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【短編】

陰の聖女でよかったのに

作者: 朝月アサ



「エレナ、おめでとう。あなたは国外追放よ」

「ミレイユ様……? ど、どういうことでしょうか」

「あたくし、聖女に認定されたの。これほどのピラーは歴代一とまで言われたわ」


 公爵令嬢ミレイユは自室で、常に傍に控えている侍女のエレナに向けて自慢げに語る。

 部屋には他に人はいない。

 本当ならエレナはここでミレイユを褒め称えるべきなのだが、国外追放という言葉に動揺してうまく話せない。


 ――ピラー。

 それは空に立つ透明な柱だ。


 空から地上へ神の光を下ろし、地上を守護する力と役割を持つ。

 これを立てられるのは聖女だけであり、ピラーを立てたミレイユが聖女と認定されるのは当然の流れだ。


 ――そのピラーを立てたのが、実はエレナだということは、ミレイユ以外誰も知らない。


「つまり、お前はもう用済みなのよ」

「そんな……で、ですが、ピラーがもし壊れたりしたら……そんなときのために、私がいた方が――」

「おだまり。一人前にあたくしに口答えする気つもり? 孤児風情が」

「…………」


 エレナは孤児だ。身よりはなく、頼れる人もいない。

 だが、聖女の資質があった。小さなピラーを立てたりできた。


 孤児院にいたころ、たまたま来ていたミレイユに傷を治す力を使っているところを見られてしまい、公爵家に引き取られた。

 ミレイユの侍女となり、常にミレイユの陰にいて。聖女の力を使い続け。


 そしてこの度、ミレイユが正式に聖女と認定され、エレナは国外追放されようとしている。


「安心なさい。ピラーは一度立てば二十年は持つのだから。だからやっぱりお前は不要よ。何か罪を着せて処刑しようかと思ったけれど、あたくしは優しいから国外に追放で勘弁してあげる」

