1.見惚れる体
――髪がない頭はいいなぁ。きれいな形がよく分かってさ。
それは、サンシェードの下に並んで座る二人のうち、ハッチ帽を被った方の感想だった。
日さしの外は灼熱の太陽が眩しい。乾いた風が砂を攫って、パラパラと岩に当たる。そんな熱砂の上に立つ大男に、制服ハッチ帽の目は囚われていた。
――あぁ、絵に描きたいな。
茶色い卵みたいに褐色で形良く、つるつるとした頭。頑強さを讃えた面立ちに、彫刻を思わせる造形。奥目がちの深い彫りとすっと通った高い鼻筋の峡谷。流れ落ちる球の汗がなす軌跡は、実に綺麗だった。
「クリスさん?」
「ん」
クリスと呼ばれた制服ハッチ帽は、隣の同僚に促されるまま、差し出された名簿にサインと判を押す。サインは僅かに光を灯して消えた。
――良くないなあ。
クリスは内心でため息をしつつ、ハッチ帽を被り直した。毎度じろじろ眺めていては、あらぬ誤解を生みかねなかった。
「イルムガルトさんご一行。問題なし。どーぞ」
「おうボウズ。あちぃから水飲めよ」
がはは、と豪快に破顔する大男は、振り返り檄を飛ばした。
「行くぞ、オメーら! 先越されんなよ!」
「あぁ」「うぇい」「それでイル、今日は……」
つるはしやらシャベルやら空木積やら。筋肉質で頑強な奴らは、すり鉢状の鉱山を下っていく。今日も、露天掘りされた巨大な穴の底では、トロッコやカナリアを伴い男たちが働いていることだろう。
クリスはその背中を見送りながら、支給された制服の襟元を緩め、ぱたぱたと風を求めていた。
「見るだけじゃなくて、描けるって聞いてたんだけど……」
ぼやくクリスは門番だった。元々は旅の人相屋で絵描きだったところを、三ヶ月ほど前からここに留まっている。
人相屋という稼業とあくなき絵への渇望。クリスにはそのせいか、ついつい綺麗な造形に身惚れてしまう癖がある。鉱山は『褐色の彫り深マッチョ』の巣窟ゆえ、目を奪われるのは日常だった。
「なのに、なんでボクはこんな所で門番してんだ……」
人相描きや風景を描きながらのひとり旅。慎ましく穏やかで気楽だったその旅は、唐突に終わりを迎えていた。
それはまだこの島『オーリア』が夏を迎えたばかりの、11月も終わりのことだった。
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水源に近く人の行き来も多い、オアシスの街『シーア』。そこかしこを馬車が行き交い、露店が立ち並ぶ。路の隅に目をやれば靴磨きと同業者が見える。
ことが起こったのは、クリスがいつものように、マットと椅子、キャンパスを置いただけの簡単な露店描きをしていたとき。
白布の外装に身を包んだその男は、クリスの絵に触れて言った。
「なあ『少年』。君の腕はなかなか確かだ。だが、惜しいな」
「……何が?」
クリスは目だけを動かした。男は続ける。
「もっと良い場所がある。一緒に来てくれれば、団体客を紹介できるし、宿の世話も出来るんだが」
「ボクを攫おうったってそうはいかないよ。そんな上手い話」
――あるはずがない。旅慣れたクリスは男の話を受け流す。
美しい『シーア』にもオーリア全土を巻き込んだ戦争の傷跡はある。人さらい紛いの所業が横行している話をクリスは耳にしていたし、靴磨きの何割かは孤児だ。
食うに困って森でギャング化する奴らもいるし、そんなお尋ね者の『人相描き』をクリスは何枚も描いてきたのだ。
安易に着いていった先が、森ギャングの巣窟だったら復讐されることだってあるかもしれない。
『ドン』
クリスの思考を断ち切るように、鈍い音とじゃらり、と鳴る音がした。
「は?」
「前払いだ」
クリスの戸惑いを無視して、男は不敵な笑みを浮かべる。置かれたのは銭袋だった。それも、ありえないほどの量が入った。
「おいおい。半年は暮らせ――」
今度は男が、クリスの言葉を鼻で笑う。勝利を確信したギャンブラーみたいに、さらにもうひとつ銭袋を追加した。
「こっちは来てくれたらやろう。どうする?」
「待て待て。待てってば!」
罠だ。おかしい。クリスは警戒しながらも目の前の銭袋に混乱していた。たかが子どもひとりにここまで小道具を使うのは不自然だし、何より――。
「人生の決断は待ってくれんぞ、少年!」
アトリエを建てる夢、いつか鉄道を描く夢、それから……。クリスの頭の中ではぐるぐると夢や希望が一杯になり――。
「ドースル!!」
――クリスは堕ちた。
そのまま馬車に乗せられ、山道を揺られること街から約一時間。銭袋を抱いて浮かれた夢見心地のまま、連れて来られたのが。
たちこめる蒸気や石炭臭の混じる空気。そして、見渡す限り岩と砂だらけの光景。いるのは、半裸で日焼けした男、男、男……。
「ぬわぁんじゃ、ここわぁー!!」
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金に目が眩んだのは否定できない。たしかに、あれだけの銭袋ひとつを前払い、一年の任期満了でもうひとつと言うのは、悪い話ではなかった。
それでも、クリスにとっては『騙された』ことに不満だった。
「あぁー。自分の愚かさに腹が立つぅ!」
クリスのぼやきは、鉱床をガンガン叩く騒音や脳みそ筋肉たちの怒声にかき消される。
「クリスさん……。腹でも下してんすか? 真面目にしないと怒られますよ」
ふわふわした金髪をかきむしるクリスを見て、隣に座る年下の同僚が声をかけた。
「うっせー! 男眺めるばっかで、イヤになんだよ」
陶器人形のような顔と碧目を歪めてクリスは言い返した。死んだような視線の先に、干上がったミミズが映る。
――おまけにこの暑さだぞ。クリスが唇を歪めて水袋を呷って飲み始めた、そのとき。
「何の話かなあ? 人相屋。ほれほれ、楽しい絵描きの仕事だぞ」
「ぶふっ」
クリスは盛大に水を吹き出した。
「あ、レイさん」
ぬるっと寄ってきた、灰色制服の青年。彼、レイこそがクリスを鉱山に引き入れた張本人だった。
「ぶほっ、げほっ。れ、レイ……さん」
吹き出した水を拭いつつ、クリスは慌てて背筋を伸ばした。
「ご苦労だな、トマ。すまんが、ちとこいつを借りるぞ」
「新人ですか?」
「そんなところだ。行くぞ、クリスティーナ・アーロニィ『准尉』」
「あい。さー……」
クリスは不満気に席を立って小走りでレイに続く。二人の関係は上官と部下だけではない。騙したレイと騙されたクリスでもあった。