第五話 殴り込み養老渓谷
サキナに「準備が出来た」と連絡をした後、向こうからは場所の指定があったが、厄介なことに「沖俊樹単身で来るように」という条件が添えられていた。
「ええっ、困るなあ。総局長としては直接彼女と話をさせてもらいたいんだけれど」
ミリアがぽりぽりと頬を掻く。
「けどこう言われちゃったもんは、ねえ。まあ説得のリベンジはさせてもらうとして。かと言って俺一人で行って、そこで広瀬に暴れられても困るから、取り敢えずは近くまで一緒に来てもらって、近くで待っててもらう感じしか無いかな、と」
ラインの文面を見せながら俊樹も困ったように笑った。
「うーん……まあ、そうするしかない、ってことにはなるけど。ほんと、不味いことになったらすぐに私を呼んでね」
「了解了解」
「でもさっき聞いた通りの人だとして、対話に応じてくれなさそうなんだとしたら、ある程度無力化することも想定しなきゃ、だよね」
「そうなんだよなあ」
俊樹はぐっと伸びをし、
「まあでも、一人であいつと対面するとなったらやっぱり、さっきエイリに話したあのやり方をするしかないんじゃないかと思う」
つい先刻に三人で相談していた、無能力者である俊樹でも広瀬サキナを無力化できるような方法について俊樹が示唆すると、エイリは肩をすくめて、
「結構な搦め手だよねえ。僕、とし兄のことは信じてるけど、演技力とかについてはちょっと分からないからね」
「なるようになるしかならん」
そう断言する俊樹に、うんうんとうなずくミリア。「脳筋だなあ相変わらず」と、エイリは苦笑いした。
しかし三人にとっての課題はそれだけではなかった。ミリアが指定した場所は、案の定千葉県の山奥の奥、養老渓谷の山中だった。
交通手段を調べて俊樹は愕然とした。聞いたこともないローカル鉄道一路線か、バスしか手立てがないのだ。しかもどちらにせよ向かうのに二時間以上は掛かる。とても県内を移動するだけの工程とは思えなかった。
流石にこれにはミリアもげんなりして、
「えー? ヘリのチャーターをすれば行けなくもない、のかな。でも山の中だしなあ」
とぼやいていると、エイリが「面倒だから僕が用意した車で行こう。ちょうどいいのがある」と言い出した。
何のことかと思い俊樹が、エイリに連れられ総局の最上階にある彼の研究施設に足を運ぶと、
「何じゃこら、いつの間に……」
そこには見覚えがあるようでない、流線型のスポーツカーが佇んでいた。
そのフォルムはまるでステルス戦闘機のように、のっぺりとしていてどこか鋭い、そんな形だった。
車らしからぬその威容に、
「どうせ、ただの車じゃないんだろ」
「うん。空飛ぶから。これならヘリコプターと違って、木が生えまくってる山中とかでも簡単に着陸できるよ」
俊樹はしばらく口をパクパクさせてから、諦めたように、
「……そんなところだろうとは思ってたよ。でも、目立たないだろうな」
「大丈夫、ステルスだからレーダーには映らないし、光学迷彩もある」
そう言ってエイリが腕を軽く振ると、目の前に有ったステルスの巨体がスッと消えた。その光景に、昨日見たばかりの瞬間移動を思い出した俊樹は、
「十分に発達した科学は、魔法と見分けがつかない。ってか」
「僕にしてみれば、十分に発達した魔法は科学と見分けがつかないけどね。あのサキナとかいう子の魔法、相当いろんなことに応用が効くね。僕が使えたら、多分文明を一気に十世紀分くらい進められる」
その言葉に若干眉をひそめる俊樹。
「そうか、じゃあアイツの説得した暁にはコンビ組め。コンビ名はシンギュラリティ」
「ちょ、怒んないでよ。冗談だって。あくまで例えの話」
そう言いながらエイリは車を再び可視状態に戻し、そしてドアを開いて何かをいじり始めた。こうなったエイリは暫く止まらない。それを知っていた俊樹は、近くに有ったストールに腰掛けた。
スマホを取り出し、ラインを確認していたところ、
「……とし兄」
「ん?」
珍しく作業中にもかかわらずエイリが話しかけてきた。
「あのさ、既読付いた?」
「広瀬さんのことか? それならもちろん」
「じゃなくて、ほら」
その問いに俊樹は「ああ」と、スマホをいじって、
「いや、まだだな」
「そっか……ごめんね、もう少し感度が上げられれば良いんだけれど、現時点では限界」
