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百鬼夜行は終わらない  作者: 妖狐
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「ここ」という場所

お気軽に楽しんで頂けと幸いです。

 ここは八百万(やおおろず)の神々が住まう所。そして八百万(やおおろず)の神々住まうところには同じ数の、あるいはそれよりも多くの妖怪が住んでいるものだ。

 あらゆる物、事象に神は宿り、あらゆる物、事象に妖怪は住まうのだから。

 別にこれは神と妖怪が同一の存在というわけではない。紙一重というわけでもない。

 ただただ人間が人間にとって善し者を神、悪し者を妖怪と区別しただけだ。

 人間を助ける妖怪もいれば、人間を殺戮する神もいるというのに。

 表には裏があるものだ。光には影ができるものだ。幸せと不幸は同時に訪れるものだ。

 例えばAとBが恋愛感情を持ち交際に発展したとする。二人はとても、幸福であろう。しかしここにBに好意を寄せていたCがいる。その人にとって二人が愛し合っている事実は不幸でしかない。

 そして神とは幸福な者に微笑みかけ、妖怪は不幸な者へと笑いかけるものなのである。

 しかし人の世は一瞬であるのに対し、彼らの生は永劫である。

 人間が感じる幸福な事実も不幸な事象も永劫の時の中では彩りを添える時間にもならない。

 人ならざる彼らにとっては長いときのなかの一瞬の出来事でしかなく、それを覚えているのには困難なことだ。

 しかし時に稀に強烈な印象を残す人間も現れる。その者の一瞬の生が通りすぎてもなお、人在らざる者の記憶に残り続けるような。

 それに出会ってしまった神も妖怪も不幸なものだ。もういないその者を永劫の時間求めてしまうからだ。孤独は誰かと交わることでしか晴らされない。晴らされない感情はただ似ているというだけで白羽の矢がささった他の者に向かうようになる。

 かくして神隠しという事象が起こるのだ。

 それが神の身元にいくのか、妖怪の腹に収まるのか、行き着く先は別として。

 これはそんな人ならざる者と人とが交わったときに起こるお話の一部。

 誰の身の回りにもあることかもしれません。

 では始まり始まり。

楽しんで頂けましたでしょうか。

科学とは違う神秘の世界をお楽しみください。

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