5。
「麻雅お嬢さま、ここでしたかーー勝手に走って行かないでくださいと申しましたでしょう」
竹林の奥からやってきた女は、不機嫌そうな顔でそう文句を言った。
お嬢様、なんて呼ばれると言うことは、手当てをしてくれた女は何処ぞのご令嬢だったらしい。
刃物を振り回して木を切ったり、血塗れの犬を介抱したりと、随分と破天荒な令嬢がいたものだな。
まあお陰で助かったわけだが。
「あら、小鈴。ごめんなさいね。犬の鳴き声が聞こえて、思わず走ってしまったのよ」
貴女を置いていくつもりなんてなかったのよ? と気まずげに目を逸らす令嬢を、侍女らしき女が睨みつける。
「全くいつもいつも……貴女と違って私達のように纏足を施されているものは、まともに走ることもできないのですよ?
ご自分を基準になさるのはどうかと思いますわ」
これだから大足女は……と口の中で小さく呟くのが耳に入る。
ーーひょっとして、この二人仲が悪いのか?
「……本当にごめんなさい。気をつけるわ」
「そうなさって下さい。ーーそれで? その見窄らしい野良犬は何なのです?」
「ここで怪我をして蹲っていたから、手当てをしていたのよ。
耳が千切れかけているからこの後お医者様へ連れて行こうと思うのだけど……」
ダメかしら、と問いかける令嬢を、侍女の方が冷たい目で見遣る。
「何を馬鹿な事を。駄目に決まっております。
そんな血塗れの汚らしい犬を、お屋敷に連れて行くことなどできません」
「なら、アタシが走ってお医者様を呼んでくるわ。小鈴は此処で待っていて頂戴」
「……お断りしますわ。いつ噛み付いてくるとも分からない犬と残されるなんて御免被りますものーー
ああ、勿論私に医者を呼んでこいなんて言わないで下さいませね? 私の足はコレですから」
そう言って服の裾を摘んであげるのを見れば、その侍女の足は令嬢の足の半分ほどの大きさしかなかった。
ーーこれは、一体どういうことだ。
同じ人間の女の足なのに、何故ここまで大きさが違うんだ?
背丈の大きさは殆ど変わらないというのに。足だけ見ると大人と幼児くらいの差があった。
しかも何故だか侍女の方が誇らしげで、一方の令嬢の方は下を向き、口惜しげに唇を噛んでいる。
俺には訳が分からなかった。
こいつらは主人と使用人という関係に見えるのに、何故主人らしき方が立場が弱そうなんだ?
まさか足が小さい方が優れている、とでも言うつもりなのか?
……人間の優劣の基準は、俺には理解不能だな。
「ーーええ、そうよね。分かっているわ」
令嬢はそれだけを応えてから、俺の方を見て話しかけてきた。
「ねえ子犬さん。少し待っていてくれないかしら。
アタシ、今からココにお医者様を連れてこようと思うの」
「お嬢様、正気ですか」
「ええ、それなら何も問題ないでしょう?」
そう言うと、令嬢は髪を結っていた布を解き、自分の手に取った。
「小鈴、筆を持ってはいないかしら?」
「……生憎、外を出歩くのに不要な物は持ち合わせておりませんわ」
「そう、なら仕方ないわね」
全然仕方なさそうな声音でそう言うと、令嬢は持っていた刃物で竹を細く割り、端をペン先の様に尖らせて削っていく。
出来上がった棒を見て満足げにすると、今度は何をトチ狂ったかその棒で自分の手の甲を刺しやがった。
「ーー?! お嬢様なにをー!」
「あ、違うわよ。刺してないわ。
さっき移動している時に笹で切ってしまったから、丁度よく血が出てるのよね」
「そんな話はしておりません。何をされているのですか」
「だって筆がないなら、墨だって持っていないでしょう?」
何か書けるものが欲しかったのよ、と言いながら血の付いた棒で布の端に何か書きつけだした。
線がかすれる度に腕の傷口から血を絞り出し、竹のペン先につけるを繰り返して、何か不思議な柄を描いていく。
「ーーよし、できたわ!これでちゃんと読めるかしらね。
ちょっとじっとしててね?」
そう言うと描きおわった布を俺の首にくるくる巻きつけ、可愛らしく形を整えだした。
一通り引っ張ったり伸ばしたりした後、顔を離して俺を眺め「うん、とっても可愛い!」とほざきやがった。
ちょっ、ヤメろ! 俺はオスだぞ?! 可愛らしく、とか嫌がらせか!
……それよりこの人間、今度は一体何のつもりなんだ?