6.流れる人たち(末)
シーアの街中心部。
中央噴水の左右には大階段があり、アーチ橋へと続いている。
レイが周囲を見回しながら言った。
「さすがにこの辺りは人も多いな」
「そうですね、水路沿いに下っていけば住宅街です」
クッキーの指先には、段々に連なっている屋根が見える。
「こうして見ると、『その辺』というのは暴論だったな。こっちの方がずいぶん人目に付く」
「その分、競合も多いですよ」
しみじみ呟くレイにクリスは付け加える。
噴水を取り囲むようにして、いくつかの商店や露店が並んでいる。
その壁には既に、一面が求人だらけだった。
「頭を下げて貼らせてもらえるなら俺はやるぞ」
「……それよりも商工会に話を通した方がいいと思いますよ。僕らもそうやって日雇い仕事探してましたから」
クッキーの言葉にクリスも首肯する。
「クッキーさんの言う通りです。レイさんなら相応の立場で交渉できます。もちろん、枠代必要でしょうが」
「……金がかかるのか?」
「もちろん。新聞広告だってタダじゃないでしょう?」
レイの表情が曇る。彼はこういう交渉やら金勘定やらがからきしダメなのだ。
だから、と言っては何だがこうして脇で補ってくれる人材が現れたのは良い兆候だと言えよう。
「まあ、いまは場所と人の数だけ見てくれればいいです。次はあそこへ行きましょう」
クリスはそういって、アーチ橋を指さした。
レンガ作りの大階段を進む。道幅は広く、談笑する若者が座り込んでいる。
「ん……?」
「どうかしましたか?」
つられてクッキーも立ち止まった。
階段のところどころで色味が違うようだに見える。しかし、気のせいかもしれない。
「さすがにここまで登ると景色が違うな。それに思ったよりも橋が広い」
レイがアーチ橋の欄干に寄って街を眺めている。
下からではわからなかったが、橋には行商人だろうか。馬を止め、座り込んで商売をする者までいた。
「それに、こんなふうになっているとは気にしていなかったな」
「あぁ、馬車道からはよく見えるんですよ。僕らは橋の下で寝起きしていましたから知っていましたけど、意外と気づかないですよね」
クッキーの視線は橋脚の裏に貼られたポスターに向けられている。
「馬車は街を行き来するからな。あそこに貼れれば、この街以外からも人が来るかもしれない」
レイは顎に手をやって感心していた。
「どうです? ボ……私があげた三つを満たす方法はわかりましたか?」
「少なくとも、目立つ場所というのは理解させてもらったな。うむ……すまなかった」
クリスがあげていた三つの条件、それは目立つこと、鉱山仕事の印象を良くすること。それから、希望者の気が変わらないようにすることだった。
「いいえ。私も少し血が上りましたから」
「……そんなに、絵に魔法を使うのが嫌なのか?」
クリスは曖昧に微笑んで、応えなかった。クッキーが近寄ってきて問いかける。
「……クリスくんさ。やりたいことはわかるし、僕を連れてきたのも街に詳しいからって言われたら納得する」
確かにクリスの言うことは理想的だ。軍に入隊するときの布告や教育にも、似たような側面はある。
それでもまあ、現実を目の当たりにする日がやや遅れるくらいだなのだが。
「でも、これくらいなら鉄鎖団の誰かでもわかるし、君がレイさんに熱くなってまで主張するほどのことだったの?」
「……ここまでなら、そうでしょうね」
「へえ?」
クリスの言葉にクッキーは目を瞬かせた。
「なら、そろそろ聞かせて欲しいけどなあ。僕が考えるところ、噴水と水路を使うんじゃないかと考えているんだけど」
「それもいい案かもしれませんね」
クリスは水路の脇に向かい、落ちている一枚の木の葉を拾い上げた。
「クッキーさんが考えているのは、こういうことでしょう? 悪くはないです。でも、誰かが流さないといけないですから」
クリスの手に持った木の葉が光る。すると、表面に舌を出したレイの顔が描かれた。魔法の行使だった。そのままクリスは木の葉を水路に落とす。木の葉は水路を流れて、やがて見えなくなった。
「……帆船みたいにはいかない、か」
「結局、どうすりゃいいんだ。俺にはさっぱりわからん」
クッキーは頭に手を置き、レイは天を仰ぐ。
そんな二人を置き去りに、クリスはゆっくりと歩き始める。
「そろそろ答えを出しましょうか。そうですね、レイさんにも分かりやすく言い換えれば、これは追跡と同じなんです」
「追跡?」
「そう。さしずめ、どこなら犯人の目撃情報が多くなるかと同じです」
大階段に足をかけたクリスは、目線ほどの高さの位置で振り返った。
