一気に倒し込む。
「ガツン!」
その瞬間、左下の方で、何かが思い切り引っ掛かる。
『!…?』
「滑って転んだ」なんて、生やさしいものじゃない。まるで見えない壁にでもブチ当たったかのように、バイクは一瞬動きを止め、僕は「一本背負い」をくらったように、バイクの向こう側に投げ飛ばされていた。
『何がどうしたっていうんだよ?』
タバコをくわえたまま宙を舞う僕は、そう思いながら、迫り来るアスファルトに身構えた…
小雨が降ったり止んだりしている、日曜の午前中。僕は雨が止んだ切れ間を狙って、ヘルメットもかぶらず
…当時はまだ、原付はノーヘル オッケーだったので…ヤボ用を済ますため、ラッタッターとバイクに跨った。
バイクと言っても、ステップ・スルーのスクーターが出る以前の、無段変速の買い物バイクだ。某外国人女優がコマーシャルに起用され、「ラッタッター」は流行り言葉にもなった。ゼンマイ式のスターターを備え、ペーパー試験のみの原付免許で乗れるという事もあって、その後の、「無法オバサン・ライダー」を大量に生み出す元凶ともなったバイクだ。
「!…!…!」
軽快な2サイクルの排気音と、オイル混じりの白煙を上げて、僕は周りを田んぼに囲まれた、まっすぐな一本道を走る。
そのころ僕の家族は、まだできたばかりの、郊外の住宅地に住んでいた。
「!…!…!」
風に晒されているので、タバコの燃えが早い。でも目的地は、バイクでならすぐだ。
ミッション付きの原付バイクも持っていたけど、コイツなら片手運転もできるし、だから「チョイ乗り」には、こっちの方が向いている。この一本が燃えつきる前には、到着するはずだった。
別にどうって言う事も無いバイクだったけど、コイツが、僕が最初に出会ったバイクだ。
僕が高校生の時、どういうわけかコイツは、新車で我が家へやって来た。当時僕の家では大型犬を飼っており、最初は父親がその犬の散歩に使う程度だった。
でも、空地でコイツを運転させてもらって以来、一発でハマってしまったのだ。僕はすぐに裏工作をして、学校の球技大会の日に早退し、原付免許を手にした。高校三年の初夏の頃だった。
免許が取れる年齢になってから、急に「バイク! バイク!」、あるいは「クルマ! クルマ!」と騒ぎ出す奴は大勢いたが、そういう奴等とは違うのだ。僕の「それ」は、筋金入り。あの頃の僕の趣味は、「サイクリング」と「レーシング・カート」。
(最近では、「カート」もポピュラーになってきたから、詳しい説明の必要はないだろう。早い話が、競技用ゴーカートだと思ってもらえばいい)。
自転車のように漕がなくていいし、エンジン付きの乗り物が大好きだった僕にしてみれば、むしろそれまでバイクと縁が無かったのが不思議なくらいだ。
とにかくそれ以来、ソイツは僕の愛車となった。
教育者だった父は、あまり良くない実例を見てきたせいか、バイクには否定的だったけど…動く物なら何でも好きだった僕の近くに、そんな物を持ってきた方が悪いのだ。
それに、その頃すでに、僕はレーシング・カートのレースなどにも参戦していたから、「馬鹿なマネ」をするガキでもなかった。
実際父も、若い頃はバイクに乗っていたらしい。
あまり詳しく聞いた事はないけど、酔っ払い運転で田んぼに落ちたとか、母とのデートの最中の、「免許不携帯」や観光地でのオーバーヒートの話など。
伯母も若い頃、スクーターに乗っていたというし、案外、その頃の楽しい思い出があったから…一番の不安要素は、もちろん「事故」という事なのだろうが、それを差し引いても…黙認せざるをえなかったのかもしれない。とにかく…
“LIKE A DUCK IN WATER”
まさに「水を得た魚」の如く、毎日・毎日、飽きもせずに走り回っていた。
でも、実際のバイクとの付き合いはその時始まったのだけれど、初めてバイクという物を意識したのは、それよりさらに七年ほど前に溯る。