「謝んないでくれよ、むしろ感謝しか無い。こっちからすれば"あっち"とやり取り出来るってだけで感謝感激なんだぜ。お前はとんでもなくありがたいことをしてくれてるんだ」
「そういってくれるとこちらとしては嬉しい」
「本心だっての」
そう言いながら、一週間前に送ったメッセージを俊樹は確認した。「無事か?」とだけ送った文には、既読のマークは付いていない。
そうしているといつの間にかエイリが前に立っていた。
「そういう意味ではね。さっきのは冗談じゃないかもしれない」
「どういうことだ?」
「あの、サキナの魔法の力。あれを借りることができれば、より強力な通信装置を作ることができるかもしれないってこと」
「……なるほどな」
目をつむり、俊樹は考える。エイリの言葉が、これからの行動にどのように影響しうるのかを。
「……ごめん、こんなこと言ってヌカ喜びだったら不味いよね」
「いいんだよ、取り敢えず成功させなきゃいけない理由が増えたわけだし。モチベーションは高いほど良いからな」
その言葉にエイリは頷いて、再び車の整備に取り掛かった。それから暫くはカチャカチャという工具の音のみがその部屋に鳴り響いた。
■
そろそろ日が低くなってきた頃合いに、俊樹は養老渓谷山中に降り立っていた。因みにエイリの車に乗って時速七〇〇キロメートルで空を駆け抜けた直後だったので、何度か山肌に嘔吐した後ではあったが。
「いやはや、それでは一人寂しく突撃しますか」
グロッキー状態になっている二人を車中に残し、そこから10分ほど。俊樹は一人で、サキナから送られてきた座標に立つ。周囲にはただ雑木林が広がるだけで、目印になるようなものは特に無い。
すると、
「よく来たわね」
音もなく、例によって忽然とサキナが現れた。その服装は昨日最後に見たときと同じブレザー姿だった。
「なんだよ、着替えてないのか?」
「余計なお世話。魔女の服は汚れないのよ」
そう言いながら、サキナは杖を振った。それと同時に、地面がするすると開き、そして地下へと続く階段が現れた。
なるほど、昨日の種々の変動はこれを作ったことが原因なのか、と俊樹は納得した。
「どうぞ」
だが、その案内には承服しかねた。
「なんでワザワザ地下で? 別に情報伝えるだけなんだから、この場でも良いじゃないか。山の中だから涼しいし」
「あなたは客人。それを最大限の礼節を持って迎えるのが魔女の習わし」
それでも動かない俊樹に対して、今度は鋭く言い放つサキナ。
「――ああ、それと。昨日あなたのお仲間は衛星を使って私を察知したと言っていた。それに見られ続けるのは癪だから、話は地下で聞く。こう言われたら納得する?」
「……降参」
そう答えるほかなかった。俊樹は渋々中へと足を踏み入れた。
大体2フロア分下っただろうか、そこにはドアがあった。ようやく到着かと思えば、開いた先は小さな部屋だった。それが自分が見知っている装置と同じものであることに気付いて俊樹は素っ頓狂な声を上げた。
「まさか、エレベーターかよ!? 一体何階まであるんだよこれ?」
「向かうのは地下十五階」
その口ぶりは、まるで更に地下深くまでフロアが伸びていることを示唆するようだった。まるでダンジョンだな、と俊樹は呟いた。それから、ああ、正に魔女の潜むダンジョンそのものじゃないかと思い直したが。
音もなく止まったエレベーターを出て、廊下を暫く進んだ先にある客間に通された。広々としたそこには大きなテーブルに本棚、鹿の首の剥製と幾つかの彫刻などが並んでいた。まるで中世の宮殿の一角のような佇まいだった。
「すごいな、これ全部一日でこさえたのか」
「一日? このくらいなら一分も要らないわ」
絶句する俊樹。この人物はやはり、色々と規格外であると察する。
「はあ……ローマは一日にしてならず、俺の好きなことわざなんだがな」
そう言いながらソファーに腰掛けた。管区長室のそれに劣らない座り心地に感嘆する。
「なんだよこれ、どういう素材使ってるんだ? 土魔法から作ったとは思えないな」
「土魔法じゃないもの。そこらへんって、キョンっていう鹿みたいな野生動物が沢山居るから。それを捌いて作ったの。まあ確かに悪くない出来にはなった」
何でもないという風に言うサキナ。つまりあの剥製は鹿ではなくキョンだったというわけだ。