「…………」

「おかしな真似をしようと考えるのではないわよ。まあ、お前が何を言っても誰も信じはしないだろうけれど」


 ミレイユは悠然と微笑む。


「公爵家に生まれ、聖女と認定され、王太子妃になるあたくしと、みすぼらしい孤児のお前。どちらが信用されるのか、考えるまでもないでしょう?」


 ――聖女は、王族と結婚するのが決まりだ。

 だからこそミレイユは何としても聖女になりたがっていた。


「誓約しなさい。二度とこの国の地を踏まぬと。ちゃんと誓えば、退職金ぐらいは出してあげる」


 ――そうしてエレナは、王国から追放された。



◆◆◆



 二年後。


 無事に王太子妃となったミレイユは、侍女エレナのことなどすっかり忘れ、幸せで贅沢な日々を過ごしていた。


 そんなある日、突然、王国の空にあったピラーが割れた。

 空から神の光が消失し、王国内に騒動が広がった。


 一刻も早くピラーを立て直さなければならないのだが、もちろんミレイユにはそんな力はない。


 ミレイユは焦った。

 すぐに聖女の力を持つ人間を探させたが、簡単に見つかるはずもない。


 エレナはとっくに死んでいる。国外追放した後、気が変わって刺客を放った。刺客からは証拠の遺髪を受け取っている。


 ――そんな折、隣国の帝国に新しい聖女が現れ、新しいピラーを立てたという話を耳にする。


 その聖女の力を借りるしかない。

 ミレイユは夫である王太子オディロンを説得し、帝国に力を借りるように要請させた。


 使者を出して一か月後、親書を携えて戻ってくる。


「いかがでしたか?」


 ミレイユが結果を問うと、オディロンは安堵した顔で言う。


「前向きに検討するので、直接帝国に説明に来るようにと」

「よかった……」

「そして――ミレイユ、君も来るようにと書かれていた」

「あたくしもですか? ……わかりましたわ……」


 帝国の意図はわからないが、こちらは頼む立場だ。

 ミレイユはもちろん了承し、オディロンと共に帝国へ向かった。



◆◆◆



 帝国の豪華な宮殿内、深い赤と金色で装飾された部屋に、皇太子ヴォルフラムとヴェールをかぶった女がそれぞれ椅子に座っていた。

 彼女が帝国の聖女であろうことは明らかだった。


 王族や高位貴族にしては服が簡素だ。他に皇太子の横に座ることができるのは、聖女だけだろう。


 そして、オディロンとミレイユには椅子さえない。

 対等ではないのだと思い知らせる扱いだった。


「いくつか質問がある」


 最初の挨拶の直後、ヴォルフラムが声を発する。その声も眼差しも厳しいものだった。


「前回、王国のピラーを立てた者は誰だ?」

「もちろん聖女であるミレイユだ」


 オディロン王太子が堂々とミレイユを紹介すると、ヴォルフラムの眉がひそめられる。


「どうして彼女にピラーを立て直させない」

「彼女は身ごもっている。ピラーを立てるのには、とてつもない神聖力を消耗し、時には命を落とすこともあるという。妊娠中にそのような危険を冒させるわけにはいかない」

「こちらの聖女には危険を冒させても構わないと?」


 ヴォルフラムは怒っていた。

 その怒りの炎に触れ、オディロンが竦む。


「い、いえ、けっしてそういうわけでは――……」


 ミレイユはその会話を聞きながら、震えを必死に抑えていた。


 本当は妊娠などしていない。聖女の力を使えない理由をでっち上げただけだ。

 いざとなれば、流産したとでも言えばいい。子が本当にいるのかどうかなんて、どうせ誰にもわからない。


「――殿下」


 いままで一言も発さなかった帝国の聖女が、ヴォルフラムに穏やかに声をかける。


「身ごもっているときにピラーを立てるなど、滅多にないことです。どうなるか誰にもわからないのですから、愛する御方を心配するのは当然のことです」


 優しげなその声に、ミレイユは心の底から震えた。


「ミレイユ様、身重の御身体で遠路はるばるお越しいただき、ありがとうございます」


 ――まさか。ありえない。死んだはず。殺したはず。


「私も、協力したいのはやまやまなのですが……私は、二度とそちらの国の地を踏まないと誓いを立てております」

「何故、そのような誓いを――」


 オディロンの問いに、帝国の聖女は微笑む。


「そちらのミレイユ様に、誓いました」


 細くしなやかな手で、自らヴェールを外す。

 露わになったのは、美しい顔と、深い青の瞳。


「お久しぶりです、ミレイユ様」

「……エレナ……」



◆◆◆



「生きて……いたの……?」

「はい。運よく生き延びることができました」


 ミレイユの震える声での問いに、エレナは微笑んで答えた。


 実際、エレナは何度も死にかけた。

 慣れない土地で放浪しながら、何者かに命を狙われる日々。

 そこを助けてくれたのがヴォルフラムだ。


 聖女でも何者でもないエレナを助けてくれて、二年も傍に置いてくれた。

 その恩を返すため、エレナは帝国でピラーを立てた。何本も。


 ヴォルフラムの瞳がエレナを見つめる。


「エレナ、どういうことだ」

「私は王国で生まれました。孤児だった私をミレイユ様が拾ってくださり、侍女として雇っていただいていました」

「そうだったのか……お前にそのような過去があったとは」

「はい。ミレイユ様は私を大変可愛がってくださいました。ですが、私は、罪を犯してしまいました」

「罪?」


 ヴォルフラムの顔に驚きが広がる。


「慈悲深いミレイユ様は、通常なら処刑のところを国外追放で許してくださいました。そのとき二度と王国の地を踏まないと誓ったのです。罪人の身で、誓いを破るわけにはいきません」