当時小学生だった僕は、映画好きの父に連れられて、よく映画を観に行った。たまたま、『猿の惑星』の三作目を観に行った時だ。それと同時上映されていたのが、「ブルース・ブラウン」製作・監督のドキュメンタリー映画“ON ANY SUNDAY”―邦題「栄光のライダー」―だったのだ。
その作品には、主にアメリカ国内のモーターサイクル・スポーツを愛する人たちの姿が、生き生きと描かれていた。
僕はその映画がいっぺんで気に入ってしまい、その後、小学生のわずかなお小遣いをはたいて、一度などお弁当持参で、その映画を観に行った。
(悪いけど、同時上映の『猿の惑星』には、もうウンザリだ)。
何がどうと言うわけではないし、クラッシュ・シーンに恐怖は覚えたけれど、僕はその映画を見終わると、得も言われぬ満足感を覚えたものだった。
それまでも、バイク屋さんの前で足を止める事はあった。元来、そういう物が好きなのだろう。あの頃の「将来なりたいもの」は、「四輪のレーサー」だったのだから。
でも、たぶんそのころ発売された「750」などは、小学生の僕の目には山のような大きさに映り、今のようにプラスチックが多用されていない「鉄の塊」には、絶対的な迫力があった。
そのメカニズムに重量感。それだけでも圧倒されるのに、いったんエンジンに火が入れば、あの映画で見たようなスピードとパワーで走り出す。
そして一歩間違えば、あの映画で見たように、地面の上を転げ回るのだ。
当時の僕には、そんな物の上に打ち跨った自分の姿など、想像する事もできなかった。
「二輪と四輪はまったくの別物」と、高名な元F―1ワールド・チャンピオンが語っていた。彼はバイクというものには、ほとんど興味が無かったそうだ。
後にモトクロスを始めた僕だけど、当時タイヤの四つ付いているカートに乗っていた僕だけど、「バイク」で競争しようなんて気は、まったく起きなかった。
それは、子供の頃に見たあの映画のクラッシュ・シーンが、原体験のような形で頭に残っていたからかもしれない。
それに、カートのレースに出場するには、お金がかかる。それで逆に、バイクと接する時期が遅れたのだ。
「大の字」に、アスファルトの上に寝そべったまま考えた。
『何がどうしたっていうんだよ?』
頭だけを起こして、あたりを見回す。幸い田舎道だ。人影も、車の姿も見当たらない。スピードも遅かったので、かすり傷すら無さそうだ。倒れたバイクの向こう側を見る。
『チェッ!』
軽く舌打ち。まだ舗装がなされたばかりの道は作りが悪く、土の上にたっぷりと、段差がつくほどにアスファルトが敷かれてあった。僕はその段差の角に、バイクのステップを引っ掛けたのだ。
曇った空に向き直る。雲の切れ間から顔をのぞかせた青空に向かって、くわえたままのタバコをひと吹かし。
チョット気分が良かった。
あれから…初めてあの映画を見てから二十数年。ロサンジェルスで立ち寄ったバイク用品ショップ。
そのオリジナル・ビデオを見つけた僕は、「字幕スーパー」無しを承知で、迷わずそのテープを買った。
“chase”
あれは、いつ・どこでの事だったのか?
良く憶えていないのだけど
とにかく、夏の日だった事は間違いない。
強い陽射しで、路面がとっても白く
光り輝いている日だったのだから。
左に海を見て
単調な海岸沿いの道を走っていた。
太陽の光線は、右斜め後ろの
高い位置から差していた。
僕と、僕のバイク。
走る僕たちの前には、短い影が映っていた。
その影に目を落とした時の事。
背後から、おおいかぶさるように、薄い灰色のい影が、
僕たちの影を追い越してゆく。
頭上にかかった雲の影。
前方を確認してから、ちょっとだけ
アクセルをひねる。
まだ直線は続いている。
僕たちは、その影から抜け出る。
引いたり押したりする雲の影に合わせ、
スピードを加減する。
少し先をキープ。
最後に、小さな半島のように突き出した山陰に回りこみ、
僕たちの「追いかけっこ」は、終わりを告げた。