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夢見る魔法画師は自由泥棒と謎を解く  作者: 吉川緑
クリスとレイと鉱山と
3/6

3.それぞれの事情

 ボロボロのシャツを腰みのみたいに纏う男の背後には、ハッチ帽の人物が佇んでいる。まるで首を落とす直前みたいに、ハッチ帽――クリスは木炭を振り下ろしながら詠唱した。


「さあ空想の種よ。私の創造で芽吹き、この男に根を張れ」


 ボロシャツの背中に描かれた円陣(えんじん)は紅く光を放ち消えた。


「ご苦労だったな。ぐっ……しかし、強烈だな」


 カンガルーとダチョウの糞尿を煮詰めたような独特の臭い。

 そんな不快な臭いを遠ざけるように、灰色の軍服にふたつ星の腕章――レイが苦悶の声を漏らした。鼻をつまんだクリスが言う。


「そんなに長持ちしませんけどね。そのマークがあるうちの臭いですから」


 ボロシャツは身を暴れさせて、口から唾を吐く。


『ふざけんな! 何をした魔法野郎! さっさと解けよ! ぜってーお前、許さないからな!』

『はいはい。せいぜい頑張って背中を洗いな。ついでに首もな』


 挑発したクリスはボロシャツから離れるとレイに「どうぞ」と手で示した。

 頷いたレイが手のひらを掲げると、ボロシャツの縛り付けられた椅子が浮かび上がる。


「二度とここへ来るな。お前らにやるものなど、欠片もない」


 レイの手から稲妻が轟き、バチバチと空気が引き裂かれる。


『俺の名はパーシリ! お前ら……覚えておけよ!』

「だから、俺にはオーリア語しかわからん!」


 レイの手のひらが閉じる。

 瞬間、猛烈な衝撃とともに椅子は遥か彼方に飛んでいった。


「相変わらずの力ですね」

「墓を掘るよりこっちの方が楽だろう?」

「はは……」


 クリスは乾いた笑いを上げ、レイに従って執務スペースへと向かう。

 最中、トマと話す腫れ顔とすれ違う。


『おう坊ちゃん。助かったよって。厨房にいるから寄ったって』

『いーえ』


 ――女だっての。そう小さく呟いて、クリスは歩を進めた。

 ドアの正面に置かれた机にレイが着く。机上には採用名簿やら数字の羅列された資料やらが乱雑に置かれていた。


「ところで疑問があるんだが」

「なんです?」

「さっきのやつな。丸め込めたから良かったが、魔法は確かな証拠にならんだろ」

「あぁ」


 魔法とは実に主観的なものだ。使い手によって、虚構(きょこう)現実(げんじつ)創造(そうぞう)されたり、支配(しはい)されたりする。


 レイは電気という現実を支配するが、それは誰もができることではないし、『力こそすべて』で世は回らない。


 クリスはぽんと掌をついて小さな紙切れを取り出す。


「それは?」

「あまり知られていませんが、人相書(にんそうしょ)にはこういうのが付いてるんですよ」


 クリスはぺりぺりと人相書を台紙から剝がしていく。その裏には、渦を巻く模様が二つ並んでいた。


「なんだこの渦みたいな模様は?」

「指紋と言って、指の表面に刻まれるひとりひとり異なる模様です。レイさんと私も違いますし、さっきの腫れ顔とボロシャツでも違います」


『指紋』それは、太ったり、日に焼けたりしたからといって、変わることもない。


「つまり?」

「これを使えば言い逃れできないってことです」

「なら、なぜそれを使わなかった?」


「こういうのは最後の手段ですから。魔法みたいな胡散臭いもんで言いくるめられたってことは、拙い計画なのを彼自身わかっていたのでしょう」

「ははっ。なるほどな」


 噴き出したレイにクリスは不思議そうな目を向ける。


「そんな笑うとこですか?」

「いや、魔法を見せ札にする魔法使いも珍しいと思ってな。前金を払ったかいがある」

「……いつかひどい目に遭いますよ。この自由泥棒」


 -

 --

 ----


 日が沈んでしまうと、気温は一気に下がってしまう。砂だらけの地では、温度を蓄えておく水が少ないからだ。


「はぁーあ、疲れた疲れた……」


 クリスが月明かりの下でベッドに倒れ込むと、ぎしぎしと板の軋む音がした。青色の制服はすぐ脇の椅子に引っかけられている。


 どこかから笑い声と野太い話声が聞こえた。クリスは伸ばした腕の動きを止め、眉間に(しわ)を寄せた。


「たまには騒がないでくれよ」