 オディロンが顔を上げる。


「罪など、もちろん許す! なあ、ミレイユ」

「…………」


 ミレイユは無言で顔を伏せる。

 ヴォルフラムはどうにも信じられないという顔でエレナを見ていた。


「――エレナ、いったいどのような罪を犯したというのだ」

「私の口からは、とても」


《――お前が何を言っても誰も信じはしないだろうけれど》


 ミレイユのかつての言葉が蘇る。

 それがわかっているからこそ、エレナはいままで誰にも何も言わなかった。

 孤児の言葉に何の価値があるだろうか。


「ミレイユ様から直接話していただくか、オディロン殿下が当ててみてください。そうしてくださいましたら、私の力をお貸ししたいと思います」


 ミレイユの顔が真っ青になっていく。


「――ヒントは、充分に出ているかと思います。質問があればお答えします」


 オディロンはわずかな沈黙の後、エレナを見つめた。


「……貴女は、いつから聖女の力に目覚めたのだろうか」

「そうですね。物心ついたときには」


 そして再び沈黙が訪れる。今度は長く、重いものだった。

 エレナは口を開くことなく、次の言葉を待ち続ける。


 オディロンが次に視線を向けたのは、王太子妃ミレイユへだった。


「……ミレイユ。愛する君を疑いたくない。君の口から話してくれないか?」

「…………」


 ミレイユは沈黙を保ったままだ。だがその内側から燃え上がる怒りは、エレナにも感じ取れた。


「――この、恩知らず! 拾ってやった恩を忘れたの?!」


 ミレイユの怒声が響き渡る。


「我が聖女になんたる暴言か! 己の立場を弁えておらぬようだな」


 激怒するヴォルフラムの声が、ミレイユの怒りを掻き消した。

 ミレイユは大きく身体を震わせ、俯き身を小さくした。足元ががくがくと震えている。


「申し訳ありません、けっしてそんなことは! ――ミレイユ、謝るんだ。いますぐ聖女殿に謝るんだ!」


 オディロンが必死に声をかけるが、ミレイユは動かない。


 怒り、プライド、保身、恐怖。

 それらがミレイユを動けなくさせている。


 重い沈黙の中、エレナは口を開く。


「もちろん、御恩を忘れたことはございません」


 エレナは手の中に、細く小さなピラーを生み出す。

 透明な柱は光を受けてきらきらと小さく輝く。


「私は昔から小さなピラーを立てて遊んでいましたが、すぐ壊れてしまっていました。思うに、誰も知らないピラーはすぐに壊れるのでしょう」


 生み出したばかりのピラーを破壊する。

 一瞬だけ光が散り、そして消えた。


「ピラーは、人々の神への信仰と、聖女への信望によって成り立っているのではないかと。人々が聖女のことを忘れたとき、ピラーは壊れるのではないかと」


 ピラーが消えた空間を見つめ、エレナは小さく息をつく。


「だからこそ、聖女は王族と結婚することになっているのかもしれません。人々に忘れられないように。信望を集め続けられるように」


 王国で、エレナがピラーを立てたことを知っていたのは、ミレイユだけだ。

 エレナはミレイユを眺める。


「ピラーを見上げるとき、少しでも私のことを思い出していただけたら、それだけでよかったのです」

「…………」

「お会いしたくはなかったです、ミレイユ様」


 ミレイユに覚えていてさえもらえれば、エレナは満足だった。拾ってもらった、育ててもらった恩がある。孤児が公爵家の令嬢の侍女になれるなど、これ以上ない厚遇だった。

 エレナはミレイユを敬愛していた。


 だが、王国のピラーは割れた。


 ――それが、とても悲しい。


「私はあなたの陰でよかったのに」


 心からの言葉を告げた瞬間、ミレイユが膝から崩れ落ちる。


「……王国のピラーを立てたのはエレナです……」


 ミレイユは床に伏したまま、嗚咽交じりに告白した。


「あたくしは……エレナの功績を、自分のものとしたのです……」

「ミレイユ……まさか、そんな……」


 オディロンの身体がふらつく。

 その身体が倒れる前に、ヴォルフラムが声を発した。


「王国で、聖女を騙った者への罰は?」


 ヴォルフラムの問いに、オディロンは声を掠れさせながら答えた。


「……一族処刑が決まりだ」


 聖女を騙る罪はそれだけ重い。

 そして、偽聖女だけを罰しても意味がない。


 一族諸共を処さなければ、偽聖女を仕立て上げて王国の中枢に食い込もうとした者たちが、無罪放免になってしまう危険性がある。


 だから王族は決断しなければならない。

 それは、愛とか優しさとは別の話だ。


「――ミレイユ様には大変お世話になりました。一度だけチャンスを与えてあげてはくれませんか?」

「……本気か? エレナ」

「はい。私は帝国の聖女ですから、王国へは行けません。お二人が生涯私のことを忘れないでいてくださったら、私は充分ですし、ピラーも安泰です」

「……約束、します……」


 ミレイユは床に伏したまま、細い声で、絞り出すように言った。


「御恩は一生忘れないと……約束します……お願いします……助けてください……」



◆◆◆



 その後は帝国側と王国側で細かいスケジュールを決めて、エレナは内密に王国に行き、空に新たなピラーを立てた。


「優しい女だな、お前は」


 聖女の護衛としてほとんど無理やりついてきたヴォルフラムが、やや呆れたようにエレナを見つめていた。


「そうでしょうか?」

「俺なら復讐を完遂させている」


 彼なら本当にそうするだろうとエレナは思った。


 だが、エレナにはそこまでの気持ちはない。ミレイユに捨てられた時は悲しかったし、苦しかったし、国外追放された後は何度も死にかけたが。


「お前が望むなら、王国の地をすべてお前に捧げよう」


 王国の空と大地を見ながらヴォルフラムが言う。

 その目は本気だった。


「ヴォルフラム様からのプレゼントは、もらっても困るものばかりです」


 ドレスや大きな宝石に始まり、離宮に、たくさんの使用人たち。

 しかも今度は王国の地だなんて。もらったところで手に余る。


 ――だが、エレナが断っても、いつかは取りに行くつもりなのだろう。武力によって国土の拡大を狙っているのが帝国だ。今回、エレナに同行したのは戦争の下見も兼ねているのかもしれない。


 それを止める権利も理由も、エレナにはない。


「ミレイユ様には本当に感謝しているのです。国外追放となっていなければ、ヴォルフラム様とお会いすることもなかったでしょうから」


 ヴォルフラムが笑う。


「やはり俺の妻に相応しいのは、お前しかいない」

「また御冗談を」

「冗談でこんなことを言う愚か者がいるか」

「……私は、陰でいいのですが」

「無理だな。俺にとって、お前は光だ」





 ――その後、王国のピラーがエレナによって立てられたことが、王国自身によって公表されることになる。

 ミレイユと公爵家がどうなったかは、エレナは知ろうとしなかった。


 空に浮かぶピラーは、帝国の皇妃となった光の聖女の伝説と共に、いつまでも光り輝いたという。





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転生令嬢ヴィオレッタの農業革命~美食を探究していたら、氷の侯爵様に溺愛されていました?
― 新着の感想 ―
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