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優しい人は、強い人です。

作者: 鈴木美脳

 優しい人は、強い人です。

 優しい人の中には、とんでもない強さがあります。

 優しさこそが強さなのだと言えます。


 人間は、肉体的にも心理的にも弱い生き物です。

 自己中心的な世界観を持つと、心が楽になります。

 だから、多くの人は、大人になるにつれて利己主義に堕落していきます。

 心理学の第一の作用である事実の否定によって、他者が入れないように心に鍵をかけてしまい、自己正当化の中に閉じこもります。

 つまり、大人になるにつれて、深く内面的なコミュニケーションを他者とすることをやめてしまうため、年齢に反して、人としての心の成長は失速するのです。視野が狭く限られた頑固な性格になるなどします。


 心を成長させる最も代表的な行為は、産んだ子を育てることです。

 他者の人生の幸せを真剣に願う中で、他者の内面的な苦楽に寄り添う力が培われます。

 そうして、豊かな心を得る機会があるという意味で、女性は男性よりも恵まれています。

 よって、社会全体は主婦によって支えられているのだと言えます。


 しかし、家族は一種の派閥です。

 優しい人には、派閥の論理を超えて、他者への優しさがあります。


 優しい人のほとんどは、ひどい苦労人です。

 人生のどこかで、あるいはその冒頭から、直視するのが辛すぎて耐えられない現実に遭遇した人です。

 そして彼や彼女は、現実の外に救いを求め、利己的な損得を捨てて不偏の愛の美学にまで到達しました。

 そうして得る内面的なパラダイスは、歴史的な宗教で悟りと呼ばれたものです。

 そのように博愛主義に到達した人は、加齢によって利己主義に堕落していくことがありません。


 しかし、隣人愛を生き様として現実の社会を生きたならば、苦労の連続です。

 世の中のほとんどの人、特にお金や権力のある人々ほど、自己中心的な自己正当化に取り憑かれていますから、単に苦労という以上に、理不尽の連続です。

 ですから、普通ならば、自己中心的な世界観に堕落していったほうがずっと楽です。

 あるいは、超越的なパラダイスに到達しているなら、生きる努力を頑張らずに死んでいったほうが楽です。

 優しい人は、生きることと、堕落しないということ、普通は絶対に両立できないはずのことを両立しています。

 つまり、優しい人というのは、とんでもない強さによってしか存在しえません。


 優しい人は、自己中心的な自己正当化に堕落していくことがありません。

 すると、社会の構造についての現実が素直に観察できて、人の世におけるモラルや倫理や愛情の意味を知ります。

 だから彼や彼女にとって、利己的に生きるということは、親切にしてくれた人や、善良に生きている他者に対する裏切りです。家族といった派閥を超えた博愛を生き様として生きるべきことが感覚されます。

 つまり、正義の実在が感覚され、正義のある人として生きていくことになります。

 しかしすでに触れたように、正義ある人として現代の社会を生きようとすることは、あまりにも過酷なことです。


 優しい人は、博愛の価値を否定する人々や、正義の存在を否定する人々の中を生きることになります。

 そうして次第に、自己中心的な自己正当化の中に堕落していく、人という生き物の弱さを知ります。

 直視するのが耐えられないほど辛い、人間の内面的な醜さに対峙することになります。自己正当化のためには他者にどこまでも残忍になれるという、無限の悪意を知ることになります。

 ですから、優しい人は、世間のすべての人間を否定して、世捨て人として孤独に生きて、相互理解を諦めて静かに死んでいくのが自然な立場に置かれています。

 しかし、優しい人は、なおも人々の尊厳を認め、一人一人の心の幸せを大切に考え、つまり優しさを備えます。

 優しい人は、人々の心の弱さ、社会の暗部を見透かしていて、なおも優しいのです。


 優しい人は、かつて耐えがたい苦しみを味わい、博愛の生き様に到達したはずです。

 苦労した経験からは限りない恐怖が湧き起こり、味わった理不尽からは限りない憎悪が湧き起こるはずです。

 その恐怖と憎悪によって、日々は死よりも苦しい苦しみに染められているはずです。

 生きるどころではなく、他者に優しくする心の余裕を持つどころではないはずです。

 しかし、優しい人には、恐怖も憎悪もありません。

 優しい人は、とても強いので、心に大きな恐怖や大きな憎悪が起こることなく、心理がうまく制御されています。

 優しい人は、非常な苦労を通して、とても豊かな心にまで成長した人なのです。


 例えば、お金を価値観として、自分より貧しい人々を蔑む人が多くいます。

 厳密に言えば、それをしない人のほうが珍しいことでしょう。そしてその生き様を、やむを得ない処世術として自己肯定する自己正当化が、今の世の普通だとすら言えます。

 一方では、目立ちはしませんが、優しい人が同じ社会で暮らしています。

 外見からはそうとはわかりませんが、人々の中にはものすごく強い人が混ざっているのです。

 お金持ちや権力者が強い人なのだと勘違いしていては、そんな現実に気づくことはないでしょう。心の成長はごく若いうちから急速に失速していくかもしれません。あるいは、人間の強さや可能性に気づくことなく、どこか退屈に感じられる人生を送ることになるかもしれません。

 ですから、人間にとっての本当の強さとは何なのか、知る機会があるべきです。

 本当の意味での「優しい人」や「いい人」の価値や貴重さが軽視されてきた時代は、克服されねばなりません。


 優しさこそが強さなのだと言えます。

 優しい人は、強い人です。

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― 新着の感想 ―
[一言] 鈴木さま お返事ありがとうございました。 リンク先のブログの記事も読みました。 生存戦略について、「種としての」という視点は私には新しかったです。といいますのも、先日、感想を書いた後、優…
2020/10/24 11:42 退会済み
管理
[良い点] 面白かったです。 [一言] 私は天邪鬼なので、「優しい人」「いい人」についての考察があるなら、「意地悪な人」「ずるい人」についての考察も読んでみたいと思いました。きっと発見がありそうです。…
2020/10/23 13:36 退会済み
管理
[一言]  優しさというのは、人を憂うと書くように、人の痛みがわかることだと思う。  ただ、利己性と利他性はゼロサムじゃなくて、重ねることもできるから、つまり、他人を自分のことのように考える事ができ…
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