ライトノベルを熟読している俊樹としては「キョンを捌く」という言葉に中々不可思議な気持ちになったが、それは置いといた。
「まさに魔女って感じだな。これで生き血まで啜ってたら役満」
「血なんて啜るわけ無いでしょ、吸血鬼じゃないんだから」
「じゃあ、どうやって魔法の源泉を貯めてるんだ?」
「食事」
そうとだけ答え、サキナは手をテーブルの上にかざした。すると手品のように手が通った場所に、湯気を立ち上らせるティーカップが二組現れた。中には琥珀色の液体が入っている。
「どうぞ。あちらの世界でのもてなしのマナーなの。この液体はね」
何も言わず差し出されたカップを受け取り、口の中に運ぶ。その味に、思わず俊樹は笑った。
「……ただの紅茶じゃねえか」
「普通にコンビニで買ったやつよ」
微笑みながらサキナも口に運ぶ。
どうやら魔女というのは悪戯が好きなようだった。
「というかコンビニかよ。魔女ならなんか葉っぱ煎じるところからやってくれよ」
「ここまで深いと水が出ないのよ。もう少し上だと地下水だとか養老川から水を持ってこれるんだけどね」
俊樹はカップをテーブルの上に置き、
「で、どうする? 本題か?」
「気が早いわね。この紅茶が飲み終わるまでは世間話でもしましょう」
サキナは落ち着いた様子で紅茶を口の中で転がし、飲み下した後に鼻から息を吐く。艶やかな吐息だった。
「コンビニの紅茶なんだろ?」
「それでも、あっちの世界のどの紅茶よりも美味しいわね」
「そんなに悲惨な味だったのか?」
「絶望的ね」
俊樹もサキナに習い、口の中の残り香を転がした。
「……相当苦労したんだろうな。戦いは?」
「当然。私は人間の国の王に召喚されたの。魔族との戦いで危機に瀕してる、どうかこの国を守ってほしい、ってね」
「そりゃ魔女というより勇者のルートだな」
「ご明察ね。連中も私に勇者になって欲しかったみたい。だから途中までは私も努力してた……でも、途中で諦めることになった」
サキナは俊樹の目を見た。しばらく沈黙した俊樹は、
「……お前の土魔法が原因か?」
「正解。土属性はあの世界では、不浄の大地を源泉とする魔の力として忌み嫌われていた。私にしてみれば『魔法』なんて銘打ってる時点で全部魔の力としか思えなかったけれども」
「間違いない」
再びくすりと笑い合い、そしてサキナは話を続けた。
「そういうわけで私は人の国を追放された。かと言って魔の国に行くわけにも行かない。そこで決めたの。魔女になろうって」
サキナは杖を振る。するとテーブルの表面がウネウネと歪み始め、やがて地図のような形を生み出した。東西方向に広がる巨大な大陸だ。
「これがティオミスの地図。真ん中の大陸の西半分が人の国、東半分が魔の国。どっちにも居られなかった私は、」
その言葉とともに、丁度大陸の中心が盛り上がってきた。それは段々と高さと鋭さを増していく。しまいには四十センチほどの高さとなった。地図の縦幅とほぼ同じだ。
「このように、大陸の中心に誰も寄せ付けない山を作った。そしてそこからティオミスの平和を守るようになったわけ」
「すげえ話だ、まるで神話だな……ちなみにこの山の縮尺は?」
「地図どおりよ」
つまり本当に地図の縦幅と同じくらいの山を作ったということだ。地球に例えるならば直径の半分、二万キロメートルの高さ。もはや山というよりも軌道エレベーターだ。
「戦いは、って質問だったわよね。まあ見ての通り、私は地形の操作から細かな道具の製造まで、土が絡むことなら何でもできる。だからこういう風に」
言いながら地面を掴んだサキナ。そこから引っ張り上げるように戻した手には、銀色に輝く剣が握られていた。
「武器を作ることもできるし、あるいは」
瞬間、テーブルの手前半分がねずみ取りのように跳ね上がり、俊樹の眼前に迫った。
「こういうふうに、挟んで潰すことも出来る」
それに対して、動かない俊樹。再び平らになったテーブルの向こうで、サキナはつまらなそうに、
「……へえ、動じないんだ」
それに対して、無言で下を指差す俊樹。見ると、股間がびしょびしょになってた。
「……ぷっ、紅茶こぼしちゃった? それはごめん、そこまで気がまわらなかった」
「分からないぞ、別の紅茶の可能性もある」
俊樹は神妙な面持ちでそう答えた。
読んでいただきありがとうございます! 評価のほど何卒何卒……。