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収の日、ヤランの稽古は本格的に2

「ヤラン。お前は基礎体力が平均に比べて低い。これは自覚しているな?」


 ダイルの家の裏手に置かれた250Lは入りそうな大きな水瓶の前に連れられて、彼から念を押すように言われる。ヤラン少年はゴクリと唾を飲み込んで答えた。


「は、はい。僕は病気がちでしたから・・・」


「うむ。だからと言って無理をさせるつもりはない。まずはここの近くの井戸まで往復して、この水瓶に水を溜める」


 そう言ってダイルは水瓶の脇に置かれた縄の取っ手が付いた木の桶を指差す。


「そこに6つの桶がある」


「・・・はい」


「これからこの桶を持って井戸に水汲みに行く。俺は4つ持つから、」水瓶と桶の間に立てかけられた物干し竿を一本掴むと桶を二つ通して「お前は二つ持って行け」


 そして、ダイルはヤランに差し出した。


「それを首の後ろに、肩に平行に担いでみろ」


「は、はい」

(とは言っても、木の桶も板が結構厚いし、そもそも重たいんじゃあ・・・?)


 ヤランの想像通り、物干し竿に引っ提げて肩に担いでみるが既に重さで首が痛い。

 しばらくじっとそれを眺めて、ダイルは何かを思うように頷いて言った。


「まだ持つのもやっとか。水は汲まなくていいからそれを担いで俺の後をついてくればいい」


「それだけでいいんですか?」


「徐々にな。体力をつけて行けばいい。無理をしても身体を壊すだけだからな」


「は、はぁ・・・」


「ただし」


 ダイルはヤランの右に跪くと左手で少年の腰を、右手で少年の肩を姿勢を直すように添える。


「姿勢を意識しろ。筋肉は無意識に使っているだけでは疲労するだけだ。意識して姿勢を維持し、両足をしっかりと大地を掴んで歩くんだ。いたずらに重い物を運んでいるだけでは意味がないからな」


「は、はい」


 ヤランは言われていることがなんとなく分かった。

 彼は転生前は出不精のボッチ生活ではあったが、学校でもボッチだったわけではない。一応は剣道部に所属して部活にそれなりに力を注いでいたから肉体改造には多少の知識を得ている。

 もっとも、剣道部の顧問の先生は温厚だったが、剣道の師範として外の道場から特別顧問として招かれていた客員教師がパワハラに近い厳しい先生で、元々身体の強い方ではなかった「彼」をまるで目の敵のように厳しく扱いてきたので2年生の春過ぎには退部届を出したのだが・・・。


(あれは、完全に僕を辞めさせる為にいびってたよな。今にして思うと・・・)


 体育会系にはかつてよくあった事だ。強くなるやつほど強く叩けば反骨精神で強くなるという理不尽な根性論。それでやめてしまう奴はそこまでの可哀そうな奴だという理不尽な根性論。

 だが、今いるこの世界はどうだろう?

 先日、傭兵崩れが村の少女を襲い、それを強くなれた気がして勘違いしたヤラン少年が助けに入りボコボコにされるという事件があったばかりだが、件の傭兵崩れの男達は「私刑」で村人に「リンチ」され、撲殺されている。

 文明の発達した世界なら、丁寧に鍛えて成長して行く事が出来たから根性論など必要なかったが、今いるこの世界は未熟で、純粋で、簡単に命を落としてしまう世界だ。


(根性論だろうと何だろうと、出来る限り食らいついていかないと・・・。いざ本編が始まったら・・・。戦争が始まったら今の僕じゃあひとたまりもない。先に起こる事はおおよそ決まってるだろうから今は出来る事を少しでも多くしないと・・・)


 村の壊滅。おそらくこれは回避できない運命イベントだろう。壊滅に吞まれるのはヤランを始めとして彼の両親も多分入っている。

 彼は歯を食いしばって桶を吊るした物干し竿を担いでバランスを取って立って見せた。

 ダイルが力強く頷き、桶を4つ吊るした物干し竿を軽々と担いでヤランの前に立つ。


「よし、では行くか」


「は、はい、先生!」


「先生? 俺は医者ではないが?」


「あ、ごめんなさい。なんとなく・・・。教えてくださる方は先生かな、と・・・」


「そんな呼び方はよせ。先生と呼ばれる剣士がいるとすれば王宮に務める剣の指南役くらいな物だろう。俺はすでに剣を置いた身だしな」


 苦虫を噛んだような顔。


(ああ、なんか、良くない思い出でもあるのかな。これは先生は禁句かな・・・?)

「わかりました。ダイル師匠」


「師匠もよせ。弟子を取ったつもりはない」


「じゃあ何と呼べば?」


「おじさんでいい」


 ダイルは年のころは30前後と言った所か。なるほどヤラン少年の年齢からすれば立派なおじさんか。


「わかりました・・・。ダイルおじさん」


「うむ。行くぞ」


 そして、ダイルはヤラン少年を伴って村に半ば均等に分けるように掘られた5つある井戸の中で一番近い所を目指して歩き出した。

 近いと言っても、100メートル程度離れている。健康な大人の男性なら多少の労働だろうが身体の小さなヤラン少年にしてみれば重労働だ。

 それを理解しているからこそ、ダイルは少年の歩みを時折振り返って観察し、姿勢が悪い時は指摘し、気遣いながらも厳しく指導した。

 そして、井戸までのルートはいつもの近道ではなく少し遠回りなルートを通る。

 近道すると中央広場が見える為、そして、そこではロバート老人が自警団の若者達に戦闘訓練をしているから。

 他の子達の目からヤランを出来るだけ遠ざける目的もあったのだ。

 水瓶への水汲みは、実に1時間かかった。

 桶は見てくれは多分、8Lか10L入るのだろうが、本来なら6つ、60L弱運べる所をヤランが空でなければ運べないほど体力がなかった為40弱しか運べず、井戸まで徒歩での遠回りだったからこそ時間がかかるのだ。

 水汲みが終わる頃にはヤラン少年はへとへとになってしまい、水瓶の脇にへたり込んでしまう。

 これには流石のダイルも眉根を顰めてため息を吐くだけだった。


「ひとまず休憩しておきなさい」


「は、・・・はい・・・。ごめんなさいダイルおじさん」


「今のお前の体力はそれしかないのだ。仕方がない。おじさんはこれから素振りをするから、そこで座って見ていなさい」


「はい・・・」


 へたり込むヤランを日陰に座らせて、ダイルは適度な太さで1メートル程度の長さの棒切れを木剣代わりに基礎動作を繰り返しヤランに見せた。

 ヤラン少年は遠巻きにその動きを眺め、動作をしっかりと把握して体力が回復してきてからダイルの隣に立って同じように基礎動作を反復練習する。


「ん、体力はどうあれ、物覚えはいいようだな」


 一定の評価はされたが、昼に差し掛かる頃にはダイルはヤラン少年を彼の家へと送って行った。

 初めから本腰を入れて訓練したところで身体には疲労が溜まるだけだ。

 身体を強くするのに、近道など無かったのだから。

 こうして、ヤラン少年の剣の道は始まったのだった。






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