「馬車道、大階段、中央噴水。一体、どこでの目撃情報が多くなるのか? いくつかの情報からそれは明らかなんです。それに私は、その方法にも辿り着きました」
ディーラーの位置に立つクリスを囲むのは三人。そう、三人だ。
「……どういうことだ。人相屋」
人相屋、そう呼ばれた人物が被っていたハッチ帽を脱ぐと、柔らかそうな金髪が垂れた。瞬間、まるでフリージアのように可憐な面立ちが露わになる。
「この大階段です」
「この階段の……手すりにでも貼るっていうのか? いや、目撃……?」
戸惑うレイ以上に、クッキーが慌てたように目をこすっている。
「っていうか、クリスくんが……あれ?」
「君も、そう思うだろう? レイさんの隣で、途中からずっと記帳をしていた君なら」
俺はその指先がまさか自分を指しているとは思わず、気づくのに二秒ほどを要した。
「……自分はただの従者です。わかりかねます」
「……」
クリスは変わらずに自分への指先を動かそうとしない。ならば、応えるしかない。
目の前で見た男から女に変わった魔法。その奇妙な感覚の変容に戸惑いながら、俺は言った。
「階段の色味……もしや蹴上げ部分か?」
「おい、セガールどういうことだ」
隣にいた上官――もちろんレイだ。彼が詰め寄ってくる。
俺がクリスに視線を送ると、彼女はにっと笑って指を鳴らした。
その瞬間――。
大階段の蹴上げ部分を覆っていたであろう紙切れが、吹雪となって飛んでいった。
露になるのは、見上げるような高さで描かれた巨大な絵画だった。
「これは……鉱山そのまんまじゃないか!! それに――」
「そう。大階段で募集してみました。ここなら馬車道、中央噴水、大階段どこからも目立ちます。それに、誰も使っていないのでタダです」
突然現れた鉱山を描いた巨大な絵画。そこへ驚きの声とともに、幾人もの人が集まってくる。
少しずつ出来ていく人だかりに俺は感心した。
「そ、そそそそそれよりも、クリスくんが女の子になったのは、なんで??」
素直に絵に驚いておけばいいものを、クッキーは赤くなってだらだらと汗を流している。
「あー、いいのか? クリス。こいつ……」
「仕方ないんですよ。もうひとつ仕掛けをと思ってまして。はい、レイさん。これ被って、これ巻いて」
「は?」
クリスはレイにハッチ帽を被せると、ピンク色の腰布を巻き付けた。
「本当はズボンも脱いでほしいですが……勘弁してあげます」
「え? 何させるんだ?」
「いいから。いいから」
クリスはぐいぐいとレイを階段の中ほどまで押し込むと上を向かせた。
そこで俺は、野太い歓声があがっていることに気づいた。クリスがクッキーと自分を手招きする。
「どうです? 注目度、バツグンじゃないですか?」
「クリス……ちゃん、この光景はまずいよ」
「確かに。中身が中尉殿とわかっていても背徳的だ」
クリスのあの帽子は『被った者を男に見せる』とばかり思っていたが、実際は違ったらしい。
本当の効果は『被った者の性別を反対に見せる』だった。
端的に言えば。女性が階段の上で色っぽい腰布を巻いて立っている光景が目の前にはある。
「後は橋の上に応募小屋を建てておいたら、どうなりますかね?」
「若い男が大量に釣れるだろうな」
「う、うーん。クリス……ちゃんがいたら応募しちゃうかも」
――クッキー……魔法画師に本気になるのはやめておけ。 俺はそんな言葉を飲み込みながら叫んだ。
「中尉殿! 提言します。准尉殿の案ならきっと多くの男性、それも成人相当が集まるかと」
「ほ、本当か?」
レイが振り返るとピンク色の腰布がふわりと舞う。同時に、『おぉー』と再び野太い歓声があがる。
「あぁん?」
レイが眼下を睥睨するように見つめている。
うさんくさいとばかりに目を細め、彼がハッチ帽の存在に思い当たったとき、不埒な仕掛けに気づいたのだろう。
「ま、まずい。退避しろ」
忠告するが間に合わない。周囲にびりびりと稲妻が振りまかれる。
「お前ら……というか人相屋……この帽子。まさか、俺を女に見せていないだろうな?」
「えっ。いや、どうだったかな。ぴーぴーぷー」
クリスがへったくそな口笛で誤魔化そうとする間に、ひときわ大きな稲妻が落ちた。
「戦車潰しのレイ!?」「やべえ!」「逃げろ!」「死ぬぞ!!」
周囲の観客が蜘蛛の子を散らすように逃げる。
「そんなもんで誤魔化されるか。食らうか? 我が最大にして最高の威力、地獄の黒雲よ従え……」
「か、勘弁してください!」
クリスとセガール、クッキーも、慌てて逃げ出した。