第四話「残酷なカイゼル弟王子」
気が付いた時、私は兵舎の一室で横になっていた。衛士の方がここへと運んでくれたのだろう、私はお礼を言おうと辺りにその衛士が居ないか探してみる。
しかしそこには私一人しかおらず、何処にも人の気配がしなかった。代わりに遠くから、誰かが怒鳴っている声が聞こえてきて、私は耳をそばだてた。
「おいっ、エラルドッ! 何とか言ったらどうだッ! 貴様が反戦など唱えるから、兵の士気も上がらずに苦戦を強いられたのだ。挙げ句がこの始末よっ、もはや勝ちは望めん、全部貴様のせいでなッ!」
その怒声の後には激しく何かが倒れる様な音が響く。私にはその声の主に心当たりがあった、それはおそらくカイゼル様だ。カイゼル様が戦場から戻って来られて、エラルド様を責めている。
そう思った途端、私は心配でエラルド様の居る獄舎へと駆け出していた。
牢の前には衛士や看守たちが、悲痛な顔をして直立不動の姿勢をとっていた。その奥の牢の中では案の定、近衛兵に護られたカイゼル様がいて、エラルド様を激しく鞭で叩いている。
それを見た私は目眩がする様な怒りを覚え、危うく叫びそうになった。
「有り難く思えよエラルドっ、その首が国の役に立つ時が来たのだからなッ! 元々盲目で役立たずの貴様が王太子になれるはずがなかったのだ、俺こそが王太子になるに相応しかったはずなのにッ!」
私がカイゼル様の暴力を止めようと一歩踏み出した時、衛士の一人が私の腕を掴んで小声で言った。
「シスターテレーズ! こんな所に貴女が居てはいけない。危険なので兵舎へとお戻り下さいっ」
しかし私はその手を振りほどき、衛士たちを掻き分けながら牢の中へと入り込む。もちろんカイゼル様をお諫めする為に。
「おやめ下さいっ、カイゼル殿下! この様な惨い仕打ちをなさる事を、神はお許しになりませぬよッ!」
私の登場にギョッとしたのはカイゼル様だけではい。その場に居た者全員が驚いていて、特にエラルド様は慌てた様子さえみせた。
「何だこの修道女はッ!? 誰がこの者をここに呼んだッ!」
「御初にお目にかかりますカイゼル殿下。私はエラルド様の教誨の為に、修道院より遣わされたテレーズと申します」
「あぁ!? 教誨だと? 俺はそんな事を許可した覚えはないぞ」
「いいえ、ご許可はいりませんわ。罪人への教誨は王国と教会の間での約定により、何人も拒否なさる事は出来ないのですから」
苛立ちを見せたカイゼル様は、近衛の者の一人に確認する。それに対して頷いてみせた近衛の者に、カイゼル様は八つ当たりして罵った。
「チッ! 教会とはめんどくせえ。興が削がれたわ、お前ら戻るぞっ!」
そう言って牢を出ようとしたカイゼル様が、私の前を通り過ぎようとした時のこと。
不意に私の顔をまじまじと見つめなさって、下品な笑い顔を浮かべたのだ。
「よく見るとなかなかイイ女じゃないか。俺の欲しいフレーリアという女に似ていなくもない」
なんと言う穢らわしい男。それにまだ私を諦めていなかった事に、鳥肌の立つ不快感を覚える。
「おい修道女、お前、俺の女にならないか? 可愛がってやるぞ」
そう耳許で囁いたカイゼル様は、事もあろうか私の腰を抱き寄せたのだった。
「よせっカイゼルッ! シスターテレーズに無礼を働くなッ!」
そう警告なさって下さったのは、なんとエラルド様だった。盲たその目では、カイゼル様が私の身体に触れた事までは分からないだろう。
それでもただならぬ気配を感じて、私を守って下さろうとしたに違いない。
「何だとエラルドッ! この俺に生意気な口をきくつもりかッ!」
カイゼル様は顔を真っ赤にさせてお怒りになり鞭を振り上げたのだが、辺りを満たした異変に気が付いてその動きを止めた。
呟きにも似た「テレーズ様に何という真似を」「神がお許しにならない」という沢山の声がそこかしこから聞こえてきたからだ。
「なんだこれは?」
やがてその異変は不穏な気配へと変わり、それは無表情なまま直立不動の姿勢を続けている衛士や看守たちから立ち昇っているように見えた。
鈍感なカイゼル様には分からない様であったが、近衛兵たちにはそれが殺気だと分かったのだろう。
「カ、カイゼル殿下、この後のご予定が迫っておりますゆえ、急ぎお戻りになられた方が宜しいかと」
「あ? チッ、まあいい……行くぞ」
誰にも刺激を与えないような理由を述べて、そうカイゼル様を促した近衛兵の機転が奏功したようだ。
カイゼル様は不機嫌を撒き散らしながらも、獄舎を出ていかれたのだった。