 小さな机上にランプが灯る。粗末なベッドと傍の小さな机。

 人ひとりが寝泊まりするのがせいぜいと言った空間がいまのクリスの住処だった。


「あれのどこがうまいんだか」


 水が希少なのは理解していても、クリスは酒が好きではない。味以上に騒ぐ男衆のウザ絡みが気に食わない。


『うっせえぞ! さっさと寝ろ!』


 遠くからドアを乱暴に開く音と悲鳴が聞こえる。

 ーーそうだそうだ。クリスはイルムガルトが締めているだろう風紀を無言で応援した。


 イルムガルトはこの鉱山内ではけっこうな人数を占める鉱夫一団『鉄鎖団(てっさだん)』の頭領だった。クリスと同年代の十代半ばのメンバーばかりだが、鉄の鎖のような絆で結ばれる働き者たちだ。


「あいつら、戦災孤児だったか」


 クリスとしては騙されて鉱山に雇われた気でいる。それでも、レイは誘い文句で嘘をついていない。前金の件もそうだし、食事と寝床もそうだ。


 住み込み仕事にありがちな、狭く劣悪な雑魚部屋に押し込まれることすらない。申し出て了承されれば、クリスのように個室住まいも叶う。


 身を寄せ合って生きる鉄鎖団のような集団にとっては、都市や戦地と比べて天国かもしれない。


「ごめんね」


 呟きながらクリスは、さらさらとその日の出来事をスケッチブックに描きつけていく。筆記には木炭、消し具(けしぐ)は夕食に出たパンだ。


 かつてのひとり旅ではガーゼや練り(ねり)ゴムも使っていたが、あいにく鉱山では買い足せない。絵具やパステルの類も同様で、絵を描くには不自由な環境だった。


「私がアトリエを持つなんて……いや」


 クリスは木炭を置いて、胸中の夢へ纏わりつく暗い影を振り払った。そうしないと、描いた夢も自由も真っ黒に塗りつぶされてしまいそうで。


 ハッチ帽が落ちる。軽やかに広がる猫みたいな金髪が華奢な肩に落ちた。

 月の灯り、それからランプの揺らぎが青い瞳に落ちる。それはまるで、夜空に瞬くアルタイルのよう。


「魔法なんて、使えなきゃ良かったんだ……」


 -

 --

 ----


「いつまで本国を騙していられるか」


 執務室の中でレイはひとり呟いていた。視線の先の紙には、鉱山の収益や人員の増減のほか、『白木馬(しろもくば)の所在は不明』と書かれている。


 レイは報告書を金筒に収めつつ窓を開けた。そこには焦茶の翼を持つ伝書鳥が報告書を託されるのを待ち受けていた。


「行け!」


 合図に応えるように、二、三度羽ばたいた伝書鳥は夜の空に消えていった。


「赤字で飛ばされたら何にもならんか」


 オーリアは南海に浮かぶ絶海の巨島だ。本国からは海を隔て距離は10,000マイルほど。東西を二分した戦争から五年経ち、本格的な占領事業に向けて、西部にいくつかの拠点が建ち始めている。


「相変わらず、資源と遺物くらいしかない土地だ」


 地下資源豊かな島と言えば聞こえは良い。しかし、占領下の西側でめぼしいものと言えば、珍しい動物か広がる砂漠くらいしかなかった。


 砂漠は広大で、眺める分にはまぁ悪くない光景と言えよう。しかし、どれだけ素晴らしい自然も、三日も囲まれれば慣れてしまう。


「鉄道を敷く土地は山ほどあるんだがなぁ……」


 レイは少し前に、クリスらと森ギャングを探しに砂漠へ出たときのことを回想していた。


 ただただ広がる砂漠と鮮やかで鬱蒼とした森林、そして光り輝く水平線のコントラスト。不思議と探索隊は涙を浮かべて憧憬していた。ただ一人を除いて。


「次は鉄道を見せろとか言っていたが」


 それは年相応にはしゃいで絵を描いていた『魔法画師(まほうがし)』クリスのことだ。


 自然の雄大さが人の心を打つことはレイとしても同意できた。しかし、それは観光であって生活ではない。この巨大すぎる砂場に落とされた豆のようなレイたち占領軍は、これから根を張って過ごしていかねばならない。


 土地はあっても金がない。戦乱のせいで数少ない都市も疲弊していた。


「東とやり合っても、また皆が土に還る運命だ。それなら、俺は……」


 レイが見つめる古い地図、そこには山の底に眠る異形の姿がある。『白木馬』と呼称されるその異形の遺物は、空を自由に駆けると伝えられている。


 拳を握ったレイはそこで、収支の赤字にため息を吐いた。


「まずはもう少し人を増やす手を取るか」


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